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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
163/184

断雲 8

断雲 8






 夜明け前の深夜、ターフェスタ中央都上街の居住区に邸宅を構えるネルドベル家は、物々しい空気を漂わせていた。


「旦那さま、城に送った者が戻りました」


 家宰の知らせを受け、家長のアレクス・ネルドベルは指先の動作だけで件の者を呼び寄せる。


 城のほうから聞こえてきた警鐘の音に起こされ、アレクスは深夜に寝間着姿のまま防寒着を羽織っただけの状態で、確認のために送り出していた使用人と対面した。


「なにがあった?」


「それが旦那さま、城は混乱していてまともに話が通りません。襲撃を受けて死者がでたという話までは聞き出すことができたのですが――」


 アレクスは訝り、

「襲撃を受けたと……犯人は?」


「わかりません、逃げたようですが」


「現場の指揮は誰が執っている?」


「わかりません、聞いても誰もまともに答えないのです」


 アレクスが考え込むと、家宰が使用人を下がらせた。


 家宰は主人の顔色を覗い、

「備えとして、軍服の支度をさせておりますが」


 気の利く提案に頷きつつ、

「……賊の類であれば、出張るほどのことでもないのだが」


 アレクスが執務机の椅子に腰を落とそうとした直後、


「――?!」


 外から激しく打ち鳴らされる警鐘の音が聞こえてきた。それは城から聞こえていたものよりも近く、街の下層方面から鳴り響いている。


 家宰が足早に部屋を出て、またすぐに引き返してきた。

「旦那さま、下街から火の手が上がっているとのことです」


 警鐘の正体を知り、

「火事、か……」


 逡巡の後、壁際に飾られた剣を取る。


「旦那さま……」


 アレクスは頷き、

「着替えの支度を――休んでいる者も含め家の者全員を集めろ。近隣の家々にも使者を送る」


 家宰は深く頭を垂れ、慌ただしく部屋を後にする。


「城の襲撃に火事……その二つが同時に……」

 独り言をつぶやきながら、アレクスは窓際から外を眺めた。


 広い庭の中に建つ邸からは、外の異常を見て取ることはできない。だが、微かに漏れて入る外気に、焦げ臭さが混じっている。


 アレクスは部屋を出て、着替えるために自室へと向かう。その途中、娘の部屋の前で足を止め、中の気配を覗った。


「ユーカ」


 娘の名を呼びかけるが、静まり返った室内から応じる声は返ってこない。


 冬華六家という栄誉ある職位を受けながら、部屋に閉じこもりその役割を放棄したままの娘を思い、アレクスは静かに溜息を落とした。




     *




 火炎が広がり、燃えさかる街並は、煌々として夜明けのように明るかった。


 古い木材が燻され、煙が立ちこめるなか、群れた民衆が声もなくゆっくりと街中を行進していく。


 街並の一角に、住民が泣き叫ぶ声がした。


「やめてくれ、それをとられたらもう――」


 その悲痛な訴えに対して、浴びせられた返答は無慈悲だった。


「うるせえな、もうお前のもんじゃねえんだ」

 言った男は、余所者の傭兵団の一人である。


 傭兵は火傷を負いながら、慈悲を求めて追いすがる住民の首に剣を突き立て、死に至らしめた。


「それにしてもティモは流石だぜ、どうせこうなるならさっさとやっときゃ良かったのによ、ひひひ――」


 下品な笑声が辺りに木霊する。


 家主を殺め、仲間たちと共に、燃えかけた商店の中を荒らしまわる。その場にたちこめる煙の中から、突如ぼうっと人の影が浮かび上がった。


 店の入り口にいた傭兵が、初めにそれに気づいた。


「なんだお前ら、いったい!?」


 一人に対して、複数人が襲いかかる。


 重たい棒や調理器具、焼け落ちた家の木片など、様々な物で殴打され、傭兵は一瞬にしてその場に伏した。


 異変に気づいた残りの傭兵たちが慌てて外に出てくるが、そこに待ち受ける人々の数に圧倒される。


 瞬く間に全員が命を落とし、建物が燃える音だけが響いた。


 誰一人として言葉を発する者もなく、瞬時に傭兵たちを壊滅させた民衆は再び、誰からともなく歩き出した。




     *




 部下を引き連れ、街中を走るヴィシャは、そこに感じる異変に背筋を凍らせた。


「死体だ、いくつもあります」

 部下が声を震わせ、状況を報告する。


 地面に横たわる焼死体の数々、さらに道の先に転がる死体は、明らかに住民たちのものとは違う。


 死臭が漂うなか、警備隊と傭兵たちが、折り重なるように命を落として横たわっていた。


 俯瞰しつつ、ヴィシャは喉を詰まらせながら、

「どうなって、やがる……」


 絞り出された声は、戦慄を隠せない。


 そこには明らかに戦いの痕がある。転がる死者は近隣の住民を中心としつつ、さらに所属を問わず、多くの死者たちが横たわっているのだ。


 そこかしこに黒い靴跡が残されている。そこに、点々と染みのような血痕が、街の上流に向かって痕を残していた。


 ヴィシャの部下の一人が靴跡の前でしゃがみ、

「かなりの人数がここにいたのは間違いないです……ここらへんにいるはずの連中の姿がないのを考えると、靴跡の主は……」


 ヴィシャは地面に残された気配を辿り、

「使えそうな物は回収しておけ、靴跡を追うぞ」


 奥へ進むほどに、街の火はより激しさを増していく。


 だが、人々が必死に消火に当たっているはずの状況で、誰一人としてその姿を見かけない。


 ――おかしい。


 街が大火に飲まれている状況よりも、人々の姿がないこと、それがヴィシャの背筋を凍らせる。


「親方、あそこ――」


 街を歩き、商店が並ぶ区画に到達した頃、各所に点々と転がる死体が目に入る。


「例の傭兵どもか」


 死者のなかには火付けの道具を持ったまま絶命している者の姿もある。


「やっぱりこいつらが――」


 憎々しげに部下の一人が言うと、ヴィシャが手の平に強く拳を打ち付けた。


 状況から判断して、放火犯の退治のため、住民たちが徒党を組んで決起した可能性が高い。だが、


「また、警備隊の奴らだ……」


 警備隊に所属している者たちの死体が、また地面に横たわっている。その殺され方は、傭兵たちがされたのと同じ手口で行われていた。


 この凶行が無差別に行われているのではないか。街の様子から見えてくる状況は、そのことを強く示していた。


 ヴィシャが率いる集団に緊張が走る。言わずとも、誰もがこの異常な現状を感じていた。


「気をつけろ――」


 ヴィシャの一言で、全員が互いに視線を交わし合う。


 不気味な街中を歩き、靴跡をさらに追跡する。間もなく、ヴィシャは靴跡の主たちに追いついた。


 それはまるで蟻の群れのように、無言の集団がゆっくりと上流に向けて行進をしている。


 集団を構成しているのは、下街の労働者階級である平民たちばかり。血に濡れた武器を持ち、煤で汚れた顔に、見開かれた(まなこ)が鈍く光る。


 ゆっくりと、だが確実に街の上下を分かつ境界に向かう集団に対して、ヴィシャは声を張り上げた。


「止まれぇ!!」


 よく通るその声に、集団は一斉に足を止めて振り返る。


 痩せこけた顔に、家々を燃やす炎が照りつけ、薄気味悪い影を集団のなかに落とす。


 その人数、そして全員の異様な雰囲気にあてられ、ヴィシャの部下たちが怯えた様子で後ずさる。


 ヴィシャは一人、臆することなく前へ踏み込み、

「お前らどこへ行こうってんだ。まさか貴族どもの街に武器をぶら下げて押し入ろうってんじゃないだろうな」


 話しながら、ヴィシャは目をこらして集団を観察する。


 これだけの群れが同じ方を向いて行動している。だとすればその意志を束ねている指揮者がいるはずなのだ。


 足を止められ、言葉を投げかけられれば、集団は次にどう対応するかを群れの指揮者に窺うはず。


 そう思い、集団を構成する人々の視線を追うが、彼らは誰の顔色を見るでもなく、血走った視線でヴィシャを見つめるだけだ。


 ヴィシャは痺れを切らし、


「もうそこまでにしとけ。街に火をつけたのは傭兵の奴らだ、警備隊の奴らじゃねえ。この世界には越えたら終わる一線ってのがある。群れて上街に入れば叛乱を起こしたと判断されても仕方がねえ、上の奴らに俺たちを始末するための理由を与えるだけになる」


 言葉をかけ、集団の中から代表する者が現れることを期待していた。その直後に、


「止めねえでくれ――」

 一人の男が声をあげた。


 こいつか、と思ったのも束の間、


「あの傭兵どもを雇い入れたのは大公だ。城にも出入りして、お偉い輝士さまと一緒に動いてるのも何度も見た――」


 別の者が声をあげた。そしてまた、


「もう限界だ、俺たちはよく耐えた――」

「この腐った国にすべて奪われるなら、もう殺されようが同じことだろ――」

「やられる前に、少しでもいい、私たちの痛みを奴らに教えてやりたい」


 止めどなく声があがる。大勢が一つの意志によって束ねられているが、どう観察しても、その指揮を執っている者の存在が見当たらない。


「……ッ」

 ヴィシャは激しい戸惑いのなかにいた。


 日頃、強きに従い、己の意志を捨てて従順に生きる者たちが、迷いもなく一つの目的に向かってこの群れを形成している。


 怯えている様子もなく、老若男女を問わず全員が武器を持ち、血に飢えた獣のように鋭く目を光らせてる。


「親方……まわりを見て下さい……」


 怯えた部下の声に振り返ると、背後から続々と民衆たちが集まり始めていた。


 前にいる者たちと同様に、皆がそれぞれに武器を握り、少しずつヴィシャたちの回りを囲っていく。


 その数はもはや、軍隊と呼べるほどの規模にまで達していた。


「お前ら落ち着けッ、報復をしようたって無駄だ、皆殺しにされてそれで終わる。武器を捨てて水を汲め、火が広がらないように建物を壊すんだ、今ならまだ引き返せ――」


「黙れぇ!」

 集団のなかから、一人が激しく咆哮を上げた。


「引き返すところなんてもうないんだ。家も燃えた、家族も死んだ。俺たちを止める気なら、相手が誰でも容赦はしない。ヴィシャさん、あんたは苦しい時に身を切って俺たちを助けようとしてくれた。あんたを殺したくないんだ、手を貸す気がないなら、黙って俺たちを行かせてくれ」


 荒事に慣れたヴィシャの集団も、敵意に満ちた大群を前にしては、なすすべがない。


 返す言葉もなく、立ち尽くすヴィシャに対して、人々はゆっくりと背を向けて前を向き、前進を再開する。


「いいんですか、行かせてしまって……」


 部下に問われ、ヴィシャは、


「手を出すな、奴らは本気だ――」


 上街を目前に控える地点から、さらに街の四方からも人々が集い、まるで口裏を合わせていたかのように、群れのなかに合流していく。


 ヴィシャは、さきほどの集団の中から上がった声を思う。彼らが言うように、この街はとうに限界を迎えていたのかもしれない。


 ヴィシャは集団から逃れるように後退し、

「――山の拠点に行く。連れて行けそうな奴らを集めるぞ、あそこがあればしばらくは持ちこたえられる」




     *




「城の警備責任者は誰だ? 誰だかわからんが、殿下がご不在のいま、侵入者を許すなどという失態はただ事ではない」


「冬華の長が不在のいま、官を統括しているのはテイファニー家だろう。責めを負うべきが誰かは明白だ」


「テイファニーは殿下の遠征隊に同行しているはず、後任を引き継いだ者がいるはずだ、その者の名を調べて――」


 アレクスの呼びかけに応じて集った周辺の貴族家の者たちは、顔を揃えるなり、この騒動の責が誰にあるのかを話し合うことに夢中になっていた。


 アレクスは派手に咳払いをして注目を集め、

「いま重要なのは、城内の混乱と市街地に発生した火災の対処をどうするかです」


 参加者の一人が険しい顔でアレクスを見やり、

「下で起こる火災など、対処は警備隊にまかせておけばいい。それよりも問題は城に入り込んだ賊の――」


 アレクスは座りながら身を乗り出し、

「火災は街の各所から始まり、かなりの規模に及んでいるといいます。城で騒動が起こった夜に、下街の各所から同時に火の手があがるなど異常なことだ。我々が結束して可能なかぎり人を集め、事態の収拾に当たるべきではありませんか」


 ここに集う家の代表者たちは皆、現在軍役には就いておらず、または引退した者たちばかりである。通常であれば城や市街地で起こる問題に対処することはないが、現状のターフェスタ中央都は多くの人材を欠いている状態だ。


 大事になる前の対処として招集をかけたアレクスだったが、参加者たちは一様に危機意識が薄く、あくびを堪える者もいた。


 参加者の一人がだるそうに溜息をつき、

「城の襲撃といっても被害は数人の死者だけだというし、下街の火災も、空気が乾いていればそういうこともある。あまり大袈裟に騒ぎ立てるのもどうかと思いますが」


 さらにもう一人が意地悪く口元を緩め、

「だいたい、殿下をはじめ冬華各位が不在のいまとなっては、都の最高指揮権を持つのはご息女のユーカ殿であるはず」


 心地良いとはいえない話題を振られ、アレクスは肩に力を入れる。


 また、他の者がその話題に乗り、

「世間に名高い才女殿は体調が優れないと聞きます。しばらくの間、ご活動をされている様子をみませんが、お加減のほうはいかがで?」


 内情を知りながら、面白がって聞いているのが、笑みを隠せない表情から汲み取れる。


 アレクスは不快感を露わに、

「おかげさまで」

 睨みを効かせて返した。


「貴家からの呼びかけだったからこそ、我々は眠りを中断してまで応じたが、それほど案ずるほどの事でもありますまい。下で起こった火が上に燃え移ることはない。この都市は元よりそのように設計されているのですから」


 参加者の一人が言うと、他の者たちが一斉に頷いた。


 ――こうなるか。


 アレクスは心中で嘆息する。


 彼らは自分たちの足元にしか興味がない。対岸の火事とみて余裕の態度を見せる者たちの反応も、ある程度は予測済みだった。


「では、このあたりでお開きということでいかがかな、相談が必要であればまた後日に集まるということで――」


 一人が言うと、皆が腰を上げ始める。

 その時、アレクスの家宰が慌ただしく部屋の中に駆け込んできた。


「旦那さまッ――」


 家宰の顔色からただならぬ状況を察し、


 アレクスは、

「かまわない、そのまま話せ」


「いま、警備隊からの知らせが届きました。下街に武器を持った市民たちが集結、その集団は上流へ入る動きを見せている、と」


 室内に一斉にどよめきが起こる。


「どういうことだ、集結とは――」

「規模はどうなっている――」

「起きたのは火事なのだろう、なぜ火を消さずにこっちに――」


 動揺が広がるなか、アレクスは冷静に家宰に問う。

「叛乱、なのか?」


 家宰は神妙に頷き、

「警備隊の言いようを聞けば、その可能性は高いかと……」


「許せんッ――」

 参加者たちが一斉に怒号を奏で始める。


「大公殿下の留守を突いたか――」

「愚か者どもが、とち狂ったようだな――」


 口々に怒りと罵倒を語る者たちのなかに、徐々に静かな不安が広がり始める。


「都内の兵員が欠けているという話だったな? 連中が本当に叛乱を起こしたとして、もしここまで到達すれば――」


 その言葉が語られると、間髪入れずに大勢の参加者たちが立ち上がった。


「アレクス殿、失礼させていただきます。万が一に備え、家の守りを強化しておかなければ――」


「待っ――」

 アレクスが止める間もなく、参加者のほとんどが足早に部屋を飛び出して行った。


「――まったく」


 自らに火の粉がかかる可能性を知った途端、目の色を変えて保身に走る者たちを呆れた心地で見送る。そのアレクスの肩に、そっと添えられる手があった。それはこの場に唯一残った、老齢の参加者の一人である。


「よろしいのですか、あなたは家に戻らなくても」


「ふ、あの小心者どもは怯えを隠せぬようだが、子ネズミが群れようと駆除は容易い。下手に収めようと考えぬことだ、一刻も早く人を集め、奴らを根絶やしに制圧すればそれですむ」


「大公殿下の許可もなく、民を皆殺しにせよと?」


 老人は老獪な笑みを浮かべ、


「ドストフ様が知れば即断で殲滅を命じられるだろう。古来より謀反を起こした者は理由を問わず死罪に処される。逆らうことを覚えた家畜は、もはやなんの役にもたたんのだ。責任の所在を案じる必要はないぞ、貴家の才女殿は現状の都で最高指揮権を持つお方だ。公国において冬華の称号は伊達ではない、大公殿下の代役として処分の執行者となるのに、これ以上相応しい者はなかろう」


 話を聞き、アレクスはゆっくりと視線を滑らせた。




     *




 使用人たちが慌ただしく邸のなかを行き交うなか、アレクスは一人、静かに娘の部屋の前で佇んだ。


「入るぞ」


 閉ざされた扉に鍵を差し込み、許可を待たずに部屋に入る。


 室内は暗く、暖炉の火も入っていない。


 暗がりの部屋の奥に置かれた大きな寝台の上で、ユーカは毛布を被って座り込んでいた。


 脂ぎった髪を垂らし、目の下は暗く、有様は不健康そのものだ。


「お父様……外の騒ぎは? なにかあったのですか」


 邸中の騒々しさが、この部屋の中にまで漏れ伝わってくる。


 アレクスは部屋に明かりを入れぬままユーカの前に立ち、

「城内に賊が入り、下街で大火が起こっている。そのうえ、一部の民が武器を持って集っているという情報が入った」


 ユーカは目を半開きだった瞳を大きく見開き、

「叛乱、なのですか?」


「確定ではない。だがそうだとすれば、鎮圧の指揮を執る者が必要となる。難しい決断を下せる高位の人間が――」


 アレクスに見つめられ、ユーカは大きな瞳を不安げに揺らした。




     *




 冬の曇天の下、馬の蹄が渇いた土を踏みしめた。


 蛇のように長く連なる隊列の先頭が、山中にそびえるターフェスタ中央都への入り口に頭を入れる。


 遠征隊が深界の旅路の目標地点に到達した瞬間、シュオウは馬を止め、ジェダに命令を告げた。


「止めろ」


 ジェダは素早く頷き、

「全隊止まれ! 指示あるまで一時待機だ――」

 隊の後尾に届くよう、伝令役に指示を伝える。


 指示を伝えるために駆けだした伝令役を追い越し、シュオウは大公の馬車に近づく。


 出迎えて一礼したネディムに頷き、

「到着した――大公に報告したい」

 シュオウは端的に目的を告げた。


 ネディムは馬車のほうを向いて声を潜め、

「ドストフ様はお休みになられております。お目覚めになられるまで待ちますか」


 シュオウは素早く首を振り、

「いや、ついたら起こせと言われた――」


 馬車に向かうと、護衛の輝士たちがシュオウへ鋭い視線を向ける。その視線に含みを持たせながらも、阻む者はいなかった。


 馬車の前に立ち、扉を叩く。

「殿下――」


 返事はないが、シュオウは躊躇うことなく、二度三度と呼びかけた。

 間もなくして、馬車の窓が開き、中から寝ぼけ眼をこするドストフが顔を出す。


「……どうした」


 シュオウは一礼し、

「到着しました、上下界の境界です」


 聞いた途端、ドストフは目を見開き、

「おお、ついたか!」


 強く窓を閉め、慌ただしく馬車の扉が開かれる。


「うおとッ?!」

 馬車から出てきたドストフが、勢い余って前のめりに倒れ込む。


 周囲にいる警護役たちが、

「殿下ッ?!」

 一斉に手を伸ばすが、誰一人として間に合う距離にいる者はいない。


 ドストフがつまづく瞬間から倒れ込む様子まで、すべてを見切っていたシュオウは、予めドストフが倒れ込む場所に手を差し出し、その身が白道の上に落ちる前に衝撃を殺して抱き留める。


 冷や汗をかいたドストフは立ち上がり、受け止めたシュオウの肩を嬉しそうに何度も叩いた。


「完全に頭を打ったと思ったが……よく私を守ってくれた」


 ネディムがドストフに歩み寄り、

「ドストフ様、お怪我はありませんか?」


 ドストフは嬉しそうに頷き、

「問題ない、シュオウが私を助けてくれた、今回もまたな」


 ネディムは頬を緩め、

「よろしゅうございました」


 ドストフは景色に広がる山々を見上げ、

「我が領地ターフェスタよ、戻ってきたぞ……ッ。ネディム、すぐに着替えを用意させるのだ、ここからは私も馬で行く。凱旋の将と肩を並べ、ゆっくりと城まで練り歩くのだ。勝利の行進を我が民に早く見せてやりたいものだ」


 ネディムは周囲に聞かれないように声を潜め、

「今からでも前触れを送り、歓待の支度をさせることもできますが。急な帰還では、出迎えに対応できる者たちがいるかどうか――」


 ドストフはしたり顔を返し、

「無粋なことを言うな、皆の驚く顔が見たいのだ。ネディム、お前も司令官の副官として勤め上げたのだ、私とシュオウと共に民にその姿を見せてやってほしい」


 まだなにか言いたげなネディムは、しかしその先の言葉を飲み、

「承知いたしました。微力ながら、大公殿下と凱旋の将に冬の花を添えさせていただきます」




     *




 シュオウとドストフは馬を並べ、中央都に通じる山道の一つを進んでいた。


 風は冷たいが、雪の気配はまだない。


 冷風に煽られるたび、シュオウを乗せる馬が歩調を乱して唸りを漏らす。


 度々続くそうした状況を見かねて、

「その馬はどうしたのだ?」

 ドストフはシュオウに問うた。


 シュオウは引きつった顔で手綱を引き、

「馬とは合わなくて……いつも嫌われます……ッ」

 また暴れ出しそうな馬を必死になだめる。


 ドストフは愉快そうに笑い、

「若くして超然としているかと思えば、意外なものを苦手としているようだ。英雄譚には優れた乗り手を選ぶ名馬の逸話がつきものだ。この度の褒賞として、そなたに合う良い馬を見つけてやろう、金に糸目を付けずにな」


 シュオウは汗をにじませつつ、

「ありがとう、ございます……」

 後ろ足を振って必死にシュオウを振り落とそうとする馬にしがみつく。


 ようやく馬を落ち着かせ、シュオウは馬上から後方へ視線を向ける。


 すぐ後ろから、ジェダとネディムが後を追う。そこからつかず離れず、ドストフの護衛輝士たちと、アガサス家の親子とクロムが追走していた。


 空は薄暗く、時の頃合いを曖昧に濁している。


 肌感覚では、現在は朝と昼の間頃であろう。


 風を切り、馬を駆るうち、ほどなくして中央都の城壁が眼前に現れる。


 先頭を行くドストフが手を上げ、

「ここで止まれ! 入る前に身だしなみを整える――」


 号令を受け、全員が一斉に足を止める。


 ネディムが馬を下りたドストフに呼ばれ、風で乱れた外衣や髪を整える。


 ドストフは護衛の輝士から剣を受け取って腰に差し、

「どうだ、戦勝大公としての威厳ある姿に見えるか?」


 輝士たちがドストフを褒めそやすなか、シュオウはふと、空を見上げて手をかざした。


「雪?」


 ひらり、と空から白い粉のようなものが降ってくる。


 ドストフはその声に反応して天を見上げ、

「雪を浴びながらも凱旋も悪くない、きっと天よりの贈り物に違いない――」


 しかし、

「いえ、これは……」


 ネディムが天から落ちるものを取り、こねてすり潰すと、指先が灰色に染め上がる。


「灰……?」

 同様に、シュオウも指先で粉を潰し、その匂いを嗅いで顔を顰めた。


 ドストフは急に真顔となり、

「なんなのだ、いったい、なぜ天から灰が……」


 その時、前方からゆったりとした空気が流れ込む。

 それは天然の風とは異なり、ぬるく独特な匂いを帯びていた。


「焼ける、匂いだ……」

 誰からともなく、その声があがった。


 シュオウは馬に乗り直し、

「見てきます――」


 ドストフは慌てて馬に向かい、

「待て、ここまで来たのだ、共に行くぞ」


 一行の中に漂う空気が、突如湿り気を帯びて尾を引いた。


 冬に感じる焼ける匂いなど珍しいものではない。だが、街の入り口に差し掛かったいま、雪のように空を舞う灰と、鼻を突く強烈な焦げ臭さが、言い知れぬ不安をかき立てる。


「ドストフ様……この匂いは……」


 城壁に近づくにつれて濃くなっていく臭気に、ネディムが長衣の袖で鼻を押さえながら、ドストフの顔を窺った。


 ドストフは声を発することなく、ただ前を見つめて門に入る。が、そこにいるはずの番兵の姿はない。


 暗い隧道(ずいどう)のような門を抜ける。そこに広がる街並みは、出発したときに見た光景とは、まるで別世界のように変貌していた。


 燃えて崩れる建物ばかり、道には焦げた遺体が寝かされ、街並からは争いが起こったような気配が随所に漂う。


 火事はあらかたに燃え広がった様子で、一部に火を残したまま、今もなお街を無惨に焼いている。


 ドストフは呆然として馬を下り、

「なにがあったのだ、いったいなにが……」


 シュオウを含め、ドストフと共にいる者全員が街の異変に驚愕する。それも束の間、一人の兵士が城壁に寄りかかるように歩きながら、姿を見せた。


 現れた中年の兵士は、警備隊の所属を表す服装をしていた。胸に付けた意匠から、警備隊の上位責任者であることが窺える。


 兵士は体中に傷を負った様子で、血を流す腕をかばいながら、ドストフの前に崩れ落ちた。


 ドストフは兵士に駆け寄り、

「なにがあった、なにごとだ?!」


 兵士は見開いた眼でドストフを凝視し、

「深夜に、火災が広がり、大勢の住民たちが群れて、叛乱を――」


 聞いた途端、ドストフはよろけるように後ずさる。


 兵士は声を振り絞った直後に首を落とし、だらりと全身を弛緩させる。ネディムが兵士に近づき、顔に手を当てた後、黙って一歩身を引いた。


「叛乱、と言ったか」


 ネディムは常になく神妙な顔で頷き、

「そう、聞こえました」


「民が街に火を掛け、叛乱を起こしたというのか……?!」


 ネディムは首を横に振り、

「今の話だけではわかりかねます――」


 ドストフは興奮して声を荒げ、

「私が留守のあいだを見計らい、領民たちが我が街を汚したというのか!」


「殿下、どうか落ち着いてください――」


 ドストフは憤怒の感情で顔を染め上げ、なだめるネディムを凝視する。


「後続の兵に合流を急がせろ、現状を知らせて各所の門に送り込み、四方から直ちに叛乱を鎮めさせる。大公令を出す、叛乱の首謀者、それに加担するもの、また外を歩いているすべての領民たちを全員その場で速やかに処刑せよ!」


 皆殺しの指示を聞き、シュオウとネディムは同時に地面にひざまづいた。


「殿下ッ、どうかお考え直しを。今一度冷静に状況を把握してから――」


「なに……?」

 ドストフがネディムを睨めつける。


 ネディムと肩を並べながら、シュオウはドストフの目を見つめ、

「殿下、私に指揮をまかせていただければ、できるかぎり死者を出さないように治めてみせます」


 ドストフは怒りにまかせ足を踏み、


「ならん! これは統治者の流儀だ、民の叛乱を許せば後の子孫の代にまで禍を残す。逆らうことを覚えた者たちはもはや我が領民にあらず、加担した者は、その子や親兄弟にいたるまで全員を始末せねばならないのだッ」


 華々しい凱旋を思い、旅の道中に楽しそうに語っていたドストフは、期待を裏切られたことと合わせ、街の惨状を前に酷い錯乱状態にあった。


 髪を乱し、怒り狂った顔と震える唇から、感情のまま短絡的な命令を口にする。


 ネディムは極めて声の調子を和らげ、

「殿下、領民の虐殺はそれこそ後の統治に影を落としかねない愚行ともなりえます。ほんの僅かでもかまいません、大公令をお出しになる前に、今一度冷静に心を鎮める余裕をお持ちください……」


 ゆっくりと語られたネディムの言葉が、怒れるドストフの心には届かない。


 ドストフはさらに激高し、

「ネディム、お前まで私に説教を垂れるつもりか! 二人とも、我が命令に従わぬつもりならもういい、おい!」

 後方で控える輝士たちに呼びかける。


 状況を察し、輝士たちのうち数人が頷いて、門の外に体を向けた。


 シュオウの視界は、途端に時の流れを遅くする。


 門の外へと体を向けた数人の輝士たちが、馬に向かって走り出そうと、地面を強く蹴り出した。


 その様をゆっくりと観察しながら、取り返しのつかない大惨事を起こしうる命令が駆け抜ける瞬間に、シュオウは無意識にジェダに視線を向けていた。


 緩慢に流れる視界のなか、ジェダの視線がぴたりと重なり、微動だにしない。その目は、次に告げられるシュオウの言葉を待っているかのようだった。


「ジェダッ――」

 シュオウは口を開いてその名を叫び、

「――行かせるな!」


 刹那、ジェダの目がつり上がり、口元を冷徹な微笑が染め上げる。


 ドストフの命令を受けた輝士たちは、すでに馬に乗り込み、駆けだしていた。彼らが門をくぐるその瞬間、冷たく刺すような突風が周囲に抜ける。


 馬で駆けだした輝士たちが、直後に次々と落馬していく。その首から先にあるはずの頭部が、一瞬のうちに切り落とされた。


「な、なにを、きさま――?!」


 ドストフが驚いたのも束の間、直後にシュオウはドストフの胸元近くまで距離を詰め、手首を掌握し、腕をへし折りながらその身を地面に打ち付けた。


 他の輝士たちが声を荒げ、

「殿下ッ!」

 剣を抜き、晶気を用いる構えをみせる。


 すかさずジェダが、

「動けば命の保証はしない」

 耳鳴りのような風切り音を奏でつつ、発光する風の刃で地面を抉った。


 組み敷かれた状態で、ドストフが苦しげにうめき声をあげている。シュオウは激しく鼓動する自分の胸の音を聞きながら、ひざまずいたままの姿勢でいるネディムと、じっくり視線を重ね合わせた。











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小説の表紙
― 新着の感想 ―
シュオウがいずれ簒奪するのは予想してたけど、何というかシュオウの性質的に片方を選ばざるを得ない状況で直感だけで選んでるのが多い気がする。 ・・・でもよく考えたらこうなったのはジェナなのせいだった。 …
ジュナからしたらシュオウの成り上がりを待たずに、最短でターフェスタを掌握するために起こしたんだろうな この国は一部を除いて腐ったし膿を出し切るつもりやな。代わりに猛毒が入り込んだけど
アレクスみたいなマトモな貴族は超希少な存在な国なんだな。そらガタガタになってる訳だ。 >これは統治者の流儀だ、民の叛乱を許せば後の子孫の代にまで禍を残す。 分からんでもないが、それは叛乱が起こらない…
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