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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
161/184

断雲 6

断雲 6






 夜の城内に、鳴り止むことのない警鐘は、事態の重さを表していた。


「死者は?」


 ジュナの問いに、リリカは感情の窺えないぼんやりとした顔のまま応じる。


「侵入者の側に多数、乱入者の側に少数、城の兵士たちに少数」


「司祭さまは?」


「物資と遺体を回収し、城門へ向かうところまでは見届けました」


 ジュナは目を細め、

「彼らが無事に脱出できたとして、この後はどうなると思う……?」


「街には別件で配備されている警備隊がいます。遠からず、総出での犯人捜しが始まるかと予想いたします。それも、司祭一行が無事に逃げおおせた場合ですが」


 報告と予測を聞いたジュナの表情は渋い。


「期待していたほどではないけれど……思っていたよりもずっと、警備が薄くなりすぎていたみたい。さっき言っていた乱入者というのは?」


「件の傭兵組織の者たちのようでした。彼らが最初に侵入者を発見し、襲いかかりました」


「予想のつかない動きをする人たちね」


「あの群れの多くは、文化と価値観が大きく異なる、蛮族と言って差しつかえのない者たちであると思われますので」


「彼らはまだここに?」


 リリカははっきりと首を振り、

「城の警備兵たちが気づいた後に、まっさきに逃げていきました」


 ジュナは愉快そうに笑い、

「逃げる必要なんてないのに……あまり賢い人たちではなさそう」


 リリカは頷き、

「こくり。この後はどういたしましょう、司祭の動きを追うことも可能ですが」


 ジュナは逡巡の後、

「少し様子を見てみましょう。小さくても波は起こせた、それがゆっくりと消えてしまうか、また別の波を起こすのか――」


 言いかけたその時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。


 素早くユギクが扉の方へ向かい、

「――アイセ様です」


 ジュナが頷いた後、視線を戻すと、そこにはもうリリカの姿はなくなっていた。


 ジュナはユギクに向けて、

「お通しして」


 扉が開かれた途端、アイセが勢いよく中に飛び込んできた。


「大丈夫ですかッ」


 ジュナは真剣な表情で頷き、

「この騒ぎはいったい……なにがあったのですか……?」


「襲撃があり、死者が出たようです」


 ジュナは口元に手を当て、

「そんな……」


 アイセはしかし、ジュナをじっと見つめ、計るような視線を送る。


「襲撃を受けたのは敷地内の食糧倉庫だった、と聞きました。失礼な事を承知で聞きますが……関与をされていることは、ありませんか」


 ジュナが件の食料庫に出入りできることを、アイセは知っている。


 露骨に疑惑の目を向けられていることを知りながら、ジュナは一切の動揺を見せることなく、


「私は、なにもしていません」

 と言い切った。


 アイセは半端に視線を下げ、

「不穏な空気を感じます、いざというときには脱出のための経路を確保してありますので、今夜はここで警護をさせていただいてもよろしいでしょうか」


 ジュナは満面の笑みを浮かべ、

「英才の輝士であるアイセさんに守っていただけるのであれば、とても心強いです。体が冷えないように火に当たってください、今温かい飲み物でも用意させますから」


 アイセは部屋と入り口を繋ぐ通路の前で、足を広げて屹立した。


 ジュナを見つめる鋭い視線には、警護のための警戒心と、微かな疑いの心も感じられる。


 外と内、両方の緊張感に身をさらしながら、ジュナは小さく微笑を浮かべた。




     *




 夜の暗さに溺れ、稜線は天地の境を曖昧に描く。


 輝士として誉れ高い道を生きてきたレフリ・プレーズにとって、夜の冬山を歩く工程は過酷を極めた。


 場所ごとに歪に積もる雪、溶けかけた残雪が氷のように硬くなった斜面、月明かりもない暗い空。馬も通れぬ悪路の連続で、あるものすべてが障壁として行く手を阻んでいる。


「連中は本当にこんな道を行き来しているのか」


 激しく息を切らせつつ、プレーズは先導するノスリに疑念を投げた。


 前を行くノスリは、

「おそらく、彼らだけが知る隠された経路のようなものがあるはずです」


 プレーズは地面のでっぱりに足を引っかけつつ、

「奴らを捕らえ、その経路とやらもすべて吐かせてやるからな……」


 件の組織に気取られないためとはいえ、慣れない山歩きでもう一度、この悪路に挑戦するなど考えたくもない。


 手下を引き連れ、この作戦に同行している骨食いの団長ボ・ゴが、プレーズの言葉を聞き、嬉しそうに声を弾ませた。


「うちにまかせてもらえりゃあ、上手くやりますぜ」


 媚びるように首を下げるボ・ゴを見て、プレーズは軽蔑の心を隠すことなく眼差しに込める。


 骨食いというギルドに所属する者たち全員が酷い身なり、そして臭いを漂わせ、暴力的で欲深く、知性のかけらも感じられない。


 本来なら生涯関わり合いになりたくない者たちだが、なにしろ彼らは安いのだ。


 同行させている手勢は、城勤めの兵士らに警備隊の人員も取り込み、それだけでは足らず、骨食いの傭兵たちを加えて最低限の見栄えは整えてはいるが、気がかりはある。


「なによりもまず、まともに働ける奴を連れて来たんだろうな?」


「へい、そりゃあ旦那のお言葉通りに。大人しくて多少頭の動く奴らは全員ここに連れてきましたんで。こいつらは旦那の思うとおりに働きます」


 プレーズは鍋を被って頭突き合っていた者たちの様を思い出しつつ、「たいした期待はしていないが――」


 冬華、という野望のため、プレーズは万全とはいえない現状も、目的達成のために受け入れる。


 プレーズは眉間に皺を寄せてボ・ゴに横目を流し、

「――上手く作戦を完遂させれば、上にお前たちを売り込んでやる。精々、俺のために必死に尽くせ」


 ボ・ゴは一歩身を引き、

「仰せのままにいたします」

 卑しく笑んで、不格好に辞儀をした。




     *




 じっくりと山中を歩き、ぼんやりと夜の終わりが漂いだした頃、プレーズは進んだ先に開けた空間に辿り着く。


 薄暗さのなかに、うっすらと浮かび上がる全景を眺め、プレーズは呆れ半分で感嘆の溜息を漏らした。


「よくもまあ、ここまで……」


 ぱっと見には大規模な農場といった雰囲気だ。険しい山中を開墾し、様々な資材を運び込み、宿舎や施設まで完備させた努力は喝采を送るに値する。


「こんな辺鄙なとこにこれだけのもんを作るとは、たいしたもんだ」

 傍らで様子を眺めるボ・ゴが、本心からそう漏らした。


 プレーズは渇いた唇を舐め、

「だが、税逃れの隠地を持つ事は重罪に値する。この規模なら関わった人間、全員死罪は免れない」


 偵察から戻ったノスリが、プレーズの前で敬礼する。


「様子は?」


 問われたノスリは、

「夜更けですが、どうも拠点内がざわついた様子で……人が活発に出入りを繰り返している気配があります」


 プレーズは険しく顔を歪め、

「まさか、気取られたのではないのか」


 ノスリは曖昧に首を振り、

「見たかぎり、それらしい動きには見えませんでしたが」


 曖昧な話だ。もし、すでにばれているのだとすれば、人質を別の場所に移されている可能性もある。だが、そうだとすればここにわざわざ人を残していくだろうか。


 ボ・ゴが腰を屈めた姿勢で、

「旦那、一気に強襲して潰しちまおう。この拠点はちょっとしたもんだが、所詮なかにいる連中は素人だろう」


 その話に耳を傾けた途端、


「んん――」


 ノスリがわざとらしく咳払いをした。


「なにか言いたげだな?」


 ノスリは目を合わせないまま顔を落とし、

「素人とは言え、街の一角を牛耳る組織の構成員たちです。油断は失敗を招きます」


 ボ・ゴは鼻で笑い、

「ひとは見かけによらねえな、縮んだ人形みたいにふざけた風体で、糞真面目な事を言いやがる」


 ノスリは不快感を露わにボ・ゴを睨んだ後、その視線をプレーズへ戻す。


「ご命令いただければ、監察隊が忍び込み、騒ぎを起こすことなく、デュフォス卿を救出してみせます」


 不興を買うことを恐れることなく、ノスリは作戦の遂行を志願した。


 プレーズは闇の中からじっくりと拠点を眺め、

「……いや、強襲し、この拠点を制圧する」


「へッ」

 勝ち誇ったようにボ・ゴが笑みをこぼした。


 しかし、ノスリは食い下がり、

「なかの様子に変化があったのが気がかりです、確実性を高めるためにも、ここは慎重に行動すべきでは――」


 プレーズは長い腕を伸ばし、突き出した人差し指の先を、ノスリの鼻先に突きつけた。


「指揮官は俺だ、俺の決定にはい、と言っていればいい。次に口出しをすれば越権行為として処罰する――」


 ノスリは未練を残しつつも口を閉ざす。


 プレーズは立ち上がって膝についた土埃を払い、

「それにな、デュフォス卿はおそらく、俺と同じ指示をだされるはずだ」


 ボ・ゴが立ち上がってプレーズに駆け寄り、

「旦那、突入は俺らにまかせてくれ」


 プレーズはボ・ゴを冷たく一瞥し、

「突入は少数の精鋭で十分だ。お前たちは両端に展開し、逃げ道を塞げ。ネズミ一匹とて逃がしはするな」


 ボ・ゴは意気を削がれた様子で肩を下げ、

「まあ……ご命令とあれば」


 プレーズは腰から剣を抜き、

「俺が先頭に立ち、デュフォス卿を救出する。全員準備しろ、ここが山場だぞ――」


 暗闇のなか、プレーズは宣言して白い歯を剥き出し、破顔する。


 プレーズは、あえて不完全な形で作戦の強行を選択した。それは野心を叶えるために必要な、重要な手段なのである。


 不利な状況でありながら少数を指揮し、命懸けで冬華の長を救出するレフリ・プレーズ。思い描くその絵は、あまりにも甘美な未来に直結していた。




     *




 牢のなか、セレスは唐突に目を覚ます。


 外から入り込む冷気には、まだ夜の香りが残っている。眠りに入ってから、まだそれほど時がすぎていないようだった。


 全身を毒に浸され、それを消すためにさらに毒を上塗りにした体は、酷い疲労と衰弱で、深い眠りを求めている。


 だが、この一時に、セレスははっきりと意識が覚醒しているのを感じていた。


 胸元がざわつく、なにかがおかしい。


「――――ッ」


 外から音が聞こえてくる。

 人々が争う声と音が、しだいに大きさをまして辺りに鳴り響く。


「ふっふっふ……」

 心底嬉しそうに、デュフォスの笑う声が聞こえてきた。


 セレスはよろよろと立ち上がり、

「だれかッ」

 力を振り絞って声をあげる。


 外からの反応はなく、争いの気配はさらにその強さを増していく。


「無駄だぞ、始まったのだ。ついに、公国が軍を出し、私を助けに現れた」


 デュフォスの声を聞き、セレスは格子を強く握りしめる。


 ――レイネ。


 その時、建物を閉ざす重たい扉の隙間から、強い発光が漏れ出した。その光の性質を見て、セレスはすぐに晶気だと悟る。


 轟音が鳴り、扉が粉々に砕け散る。


 蓋がなくなり、外の騒音がより大きさを増した。


「デュフォス卿ッ――」

 入り口から男の大声があがる。


 男の声はさらに、

「デュフォス卿、おられるのですかッ、レフリ・プレーズが御身を救出しに参りました。我が名はレフリ・プレーズと申しますッ――」


 男の態度はどこか芝居がかっていた。鼻の奥に空気を溜め、腹の奥からよく通る劇の役者のような声を出しながら、デュフォスの行方を求める言葉を吐き続ける。


 デュフォスはすぐに格子の隙間から手を伸ばし、

「ここだ……ッ、私はここだぁ!」


「デュフォス卿!」


 どたどたと、ターフェスタの輝士服を着たプレーズが、セレスのいる牢の前を走り抜けていく。


 プレーズはデュフォスのいる牢の前にひざまづき、

「デュフォス卿……よくぞ、よくぞご無事で……このレフリ・プレーズが、どれほど御身の無事を案じていたことか……ッ」

 芝居がかって大袈裟な涙声を漏らす。


 しかし、デュフォスはプレーズの態度を意に介した様子もなく、

「いいから、早く私をここから出せッ」


 プレーズは距離を取り、

「承知いたしました、離れていてください」

 晶気を使い、牢の格子を破壊した。


 プレーズの晶気が硬い格子に歪みを生じさせ、ひと一人が通れる程度の隙間ができた。


 プレーズはデュフォスのいる牢に入る。すぐに手足を拘束していた鎖を破壊する音が聞こえ、直後にデュフォスが牢の外に脱出した。


 デュフォスの体は、長い囚われで弱り切っていた。まともに立って歩くこともできない様子で、よろける体を支えるように、壁に手をついた。


「デュフォス卿、お気をつけください。このレフリ・プレーズがお支えいたしましょう」

 プレーズが慌てて、デュフォスの腕を持ってその身を支える。


 ようやく牢から出られ、高笑いでもしそうな状況で、しかしデュフォスは辺りを見回し、顔を顰める。


「これだけか?」


「は?」


 デュフォスは痩せこけた顔でプレーズを睨み、

「私を救出にきたのが、お前だけなのかと聞いているんだ」


 プレーズは一瞬喉を詰まらせ、

「……外の制圧にかかっている者たちもおりますが」


 デュフォスは怒りを露わにプレーズの胸元を掴み、

「軍勢はどこにいる、それを指揮する冬華は?! カルセドニー、テイファニー、カデン、ネルドベル――どうして彼らが私を迎えにきていない!?」


「と、冬華のお歴々は各々各地に……ッ」


「ネディムはどうした! 私がいない間、ネディム・カルセドニーが冬華の指揮者となったはず。それがなぜ、お前のような……ッ」


 半狂乱で掴みかかるデュフォスに、プレーズは戸惑いを隠せず、


「カルセドニー卿は戦地へッ。派遣軍が東方との戦いで勝利を収めた後、大公殿下はテイファニー卿を連れて占領地に遠征に向かいました。私は冬華テイファニー卿付きのレフリ・プレーズです。残された少ない手勢を率いて、命懸けで御身を救出するために――」


 デュフォスは最後まで言わせず、プレーズを思いきり突き飛ばした。


「少ない手勢だと……? 私を救出するために殿下は大軍を用意しなかったというのか……冬華の同志たちも、私の救出を最優先にしていないと……」


 離れた場所から様子を見ていたセレスにも、はっきりとデュフォスの目の下が震えているのがわかる。


 その時、入り口のほうから一人の女が駆け込んできた。


 頭部は大人だが、手足が子供のように極端に短い。その風貌から、セレスはかつて自分が所属していた組織のことを思い出していた。


「プレーズ重輝士、お急ぎください、拠点内に思いのほか人員が多く、敵は逃亡をせず反攻にでています。このままでは劣勢にッ」


 報告を聞いたデュフォスは歯を剥き、

「なんだと、無能共めッ」


 プレーズはデュフォスの左手を見つめ、

「すぐにその手の封じをはずしますので――」


 デュフォスは左手を隠すようにひっこめ、

「触るな、ご丁寧に皮膚と隙間なく締め付けられている。下手なことをすれば癒やせぬ傷を負いかねない。鍵を探せ、ここの管理者は小娘だ、レイネという名の少女を見つけしだい生け捕りにしろ!」


 プレーズは女を睨み、

「待機させている連中を拠点内に送り込むように、あの男にすぐに伝えろ!」


 女は一礼し、

「はッ」

 外へ向けて駆けだした。


 デュフォスはよろよろと歩き、セレスの牢の前で足を止める。


「この男は……」

 プレーズがセレスをじっくりと監察する。


 デュフォスは冷めた視線でセレスを見つめ、

「この男も連れていく、出してやれ」


「はッ」

 指示を受け、プレーズが格子を曲げて通れるだけの隙間を作った。


 セレスはじわりと後ずさり、

「ぼく――私は――」


 その時、プレーズの肩に、突如鋭い矢が突き刺さった。

「ぐあッ?!」


「こんなことだと思ったよ」

 現れたのはレイネだった。武器を持った大勢の男たちを引き連れ、大人びた顔つきで道を塞ぐように屹立している。


「小娘……ッ」

 心からの憎しみを込めたデュフォスの視線がレイネを射貫く。


「逃げたら殺せって、パパに言われてるんだ。勝手に牢から抜け出したんだから、もういいよね。本当はもっと早くこうしたかったよ」


「くッ――」

 デュフォスは矢を受けてうずくまるプレーズの背中を蹴り飛ばし、

「――相手は雑魚どもだ、力を使って制圧しろ!」


 プレーズは痛みに耐えつつ、足を踏ん張り腰を浮かせた。だが、レイネが率いる男たちの行動は、それよりも早かった。


 屈強な男の一人が、プレーズに全身でのし掛かる。晶気を使う間もなく、馬乗りの状態から、プレーズが顔面を複数回強打され、間もなくぐったりと首を横に垂れた。


「くっそ――」

 デュフォスは後ずさりつつ、半狂乱で自分の左手の封じを外そうともがき続ける。


 後退していくデュフォスを追い詰めるように、男たちを引き連れたレイネがじわりと前に進み出る。


 セレスは抵抗の意思を見せないよう、壁際まで下がって背中を付けた。


 レイネが牢の前を通る瞬間、勝ち気な双眸がセレスを一瞥する。安堵したような一瞬の微笑を見せた後、じりじりと後退するデュフォスに視線を戻し、勝ち誇ったような表情をしてみせた。


 そこから先に起こる光景は、壁際に身を寄せるセレスの視界には入らなかった。


 聞こえてくるのは怒声と抵抗の気配、直後に男たちが足を踏み鳴らして突撃し、暴れるデュフォスが拘束される気配が伝わってくる。


「離せッ、薄汚い手で私に触れるな!」


「あんたのことは本当に嫌いだった。うちらを見下したようなその目が大嫌いだ。貴族のことを怖いって思ってたけど違った。あのひとが教えてくれたんだ、あんたたちは怖くない、あんたたちもうちらと同じ人間だって」


「黙ってみているつもりなのか――」


 突如、デュフォスが場違いな言葉を口から吐いた。


 レイネは戸惑いを隠せず、

「は?」


「頭を撫でられて従順に振る舞い、尻尾を振って、それでなにが得られる――」


「なにを言ってんだ」


「許されるなどと本気で思っているのか? 変わらないぞ、お前はどこまでいってもただの異物だ――」


 デュフォスの声で語られるその言葉が誰に向けられた者か、セレスはぞくりと感じる寒気と共に理解する。


「私はお前のことを理解した。お前のような才ある者のことを見過ごしていた。私ならお前を守ることができる。冬華の長ウィゼ・デュフォスの庇護下でなら、お前は輝士としての生を歩める。洗礼を受け、ターフェスタと神に仕える輝士として、なにを恥じることもなく、もう一度人生をやり直せるのだ――」


 甘美な言葉が、止めどなく耳に入り込む。


「お前を捨てた者たちへの復讐にも協力する、お前を笑った者たちの首も跳ねてやろう――」


 耳を塞げばいい。だが、この言葉をもっと聞いていたいとも思う。


「黙れよ! 半殺しですませてやってもいいって思ってたけど、やっぱりもういい、やっちまいな!」


 怒声を浴びせるレイネを無視して、デュフォスはさらに声を張り上げた。


「この時、この瞬間をもって、ウィゼ・デュフォスがお前を赦す。力を持って生まれたお前の運命はここにはない、わかっているはずだ。お前の新たな主人を守れ、セレス・サガン――」


 心臓の高鳴りがうるさいほど耳朶を震わせる。


 ――だめだ。


 鼓動に呼応したように、理性が制止を訴える。


 だが、セレスの足は理性の訴えと反し、前へ前へと動いていた。


 ――だめなんだ。


 そう思いながら、セレスは牢を踏み越えた。


 レイネは目を大きく見開き、

「セレス……?」


 ここにいる全員の視線を集めながら、セレスは手首を回し、半端に取り付けられていた封じの手袋を外して床に落とす。


「あんた……」


 信頼を得た相手からの失望の視線。状況を察してにやつく者からの視線。恐怖に怯え身構える者からの視線。


 三種の視線を受けながら、セレスは晶気によって風を生み出し、その力を素早く支配下に置いた。


 巻き起こした風に乗り、神速で前へと駆け上がる。立ちはだかる屈強な男たちを軽々と吹き飛ばし、拘束されていたデュフォスを解放する。


 制圧を完了し、一瞬にしてすべてが終わった。


「ふふ、よくやった」

 笑いながらデュフォスが言う。


「うう……」

「……ああッ」


 デュフォスは倒された者たちの呻き声を聞き、

「殺さなかったのか?」


 セレスは責めから逃れるように視線を沈めた。

 彼らを殺さなかったのではなく、殺せなかったのだ。


 なかには短くない時間を共にした者もいる。彼らの子供のころの思い出や将来への夢、恋する相手の話も聞かされた者たちに、その命を奪うことなどできはしなかった。


 罵倒と叱責を覚悟し、セレスは拳に力を込めた。


「ふ、まあ生け捕りも悪くない。首謀者ともども、処刑の見せしめのための役者も必要になるからな」


 デュフォスは、一人で立ち尽くすレイネの手首を掴み上げた。

 レイネは声もあげず、ただ無言でセレスに視線を向けている。


 デュフォスは封じがされたままの左腕を振り上げ、その拳でレイネの顔面を強く叩いた。


 まだ成長しきっていない柔な体が、大人の力で殴りつけられ、軽々と床の上に吹き飛ばされた。


「その使えない無能を叩き起こせ」

 デュフォスが気を失って倒れるプレーズを指差して言った。


 力なくプレーズの元へと歩み寄る。顔を見ずとも、殴り倒されたレイネからの視線が向けられているのを肌で感じた。


 信頼を裏切った。


 その感覚が汚泥のように心を汚す。


 向けられる感情は軽蔑と怒り、そこに混じり、己を罵倒する言葉が、頭の中で繰り返される。


 だが、

「……はは」

 虚ろな顔に、セレスは引きつった笑みを浮かべていた。


 自己嫌悪と他者からの視線を恐れる感覚。それが酷く懐かしさを伴い、まるで故郷にでも戻ったかのように感じられたのだ。




     *




 夜半の深界にて、シュオウの指揮下にある遠征隊は、休息地に入ることなく進行を継続していた。


 危険を伴う夜の白道の上に身を置きながら、一団は休憩のために一時足を止めている。


「准砂、ターフェスタ大公殿下がお呼びです」


 大公付きの兵士から知らせを受け、シュオウは軽食をかじる手を止めて、大公が休んでいる馬車へ向かう。


「殿下、シュオウです」


 馬車の前で膝を折ると、窓が開かれドストフが寒そうに顔を出した。


「状況はどうだ」


「全隊を休ませています。とくに異常もなく、夜明けを待って出発する予定です。無理をお願いして、申し訳ありません」


 休息地に入らないことを決定したのは、遠征隊の指揮をまかされているシュオウの一存だった。


 無駄に大所帯となっている遠征隊の進行速度は遅く、休息地が近づくたびに上層への上り下りを繰り返す時間が惜しかったのだ。


 夜を白道の上で過ごす事に不安を唱える意見もあがったが、シュオウは意見を押し通した。結局のところ、深界で狂鬼に襲われるかどうかは、運まかせなところが多いと判断したためだ。


「いいのだ。我が身を案じて四の五の言う者もいるだろうが、お前に指揮をまかせたのは私だ、思うままにやってみるがいい。それに、おかげで思っていたよりも早く凱旋を果たせそうだ」


「感謝いたします、殿下」


 迅速な行動の甲斐もあり、遠征隊は予定よりも早く行程の消化を済ませている。休息地に入る度にかかる莫大な費用を節約し、馬や人にかかる費用もうかせられるとあっては、ドストフの機嫌も上々だった。


 ドストフは身内にでも向けるような温かな視線をシュオウへ向け、


「お前は他の者たちは違う。英雄の気概を感じながらも、やることにそつがない。その能力で私によく尽くしてくれれば、恩情をもってそれに応えるつもりだ。現在の冬華には空位がある、いずれ遠くない未来に、その座につけてやることも厭わない」


「冬華……」


「しかし、与えてやれる冬の花の名がないな……異郷の地に探させるのもいいが、職人を集め、新たな品種をつくらせるのも悪くない。そうだ、戻りしだい準備を進めさせよう」


 嬉しそうに語るドストフの話を聞きながらも、その重大さにいまいち理解が及ばぬまま、シュオウは辞儀をして無難に感謝を伝えた。


「さあ、そうとなれば早く我が城に戻りたくなってきた。今すぐ遠征隊を出発させよ、私のために細かく足を止める必要はない」


 初対面の頃からは、ドストフは同じ人物とは思えないほど明るく、心穏やかな態度を見せている。


 シュオウは立ち上がって強く頷き、側に控えるバレンに向け、再出発の支度を始めるように指示を伝えた。


 ターフェスタ大公の領地、中央都まではもう間もなくの距離に立ち、シュオウはその先で人質として残されている仲間たちとの再開を思い、一条に伸びる白い道を静かに見つめた。











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― 新着の感想 ―
まー大手を振って○す機会を得たと前向きに捉えよう
レイネの行動はことごとく裏目に出て疫病神になってるな
セレスの弱さなら、今回の展開は納得できる。 強いて言えば、レイネがセレスに入れ込み過ぎていたことに違和感を覚えた。 それならデュフォスすら改心させようとするくらいでないと、何故セレスだけ?と思ってしま…
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