断雲 9
断雲 9
シュオウとネディム、両者は視線を合わせたまま、互いの心を計るように一瞬たりともまばたきせずに睨み合う。
空気が硬直していたその時、
「これは――」
遅れて現れたバレン、そしてレオンが門前の状況を前にして絶句する。それと同時に、
「我が君ッ!」
威勢の良い一声があがると、ネディムが現れたクロムへ視線を動かした。
ドストフから居残りを命じられていたクロムと、その監視役として残った二人が現れ、止まっていた場の空気が、再び時の流れを取り戻す。
転がる首と、首を失った輝士たちの遺体。釘付けにされた輝士たちと、晶気で彼らを脅すジェダ。組み敷かれたドストフと、押さえ付けるシュオウ。そして、ひざまずいた姿勢のままのネディム。
この場でただ一人、クロムは空気を読むことなくすたすたとドストフに歩み寄り、シュオウに向けて敬礼をした。
その直後、クロムは腰から短剣を抜き、
「このときをどれほど待っていたことかッ」
舌なめずりをして、躊躇いなくドストフに刃を振り下ろす。
「や、やめさせろぉッ」
ドストフは甲高い悲鳴をあげて目を閉じた。
この瞬間に、ネディムは慌てて腰を浮かせ、
「クロム、だめだ――」
クロムの握る短剣がドストフの喉を裂く寸前、シュオウはその手を押し出し、空を斬らせた。
「我が君?! この馬鹿を始末されるおつもりでは……」
シュオウは戸惑うクロムに対して、
「いや……」
否定しようとして喉を詰まらせる。
この状況に陥ったこと自体が成り行きである。それは一瞬の判断と選択の結果だ。
ドストフという個人に対して敵意もないまま、敵対するに等しい行動を選択したことに、未だ心がぐらついている。
「……失礼」
シュオウの惑いを察してか、クロムは短く了解の意思を示し、一礼して一歩退いた。
ほっと安堵した様子のネディムが、硬い息を吐き出して肩を落とす。
ネディムはじっくりとシュオウに視線を戻し、
「短慮を、起こされましたね」
その声に誘われるように、転がった死者たちの頭部に視線を移す。
ジェダに止めろと命じたのは自分だ。だが、彼らの死を望んでいたわけではない。あれは一瞬の判断であり、一瞬の選択だった。
皆殺しを指示するドストフの命令が行き渡れば、叛乱を起こしたという領民たちが命を失う。
戦地への旅立ちを控えていた時、ここで苦しむ人々の顔を見て知っていた。彼らの薄暗い表情と痩せた姿が、この目の前に広がる焼けただれた街の結末と、奇妙なほど符合する。
もしも、彼らが命を賭けて立ち上がったのだとしたら、統治者に逆らった報いを受け、その結果に待ち受けるものは凄惨な死でしかない。
そのとき、街の奥から爆ぜるような爆音が轟いた。ここに争いが起こっているのは間違いない。
バレンが重々しく口を開き、
「准砂――ご命令を、どんなことであろとも」
ドストフが怒りに満ちた目を剥きながら、荒々しく息を吐いた。
「こんなことをして、ただですむと思うな!! きさまらは大罪を犯したのだ、国主たる大公にこのような真似をして、なにがあろうと楽には死なせんぞッ」
ジェダが吹き出すように笑い、
「現状を理解していれば、あなたはむしろ命乞いをするべきお立場では?」
「だまれ! この汚らわしい落とし子め、同情などするのではなかった、やはり卑しい生まれの者たちは所詮は神に愛されぬ出来損ないでしかないのだなッ、お前たちを信じた私が浅はかだった、多くの者たちから聞かされた忠告を耳に入れていればこんな――」
シュオウはドストフの罵倒をただ静かに聞き流した。表情ひとつ変えず、淡々と立ち尽くす。
現状で理解できているのは、後戻りのできない道を選択したということだけ。そして、これまでの生き方とは異なり、すでに自身の身に多くの運命を預かっている。
拳を握り、停止していた思考の歯車をかみ合わせる。
シュオウは眉間に力を込め、わずかに顔をしかめた。鋭い視線に感情を込めながら、意志を込めた視線を仲間たちに向ける。
「ジェダ、護衛の輝士たちを拘束しろ。バレンは後続を足止めしろ、今後のことを決めるまで時間を稼ぎたい、それと仲間たち全員に状況を知らせてほしい。レオンは街中の様子を見てきてほしい、ただ全容がわかるまで戦いは避けてくれ」
指示を伝えた各々が同時に頷いた。
ジェダはドストフを見やり、
「大公はどうする?」
シュオウは城壁と門に視線をゆっくりと回し、周囲の様子を探る。
「門の詰め所に入れておく。クロム、手伝ってくれ――」
言って、ドストフを無理矢理立たせた。
クロムは張り切って腕をまくり、
「おまかせをッ」
ドストフの身柄を引き受ける。
「痛ッ、いたたた――」
腕をとられたドストフが痛みに悲鳴をあげた。
ドストフが立ち上がったのと同時に、ネディムが腰を上げる。そのまま神妙にシュオウを見つめ、
「私はドストフ様と共に。同じ処遇を希望します……」
クロムが険しい顔で歯を剥き出し、
「ふん、そうか愚兄よ、やはり我が君を裏切るのだな……」
ネディムはクロムに冷めた視線を流し、
「もとより私はドストフ・ターフェスタ大公にお仕えしているのだよ、裏切り者という呼称は受け入れがたい」
それを聞いたドストフは声を弾ませ、
「見上げた忠誠心……さすがは私の見込んだ冬華の一、ネディム・カルセドニーだッ」
ネディムはシュオウの前で一礼し、
「現状を鑑みれば厚かましいお願いであることを承知で申しますが、ドストフ様の身の安全を保証していただけますか?」
シュオウは一心に射貫かれるようなネディムの視線を正面から受け止めた。まるで心を見透かすような鋭さを感じながらも、挑戦を受けるようにじっと見つめ返す。
「……抵抗しなければな」
しばらくの間見つめ合った後、ネディムはふと口元を緩め、
「感謝いたします」
自らの足で詰め所へ向かう。
去り際、ネディムはクロムを見つめ、不自然に片目のまぶたを何度か閉じて見せた。まるでなにかを伝えようとするかのような仕草に、シュオウはふと違和感を覚える。
クロムはネディムに、
「……なんなのだ?」
首を傾げながら、ドストフを拘束し、その後を追うように歩き出した。
*
バレンは後方へ、レオンは街中へ。それぞれが与えられた役目を果たすために場を離れた後、シュオウは門の詰め所のなかで、拘束されたドストフ、ネディムと共に身を置いていた。
「はあ……」
部屋のなかに青色の溜息を落としながら、シュオウは冷たくなった自分の顔に手の平を強く押し当てる。
「後悔していますか?」
詰め所の床に座らされたネディムが問うた。
クロムが強く足を慣らし、
「馬鹿を言うな、偉大なる我が君は後悔などするはずがない!」
シュオウは顔を覆う手の平から片目を覗かせ、
「……少し」
ネディムは柔くおおらかな表情を作り、
「お察しいたします」
ネディムの隣に座らされたドストフが奥歯を擦り合わせ、
「なら、いますぐ私を解放しろ――」
詰め所の扉が開き、奥から冷たい空気が流れ込む。
現れたジェダが肩に乗った灰を払い、
「急な事で封じの手袋をつけられてはいないが、簡単に抜け出せない程度の拘束は完了した。しっかり脅しもかけてある」
なにごともなく淡々とした態度のジェダは、シュオウの顔色を見て、きょとんと眉を持ち上げる。
「こうなったことを後悔しているのかい」
シュオウは無言で視線を逸らし、
「殺せとまでは……」
歯切れ悪く言葉を濁したのは、ジェダの行為を責めきれなかったからだ。すべては一瞬のうちに決定され、一瞬の判断で下された事。過ぎたことは、もう元には戻せない。
ジェダは肩を竦め、
「急な事だったしね、確実に彼らを止めようとしたら、体が勝手にそうしていたんだ。失態を犯したと叱られるなら、誠心誠意謝罪するよ」
まったく心がこもってない声でジェダは嘯く。
シュオウは首を振り、
「いや、お前は悪くない、俺が止めろと言ったんだ」
聞いたジェダは、小さく息を吐いて微笑を返す。
「まあ、言わせてもらえるなら、大公の命令を強制的に止めた時点で、生殺に関係なく関係は破綻していた。そうではありませんか?」
悪びれることもなく、ジェダはドストフに問いかける。
ドストフは歯を擦り合わせ、
「あたりまえだッ、そのうえで私をこんなめにあわせおって――」
冷たい床に座らされているドストフが激しく体を振り、
「――寒いぞッ、囚われていようと我が身はターフェスタ大公だ、相応しい扱いをしろ!」
クロムがシュオウの前で敬礼し、
「我が君、針と糸を探してまいります、この愚物の口を塞いでしまいたいので」
極真面目に言ったクロムの言葉に反応して、ドストフが小さく悲鳴を漏らし、逃げるように壁際まで尻を擦った。
シュオウは、
「だめだ」
短く却下を伝える。
ネディムがシュオウに向け、
「部屋に火を入れる許可をいただいても?」
常と変わらぬ態度で聞くネディムに、シュオウは頷いて許可を与えた。
番犬のように睨みを効かせるクロムを無視して、ネディムは淡々と詰め所の暖炉に火を灯す。
火がつくと、すぐに室内は暖かな空気に満たされた。
「どうすればいい……」
シュオウは自問するように低く呟いた。声に混じる割り切れない感情が、静かな空気の中に溶けていく。
起こした火に当たるネディムは、冷たくなった手を擦りながら、
「現実的な案としては、城に置かれたお仲間を回収し、逃げてしまわれるのが最も安全かつ、確実な方法でしょうね」
新天地を求めてターフェスタへ渡り、そこで確固たる地位を手に入れる寸前に、足場が崩れ落ちようとしている。
ネディムの言葉は、たしかに地に足の着いた考えである。
シュオウはじっと前を見つめたまま、外から漏れ伝わる街が焼ける匂いを嗅ぎ、迷いを斬るように顔を上げた。
「この状況を放って逃げるつもりはない」
「市中で起こっているとされる内乱に介入するおつもりであれば、まずは現状をよく把握するところから始めなければなりません。とはいえ、あまり時間の猶予もなく、圧倒的に人手も不足している」
戦場で補佐役として働いていたときと同様、シュオウに着々と助言を告げるネディムに、ジェダが険しい視線を向けた。
「したり顔で相談にのっているが、あなたはもう敵方の人間だろう」
ネディムは細やかに頷き、
「ええ、まあ。ですが、拘束したからといってすなわち敵である、と断定するのは浅はかですよ、その後に懐柔する努力を放棄すべきではありません」
ジェダはさらに険を強め、
「なら、懐柔に応じるとでも?」
「まさか。ただし、道義を超えた拘束力のある動機があれば、話は別です。それは例えば、決して破ることのできない約束、であったり……」
ネディムは意味深に声を潜め、その視線をクロムに向ける。
クロムはきょとんとした表情のまま、ネディムをぼうっと見つめていた。
また妙な態度をみせるネディムを不思議に思いつつ、シュオウは兄弟のやり取りを訝りながらじっと様子を窺った。
ネディムは大仰に咳払いをして、
「約束とは契約に等しい、神の名の下に交わされた約束であれば、それはなによりも守られなければならず、拘束力を持つことになる。クロム、わかるね?」
クロムは目をぱちくりとまばたかせ、
「ふ、あたりまえのことを」
ネディムは肩を落とし、
「いいか、よく聞いて考えるんだ。約束だ、賭けに負ければ代償を払う義務が生じる。いつだったか、賭けをしたような記憶があるだろう、そう遠い過去のことではない」
要領を得ない話を続けるネディムに、シュオウとジェダは無言で視線を合わせた。ジェダは即座に、理解できないことを示すように、片手をあげて首を横に振ってみせる。
なにか念を込めるように兄から話しかけらているクロムは、
「約束……賭け……代償……はッ――」
稲妻で打たれたかのように、体をびくりと震わせる。
クロムはじわりとネディムを見つめ、
「思い出したぞ……我が君の戦果についてだ、賭けをして勝てばなんでも言う事を聞くと言っていたな……」
そう語る目が邪悪な色に染め上がる。
ネディムはほっとした様子で頬を緩ませ、
「そうだ、お前は私に一つだけどんなことでも強制する権利を持っている」
二人のやり取りを聞き、シュオウは眉を上げてジェダと目を合わせた。
呆けた顔でやり取りを聞いていたドストフが、突如顔色を悪くした。
「ネディム、お前はまさか……」
クロムは鼻の穴をひくつかせ、
「よかろうッ、ならば、愚兄を今すぐ全裸で山頂まで歩かせ――」
言いかけたところでジェダがクロムの口を塞ぎ、シュオウに向けて頷いてみせる。
シュオウはジェダに頷き返し、
「クロム、ネディムに協力するように頼んでくれ」
クロムはシュオウとネディムを交互に見やり、むすりと不満げに唇を突き出した。
「このような愚兄など、このクロムがいれば不要であると思いますが、我が君のお望みとあれば――救いようのない我が愚兄よ、このクロムが勝者の権利を行使する、そこの馬鹿ではなく我が君に協力するのだ、いいな?」
途端、ネディムは口元に会心の笑みを浮かべ、
「賭けの代償して、その要請に応えよう」
ドストフは拳を握ってネディムを睨み、
「ネディム、きさま最初から……ッ」
ネディムはドストフに一礼し、
「申し訳ありません、ドストフ様。時に家族と交わした約束が主従の契りを上回ることがございます。弟からの要請に応じ、私はシュオウ殿に協力をしなければならなくなりました。ですが――」
その視線をシュオウに向け、
「――一点だけ、協力と引き換えに違えることのない誓いをいただきたい」
シュオウは、
「誓い?」
ネディムは宮中作法で恭しく頭を垂れ、
「ドストフ様の命の保証を。なにがあろうと、ターフェスタ大公の身の安全だけは約束していただきたいのです」
「誓えばどうなる?」
「なんなりと、御言葉に従うことを誓います」
ジェダがまなじりに力を込め、
「待て、そんな誓いなど――」
シュオウはジェダを手で制し、
「わかった、約束する」
ネディムは小さく息を吐き、
「感謝いたします。それではさっそく――」
ネディムは詰め所の棚から大きく丸められた市街地の地図を取り出した。
「市中の構造と道を記した簡易のものでしかありませんが、我々の現在地はここ、周辺は下街の商業区から居住区が広がり、その奥には上街の商業区と貴族家の居住区、そして大公家の城があります」
「知っている、初めて来たわけじゃない」
ジェダが冷たい声で水を差した。
ネディムは微笑を返し、
「街の構造と現状を照らし合わせれば、調査をするまでもなく現状を推測することができるのです。この騒動が上流の掌握下にあれば、上から下へ人が押しとどめられているはず。ですが、実際には下街の大通りに生きた人影がまるで見られない。これは、下にいる者たちが遡上していることを示している、つまり――」
「住民たちが叛乱を起こした」
シュオウが呟くと、ネディムは頷いた。
「さらに現状を読み解くと、この叛乱は起きて間もないか、もしくは反乱者の側が優勢である可能性があります」
ドストフが鼻で笑い、
「愚かなことを、そんなはずがあるわけない」
ネディムは冷めた視線をドストフに向け、
「とある事情により、上流に本来あるはずの兵力は激減しています。反乱者側が統制され、まとまった数を持って押し寄せれば、上街にそれを抑えきるだけの余力があるかどうかは怪しくなる」
ネディムの言う事情の張本人であるドストフは、すぐにそれを自覚し、喉を詰まらせ避けるように視線を逸らした。
街中で大規模な戦いが起こっている可能性がある。その話を聞き、シュオウは城のある方角へ視線を向けた。そこには、人質として置いてきた仲間たちがいる。
そんな心配を余所に、ドストフが上擦った笑声を零した。
「後ろには我が直属の兵が数多いる。さらにその後方からはボウバイトも――今のうちに逃げるがいい、遠からず、私に忠誠を誓う者たちにより、お前たちは一網打尽にされるだろう。そうなったとき、私が理性を保っていられるはずはないのだからな……」
ネディムはドストフの言葉を無視して、シュオウの顔をじっと見つめた。
「あなたが現状になにを望まれるのか、改めてご意志を窺いたいと存じます」
シュオウは詰め所にいる全員の視線を集めながら、
「人々が危険に晒されているのなら、彼らを守りたい。そのために必要なら、混乱を鎮める」
ネディムは厳しい視線を向け、
「それはすなわち、公国と敵対することになりますが」
計るような視線と言葉に臆することなく、シュオウは静かに首を縦に振った。
側にいたジェダが、口元から喜ぶような吐息を吐いた。
「やれやれ、忙しくなりそうだ」
クロムは片足を大きく踏み鳴らし、
「我が君に命じられれば、このクロムがどのような敵であろうと討ち滅ぼしてみせましょうッ」
ネディムはクロムを落ち着かせるように背に手を置き、
「そうなると、現状ではやはり圧倒的に手数が不足しています。後続に残している当家の私兵を合わせても微々たるもの。少数精鋭で局所的に対処したところで、出来る事は限られる」
シュオウは一瞬考え込み、
「使えるかもしれない奴らがいる」
ジェダが即座に反応し、
「ユーギリで捕らえた傭兵たち、か」
シュオウが頷くと、ネディムが視線を落とし、
「彼らを使えたとしても、それでも焼け石に水でしょう。中央都全体を掌握できるほどの戦力にはほど遠い」
ジェダがネディムを睨めつけ、
「現状を憂うだけなら誰にでもできることだ。大仰に寝返り劇をしてみせたのだから、もう少し役に立つ助言を言ったらどうなんだ」
「仰るとおりです。まずは後続に置いた私兵をまとめた後、上街へ向かいましょう。おそらく現地で対応している者たちがいるはず、私はその者たちと接触をとるつもりです、お許しいただけるのならですが」
シュオウはネディムに頷いて、
「必要なことならなんでもやってくれ」
「残る最大の問題は後続の遠征隊、そしてさらに後方の――」
「ボウバイト、か」
ジェダがネディムの言葉を繋いだ。
その名があがると、重い空気が流れる。
後続の遠征隊は輝士を多く編成していながらも、全体として見れば戦闘員となる兵士の数は半端である。が、戦地に派遣される増援軍として組織されたボウバイト家の軍は強力だ。戦いで数を減らしながらも、彼らは未だ一個の軍隊とそれを手足のように指揮する指揮官を有した精兵たちである。
ジェダは、
「増援軍が追いつき、大公を拘束したことを知れば?」
ネディムは声を湿らせ、
「言うまでもないでしょう」
「交渉の余地はないのか」
ジェダが言うと、ドストフが吹き出して笑った。
「ボウバイト家は長らくターフェスタに仕える忠実な一族だ。将軍だけではない、ボウバイトの出迎えにエリスと冬華直属の輝士たちを残してきた。愚か者どもめ、どれほど策を弄しようとお前たちは終わりだッ」
ジェダはしばらく考え込み、
「現状の最大の懸念を放置はできない、僕が増援軍のところへ行く」
シュオウはジェダを強く見つめ、
「一人で行くつもりか?」
ジェダは首肯し、
「半端に数を用意しても意味はないだろう、出来るかぎりのことはして足止めを試みる、たとえ力尽くになってもね」
しばらくの間視線を交わし、シュオウはジェダに頷いて許可を与えた。そのままクロムに視線を回し、
「クロム、ここを頼む。大公を見張ってこの詰め所を死守しろ」
クロムは勢いよく敬礼し、
「はッ!」
続けて、
「ジェダは増援軍を抑えろ、ネディムは思うように動いていい、必要なことをしてくれ」
ジェダが頷き、ネディムが深く頭を垂れた。
シュオウは街の外へ目を向け、
「俺は後続の遠征隊を押さえる――」
*
シュオウが一人で門外に駆けだして行く。その姿を見送りながら、ジェダは足の速い馬を見繕い、出発の準備を整えた。そこへネディムが現れ、馬の手綱をそっと握る。
「さすがのあなたでも、ボウバイト軍の相手を一人でするのは無謀ですよ。一時足を止められたとしても、寝ずの番にも限界があるでしょう」
ジェダは気にした様子もなく、
「わかっている。だが、やらなければならないだろう」
ネディムは一瞬喉を詰まらせ、
「……ドストフ様はあのように言いましたが、実際のところボウバイト家が持つ大公家への忠誠はそれほど確固たるものともいえません。かの家は長年目前の蛮族を睨みつつ、後方の安全を確保するためにターフェスタと一時的な同盟を結び、今に至ります」
ジェダは半端な言い様をするネディムを馬上から見つめ、
「懐柔の余地があると言いたいのか?」
ネディムは曖昧に首を傾げ、
「無ではない、とだけ。家、人に限らず、誰にでも泣き所はあります。私の知る限り、ボウバイト家が抱える泣き所は一つだけ――」
ジェダは、
「後継者問題、か」
ネディムは頷き、
「どうかお気を付けて」
心のこもらない声で見送りを告げ、手綱から手を離した。
ジェダは馬を走らせる直前にその手を止め、
「一つ聞いておきたい」
「なんでしょう?」
「どうして主人を裏切った? 現状のこちら側には勝算も出口も見えていない、カルセドニー家にはなんの得もないはずだ」
ネディムは微笑を浮かべ、
「言ったでしょう、誰にでも泣き所はあると――」
詰め所のほうへ視線を流す。
ジェダはつんとあごを上げ、
「理解した」
颯爽と馬を走らせた。
去って行くジェダを見送り、ネディムは静かに空を見上げる。
上空に浮かぶ雲が引き裂かれ、断片が風に飲まれていく。
その様に、異なる立場の者たちが複雑に絡み合い、一国を成していた頃を思い、風に流される断雲に今のターフェスタを重ねずにはいられなかった。