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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
160/184

断雲 5

あけましておめでとうございます。


今年は新しいことをスタートさせる年になります

改めて、スタートの際にご報告させていただきます。


いつも支えてくださる皆さまへ、心より感謝申し上げます。

共に、新しい年も歩んでいけることをとても楽しみにしています。

断雲 5






「ねえ、なんでだよぉ、なんで俺らは居残りなんだよぉ。例の偉いさんを出しに行くんだろ? 戦いになるんだろ?! どうして待ってなきゃいけねえんだよッ」


 レフリ・プレーズ重輝士に雇われるギルド、骨食いの副団長ティモは、団長のボ・ゴの腕に絡みつき、駄々をこねる子供のように愚痴をこぼした。


 ボ・ゴは絡みつくティモに目もくれず、

「ああ、うるせえな、少数精鋭で行きたいって雇い主様のご意向なんだって言ってんだろう」


「精鋭ってのは強い奴って意味だろ? じゃあ俺を連れて行けよ!」


「こそこそと隠れて動かなきゃいけねえんだ、ぎゃあぎゃあとうるさいお前には向いてねえ仕事だ」


 ティモは混沌領域を出身として、同郷に関わるならず者たちを上手く束ねて操ることに長けている。しかし、浅慮(せんりょ)で好戦的な性格のティモを、繊細なやりとりが必要となる現場に連れ出すのは躊躇われた。


 ボ・ゴはティモをなだめるように背中に手を置き、

「今は大人しく待ってろ、うまくやりゃあ、これからも美味い仕事をまわしてもらえるかもしれねえんだ。ここであの雇い主に俺らが使えるって思わせとく良い機会なんだよ、だから、な?」


 ティモはボ・ゴを凝視して、

「俺じゃ、そうならねえってのか」


「そうは言ってねえ、向き不向きがあるってだけだ。この糞寒いなか、山歩きをしなくてすむんだぞ? 酒でも飲んで寝転がって待ってろ、いいな? 勝手なことはするな、俺が戻るまで大人しくしてろ。うまくいきゃあ、上機嫌の雇い主に特別な報酬をねだってやる」


 ティモは目に溜めていた怒気を強め、

「知らねえよ」


 ふてくされた態度のティモに対して、ボ・ゴは突如態度を豹変させ、髪を思いきり掴み上げた。


「冗談で言ってんじゃねえぞ。大人しくしとけ、わかったか」


 ティモは掴まれた髪を必死に押さえ、

「わかった、わかったよッ」


 しばらくの睨み合いの後、ボ・ゴは髪から手を離し、ティモを解放する。


 ティモは鼻頭に皺を寄せ、自身の腕に噛み付いた。




     *




 重たい巨体を揺らしながら、ヴィシャは駆け足で街中を移動していた。


 余所者の傭兵たちに見つからないように裏道を使い、道ともいえぬような建物の隙間を縫って、目的の場所へと急ぎ向かう。


 変わらず、街は静寂のなかにある。だが、いつもとは、どこか様相が異なっていた。


 息を切らせて辿り着いた先にある、教会の灯りは消えていた。


 かろうじて感じていた人の気配が、その一画からは微塵も感じられない。


 そこにあるのは静寂ではなく、無。


 人々が暮らす家並は、まるで山中に佇む岩や土、ただそこにあるだけだ。


「遅かったか……」


 見張りに残していた部下たちが冷たい地面に倒れ伏せている。それを見て、ヴィシャは苦々しく嘆息した。


 建物の中が空であると知りながら、静まり返った教会を覗き込むと、背後から同行してきた部下の一人が、


「どうします、止めに行くなら、急いだほうが……」


「いや……」


 飢えた獣は見境なく敵意をふりまき、生きるために手段は選ばない。

 一時の感情からではなく、計画を練り覚悟を決めて行動を開始した大勢の者たちを止めることがいかに困難を極めるか、ヴィシャはよくわかっていた。


「いいんですか?」


 部下に念を押されながら、ヴィシャは苦々しい顔で教会の壁を拳の底で強打する。


「始めちまったもんは止まらねえ、あとは連中がうまくやって城から出てくるかどうかの問題だ。奴らがどんな手段でそれをやろうとしているのか、場合によっては――」


 ヴィシャは惨憺(さんたん)たる結末を思いつつ、


「――今夜がどうなるか、結果を見るまでは警戒を強めておく。いざってときを考えて、山の拠点の防備を固めておかねえとな、できるかぎりの人手は集めて向こうに送り込むんだ」


 部下の一人にそう伝え、倒れた男たちを回収させてから、ヴィシャは静まった貧民街と、そこに佇む家主のいない教会を一瞥し、背を向けて歩き出した。




     *




 宵闇が覆う街中に、泡沫のような粉雪が舞い、寒さが人を遠ざける。


 暗く、静かで、孤独な夜は、行動によって改善の道を模索したリシア教の司祭、パデル・エヴァチにとって、これ以上ないほど完璧な一時だった。


 城を目指して進む一団は、荷馬車と共に城門へと至る道に侵入する。間もなくして、別の道から複数人の出入りの業者たちが現れた。


「これは……司祭さま……?」


 業者の男はエヴァチに気づき、帽子をとって頭を下げた。


 エヴァチは頷いて、

「ご苦労さまです」


「司祭さまは、こんな時間にどうされたので?」

 男は聞きながら、エヴァチとその背後にある荷馬車に視線を移した。


「城で行われる祭礼の支度に向かうところで、儀式に使う道具一式を、皆に手伝ってもらって運んでいる最中なのですよ」


「それは奇遇ですな、こっちは城内の不要物を回収にいくところでして。よければご一緒に、といってもここからの道は一本しかありませんが」


「ええ、それはよく知っています――」


 骨張った面相に微笑みを浮かべるエヴァチの顔に、松明の灯りが暗い影を落とす。光を受けながら、光を返さない暗い目を見た男は、表情を曇らせ、怯えた様子で首を引っ込めた。


 エヴァチが手を上げたその時、暗がりから、ぞろぞろと武器を持った民衆が、灯りの下へ姿を見せる。


 自分たちが取り囲まれていることを知った業者の男たちは困惑を露わに周囲を見回した。


「し、司祭さま……いったい?!」


 エヴァチはじりと歩み寄り、

「大義のため、そして神の慈悲の具象化として、あなた方には協力してもらいたい」

 見せびらかすように、左手甲の彩石を掲げてみせた。




     *




 エヴァチから脅迫を受けた出入りの業者は、城の敷地内に出たゴミや不要なものを回収して生計を立てている者たちだった。扱うものの性質上、彼らは人目をはばかり、辺りが暗くなる最も遅い時間に仕事をこなす。


 持ち出しのために用意された大きな荷台を、足の太い馬が鈍重な歩みで引いている。通常であれば空であるそこには、エヴァチと行動を共にする、教区の信者たちが身を隠して乗り込み、それを運ぶ少数の者たちだけが姿を晒して歩いていた。


 一団が堅牢な城門に辿り着いた時、

「わ、私です、あ、開けて、ください……」


 エヴァチのすぐ隣に立つ業者の男が、震えを隠せぬ声をあげる。直後に番兵が顔を出し、


「ん?」


 番兵は隣に立つエヴァチに気づいて、

「そちらは司祭さま、ですか」


 エヴァチは番兵に頷き、

「そこで偶然一緒になったもので」


 業者の馬車に混じり、エヴァチが用意した荷車が並んでいるのを見つけ、番兵は不思議そうにそれらを凝視した。


「あれは、お前たちのものか?」


 番兵が業者の男に尋ねた直後、エヴァチは一歩踏み出し、

「私が用意したものです。大公殿下に請われて教えを説いている方に、教会の聖遺物をご覧に入れようと持参いたしました。それに、大公がお戻りになられる際の式典に使う飾りなども少々――」


 番兵は小さく首を傾げつつも、

「変だな、そんな話はなにも聞いてはいませんがね……しかし聖遺物とは、いったいどのような?」

 興味を惹かれた様子で、目を輝かせながら荷車をじっと見つめた。


 エヴァチは全身にぐっと力を込め、

「……聖典八の八、ファローの帰郷を祝して放たれた聖鳥の羽を封じて造られたとされている木像です」


 番兵は感激した様子で手で祈りを刻み、

「なんと敬虔な……あの、よろしければ、少し見せていただいても……?」


 番兵はエヴァチの許可を待たず、期待に胸を膨らませて荷車に近寄った。実情を知る業者の男たちが青ざめた顔で番兵の背を目で追う。


 番兵は分厚い布をかぶせてある荷車に歩み寄る。その下には、信者たちと助祭のハースが身を隠していた。


 番兵は固定してある布の留め具に手を触れ、

「ここのところ人手不足で働きづめで、教会に祈りに行く暇もありませんでしたが、それほどありがたい像であれば、是非とも代わりに祈りを捧げさせてもらいたいものです」


 エヴァチは喉を開き、

「お待ちくださいッ!!」

 大声で番兵を制止した。


 番兵は驚いた様子で振り返り、布をはずす直前の姿勢で固まった。


 エヴァチはゆっくりと息を吐き、

「神聖なる物です。横たえた状態で人目に触れさせれば、神の怒りを買うことに」


 聞いた番兵は青ざめた顔で手を引き、

「う……たしかに、無遠慮な行いでした。どうしよう、司祭さま……神は、私の不敬をお許しくださるでしょうか……」

 布をめくろうとした手を不安そうに胸に抱いた。


 エヴァチは簡易の祈りを唱え、

「ご心配なく、私から赦しを請いましょう。神は懸命に生きる者を愛される。祈りの不足など気にすることなく、あなたはただ、ご自分の役割に従事していればいいのです」


 番兵はエヴァチの前に跪き、

「ありがとうございます、どうかどうか――」

 両手の指を絡み合わせ、祈りを捧げた。


「では、通らせていただいても?」


 一通りの祈りを終えて、エヴァチが問うと、番兵は慌てて立ち上がり、


「お待ち下さい、いますぐ――」

 粛々と開門の作業に勤しんだ。


 それを受け、エヴァチよりも、付き合わされている業者の男たちが露骨に安堵した様子をみせる。


 エヴァチは馬車が通れる程度に門が開かれたのを確認し、

「まいりましょう」

 静かに言って、ゆっくりと内外を分かつ境界を踏み越えた。




     *




 家主であるターフェスタ大公が不在の城の中は、閑散としていた。


 本来ここで役目を果たす輝士たちの多くは不在で、そのうえ城の主もおらず、大公家に属する人間も現在は誰一人としてここにはいない。


 社会の底辺に落ちる陰のなかを、さらに這って生きているような集団、骨食いの副団長ティモは、傭兵とは名ばかりの仕事を言い訳にして、主不在の城内に、居残りを命じられた仲間たちを引き連れ平然と身を置いていた。


 目当てのものは上等な酒だ。貴族がいるところには必ずといっていいほど、庶民が生涯一滴でも口にできないような美酒が保管されているものである。


 だが、

「ちッ、くそったれ」


 ティモは頑丈に施錠された食料庫の前で毒づいた。


「壊せばいい、いつもみたいに」

 ティモに同行する複数名の仲間たちからお馴染みの提案が挙げられる。


 ティモはむすっと下唇を突き出し、

「派手にやるとボ・ゴがおこんだよ。どやされるのはおめえらじゃなくて俺なんだからな」


 皆が不満顔でぼりぼりと頭を掻き出した。脂ぎった髪の間から、白い粉粒がぼろぼろと止めどなく落ちていく。


 ティモは人相悪く歯を剥き出し、

「一国の都にきたってのに……本当につまんねえとこだぜ」


 ターフェスタの中央都は、骨食いが訪れたその時から、まるで死んだように静まり返っている。


 町人に活気はなく、市場もほとんど機能しておらず、飲み食いのできる店は軒並み閉鎖されていた。


 日々を刹那的に生きる傭兵稼業につく骨食いの団員たちにとって、この街はとにかく退屈な場所だったのだ。


「城の敷地内にでかい倉庫が何個かあるって聞いたけどよ――」


 そんな話が、ティモの耳に吸い込まれる。


「でかいってどんくらいだよ」


「すげえでけえやつ、邸みたいによお」

 話す団員は大きく手を広げてみせた。


「へえ……そんなんなら、ちょっと壊して中に入ったって、バレやしねえか……?」


 そこから先を言わずとも、団員たちは皆、一様ににやけた顔で目を合わせ、迷うことなく心を一つに束ねた。


 誰からともなく歩き出し、言い出した団員の案内のもと、城内を移動する。


 主不在で警備が極限までゆるくなっているとはいえ、各所にちらほらと番兵が配置されている。だが、抜け道も多く、監視の目を逃れて移動するのに難儀はしない。


「聞いた話じゃ、この先にあるはずだが」

 案内役が前方に指を指しながら言った。


 直後に、ティモは先導する団員の腰紐を強く引っ張った。

「おい待て――」


 先の方から人の気配が伝わってくる。大勢だ、ごそごそとまとまった人の群れ、そこにガチャリと金属がこすれるような音も混じっている。


 ――武器だ。


 経験から、ティモは素早く兵士や戦士の集団を想像する。


 同様に状況を察した団員たちは素早く身を屈め、誰からともなく、先の状況を偵察し始めた。


 ティモは建物の影からそっと奥を覗き込む。だが、そこには想像とは一致しない、奇妙な光景が広がっていた。


 ――坊さん?


 城の裏手にある巨大な倉庫の前に、人の群れがある。見たところ集団を構成しているのは粗末な衣類をまとう貧民たちだが、妙なのは彼らを先導している統率者らしき男が、宗教家のような格好をしていることだ。


 ティモはさらに近づき、先のほうから聞こえてくる彼らの話し声に耳を傾けた。


「――本当に見張りがいない」

「――司祭さまの言われていた通りだ」

「――神のお導きだ、我らをお助けくださっている」

「――感謝します、感謝します」

「――見つかる前に早くッ」


 ひそひそ声のなかに、ちらほらと耳障りな祈りの文句が混じっているが、聞き取れる内容からすると、彼らはティモと同じ目的でここへ訪れているのではないか、という予測がたつ。


 ティモはまぶたを大きく開き、黄色く濁った白目を露わに、口元に歪んだ笑みを浮かべて舌なめずりをした。


 ――こいつら。


 こそこそと辺りを覗いながら、巨大な食料庫の扉を先導者が押し開く。集団の手には無数の武器が握られ、傍らには物資の運び出しに使うのであろう荷車が置かれていた。


 ――泥棒だ。


 ティモはたまらず、さらに下卑た笑みの強度をあげた。


 戦いに出向いたボ・ゴに置き去りにされ、遊ぶ場所もなく退屈していたこの夜に、殺してもよい、という大義名分を背負って現れた獲物を前に、笑わずにはいられない。


 同類ばかりの団員たちも皆、ティモの笑みを見て素早く心中を察していた。


 骨食いの団員たちは、影の中に身を置きながら、各々に強く、武器を握りしめた。




     *




「あッ?!」


 暗い倉庫のなか、瓶が割れる音が鳴り響く。


「す、すすす、すいませ――」

 食料の運び出しに従事している信徒の一人が、動揺を露わに謝罪する。


 エヴァチは彼の肩に手を置き、

「大丈夫、気にせずに、ゆっくりと息を整えなさい」


 その様子を、皆が手を止めながら見つめていた。その顔には一様に不安と恐怖が滲んでいる。


 エヴァチは努めて明るい表情を作り、


「皆、ここにある食べ物を持ち帰ることだけを考えなさい。飢えた子や老いた親、病を患う家族や友人。彼らに生きるための力を与えることができる、その瞬間だけを思いなさい……ゆっくりと息を吐き……そして吸う。神は心穏やかな者に手を差し伸べるのです」


 エヴァチの言葉の通りに、信徒たちはゆっくりと息を整える。幸せな結末を思い、緊張を減らし、穏やかに視線を交わして笑みを浮かべる者もいた。


「さあッ――」

 エヴァチは彼らの意識を呼び覚まし、

「――続きを。手早く、しかし慎重に」


 微声から発せられた号令に、全員が一斉に頷いた。


 食糧不足で体力を酷く落としているが、ここにいる者たちは、この状況下でも体を動かすことのできる丈夫な者たちだ。


 仕事の延長で、物資を運びだす手練にも淀みがない。


「司祭――」

 外の監督をまかせていたハースが顔を出し、

「――そろそろ一杯になります」


 エヴァチは倉庫を眺め、

「もうか……」


 多くを運び出したつもりでいても、倉庫にはまだまだ食料が山積みに置かれている。


 ――欲深き者たちよ。


 手をつけることすらしない食料を、これほど無為に貯め込んだ行為に、思わず呪いの言葉を吐き出しそうになる。


 エヴァチは反射的に神に許しを請い、目を閉じて祈りを口ずさんだ後、ハースに撤収の指示を告げた。


 倉庫から出ると、用意した荷車に全員が食料を積み込んでいる最中だった。いくつかは空のままだが、それらは帰りに信徒たちを隠して城を脱出するためのものである。


 隣に並ぶハースが、ほっとした様子で、

「順調ですね、奇跡ですよ、こんな大それた事をやっているというのに」


 ――あのお方のおかげだ。


 兵士に止められることもなく、見張りもなく、倉庫の扉は開放されている。この隙を事前に知ることができたのは、すべてジュナからの助言があってのことである。


 当面の間、配給に困らないだけの食料を確保し、あとは脱出するだけである。


「急ぐぞ」


 ハースと共に荷積みの手伝いをしようとしたその時、


「なぁにやってんだぁ?」

 粘っこい女の声が、突如背後から響き渡る。


「ひひ――」


 割れるように薄く渇いた笑声に、ぞくりと背筋を凍らせながら、エヴァチは恐る恐る声のした方へ振り向いた。


 そこには一人の女が立っている。よく見れば、物影から薄汚れた毛皮をまとうがらの悪い者たちの姿もある。全容が把握できないまま、複数人に取り囲まれている気配だけを感じながら、エヴァチは言葉を失い、硬直する仲間たちを背負い、声を掛けてきた女と対峙した。


「私たちは、儀式の支度のために――」


 女は目を剥いて足を踏み鳴らし、

「いいや、違うよねぇ? そこはこの城の偉いさんが大切に貯め込んでる食料庫だろ? そんなところに坊さんがいったいなんの用があるってんだぁ?」


 見るからに不潔で、不健康そうな女だ。他の者も含め、彼らが最近街に入ってきた、質の悪い傭兵たちであると、エヴァチは気づく。


 決して賢そうではない彼らは、しかしこの状況をよく理解しているようだった。


 高みから見下ろすように、にやついた顔を向けてくる女に対して、

「私は、リシア教司祭、パデル・エヴァチ。あなたのお名前をお窺いしても?」


 女は吹き出すように笑い、

「聞いたか? おなまえだってよ――」

 仲間たちとげらげらと笑った後、

「――おなまえなんてたいそうなもん持ってねえけどよ、他の奴らは俺のことをティモって呼んでるぜ」


 エヴァチは真面目な顔でティモを見つめ、

「ティモ殿……こちらにも事情があります。今日のことを忘れてもらえるのであれば、我々が持ち出したものから、あとでそちらに取り分をお渡しする用意がありますが」


 ティモは狡猾な獣のような目でエヴァチを睨み、

「へえ、リシアの司祭様ってやつもそういうのやるんだ?」


 背後にいる者たちのなかから、怯えを隠せず、手に持った武器を地面に落とす者が現れた。


 ティモは武器を拾い直す者を見て微笑み、

「べつにさ、こっちも素人じゃないから、欲しけりゃ自分らでどうにかするよ。それより、あんたら武器を持ってるね? つまり戦士ってことだ。俺はそっちのほうがずっと嬉しくってよ。あんたらは泥棒だから、どうしたって怒られることはないし、それがほんと、なにより嬉しくってさ――」


 ティモが言った直後、闇の中から斧を持った太い腕が不意に伸びる。


 振り下ろされた斧は信徒の顔面に深く刺さり、傷つけられた者が、悲鳴をあげながら地面に倒れた。


 皆が硬直し、声をあげる間もなく、闇の中から武器を構えた傭兵たちが笑みを浮かべつつ、蜘蛛のように這い出てくる。


 直後に、場は騒然となった。


 エヴァチが声をあげる間もなく、

「――ッ?!」


「お前も死ねえ!」

 短剣を握ったティモが襲いかかる。


 エヴァチは腰を抜かしてその場に倒れた。それが偶然となり、ティモの手は空を斬る。


 短剣が地面に突き刺さり、倒れたエヴァチに対してティモが覆い被さるような体勢で、血走った眼を向ける。


 言葉の通じない相手から向けられる、剥き出しの殺意を前に、エヴァチはただ脱力して動くことができなかった。


 争うことを日常としている者たちとは違うのだ。力を暴力として他者へ向ける経験などしてこなかった。覚悟を決めたつもりでいても、突然降りかかったその時に、体はまるで言う事をきかない。


 ティモは呆然とするエヴァチの左手首を掴み、

「色が付いてたって、お前が弱い奴だって目を見りゃわかるんだよッ」


 その言葉通り、生きる事のすべてに流血が関わる者は目つきが違う。


 その存在を認知することもできない神を信じ、古くから伝わる教えを言葉にして説く。司祭として送ってきた人生と、目の前の傭兵たちが生きてきた人生は、まるで別世界のものなのだと肌で感じる。


 ――神よ。


 絶対的な殺意を前に、エヴァチはその時を受け入れ、全身の力を抜いた。


 逃げることを諦めた獣が、上位の捕食者を前にしたときの感覚を味わう。受け入れた途端、不思議とすべての恐怖が消え去った。


 逆らうことを諦めた途端、それを察知した目の前の捕食者は、まるで失望したように笑みを消した。


「戦えよ、戦士を殺さなきゃ数になんねえんだッ」

 ティモは叫んで、掴みなおした武器を振り上げる。


 エヴァチは頬を緩ませた。言っていることの意味はわからずとも、自らの死を前に、相手から喜びを奪ったと思えば、それが痛快にも感じられる。


 死が振り下ろされる刹那、

「ぎゃああああ――」

 心が乱れていた時には聞こえなかった周囲の声が、聞こえてきた。


「うあああッ――」

「ああッ、うああッ――」


 人々の悲鳴だ。宗教という一つの家に集う者たち。エヴァチの言葉を信じて、命懸けの行動についてきた者たち。彼らが怯え、苦しみ、泣き叫ぶ声が、絶え間なく耳の奥に突き刺さる。


 振り下ろされた武器に対して、エヴァチは両手を突き出し、防御の姿勢をとっていた。手の平に短剣が突き刺さり、燃えるような痛みが走る。


「あれぇ、気が変わった? 戦う気分になったのか?」

 滴る血を見ながら、ティモが下卑た笑みを取り戻す。


 エヴァチは顔相鋭く、歯を食いしばってティモを睨みつける。


 ――彼らを置いては。


 死ねない、という強い意志が目に宿る。


 ティモはますます笑みを強め、

「それでいいんだッ、お前は戦士だ、お前を殺して食ってやる!」


 エヴァチは手元に晶気を発した。


 神の恩寵、奇跡の力、超常を呼ぶ力。様々な名で呼ばれようと、これは純然たる暴力の塊だ。


 脆弱な人の身を破り、血肉を撒き散らし、耐えがたい痛みと破壊、その末に死という終わりをもたらすもの。


 手元に生じた発光から、小さな水流が具現化する。一瞬に生じた爆音の直後、武器を握っていたティモの右手の指先が水流に巻き込まれ、かろうじて薄い皮膚で繋ぎ止めながらも、惨たらしくねじ切れた。


「ぐりゅ、ぎゃあ――」

 まるで獣のような醜い悲鳴をあげ、ティモは手を上げて全身を仰け反らせる。


 ティモは脂汗を顔面に浮かべながら、

「殺してやる……殺してやるうッ!」


 だが、その直後、

「な、何をしているお前たち!?」


 この場の混乱に水を差す、新たな乱入者の声があがった。


 声を上げたのは城の番兵たちだった。彼らはこの状況に戸惑いを隠せず、乱闘状態にあった両陣営の者たちに交互に視線を回している。


「くそッ――」


 ティモは唾を吐き捨てて素早くその場から逃げていく。同様に、他の傭兵たちも慣れた様子で姿を消した。


 襲われた者たちは興奮状態のまま、武器を構えて、現れた番兵たちに襲いかかった。


「待ちなさい――」


 胸に痛みが走るほどの激しい鼓動を感じたまま、エヴァチは立ち上がろうと足腰に力を入れる。だが、すべては遅かった。


「やめッ――」


 身構えた番兵たちは、殺気だった者たちに四方から武器を振り下ろされる。それは一度や二度で終わることなく、一瞬のうちに番兵たちを死に至らしめた。


 徐々に静寂を取り戻す場は、血と死体で埋め尽くされた、戦場の痕のように凄惨さを極めていた。


「司祭ッ」


 血に汚れたハースがエヴァチを見つけ、駆け寄る。


「ご無事ですか?」


 エヴァチは興奮しきった目でハースを見やり、

「……ああッ」

 止めどなく頷いた。


 ハースに支えられながら立ち上がり、ようやく落ち着いてこの状況を俯瞰する。


 転がっている死体のほとんどはエヴァチと共にここへ来た者たちだった。その中に数体、襲ってきた傭兵の死者も混じっているが、その死体の様相は異様だった。


 怪我や痛みに悶える者たちの間を通り抜け、エヴァチはハースと共に傭兵の死体の前に立つ。


 その死者は、背後から首を切られて絶命していた。異様なのは、その手に切り取られた死体の一部が握られていたことだ。


 手頃な大きさに切り分けられた人体の一部には、囓ったような歯形が残されている。


 エヴァチは死者の肩を掴み、仰向けになるように転がした。その直後、死者の口から、咀嚼(そしゃく)された人体の一部が零れ落ちる。


 『食べてやる』


 エヴァチは、ティモが興奮して吐いていた言葉を思い出していた。


 この死者がなにをしていたか、同じく察したハースは、

「なんなんだ、こいつら――」

 後ずさり、声を引きつらせた。


 よく見れば、他の殺された者の死体は、戦っただけではありえないような欠損がいくつも見られる。


 ハースは状況を見渡し、

「う――」

 血の気の失せた顔で胃の中のものをすべて吐き出した。


 エヴァチはハースの背を撫でながら空を見上げ、

「神よ……これ以上の試練を、まだ、お与えになるのですか」


 天に向かって言葉を吐いた後、殺された番兵たちの遺体の前に跪き、祈りの言葉を口にした。




     *




 手負いのティモは仲間たちを連れだって、城門を守る番兵を無視して、逃げるように城を後にする。


「どうすんだよティモッ、手出したもんは最後までやらねえと、俺らが呪われちまうぞッ」


「うるっせええ!」

 ティモは血走った目で口から涎を零しながら叫んだ。


 血が滴る千切れた指を戻そうと押しつけるが、くっつく気配すらなく、あるのはただ脳天を貫くような痛みだけだ。


 城の敷地を出て街中の広場に辿り着き、ティモはそこで足を止めて、止むことのない痛みに悲鳴をあげた。


「あああああッ、イライラする……ッ、むかつく、むかつく!」


 仲間たちがティモの手を見て、

「おい、早く血を止めねえと」


 ティモは広場に隣接した建物から光が漏れる一画を見つめ、


「……遊んでる奴らを全員集めてこい、この糞みたいに湿気た街に火を付けて明るくしてやんだ。逃げ出してきた奴らを捕まえて、あの泥棒司祭がどこのだれか聞き出してやる、どんな手で痛めつけてもいい、逆らってきたらそいつは戦士だ、お前らの好きにすりゃあいい」


 団員たちは顔を見合わせて笑みを浮かべ、

「へ、面白そうだな――」


 団長の許可もなく独断で大仰な指示を出したティモに、反対する者は誰もいなかった。




     *




 燃える薪がはじける。


 静かな室内で火に当たるジュナの元に、音もなくリリカが姿を現し、一礼した。


 ジュナはリリカを見つめ、

「どっち?」


 リリカは重く顔を上げ、

「おそらく、お望みの方へと」


 夜の静寂を打ち破る警鐘の音が鳴り響く。まるで心地良い音楽を聴くかのように、ジュナは警鐘の音色に静かに耳を傾けた。











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― 新着の感想 ―
今年中にラピスの心臓のアニメ化の打診が来るところまで見た。
今年もよろしくお願いします! あ~あ~もう滅茶苦茶だよこれ。シュオウ達が帰って来た時には、都半壊とまでは行かなくても酷い有り様になってそう(というかマジで人食いの一族だったんだな…) 全てはジュナ…
あけましておめでとうございます! 今年の更新もどうかよしなに!w >今年は新しいことをスタートさせる年になります >今年は新しいことをスタートさせる年になります >今年は新しいことをスタートさせる年…
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