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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
156/184

断雲 1

※セレス前回登場エピソード 『禍根7』

断雲 1






 セレス・サガンは、平民の母と貴族の父の間に生まれた。


 彩石を持たぬ女から生まれながら、セレスの輝石には色がある。その存在は落胤(らくいん)であり、不慮の子を世に落とす、穢れた血として貴族社会では忌み嫌われる。


 石名の洗礼を受けられず、輝士としての地位も得られず、栄誉なき監察という役職にしか就くことが許されない。


 憎悪と恥の対象でしかなかった母を失い、己を嘲笑う世を呪って、か弱き人々を捕らえては、セレスは夜な夜な殺人を繰り返す日々を送っていた。


 救いのない日々は、とある少女を誘拐したことで終わりを迎えた。


 死して呪うことすらできなくなった母の代わりに殺していた平民の女たち。しかしまだ幼い身の少女に、同じ感情をぶつけることはできなかった。


 少女を救うために現れた強敵に敗北し、そして今現在、セレスは冷たく閉ざされた檻のなかで朝を迎える日々を過ごしている。


「……おはよう、レイネ」


 セレスは、かつては加害者と被害者という関係であった少女、レイネに朝の挨拶をする。彼女がここへ足を運ぶのは数日ぶりのことだった。


「はよ……」

 挨拶を返すレイネの声は酷く掠れて弱々しい。


 快活だった少女が少しずつ痩せていく。声は力なく、目を合わせたときに見せる微笑みにも、どこか年齢に似合わない哀愁が入り交じる。


 レイネはセレスの前に食事を置き、もう一つを別の牢に入れられているデュフォスの前に置いた。


 食事を受け取ったデュフォスは声を尖らせ、

「おい、なんだこれは……」


 レイネは口元を曲げて、

「朝飯だよ」


 デュフォスは声を震わせ、

「これのどこが食事なんだ、水にパンと野菜くずを浮かべただけじゃないのか。こんなものじゃ家畜ですら飢え死にしてしまう」


 デュフォスの言い分も理解はできた。彼が言うように、朝食として用意されたものは、味付けの薄いスープにパンくずや野菜くずを散らしたような粗末なものだったからだ。


 文句を言われたレイネは若さからは信じられないほど声にドスを利かせ、


「嫌がらせでやってんじゃないんだよ、これで精一杯なんだ……街の連中ですら飢えてるのに、どうして囚人にそれ以上のものをやれるってんだよ」


 痩せていくレイネを見ていれば、それが真実であると容易に想像できるだろう。だが、生まれた時から権力と富に恵まれていた生粋の貴族であるデュフォスにとって、その苦労は理解できないものであるようだ。


「黙れ、私を誰だと思っている、冬華六家を束ねるデュフォス家の当主だぞ。虜囚とはいえ、この待遇は目に余る、神に逆らう悪逆非道だッ、代表者をここに呼べ、どうしてこの私がいつまでも愚かな小娘に管理されなければならない。呼べぇッ、お前の父親をすぐに、すぐに、すぐにッ――」


 血走った目で唾を吐き、デュフォスは痩せ細った腕を晒しながら鉄格子をちぎらんばかりの勢いで揺らした。

 極寒と少ない食事、不潔で劣悪な環境に閉じ込められた生活が続き、心労は限界に達している。


 ターフェスタ公国冬華六家という、華々しい地位と権力の頂点にいた男の成れの果ては、ただただ哀れでしかなかった。


 レイネは半狂乱で叫び続けるデュフォスに軽蔑の眼差しを向けた後、

「おい――」

 外に向けて声を出し、待機していた男たちを呼び寄せた。


 デュフォスは一瞬で顔色を変え、

「やめ、やめろ……いやだ……」


 体格が良く人相の悪い男たちがデュフォスの牢の中に入っていく。


 レイネは彼らに向け、

「軽めでいいから、立場を思い出させてやりな」


 男たちはレイネに頭を下げ、

「へい」


 男たちから暴行を受けるデュフォスの苦しげな声が響いた。


 レイネは疲れた顔でセレスの下へ戻り、

「いこっか」


 セレスはすっかり冷めた食事を一気に腹におさめ、

「ああ」

 レイネと共に外に出る。


 空は曇り、寒さを和らげてくれる天上からの光は感じられない。


 薄暗いなか、荒れた畑に向かい、他の労働者たちと共に、木の根のように細い芋を掘り出していく。


 農具を土に差し込む所作は手慣れたものだ。皮肉なことに、ここへ連れて来られ、肉体労働を科されたばかりの最初の頃からは、比べものにならないほど体が強くなっているのを感じる。


 硬く引き締まった全身の筋力を感じながら、セレスは次々と硬い地面をめくっていった。


「まだ早いような気がするけど、いいのかな」

 セレスは拾い上げた未熟な芋を見せながら、作業の監督者であるレイネに問うた。


「必要なんだよ、そんなのでも」


 渋い表情で言ったレイネに、セレスは、

「街はそんなに酷い状態なのか」


 レイネは辛そうに頷き、

「ひどいよ……みんなぎりぎりで生活してたのに、馬鹿大公はまた税をとりやがった。それに最近、外からおかしな連中が街に入ってきて、あちこちで揉め事ばかり起こしてる、そっちでもみんな頭を抱えててさ」


「おかしな連中……?」


 レイネは息を吐き、

「質の悪い奴らだよ――」

 謎の集団の悪行を語り始めた。




     *




 ターフェスタ公国の監察部隊は、通称で猛禽とも呼ばれている。


 猛禽は主に、彩石を持ちながら不遇な境遇に生まれた者たちを集め、花道とはほど遠い、地味で嫌われる仕事を請け負わされる。


 仕事内容は多岐にわたるが、現在の猛禽は冬華の一人、エリス・テイファニーを最高指揮官として、市民に誘拐されたままの冬華の長、ウィゼ・デュフォス奪還のための任務に就いていた。


 しかし、


「まだ尻尾を掴めないのか?」


 苛立たしげに言ったのは、エリス・テイファニー直属の部下であるレフリ・プレーズ重輝士である。


 プレーズは見る者に不快感を与えるほど自信に満ちた顔を歪め、現状を報告した監察官ノスリに軽蔑の眼差しを向けた。


 ノスリは膝を落として頭を垂れ、

「はッ……監視対象としている組織は慎重で隙がなく、デュフォス卿の監禁場所と思しき地点を特定するには至っておりません」


 プレーズはノスリを睨みつけ、

「テイファニー卿の指示があってからいつまで時間をかけるつもりだ。相手は平民の素人どもだぞ、貴様らはそんな身なりでも本職だろうが。この不細工な出来損ないどもめ、見た目だけじゃなく頭の中身まで母親の腹の中に置き忘れて生まれてきたに違いないな」


 隠す気もない差別心を露わに侮辱を聞かされ、ノスリは慣れていながらも、不快感に口元を歪めた。


 その時、側にいた骨食いギルドの副団長、ティモがノスリの顔を覗き込み、

「ああッ、こいついっちょまえに怒ってるぜ? うるせえ殺すぞって顔してるよ、ほら見てみな!」


 ティモは無理矢理にノスリの顔を掴み、プレーズに見えるように持ち上げた。


 ノスリは歯を剥き、

「触るなッ」

 強く手でティモを払いのけた。


 ティモは薄汚れた歯を見せて笑い、

「お前みたいなのは他じゃ高く売れるんだぜ、芸を仕込んで見世物にするんだ。良い稼ぎになるんだよ?」


 白く濁った片眼は視力を失い、常人よりも短い手足を持って生まれたノスリに対して、ティモは露骨に見世物としての価値をうそぶいた。


 さらに追い打ちをかけようとしたティモに、

「やめろ、そっちのことに関わるな」

 団長のボ・ゴが止めに入る。


 ティモはにたにたと嫌みに笑いながら、ノスリに視線を合わせたまま、じわじわと元いた位置に戻っていく。


 ノスリは心を落ち着けるように深く息を吐き、

「相手側は密に連携をとりながら行動しているのが窺えます。おそらく軍隊と同じような指揮系統を持っているはず」


 プレーズは腕を組み、

「強固な組織というのなら、上の階級にある奴を探し出せ、捕らえて拷問にかければいい。連中になにをしたところで、それが表に出ることなどないのだからな」


「相手側は綿密な連絡網を構築している様子があります。一人が欠ければ、おそらくそのことをすぐに知られることになる。そうなれば、デュフォス卿の監禁場所を別に移されるか、もしくは――」


 プレーズは苦々しく舌打ちをし、

「やけを起こして消されることもありえるか……だめだ、それだけは絶対に」


 デュフォスの身柄の無事は、奪還任務を請け負ったプレーズの身の安全に直結している。大言を吐いた手前、失敗は許されない。


「慎重を期すならば、相手側の綻びを見つけるほかにありません。ですが、そのためには手数が不足しています」


 プレーズは立ち上がってノスリの顔面を足蹴にした。

 ティモが手を叩いてげらげらと笑い声を響かせるなか、プレーズは倒れ込んだノスリを見下ろし、


「私に要望するときは伏して頭を擦りつけろ……貴様らは猛禽とは名ばかりのドブネズミだ、自らの姿を鏡に映して立場を思い出し、死ぬ気で役目を果たしてこい。必要ならば警備隊を回してやる、大公殿下がお戻りになられるまでにデュフォス卿を見つけられなければ、貴様ら全員の石を落としてやるからな、他のネズミ共にもそう伝えろ、行けッ」


 ノスリは黙って体勢を整え、頭を下げて姿を消した。


 興奮して肩を揺らすプレーズに、ボ・ゴが近寄り、

「ご苦労なさいますな」


 プレーズは目の下の皮膚をぴくりと震わせ、外套をとって部屋を出る。


 現状は城の作戦室を司令部としながら、デュフォスの行方を追っているが、その実はまるで成果を得られていない。


 焦りと苛立ちを感じながら、プレーズは自然と外の空気を求めて中庭まで歩いていた。


 中庭に通じる回廊に立つ兵士たちが、プレーズに気づくと戸惑った表情で駆け寄ってくる。


「プレーズ重輝士、あれを……」


 プレーズが中庭のほうを見ると、骨食いの傭兵たちが集って輪となり、頭に鍋を被って頭突きあいをしている最中であった。


 金を賭けている様子で、各々に色の付いた棒を握り、輪の中心で頭にかぶった鍋をぶつけ合う対戦者たちに歓声を送っている。


 その様を見たプレーズは大きく肩を落とし、

「この国もいくところまで堕ちたな……」


 同行していたボ・ゴが嬉しそうに、

「そりゃねえぜ、俺たちを呼んだのは旦那だ。どうだい、どっちかに賭けてみるってのは」

 そう言って、プレーズの肩に手を添えた。


 プレーズはボ・ゴの手を払いのけ、

「……お前たちの市中での素行について報告が届いている。ほどほどにさせておけ」


 ボ・ゴはにやけた顔で返事をせず、ただ黙って首を下げた。




     *




 ターフェスタ中央都の街中は荒廃している。


 活気なく空気は淀み、閉じた商店には木板が打ち付けられ、市民は僅かばかりの配給に長蛇の列を作っていた。


 民が重税に苦しめられるようになってから、心ある者たちが各所で配給を行っている。リシア教の司祭パデル・エヴァチは、その光景を見かけるたび、彼らに向けて祈りを捧げた。


 薄闇と沈黙、退廃と虚無に覆われる街角で、ふとエヴァチは血気を含んだ騒ぎを耳にする。音のするほうへ駆けつけると、異文化の服装に身を包む集団が、荷馬車を運ぶ一家を取り囲んでいる最中だった。


 集団はにたにたと笑いながら一家の父親らしき男を捕らえ、取り囲んで暴力を加えていた。


「た、頼む、見逃してくれ……もうこれ以上金目のものはないんだ……ッ」


 集団はぽかんと口を開けて顔を見合わせ、

「金目のものはないんだってよ――」

「へえ、そりゃあ残念だな――」

「じゃ、本当にそうか、たしかめねえとな――」


 集団がじわじわと距離を詰め始めたその時、

「やめなさいッ」

 エヴァチは大声を張り上げ、集団の注意を一身に集めた。


 それまで愉快そうに笑っていた集団は水を差され、

「……ああ?」

 殺意に満ちた視線をエヴァチに向ける。


 集団は武器をエヴァチに向け始め、

「あんた勇敢だな。おれたちゃ別にこの家族を殺そうとまでは思ってなかったんだぜ? でもあんたはいいや、俺たちが楽しくやってるのを邪魔したんだから、殺したって別に怒られやしねえよ」


 集団の先導者と思しき男が、短剣の先を向けながらエヴァチを睨む。


 エヴァチは見えるように左手甲の彩石を掲げてみせた。


「こいつ――」

「色付きだ――」


 圧倒的な有利を自覚していた集団に動揺が走る。


 先導者の男は、しかし勢いを取り戻し、

「あんたその格好、ここらの宗教の神官ってやつだろ? 知ってんだぜ、クオウの僧と違って、あんたらのとこじゃ神の使いとやらは戦士じゃねえって。見せかけの石で俺たち全員を相手にできると思ってんのかい」


 エヴァチは一瞬でも弱気をみせず、

「ああ、たしかに私は輝士でも戦士でもない。だが、神の恩寵であるこの力、この場で振るえば、何人かは確実に命を奪えるぞ」


 集団は途端に強気を弱らせる。


「お、おい、もういいじゃねえか――」

「めんどくせえよ――」


 形勢が変わったのを見て、先導者は唾を吐いて武器を収めた。悔しそうにエヴァチを睨み、両手をつかって両目の瞼を大きく広げた。


「その顔は覚えたからな」


 先導者が奥へと足を向けると、集団もぞろぞろとこの場を去って行く。


 エヴァチは怪我を負った一家の父親に駆け寄り、

「大丈夫か」


「司祭さま……ありがとうございました……ッ。来てくださらなければどうなっていたか。手持ちを全部とられちまいましたが、命があっただけでも……」


 声を震わせながら、馬車の上で恐怖に怯える妻子を見つめた。


「あの連中は――」

 エヴァチはまだ背中の見える集団を睨みつける。


 父親はエヴァチの腕に触れ、強く首を振った。

「あいつらに関わっちゃいけません。上に守られてるのか、警備隊でも手出しができんのです。目を付けられたらなにをされるかわかったもんじゃない」


 礼を言って立ち去る一家を見送りながら、エヴァチは荒れ果てた街の空気を深く、喉の奥へと吸い込んだ。


 そうしていると、またどこからともなく、人々の悲鳴や怒号が聞こえてくる。


 無意味な戦争、そのために繰り返される重税に加えて、とうとうこの国は、民を苦しめる害虫まで解き放ち、それを放置している。


 エヴァチは雲がかかった天を見上げ、

「神よ、もはや赦しは求めません」


 言葉を吐き、その視線を大公の城がある方角へと静かに向けた。




     *




「あれからあの司祭、来なくなりましたね」

 茶の用意をしながら、ユギクがそう切り出した。


 あれから、という言葉が指すのは、エヴァチに城内の食料庫を見せた日のことである。


 日々、飢えで苦しむ人々と接するエヴァチは、その慈悲深い性格から酷く苦しみを抱えていた。


 悩める司祭にジュナが行ったのは、それまで与えていた食料の施しを止め、目の前にあるのに手を出すことができない、大量の食料を見せつけたこと。その結果として、エヴァチは絶望と苦悩、そしてなにより強い怒りを露わにしていた。


 それ以来、ユギクが言うように、エヴァチは約束の面会日をことわりもなく無視している。


 事の一切を仕込んだ張本人であるジュナは、

「司祭さまの行動の傾向が変化したのは、とても良いこと」

 柔和な表情と暖かな声でそう言った。


 湯気のたつ茶を口に付けた時、外から戻ってきたレキサが、一通の知らせを差し出した。


 レキサは真剣な顔で、

「ジュナお嬢様、リリカちゃんからです」


 ユギクは口元を歪め、

「あいつのことをそんなふうに言うな」


 ジュナは受け取った紙を開き、中に描かれた文字を読み進めた。


「順調みたいね。このまま進めば、司祭さまは近いところで決行されるだろうって。こっちも頃合いかもしれない――」


 ジュナは書簡を丸めレキサに返し、頷いた。レキサは書簡を暖炉に投げ、火かき棒で火の奥へと押し込み、すべてを一瞬で燃やし尽くす。


「二番の調査報告書を持ってきてくれる?」


 ユギクは家具に穴を空けて作った隠し場所から、紐で閉じられた紙束を取り出した。


 リリカが仕上げたその報告書を眺めていると、ユギクがジュナの顔を覗き込み、


「次はなにをお考えですか」

 好奇心を滲ませてそう聞いた。


 ここのところ同じ時間を過ごしてきたせいか、多少なり心を見透かされていることに、ジュナはくすぐったさを感じ、小さく微笑みを噛み殺した。


 ジュナが眺めるその報告書にはターフェスタ領内で公国に認定されている商会の名が列挙されている。そこには、緻密な数字が驚くほど詳細に調べ上げられ、全体の金の流れが書き出されていた。


 ジュナは報告書から目を離し、

「最近、城内の警備はどうなっている?」

 ユギクとレキサ、それぞれを交互に見ながら問うた。


 ユギクは咳払いをして、

「大公が出かけてから警備は適当になってます。中で働いてる使用人たちもほとんど休んでるし、あの変な連中がうろつきだしてから、残ってる城の兵士たちもそっちに気を取られてるみたいで」


 ジュナは話をまとめ、

「中に守るべき人が不在なのだから、それも当然よね。そんな状態なら、ほんの少しここを出てもきっとばれることもないでしょうね」


 ジュナは視線をゆっくりと、天井へ回し、徐々に下へと降ろしていく。


「今夜、出かけましょう」


 ユギクは反射的に外衣に手を伸ばし、

「どこに?」


 ジュナは微笑んで窓の外に指を向け、

「外に。とても大事な用があるの」




     *




 国家間の物資の流通を管理する元締め、ダトー商会の支部長を務める平民階級の商人スクロームは、右腕の息子マーレンともに商会支部の執務室のなかで、険しい顔で窓の外を眺めていた。


「不穏だ、日に日にあの連中の態度がでかくなっていく」


 二重窓から夜の街を眺めながら、スクロームは酒瓶を手に街を闊歩する異邦の傭兵たちを注視した。


 マーレンは父親の隣に並び、

「街の各所で問題を起こしているようです。今はまだ下街を中心にうろついているようですが、連中の興味が上街にまで届けばどうなるか。上はなにを考えているのでしょう、聞くところによれば連中を呼び寄せたのは大公のご意志によるものだといいますが」


「無用なものに金は払われない。目的があって呼び込まれた者たちだろう、上が好き放題にさせているところをみても、それを証明している。あの連中は一目見てわかるならず者たちだ、その注意がいつこちらに向くともかぎらん」


「そうなれば、もしもうちに手を出されたときに守ってもらえるのでしょうか?」


 万難に対処できるように、常日頃から各所への賄賂や交渉にぬかりはない。だが、国の中枢で権力を握るのは貴族たちだ。彼らは時に気まぐれで、時に石に色を持たぬ者に対して、酷く残酷な態度もとる。


 マーレンは思い立ったように、

「物資保管区の警備を増強しましょう」


 スクロームは即座に頷き、

「私も考えていたところだ。この時勢に腕の立つ者たちをまとめて呼び寄せるには出費がかさむが――」


 その時、閉まっていた扉が突如開いた。

 冷えた空気が室内に流れ込み、二人は身構えて部屋の隅に背中をつける。


「誰だッ?!」


 一瞬、話をしていたならず者の傭兵たちが二人の頭のなかによぎった。だが、扉の奥から現れた人物を見て、スクロームは大きく首を傾げた。


「あなたは……?」


 若い娘だ。際だった美しい面立ちをしたその女は、車輪のついた椅子に座り、その椅子を東方人の特徴を持つ侍女が押している。


 女がかぶっていたフードをはずすと、淡く美しい黄緑色の髪が流れるように広がった。


 女のあまりにも高貴さを滲ませる容姿を見て、スクロームは反射的にその左手甲に乗った輝石の色を確かめるが、その左手の甲には、白濁した平民の石が乗っていた。


 スクロームは戸惑いを残しつつも姿勢を整え、

「どこから入り込んだのかわからないが、許可なく立ち入ることは許していない。迷い込んだというのなら見逃そう、人を呼ぶ前に出て行きたまえ」


 言うと、女は品良く微笑んで小さく頭を下げた。息子のマーレンが、彼女の容姿に見とれたように呆けた顔で見つめている。


「不躾な訪問で失礼いたします、私はジュナ・サーペンティアと申します。ダトー商会支部長スクロームさま、それにご子息のマーレンさま」


 彩石を持たない身でありながら、彼女が家名を名乗ったことにスクロームは驚いた。だが、それ以上に驚いたのが、名乗られた家名そのものだ。


「サーペンティアだと……?」

 その名は燦光石を持つ大家である。


 ジュナは目を細め、

「私はムラクモ王国からこちらに渡ってきた一団の一人。ジェダのことはご存じですか? 私はその双子の姉で、父は風蛇公と呼ばれる蛇紋石の主、オルゴア・サーペンティア。そして私の身に彩石がないことはご覧の通りですが、あなた方のように平民でありながら上流に関わる品格をお持ちであれば、我が身の事情を察していただけるものと思います」


 希にではあるが、貴族家のなかに濁石を持った子が生まれることがあるという。それは平民と貴族の混血が原因とされ、仮にそうした子が生まれたとしても、家の体面を気にして事実は隠蔽されることが多いという。


 侍女を連れ、並の貴族では太刀打ちできそうもないほどの品を滲ませるジュナの言葉は、この不意の来訪と合わせて威圧感と共に強い説得力を有していた。


 スクロームは不意を突かれ、予想だにしなかった大貴族の名を突然聞かされながら、必死に動揺を隠し、威厳を保つために姿勢を正す。


「それで、そのサーペンティア家のご令嬢が、ここにいったいなんの用件がありましょう」


 スクロームは問いながら、次に聞く言葉を覚悟していた。この相手も、この来訪も、どちらも正常なものではない、ならばその目的も同じことだ。


 ジュナは侍女に向けて合図を送った。侍女は抱えていた袋から紙束を取り出し、それをスクロームに手渡した。


「これは……?」


 そこに書かれた内容を見て、間もなくスクロームは驚愕し、まぶたを全開にした。


 書かれているのは数字の羅列だ。が、その内容はダトー商会の取引に関するものと、商品の流通、関税や詳細な各種の免除についてなど、ここ最近の各所とのやりとりのすべてが網羅されている。


 ジュナは楽しげに首を傾け、

「すごいでしょう? たぶん、あなた方の付けた記録よりも多くの情報がそこに記されていると思います」


 その通りだった。商売には残さねばならない記録と同時に、残してはならないものも存在する。そして、いま見せられた情報には、表に出してはならない記録や数字のすべてが記録されているのだ。


 マーレンは声を震わせ、

「父さん、これは……」


 スクロームは易々と心を見せる息子を睨めつけ、微かに首を横に振ってみせた。


 スクロームはジュナを見やり、

「いったい、これはなんでしょうか」

 しらを切ろうと必死に平常時のままの声を発した。


 ジュナは上目使いに笑みを浮かべ、

「公国に申請された商取引の詳細とそれに矛盾する数字、それに各所へ顔の効く貴族家への賄賂、税をごまかすための商品の虚偽の申告。極めつけはダトー商会が不当に安く買い付けた商材の他国での転売、それによって生じたであろう利潤。他にも、あなた方が創出した偽りの商材は税の少ない食料として偽装され、公国が把握する食料流通と実態には大きな乖離が生まれている。こうして生み出した莫大な利益は数字として記録されることもなく、各国から便宜を受けるための資金として流用されている、というところでしょうか――たしか、市井ではこのようなことを現す言葉があったと思うのですが」


 ジュナは言って視線を上げる。侍女が小さく手を上げ、

「あこぎ、です」


 ジュナは手を叩いて微笑み、

「そう、それ。その言葉以上にあなた方のような人間を表現するのに適したものはありません」


 丁寧な言葉使いをしながらも、饒舌に裏事情を暴露しながら罵倒するジュナに、スクロームは気圧され始めていた。


 しかし、

「だから、なんだというのです」

 スクロームは年の功を活かし、動揺を隠して、あくまでも落ち着いた低い声音で言葉を返した。


 スクロームは続けて、

「もし、あなたのおっしゃるように、あくどい商会があったとしても、その商会はいざという時に備えて、各所に根回しをしておくことでしょう。なにしろ、手練手管で隠された資産は莫大です、それを使えば口うるさい官吏も、それを統括する大貴族も、口を閉ざして餌を与える商会を守ろうとするはずですから」


 例え話として語りながらも、すべては事実。付け焼き刃で不正の証拠をあげたとしても、それが糾弾や脅迫として機能することはない。なぜなら、こうした事態もすでに起こりうる厄介事の一つとして想定済みなのである。


 ジュナはしかし、少しも臆した様子なく、再び気味が悪いほど美しい微笑を浮かべた。


「スクロームさまのおっしゃるとおりです。それほどの財力がある組織であれば、自らの罪を隠すことなど簡単なことでしょう。実際、その紙に書かれた不正なんてどこにでも起こっていること。大金をかけて権力ある者に賄賂を送り、便宜を図らせる。私の家でも、そんなことは日常茶飯事でした。時にはお金を、そして時には――――皆、あの手この手で自分の財を守り、築こうとします、そのために利用する相手は大貴族や担当官たち、けれどその対象が王や国主にまで及ぶことは希です、そうではありませんか?」


「なにを、言われたい……」


 ジュナは勝ち誇ったようにはっきりと口角を上げ、


「私はドストフ・ターフェスタ大公と直接お話をさせていただく立場にある、と申し上げておきます。大公殿下は、あなた方が不正を隠蔽するためにしてきた努力の遥か雲の上にいるお方です。もしも殿下が、こそこそと公国の生き血をすすっていた害虫の存在をお知りになればどう思われるでしょう。戦費がかさみ、徴税を繰り返している国の現状を思うほど、きっと激しくお怒りになられることは間違いないでしょうね」


 国の最高権力者に賄賂は通じない、餌に食いつくのは常に半端な地位に立つ、飢えた者でしかないからだ。


 ダトー商会が犯した不正が大公に知られるのは危険だ。だが、それは相手の言葉が真実であった場合である。


 ジュナはしかし、心を見透かしたように次の言葉を用意する。


「次にあなたはこう考える、この女が言っていることは嘘かもしれない、殿下が私のような半端な者の言葉に耳を貸すとは思えない」


 図星を突かれ、スクロームは動揺を隠しきれなくなり、目元を震わせた。


 ジュナは声を沈ませ、

「私はここで、殿下と懇意である証拠を提示できません。あなたが私の言葉が偽りであるという可能性に賭けたいというのなら、それにどうこう言うつもりもない」


 言動は自信に溢れている。若く見えるが、まるで児戯を見守る老女のように落ち着いたジュナを前に、スクロームの呼吸は浅くなっていく。


 スクロームはあらためて渡された資料に目を移した。あまり良質とはいえない薄汚れた紙は、使い込まれた後も窺える。もしこの資料の複写がなければ、そう考えながら視線を暖炉の炎へそっと動かした。その瞬間、


「う……?!」

 突如、首筋に冷たい刃物が当てられる。


「父さん……ッ」

 視線を動かすと、ジュナと共に現れた侍女が、マーレンの首筋に鋭い短剣を当てていた。


 ジュナは車椅子の車輪を押して進み、

「逃げ道があると夢想しないでください、あなた方を追い込めると確信しているからこそ、こうして直接お願いをしにまいりました。もっと強引にそうさせることはできたとしても、そのやり方は私の好みではないので」

 スクロームの手から紙束を抜き取った。


 部屋に入ってきたのはジュナを含めて二人だった。ジュナは目の前に、侍女はマーレンを脅している。つまり、この部屋には三人目がいる。


 自分の首に刃を当てる者の姿を見られないまま、スクロームは固唾を飲み、ジュナに問いかける。


「望みは……なんだ……?」


 屈して問うた瞬間、ジュナは笑みを消し、淡々と目的を口にした。




     *




 警備の私兵を置く街外れの倉庫に、スクローム親子は爆ぜるように馬を飛ばして駆けつける。


「三番倉庫の……右奥の片隅……」


 マーレンが地図を見ながら呟く目的地は、ジュナに指示された内容を確認するためである。


 人気のない敷地内に積まれた物資の山の中を歩きつつ、マーレンがスクロームに不安げな顔を向ける。


「言いなりになっていいのでしょうか」


 スクロームは物資を納めた箱に光を当てながら、

「長くこの道にいると多くの事に遭遇する。こちらを利用しようとするもの、騙そうとするもの、多くは機転や金の力でねじ伏せられるが、時に小手先の技が通用しない相手もいる」


「あの女がそうだと?」


 スクロームは頷いて、

「そうだ。そうした手合いは金をせびる小者とはちがう。ひと飲みにこちらを消す事ができる存在を前に策を弄するのは無駄なことだ。大人しく屈服を選択し、あとは相手がこちらを忘れてくれるよう神に祈るのみ――」


 話しながら、スクロームは物資を納めた箱の中に、指定された番号を見つけ、


「――あったぞ」


 マーレンは不思議そうに箱の表面につけられた焼き印を見つめ、

「中身はなんですか?」


 厳重に閉じられた木箱には、農具一式などと記されているが、この近辺に置かれた物資は、大半が表記と中身が一致していない。

 これらを管理する商会の責任者でさえ、隠し持っている裏帳簿と照らし合わせなければ、どこになにが入っているのか把握はできていなかった。


 スクロームはマーレンと共に器具を用いて釘をはずし、木箱の中をたしかめる。


「これは……」


 鈍色に光を返す武器がぎっしりと収められている。戦争のどさくさに生じた横流し品であるが、同じような表記の木箱は、まだ同じ列に無数に並べられている。


 スクロームは汗を拭って懐から一枚の用紙を取り出した。それは、ジュナに渡された物資の送り先を記したものである。


「父さん、僕たちはおかしなことに巻き込まれているんじゃなんだろうか、こんなものをどうして、教会の前に置いてこいだなんて……」


 不安げな息子の声を聞き、

「考えるな……」

 スクロームは自分が吐いた白い息を目で追いながら、物資の運搬手順を、頭の中に巡らせた。











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コミカライズ版【ラピスの心臓 第3巻】2025年7月16日発売予定!

小説の表紙
― 新着の感想 ―
デュフォスは学ばんな。逆にセレスはコンプレックスを刺激されない環境だからか何かイキイキしてる気が。 流石はエリス直属の部下なだけありレフリは傲慢なだけの無能だったな。 そういえば、ジュナが何処が富…
すげーな、どこもかしこも腐敗しとる。 ムラクモ勢が何もしなくても、早晩滅びてそう。
腕力ではない暴力で人を従わせることができるという、新たな表現方法だなこりゃ。 敵に回すと恐ろしいのは、貴族全般なのか、それともさーぺんティアの血なのか。 それにしても恐ろしい。
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