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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
166/184

殺戮 2

殺戮 2






 灰と余燼(よじん)が舞い、漂う煙が霧のように視界をぼかす。


 夜通し、ヴィシャは手下を引き連れ下街の全域を駆け回っていた。


 置き去りにされた傷病者を回収し、取り残された子供たちを保護し、崩れた建物のなかから生存者を救出する。


 熱の残る瓦礫を素手でどかすうち、手のひらは焼けて赤々とした肉が露わになる。


 なんでもない日常のなかでは、他人を力で黙らせる。そうした生き方をしていた部下たちも、暗い顔で滅び行く街の光景に涙を浮かべている。


 からころと揺れる馬車の荷台には、保護した者たちを載せている。そのなかには、我が子の一人ユーニも含まれていた。


 空が明るくなる頃、下街のあらかたを確認し終えたヴィシャは、最後に貧民街に向けて歩を進める。


 他の区画と同様に、多くの建物が焼け落ちた痕が見え、点々と道に転がる死の気配を横目に、ヴィシャは街の一角に建つ教会の前に立つ。


 朽ちた家々に囲まれながら、左右に裂ける道の中心に建つ教会は、元のままの姿を保っていた。


 その教会の入り口に座り込む人物を見て、ヴィシャは歩み寄り、聖職者の服を掴み上げる。痩せて軽くなった体は、軽々と持ち上げられた。


 その人物、エヴァチ司祭は、虚ろに濁った目を向け、


「これは、私のせいなのでしょうか……?」


 弱々しい声と顔を見て、ヴィシャは握った拳を振り上げた。周囲で座り込む信徒たちから悲鳴があがる。


 エヴァチはヴィシャを見つめたまま、頬に微かな笑みを浮かべた。その顔が、卑しくも罰を求めているように見え、ヴィシャは振り上げた拳を震わせながら、そっと下ろした。


 失望したような顔をしたエヴァチに怒りを感じ、ヴィシャは掴んでいたエヴァチの体を地面に強く叩き付ける。


 声を震わせエヴァチに駆け寄る信徒たちを横目に、彼らの側に置かれていたいくつかの荷台に注意を向けた。


 布で覆われているが、その中にたっぷりと詰め込まれているのは、真新しい食料の山だった。


「とってきたのか」


 食料を積んだ荷台を指してヴィシャが言うと、


「城内で、ひとを殺めてしまいました……そして、逃げるために、怯える若者たちをこの手で……これは、その罰なのかもしれません」


 エヴァチはうつむき、汚れた自分の手を悲しげに見つめながら言う。


 ヴィシャはそんなエヴァチを睨みつけるように見下ろし、

「軽々しく罰だなんだと言うんじゃねえ。これだけのことが起こって、そのすべてがてめえのせいだなんて、どれだけ自分を高く見積もりゃあそう思えるんだッ」


「ですが、私が事を起こした夜に――」


「もしかしたら、あんたがやったことが今回の事の始まりだったのかもしれねえ。だが、この国の根っこはとっくに腐ってた。限界まで搾り取られた奴らはきっかけを欲しがってただけだ。取り尽くされた後に寝床まで燃えて消えれば、あとはもう失うもんなんてない。こうなったのは全部、上のクズどもの責任だ。自分を憐れんでこんなところで座り込んでる暇があるなら俺と来い。山中に避難できる場所がある、そこに怪我人や子供たち、逃げたがってる連中を匿う。あんたが奪ってきた食料も必要になる」


 ヴィシャの言葉に、エヴァチはゆっくりと顔をあげ、山盛りに食料を積んだ荷台を見つめた。


 エヴァチはその視線をヴィシャに流し、

「皆を……上に登って行った者たちを救わなければ……」


 ヴィシャは首を横に振り、

「諦めろ、奴らは全員上流の奴らに皆殺しにされる。俺たちに出来るのは、生き残りを保護してこの嵐をやりすごすことだけだ。後のことはもう、わからねえ」


 うつろな目を風景に滑らせ、エヴァチは重く頷き、腰を上げて立ち上がった。




     *




 レオン・アガサスは馬を駆り、斥候として市中の様子を調べていた。


 焼けた匂いに混じり、街中に死の気配が充満しているが、点々と地面に転がる死体から、正確に勢力を把握するのは難しい。


 ある者は粗末な毛皮を纏い、ある者は軍人や兵士のような格好をしている。そこに下街の住民たちと思しき者までが混ざり、場は混沌としていた。


 深く進むほどに、レオンはそこに強い違和感を覚える。


 ――誰もいない。


 多くの住民たちが暮らすはずのそこで、生者の気配がまるでない。そして、奥へ進むほどに、道ばたに転がる死体の数が増えていく。


 どの死体も全身に激しい暴行を受けた痕跡がある。その様子から、武器を握った大勢が少数の相手を取り囲み、数の暴力で圧倒した状況が窺える。


 さらに馬を走らせ、上街の方角へと向かう。まもなく、街の境界にさしかかったその時、突然一帯に圧倒的な人の気配が充満した。


 群れた集団が上街に流入している。


 奥から怒号や悲鳴、そして爆ぜるような音が鳴り響く。


 その光景はまるで、落ちた食べ物に蟻が群がるかのように、武装した住民たちが都の上流へ向けて侵攻している。


 武器を握る住民たちの一部が、レオンに気づいた様子で指を差し向けた。殺気だった視線を無数に浴び、慌てて馬を反転させる。


 安全を優先し、報告のために来た道を引き返す。その道中、脇道から零れるように兵士たちの一団が現れた。


 その先頭に立つターフェスタ輝士らしき男が視線を向けてきたが、レオンは戻ることを優先し、躊躇うことなく馬を加速させた。




     *




 住民たちの足音が、石畳に重く響き渡る。


 不満と絶望を咆哮に乗せ、叛乱を起こした住民たちが中央都の上流へ向けて攻め上る。


 崩壊した秩序に対応する、公国の兵はまばらである。


 少数の輝士と警備隊の兵士たちは、怒れる民衆に為す術がなく、じわりじわりと後退していた。


「先方の陣が崩壊、暴徒化した集団がこちらに向かってきていますッ」


 公国の兵の指揮を執るユーカ・ネルドベルは、ネルドベル家の本邸に置いた司令部に身を置き、報告を聞く度に地図につけた印を見つめ、顔を顰めた。


 ユーカは強ばった顔で、

「このまま第三の陣まで突破されれば、暴徒がここまで来てしまう」

 地図に記された貴族家の居住区を指した。


 ターフェスタ公国においては、彩石を持って生まれながらも戦闘訓練を受けた者は多くない。

 戦いとは縁遠い貴族の子女、それに老齢の者たち、さらに貴族家で働く使用人たちは現在、守りを固める邸のなかにこもっている。


 ユーカの父、アレクス・ネルドベルが重く息を吐き、

「数があまりにも多すぎる。現状の兵力で抑えきれないようであれば、今のうちに近隣地区の者たち全員に避難を呼びかけるべきか」


 言うと、その直後に軍議に参加する貴族の老人が杖の先で強く床を叩き付けた。


「有象無象の民草を相手に、高貴なる我らが怯えて逃げ出すなど言語道断」


 かつての重輝士として活躍していた頃の古びた輝士服を纏う老人は、強い視線をアレクスに向けた。


 アレクスは、

「ですが、このままでは……」

 ユーカに視線を送る。


 ユーカは唇を噛み、

「相手に対して圧倒的な数の不利が生じている場合、まずは交渉を試みるのが定石です。暴徒をまとめて指揮している者を見つけ、そこに接触できれば、彼らの言い分を聞いて矛を収めさせることもできるはず」


 老人はユーカの言葉を笑い飛ばし、

「手緩い、中途半端に収めようとするからこそ手こずるのだ。輝士を一点に集め、晶気を用いて逆賊を一網打尽にしてしまえ」


 アレクスは腰を浮かせ、

「公国の民ですよ、無闇に虐殺せよというのは……仕方なく参加している者もいるはず……」


「どのような事情であれ、武器を持ってこちらに侵攻する行為は公国に対する叛乱だ。逆賊であればその罪を秤に乗せるまでもなく、死罪に処される。ユーカ殿は才媛として名高いが、本来であれば軍に入るにも遠く幼い年頃。いくら晶気の扱いに長けていようとも、軍を率いて難事に対処するには力不足だ」


 アレクスは立ち上がって老人を睨み、

「父である私の前で、我が子を侮辱されるおつもりか」


 老人は渋面でアレクスを睨み返し、

「……そうではない。だが、これは難しいことではないのだ。大公殿下がこの件をお知りになれば、必ず叛乱を起こした暴徒どもの抹殺を命じられる。先にそれを実行したとしても、救国の士として勲章を戴くのは間違いない。ユーカ殿が身に負う冬華の称号があれば、正式に逆賊の討伐の命を下せる。それさえあれば、兵や輝士たちの躊躇いも昇華でき、迷いを晴らして奮えよう。その名の下に命を出せば、あとのことは私が指揮を執ろう、若く将来あるネルドベル卿に、醜い流血を見せることもない」


 アレクスは声を荒げ、

「あれこれとそれらしいことを言いながら、あなたは結局この件をご自分の成果となさりたいだけなのではありませんか? 重責を伴う決断に体よくユーカを利用しようとして――」


「なにを、この若造がッ――」

 老人が興奮した顔で腰を浮かせた。


 言い争いが起こりそうな状況で、ユーカは手元から渦巻く晶気の風を巻き起こし、

「お静かに」

 と場を諫める。


 地図や小物が散乱した場で、静々と小さな竜巻を起こし、誰を傷つけることもなく素早く風を収束させる。ユーカはその才能を誇示しつつ、威圧するように祖父とも呼べるほど年の離れた老人を見つめた。


「冬華の権能を行使し、あなたの提案は却下します」


「なッ?! 馬鹿者めが、奴らに甘くすれば隙をつくることになりかねんのだぞ! 下手に侵攻を許して、たとえ一時でも都の主導権を奪われればどうする、その責を負う覚悟があるのかッ、生涯の消えぬ傷となろうぞッ」


 アレクスは暴言を吐いた老人に、

「口を慎まれよ!」


 ユーカは重く息を吐き、

「こちらは著しく戦力を欠いた状況で、あなたの言う討伐も、それを行えるだけの力があるかどうかも不透明」


 老人は顔を歪めて食い下がり、

「なにを言う、そもそも奴らは神の恩寵も受けぬ身で――」


 ユーカは冷めた目を老人に向け、

「彼らが何者であろうと、圧倒的な数を有している事が問題です。こちらの晶気を扱える者が全力で掛かったとしても、暴徒を制圧しきれなければ、さらに刺激を与えるだけになり状況が悪化するだけ」


 老人は奥歯を擦り、

「生意気な……」


 アレクスはユーカに、

「なら、周辺地区全体に避難を呼びかけよう」


 ユーカは頷き、

「お願いします、お父様」


 老人は、

「信じられん、この程度のことで逆賊に上街を明け渡すなど……」


 ユーカは強く見つめ返し、

「明け渡すとは言っていません。第二の防衛陣の守りを固めつつ、継続して暴徒の指揮者を探します」


 違う考えをぶつけあう最中、室内の静寂を突くように急報が訪れた。


「前線より緊急の報告です! 東部に侵攻する暴徒が二手に分かれ、一部が城に進路を変えて進行しています!」


 老人は強く舌打ちをして、ユーカを凝視した。


「公国の象徴である大公家の居城を好きに荒らさせるつもりか? 後々、大公殿下が知ればどう思われるだろうか。この重要事に決断を誤れば、ターフェスタという国名に救いがたい傷を負うはめになる。最後にすべてを万事納めたとしても、この件は各国、各地に知れ渡るのだ。幼年ながらに特異な才能を持つ身ゆえに心から忠告しておこう、その立場を危うくしたくなければ、今すぐ敵勢力の抹殺を命令するのだッ」


 室内に重い息を落としながら、ユーカは倒れ込むように椅子に深く腰掛けた。




     *




 大公家の居城、その敷地内にある馬房の中、ツィブリは冷たい地面にしゃがみこんだまま、次に聞こえる言葉を待っていた。


「――宰相」


 耳元に姿なきフクロウの声が届き、ツィブリは深刻な顔で顔を上げる。


「どうだ?」


「――東部に侵攻する暴徒の一部が分裂。一方が城へ向かって来ています。先頭集団の到着は間もなく」


 ツィブリは苦々しく喉を鳴らし、

「やはり、こちらに矛先を向けるか……」


 下街地区の領民たちが蜂起したことを知りながら、ツィブリは現状の身分ゆえに、馬房のなかに閉じ籠もっていたが、外を自由に行き来できるフクロウの助けがあり、現状を細かに把握することができている。


 ツィブリはこの急な事態を驚いてはいなかった。ここに至るまで、外から聞こえてくる話を組み合わせれば、国が領民から税を取り過ぎていたのは明白、常には貴族の力に怯える者たちも、目の前に死が迫れば恐怖も忘れ、立ち上がる。


 過去、貴種が積極的に残してきた華々しい歴史の数々に、隠されてきた負の記憶が存在する。その多くは、民を軽んじ、その怒りを呼び起こした。そのほとんどは陰惨な結末を迎え、恥を隠すために歴史の闇に葬り去れてきた。


 ツィブリは思いを胸に虚空を見つめ、

「城内の様子は?」


「――暴徒の襲来を察知し、残留していた兵と輝士たちが、防備を固めているところです」


「暴徒の規模はどうだ?」


「――おおよそですが、大規模深界戦での歩兵大隊に相当」


「それほどの数が……」


 派兵に遠征、消耗に次ぐ消耗を繰り返し、現状のターフェスタ中央都は、穴だらけの張りぼてと成り果てている。


 ツィブリは長年の経験と予測から、頭のなかで素早く計算を済ませ、

「頼み事ばかりですまないが……」


「――お申し付けを」


「まず、東方からの来訪者であるご婦人方の無事を確保してほしい……その無事を見届けた後で構わないのだが、できれば、その後に私の家に、避難を呼びかけに行ってほしい」


 耳から聞こえるフクロウの気配から、一瞬発声を躊躇う気配を感じる。


「――最初の願いについては、この後に。二つ目については、申し訳ありません、すでに手を打ちました」


「なんと……?」


「――宰相のご家族については、知る限りの安全な場所へご案内しております、ご安心ください」


 ツィブリはどっと肩の力を抜き、

「……すまん、この恩は忘れんぞ」


「――宰相はどのように?」


「私は……」


 心なしか、馬房の外から伝わってくる騒がしい気配が徐々に大きさを増している。


 ツィブリは弱った体に鞭を打つように立ち上がり、

「できるかぎりのことをしよう」




     *




 馬房を出たツィブリは、中庭を歩き、城門に群れる兵士や輝士の前に立つ。


 始め、粗末な衣服に身を包むツィブリの存在に、誰も関心を示さなかった。だが、


「ツィブリ、さま……?」


 一人、また一人と、ただ静かに佇むツィブリの存在に気づいていく。そのなかには、宰相として権威を誇っていた頃に、懇意にしていた者たちの姿もあった。


 騒々しく防衛の支度に従事していた者たちも、その表情には強い不安の色が隠せない。


 その彼らが手を止め、声を消して、ツィブリが発する声を待つ。


 ツィブリは全員の顔を一望した後、小刻みに頷きながら、

「みな、よくやっている。だが、今すぐすべての作業を止めるのだ」


 その言葉にどよめきがたつ。


「ツィブリさま、ですが今は……」


「状況はわかっている。間もなく暴徒と化した領民たちが城に押し寄せてくるだろう。抗えば時間を稼ぐことができるかもしれないが、多くの死傷者を出すことになろう。幸いなことに、現在のこの城には大公家の血に連なるお方は誰一人として存在しない。ここは主不在の入れ物にすぎない、そんなもののために無駄な血を流す意味はない」


 ツィブリと顔見知りの輝士が一歩前に踏み出した。


「では、この城を明け渡せと? ここには大公家の私財や保管されている物資も……」


 ツィブリはすぐに首を振り、

「ここに置かれている物など極一部にすぎない。所詮はただの物だ、そんなものを守るために、同じ国に属する者同士が殺し合うなど、まったくの無益にすぎん」


 実際には、城内に保管されている大公家の私財は決して少なくはない。それを無闇に失えばドストフは怒るだろうが、ツィブリはあえてそのことを伏せて言った。


 逃げてもいい。その選択を提示した瞬間に、城を守ろうとしていた者たちの多くが戦意を失いつつあった。


 ツィブリは場の空気が一変したことを悟り、

「すべての責はこの私が一人で負う。さあ、城内に残る者たちに呼びかけて、少しでも早くここから逃げるのだ。危険な地区に家族を置いている者は、すぐにでもそこに駆けつけよ」


 ツィブリが手を叩くと、途端に多くの者たちが走り去って行く。


 この場に残った一部の者たちが、

「ま、待て、持ち場を離れるな!」


 引き留めるために声をあげるが、その呼びかけに応じる背中は一つとてなかった。




     *




 白雪を纏う広大な都、そこを統べるのは銀星石という名の宝玉を身につけた歴代の君主であり、各地の門を守護する忠実な領主や輝士たちが、柱となって国を支える。


 デュフォスにとって、故郷であるターフェスタとは、そんな特別な場所だった。


 冬の花の名を冠した称号を受け、選び抜かれた才人たちを統率する立場にあり、権力と名声が約束されていたこれまでの日々は、すべてが一点の曇りもなく完璧だった。


 長い捕虜暮らしがようやく終わり、故郷に戻った。だが、そこにあるのは、退廃と死の気配のみ。


 すべてが狂ったのは、すぐ後ろを歩く忌々しい殺人鬼、セレス・サガンとの関わりが生じてからだ。


「デュフォス卿、上街各方面に暴徒化した住民たちが集結しています……数は遠目には把握できないほど……」


 報告を受けたデュフォスは動じることなく頷いた。それは、ここまで歩いてきた下街の様子を見ていれば予測できたことだ。


 焼け落ちる街に消火を試みた形跡はなく、街には焼死体と兵士たちの死体で溢れている。


 冷や汗を浮かべたプレーズが青ざめた顔でデュフォスの前に跪き、

「御身を救出するために、人員を割きはしましたが、それがこの事態を招いたとは到底……」


 しどろもどろに言葉を紡ぐプレーズの気持ちを、デュフォスはよく理解していた。いま、頭のなかを占めているのは保身のみ。それはただ闇雲に出世を志す城勤めの人間には珍しくもない態度である。


 すべてが終わった後、プレーズに責任をとらせて首をはねる場面を想像しながら、デュフォスは彼の肩に手を置き、羽根で撫でるように優しく声を掛ける。


「いまは責任の在処を問うべきときではない、お前の貢献は十分に理解している、心配するな」


 プレーズは不安を晴らすように瞳を揺らし、

「あ、ありがとうございます、御身のためならばなんなりと……ッ」


 そうしている間、各所に送り込んだ斥候たちが次々と戻り、報告を上げていく。


「東部から西部に至るまで、上下の境界道のすべてが暴徒たちの制圧下におかれています!」


 デュフォスは強く息を吐き、

「そんなことは断固として許さんッ。プレーズ重輝士――」

 その名を呼んだ。


 プレーズは身を正し、

「はッ」


「上街に暴徒が流入しているのなら、その対処として現有の戦力をまとめて指揮をとる者がいるはず、探し出して反攻を開始するように指示を伝えろ」


 プレーズはきょとんとして瞬きを繰り返し、

「わ、私がですか?!」


 デュフォスはプレーズを強く睨めつけ、

「そう言ったが?」


「で、ですが、この状況下で無闇に敵中に切り込むというのは……」


「ほう、レフリ・プレーズはたかが群れる平民が恐ろしいと?」


 プレーズは喉を詰まらせ、

「い、いえ……ッ」


「ならば行け」


「行きます……が、この混乱状況では、誰がどこで指揮を執っているのか検討がつきません……」


「ふん、大方の予測はつく。東部には各家々の居住区がある、城に向かう前にネルドベル家に向かえ。ユーカが存命であれば、おそらく担がれて指揮を執っているはず」


「ネルドベル卿に……」


 デュフォスはちらと空を見上げ、

「凶暴化したねずみどもも、飲まず食わずでは疲れるだろう。空が暗くなる頃を見計らい東西から挟み込んで一気に敵を殲滅する。大恩あるターフェスタ公国に叛乱を起こした者たちに一切の慈悲は無用。冬華の長たるデュフォスの命令だと、現場の指揮官にそう伝えろ」


「は、はッ――」

 プレーズは威勢良く返事をして敬礼をしつつも、

「――その、少々で構いません、兵を連れて行ってもよろしいでしょうか」


 我が身を守るため、当然の願いを言ったプレーズに、デュフォスは意地悪く目を細め、


「下手に群れれば目立ってしまい、動きが鈍くなるだろう。その腕前を買ってのことだ、単身で強行突破をしてみせろ、無事にこなせば、ここに至るまでの不手際は忘れてやろう」


 プレーズは縋るような目付きで何度も頷き、覚悟を決めた顔付きで、暴徒でひしめく上街の方へと走り出した。


 デュフォスは冷めた目でその背を見送った後、振り返ってセレスを凝視する。


 見つめられた途端、怯えたように肩を竦める弱々しい姿に苛立ちを感じながら、デュフォスは猫を撫でるような態度でセレスの肩に手を乗せた。


「セレス・サガン、きさまに生まれて初めて公国に尽くす機会を与えてやろう。その手に持って生まれた能力を使い、叛乱を起こした者たちを殲滅するのだ。嫌いではないのだろう? 恥じることはない、そうした資質も、非常時には役に立つ時もある。神はお与えになったのだ、その才能をいかんなく発揮できる、今日というこの日を」


 微かに肩を震わせながら、セレスは芋虫のように背筋を曲げ、深く顔を落とし、小さく縦に頭を振った。




     *




「准砂、お先に行かせてもらいます。このような状況で手をお貸しできないのは、心苦しいのですが」


 護衛としてカルセドニー家の私兵を引き連れ、ネディムがシュオウに声をかける。


 無理矢理引き留められた遠征隊を前にして、シュオウは淡々と頷き、


「気をつけろ」


 ネディムはじっくりと頷き返し、

「私は上街に入り、現状に対応している指揮官を探します。未だ見えぬことが多いため、現場の様子によっては臨機応変に動きをとりたいと思いますが」


「必要なことをやれ。できるかぎり穏便にこの事態を収束させる。すべてはそのために――」


 ネディムは丁寧に辞儀をして、

「かしこまりました」


 シュオウに背を向け、馬に跨がる。それを手伝う私兵の一人が、ネディムに顔を寄せ、声を潜めて語りかけた。


「ご当主さま……このようなことに加担して、お家のことが心配になりますが」


 カルセドニー家に長く仕える男に、ネディムは前を向いたまま首を落とし、


「すべては承知の上……謀反人の称号に巻き込まれたくなければ、この任務を放棄することも認めます」


 男は眉間に力を込めて首を振り、

「私はターフェスタ大公家ではなく、カルセドニー家に仕えております」


 ネディムは表情を変えぬまま、

「では、行きましょう」


 私兵が駆け足でついてこられる程度の速度を保ち、馬を進める途中、前から全速力で駆けてくるレオン・アガサスの姿が見える。


 ネディムに気づいたレオンが口を開きかけたその時、

「准砂はあちらへ――」

 問われる言葉を予測し、先んじてその答えを言って聞かせた。


 レオンは小さく頷いて、馬の速度を緩めることなく走り抜けていく。


 私兵を引き連れたネディムは、再び門の詰め所に戻っていた。


「向こうに大公の護衛輝士たちが拘束されている、ぬかりがないか確かめろ」


 そう指示を飛ばし、ネディムは詰め所の入り口の前に馬を止め、中の様子を確かめた。


 シュオウに命じられ、拘束したドストフを監視するクロムがいるはず。扉を開きなかを確かめると、たしかにそこには二人の姿があった。


 だが、

「クロム、お前は……」


 ドストフとクロム、二人の姿はたしかにあった。だが、一方は血反吐を吐きながら床に横たわり、もう一方は拳にべっとりと血を付け、その傍らに佇んでいる。


 顔面を殴打され、別人のように顔を腫らしたドストフは、絶え絶えの息でネディムを見つけ、懇願するような視線を向けた。


「ネ、ディム……たすけ……助けて……」


 ネディムは慌ててドストフに駆け寄り、その容態を確かめる。

 顔面を中心に、体中に酷い暴行の痕が残っている。その様相は半死半生という状態だった。


「予測しておくべきだったか」


 間違いなくこれをやったであろうクロムは、悪びれた様子もなく涼しい顔でネディムを一瞥した。


「このクロムの前で、我が君を罵倒した報いを与えたのだよ」


 ネディムは自らの外套を脱いでドストフの頭の下に敷き、苦しげな呼吸を落ち着けるため、服の締め付けを適度に緩める。


 盛大に溜息を吐き、

「……お前のご主君はいま、とても危うい橋に足を踏み入れている。その状況下で、ドストフ様の身に万が一のことがあれば、眠れる災いを呼び起こすことになりかねない。それ故に、なにより優先すべきことは、ドストフ様の無事を確保することなのだよ」


 諭すように言うと、クロムは何事もなかったかのように眉を上げ、

「だから、生かしておいただろう? 本来ならば、この不要物を一刻も早く我が君の前から消し去ってしまいたいのだが」


 嘘偽りなく、純然たる殺意を持って、クロムはドストフを凝視する。その様は、まるで空を飛翔する猛禽が地上の獲物を睨みつけているかのようだった。


 ドストフは恐怖で股を濡らし、

「ネディム、頼む……この男と、二人きりに、しないでくれ……ッ」


 昔からクロムはドストフを嫌っていた。幼少期から夢と理想で頭の中を埋めるクロムにとって、薄弱な君主であったドストフという存在は、醜い現実を象徴する忌まわしい存在そのものだったのだ。


 その二人の力関係が完全に逆転しているいま、この事態も起こりえることとして予測できなかった自らの失態を悔やみつつ、ネディムはクロムの腕を掴んで詰め所の外に向けて引き寄せた。


「こら、なにをする! 我が君の命令でここを離れるわけにはッ」


「私には、シュオウ殿より状況に合わせて自由な裁量が許されている。その権限を使い、お前には私の護衛役をまかせたい」


 クロムはその場に足を踏ん張り、

「……我が君にとって、それは重要な任務なのか?」


 ネディムは即答で頷き、

「なによりも優先されるべきものだ」


 クロムは振り返って怯えるドストフを見下ろし、

「もう少し痛めつけておいても、まだ死にはしなかっただろうに」


 ドストフは痛々しく悲鳴を漏らし、自らをかばうように傷だらけの両手で顔を覆った。


 ネディムは、渋々と詰め所を出たクロムから外套を引き剥がす。


「なにを?!」


 子供の頃のまま唇を尖らせて抗議するクロムに、

「お前のせいで防寒着を失ったんだ、代わりに兄が愚かな弟の物を使わせてもらうことにしよう」


 クロムはぶつぶつと文句を語りつつも、とぼとぼと首を落とされた輝士の遺体を転がし、その身から外套を剥ぎ取った。


 この場の監視役を私兵たちに引き継ぎ、ネディムはクロムと並んで馬に跨がる。


「で、どこへ行く?」


「現状にあたっているであろう指揮官の下へ」


 ネディムが言うと、クロムは右手に手袋をはめつつ、

「誰だか検討がついているのだろうな」


「おそらくは、ユーカ・ネルドベル――」


 クロムはごりっと首を鳴らし、

「誰だか知らんが、構わずそこへ向かうがいい。我が君のためとあれば、邪魔をする者はすべてこのクロムが消し飛ばしてくれよう」


「叛乱に加担する領民たちには、可能な限り手を出さないよう。彼らの無事を確保することが、ご主君のなによりの願いでもある」


 クロムは手綱を引いて馬を立たせ、

「委細承知ッ、すべては我が君のためにッ!!」

 ネディムを置いて一人で威勢良く馬を走らせた。


 ネディムはそんな弟の背を見つめ、

「お前が先に行ってどうするんだ――」

 溜息を吐き、その後を追いかけた。











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― 新着の感想 ―
大公やこの老貴族は暴徒の殲滅をって言ってるが、何れくらいの数が暴徒化してんのかな?1割とかでもかなりヤバい訳だが、描写的にもっと? このままだとツィブリ殺されるだろうから、やはりシュオウがこの乱を収…
どんな頭してたらこんなに色んなことを同時進行で物語を進められるのか…。 先が気になって仕方ない。私が宝くじ当たったら、作者に金払って仕事を辞めさせて、小説書くのに集中出来る環境を作るのになぁ…
おいセレス頷いてるんじゃねえ
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