凱旋 4
凱旋 4
クモカリがいない軍での行動中、渇いた肉や硬いパンを食べることが多かったが、そんな日々からは考えられないような、目もくらむような豪華な食事が縦長の食台を埋め尽くしている。
ユーギリの領主館の食堂では、給仕たちが壁際に並び、部屋の角には弦楽器を構えた演奏家たちが待機していた。
右奥から主催者であるシュオウ、ネディム、ジェダの順で、椅子の後ろに立って、主賓の登場を待っている。
「遅くなりました……ッ」
肩で息をしながら、ディカが慌ただしく食堂に現れる。
ディカはアーカイドに外套を渡し、身なりを整えてシュオウの隣の席の前に立った。上気した顔に手で風を送りながら、
「遅れてしまって、申し訳ありませんでした、司令官」
シュオウは頷いて、
「将軍は?」
ディカは首を振り、
「何度も説得したのですが、今日は顔を出したくないと。殿下をお迎えしている司令官にも失礼ではないかと、それとなく言ってはみたのですが」
「気分が乗らないならそれでいい。それと、俺はもう司令官じゃなくなった」
ディカは慌てて口元に手を当て、
「あ、そうでしたッ。殿下からはなんと……?」
「俺をここの代官にすると言われた」
途端にディカは目を輝かせ、
「おめでとうございますッ、あなたの働きが殿下に認められたことが、本当に嬉しいです」
極自然な動作で、シュオウに身を寄せた。
興奮してディカの声が大きくなると、背後に控えるアーカイドが注意を込めて咳払いをする。
ディカは照れた様子で俯き、乗り出した身を元の位置に戻した。
「ドストフ・ターフェスタ大公殿下――」
先んじて食堂に入った輝士が声を上げた。室内に控えていた者たちが一斉に頭を垂れる。
勇ましい行進曲が奏でられ、冬華の輝士エリス・テイファニーを引き連れて、真新しい軍服に着替え直したドストフが食堂に姿を現した。
ドストフは食台の中央奥に用意された席に腰掛ける。少々の距離が離れるが、そこはシュオウの席の隣だった。
ドストフは片手を上げて他の者たちの着席を促した。
ドストフは並べられた食事を眺め、
「見慣れぬものが多いが、どれも良い匂いがするな」
ネディムが微かに腰を浮かせ、
「この地方の食材を活かした料理を、腕利きの料理人たちに調理させました。味の加減は殿下のお口に合うように工夫を凝らしてあります、ご賞味ください」
この日のために雇った料理人たちは、セナの紹介で足を運んだ飯屋の店主たちである。シュオウ自らの味覚によって体験済みの腕前には自信があった。
ドストフはさっそくと甘辛い東方の味付けで煮付けられた鶏肉を頬張り、
「……少々刺激が強いが、美味い」
しみじみと、美味を語った。
ドストフは掴んだ鶏肉の骨を向け、
「なにをしている、晩餐だ、皆飲め、食え――」
それを合図として全員が静々と食事に手を付け始める。
ドストフの弾んだ声とは裏腹に、この場に和やかな空気は存在しない。遠征隊としてドストフに同行してきた城勤めの輝士たちの態度には、緊張と不満が淀んでいる。
一方、対照的に晴れやかな顔をして酒を口にしたディカは、ほっこりと頬を赤らめ、声を弾ませてドストフへ話しかけた。
「深界の旅はいかがでしたか、殿下」
「リシア本山への道中に見慣れた、味気ない景色が続くばかりではあったが、今回の旅では灰色の森が色づいたように華やいで見えた」
ディカは立ち上がり、酒杯を灯りに当てながらうっとりと、朱色を空かした光を眺める。
「勝利の余韻は美酒に封じられた果物の香りのように、世界に光を宿し、彩りを加えます。栄光は神威を献じ、英雄の旅路を飾る華となる――」
うっとりと光を眺めるディカの視線は、徐々に下がってちらちらとシュオウを捉える。ねっとりと圧のある視線を送られたシュオウは、思わず上半身を仰け反らせていた。
ドストフはディカを見つめ、
「そなたは、ボウバイト家のディカ、だったな? ボウバイト将軍の令孫ということだが、どうにもそなたの印象が薄い。その若さで将軍の代行を務め、私のために即興で詩を詠むとは見事。これほどの才女がいたことに、これまで気づかずにいたとはな」
なにか見込むところがあったのか、ドストフは感心した様子でそう語った。
ディカはふと我に返り、周囲からの視線を集めていることに気づいて、恥ずかしそうに席に腰を落とした。
ドストフはネディムに視線を送り、
「ボウバイトといえば、エゥーデ殿の後継についてはあまり聞くことがないな」
ネディムは首肯し、
「はい、そのように思います」
ドストフはきらきらとした目でディカを見やり、
「私の見るところによれば、ディカ殿であれば後継に相応しいと思うが、その予定があるのか?」
ディカは表情に陰を落とし、
「それは……あの……」
その時、控えていたアーカイドが力強く一歩を踏み出し、
「仰せの通りであります、殿下」
言い切って、辞儀をした後に元の位置に足を戻した。
ドストフは満足そうに頷き、
「それはよかった。ボウバイトの跡取りがこのように優れた才女であれば、西門も盤石に治まるというもの――」
酒を貯めた瓶を手に取り、
「――皆、もっとこっちへ来るのだ、遠すぎて酒を注いでやることもできない。ネディム、お前は私の隣に、シュオウよ、そなたはもっと近くに、全員もっと席を寄せるのだ、こう離れていてはいちいち声を張らねばならなくなるだろう」
ドストフの招きで、ネディムはエリスの隣に割って入り、シュオウはすぐ近くへ席を寄せ、ジェダとディカもそれに続いた。
ドストフは上機嫌で立ち上がり、現地組の杯に並々と飲み物を注いでいく。
ドストフは乾杯を叫び、
「ぷはあ――」
一息で中身を飲み干した。
ドストフが心地良く体を揺らしながら席についたのを見計らい、ネディムがシュオウにさりげなく目配せを送った。
シュオウはそっと頷き、
「殿下、この地の今後について、ご相談したいことがあります」
すかさずエリスが目を尖らせ、
「時と場所を選ぶべきでは? 晩餐の席で政の相談など――」
上機嫌のドストフはへらりと笑って、
「まあいい、うるさいことを言うな。ユーギリの代官が相談をもちかけてきたのだ、聞いてやるのが主君の務めであろう」
エリスはさらなる小言を口から出しかけて、隣に座るネディムの視線を感じ、不満げに口を閉ざした。
「それで、相談というのはなんだ?」
シュオウはドストフに頭を下げ、
「領民たちの処遇についてです」
ドストフは上機嫌に若干の湿り気を混ぜ、
「そのことか……あまり愉快な話ではないが、戦費の負担により国庫に余裕がないと聞いている。戦争の勝者として、占領した地からは取れるだけのものを取らねばならぬ。そのことについては容赦をするつもりはない」
シュオウは声を沈め、
「殿下、この地の住民たちは抵抗することなくターフェスタの支配を受け入れました。占領後も協力的で、殿下を歓迎するための用意にも、皆が喜んで手を貸してくれました」
「だから慈悲をかけろというのですか?」
刺々しく、エリスが口を挟む。
ネディムがシュオウに、
「准砂、あれを殿下にお見せしたいと思いますが」
シュオウが頷くと、ネディムが食堂の片隅に用意していた紙束を持ち出し、ドストフの前に並べ始めた。
ネディムは並べた紙を一枚ずつ指さし、
「大きく、この地の今後の道筋を予測した三つの道をまとめておきました。一つは財産の没収と徴税を行う道、集中的に財を回収し一時は国庫を潤わせることになりますが、跡に残るものは疲弊した民と、空虚な土地。そこで語られるターフェスタの名に、恨みと呪いが込められる未来を容易く想像することができるでしょう」
今まさに、自身がやるといっていた事の末路を見せつけられ、ドストフは顰めっ面でネディムの言葉に耳を傾ける。
「それで、二つ目の道ではどうなる」
「この地は優れた職人たちを擁しております。それに加えて、生産される食料は各地で高値で取引されるものもあり、深界を結ぶ宿泊地としての価値も高い。すぐに得られるものはなくとも、緩やかな統治と運営によって、長い目で見ればより多くの益を見込めます。交易品を管理して得られる収益と税収について、全体を調査して詳細をまとめておきました。こちらの数字と、こちらについてもご覧ください」
ネディムの話を聞き、指定された数字を渋い表情で眺めるドストフは、低く喉を唸らせる。
「たしかに、字面は良い」
「これらの数字は安定して得られる国庫の土台となるもの。緩やかな統治が与える恩恵はそれだけに留まらず、この地に教会を建ててリシアの布教を行えば、領民たちに教えを広めることも叶いましょう。新たな信徒の獲得は、リシアから大きな評価を受けることは間違いありません」
リシア教圏国家にとって、宗教に絡む評判は、時に権力の存続にも関わる重要事である。燦光石を持たずに玉座につくドストフにとって、リシアからの評価が高まるという話は、安定した税収を得られるという話以上に、魅力を訴える力があった。
ドストフは暗くしていた表情に光を宿し、
「思うところはあるが、悪くない案だ……それで、まだ続きがあるのだろう?」
ネディムは首肯し、
「三つ目の内容が、もっとも現実に即したものとなっております」
その言葉に、ドストフは興味深げに耳を向け、
「この地を手放せ、というのだろうな」
ネディムは頭を下げ、
「ご明察に感服いたします、殿下」
ドストフは椅子に背を預け、
「当初より考えていたことでもある。占領下に治めたとはいえ、ここはターフェスタにとって僻地だ、ムラクモに対して必死の守りを固めるにも、相当な手間暇を要することになることくらい、私にもわかる」
「先にご報告を入れた通り、東方には内乱の火種が燻っている様子が見受けられます。乱の首謀者と思しきアデュレリアとムラクモ王都の両者にとって、この地の覇権は趨勢を左右する要衝となりうるのです。そのことを鑑みれば、占領地の返還と引き換えに得られる金額は、当初の想定を遥かに上回る可能性がある。殿下は東方を切り崩した英雄としてその名を馳せながらも、長期の運営から発生する労力や不安を一切取り除きながら、莫大な利益のみを得られることになります」
ドストフは神妙に資料を見つめ、
「……ムラクモの王女の行方がわからない、という話は本当なのだろうか?」
シュオウは無意識に眉間に力を込め、
「本当です。ここを制圧したときに、王女の親衛隊と遭遇し、話を聞きました。彼らの一部は捜索のために今もここに残っています」
ドストフは眉をあげ、
「ほう、捕虜としたか?」
「いいえ。王女を捜索するために、一時的に配下に加えるよう願われました」
「主のために敵に頭を垂れるとは、見上げた忠義ではないか」
感心した様子のドストフに、シュオウは無難に頷いてみせる。
ドストフは指先で食台を叩き、
「東方一帯を統べる強国に乱の気配か……ムラクモ王家には後継の資格を有する王族はただ一人だけだったと聞く。その王女の身になにかあれば、東方の燦光石が一つ消えることになる。だが……」
ネディムが片手で順番に指を折り、
「氷長石のアデュレリア、蛇紋石のサーペンティア、それに血星石の執政に、ムラクモの属国アベンチュリンの砂金石。未だ東方には四の王石が存在します。仮にムラクモ王家の石が絶えたとしても、残る四つの石が覇権を争えば、東方一帯は大乱に見舞われることにもなりかねません」
ドストフは折り曲げられたネディムの四本の指を見つめ、
「アベンチュリン、ヴラドウ、アデュレリア、そしてサーペンティアか――」
静観していたジェダに視線を移し、
「――お父上、風蛇公はどのように動かれるおつもりか、なにか思うところはないか」
ジェダは小さく肩を竦め、
「今となっては僕は部外者ですが、父の性格であれば王国に剣を向けることはしないでしょう。正確に言えばグエン・ヴラドウに、ですが」
「ならば、蛇紋石と血星石は手を組むということになる。これに砂金石まで加われば、東方は実質、グエン・ヴラドウを新たな盟主と仰ぐことになるか。アデュレリアが独立を企てているとして、これに抵抗できるとは思えぬが」
ネディムが小さく頭を落とし、
「アデュレリアは長年に渡り、戦略的にムラクモに屈服することを選択し、生きながらえた血統です。それほど我慢強く耐え忍ぶ家が、勝算もなく軽々しく弓を引くとは考えにくいと考えます」
シュオウが話に割り込み、
「アデュレリアの左軍を離れた兵士たちから得た情報で、軍に異国の兵士たちの姿が混ざっていたという話を聞きました」
ドストフは狼狽し、
「なんだと……」
ネディムが視線を上に上げ、
「近場でアデュレリアに援軍を送ることが可能な国といえば――」
ドストフは拳を食台に叩き付け、
「ホランドめ、こちらに一片の手も貸さずに、東方の乱に首を突っ込みおって。そうであれば、我が軍がホランドの兵と剣を交えることもありうるということだな」
「その可能性は否めません。そうなった場合、リシアからの調停を受ける可能性もあり、事態はより混沌としたものにもなり得ます。このユーギリという地をどう扱うのか、その決定によっては、リシアに接触をとり調整を図りたいとは思いますが、当然ホランドも同様の動きを見せるでしょう」
ドストフが重たい空気を纏わせたその時、エリスが立ち上がり、
「殿下、ターフェスタの現状について、直截に語ることをお許しください」
ドストフは口角を曲げつつ、
「……許す」
「国庫は破綻する寸前まできています。各所からの借り受けに援助を受け、ぎりぎり保っていた軍の運用に加え、ここへ至るまでの遠征に費用をかけすぎました――」
エリスの語りに、ドストフはばつが悪そうに視線を落とす。
エリスはネディムを見やり、
「――現状のターフェスタに、支配下においた敵国の領民に慈悲をかけていられるほどの余裕はないの。取れるものは血を流してでも取らなければ」
ネディムは涼しい顔で酒杯に口を付け、
「私に言うよりも、正式に任命されたユーギリの代官のご意見を伺うべきではありませんか」
直後に、エリスの睨むような視線がシュオウを捉える。
ドストフは椅子の足をシュオウのほうへずらし、
「その通りだ。今後のこの地の取り扱いについてどうするべきだと考えているか、考えを聞かせよ、シュオウ」
シュオウは視界にドストフを収める。意見を求められながら、思い起こすのは、力なく彷徨うように生きてきた、子どもの頃の記憶だった。
汚臭漂う地下に住み、残飯を求めて彷徨いながら、多くを考えることなく生きていた子どものころを思いつつ、重く口を開く。
「職人に商人、労働者たち。領民たちはその日を生きることに必死なだけで、国や上に立つ人間たちのことに興味はありません。でも、もし彼らを飢えさせれば、その苦しみは恨みになる。仕事を止めて目先の食べることだけに気を取られ、そのためならなにをしてもいいと考えるようになる……街の治安が悪くなり、そうなれば生産や商売の手も止まります。代官という立場で殿下に願うことができるのなら、領民たちに不安を与えないように、しばらくの間は今のまま、街をそっとしておいて欲しいと、強く願います」
「民を慈しめというか……その小言を何度も耳元で聞かされてうんざりしていたが、言う相手によっては、違った言葉に聞こえるな……わかった、私が直々に任命した代官の意見であれば、重く聞き入れようではないか」
エリスは明らかに動揺を見せ、
「殿下……ですが……」
ドストフは手を上げて制し、
「わかっている。資金繰りが苦しいのであれば――」
大きく溜息を吐いて、
「――バリウムに支援を願おう。資金の援助を取り付け、しばらくはそれでしのぎ、その後は情勢を見ながら、この地により高値をつけた相手に引き渡す方向で検討する。だが、そうなった場合には、このユーギリはターフェスタの領地ではなくなる、シュオウよ、そなたを代官に任命したばかりだが」
シュオウは首を振り、
「そうなったとしても不満はありません」
ドストフは僅かに表情を明るくし、
「そうか、よく言ってくれた。だが、そうなる前に正式にリシアに任官を承認させるつもりだ。そうなれば、ユーギリの家名と准砂将軍としての位は、正式にそなたのものとなる。ネディムよ、確実に形となるように、リシアへの根回しを取り仕切ってもらいたいのだが」
ネディムは椅子から立ち上がり、
「喜んで、お引き受けいたしましょう」
不満げなエリスと、それに倣うように険しい表情を浮かべる輝士たちをよそに、ドストフは酒杯を高く上げ、
「重苦しい話はここまでだ。この後は飲んで食うぞッ、お前たちの活躍話を大いに聞かせてもらおう」
食堂は大きく叫ぶ乾杯の声と、賑やかな音楽の音色に彩られる。
和やかな活気は、互いに牽制しあう者たちが原因となり、上辺ばかりのものであったが、この会の主賓であるドストフは、夜遅くまで、心の底から美食と美酒に酔いしれていた。
*
冷たい雨がゆるく降るこの日の夜。数人の男たちが山中に横たわる死体と、気を失った男のまわりに集っていた。
セナに呼び出されたミヤシロはランタンを手に、男の瞼を開いて眼球を覗き込む。
「まったく……お前は出るたびになにかを拾ってくる」
セナは照れ笑いを浮かべ、
「これは拾ったっていうか、見つけたっていうか……この人、大丈夫そう?」
ミヤシロは咳払いをして、
「……お前はどう見る?」
医術の師としての顔を向けられ、セナはぴりと真剣に眼差しに力を込めた。
「ええと……意識なし、痛みに反応なし、高熱を出してて、震えもあって、顔色も悪い。体中に傷はあるけどほとんど治りかけ、他に目立った皮膚の変化はなし……てことはつまり……?」
ミヤシロは促すように頷いて、
「つまり?」
セナは自信なさげに視線を泳がせ、
「……風邪をひいてる? あと、疲労で気を失ってる?」
ミヤシロは少しの間を置き、じっくりと頷いた。
セナはほっと息を吐き、
「この人、たぶんシュオウのとこのだよ、見た目はなんとなく北方人だし、それに、ほらこれ」
男の左手を取って、彩石が見えるように持ち上げた。
ミヤシロは目を細めてランタンの明かりを男の彩石に当てる。
「ふむ……たしかにな」
セナはすっと立ち上がり、
「シュオウに知らせたほうがいいんじゃないかな? それだったら私が――」
言いかけたところで、ミヤシロが手を上げて制し、
「いや、なにか様子がおかしい。大きさの合わない服を着て、体は痩せ細り、彩石を持つ身でありながら、首なしの死体と並んで横たわっていた。なにか事情を持つ者かもしれん、軽々しくあのお方に知らせてよいものかどうか……」
セナは首を傾げ、
「事情って?」
ミヤシロは難しい顔で男を見つめ、
「逃げた囚人、ということも……な」
その言葉に、集った街の男たちが顔を見合わせた。
ミヤシロは立ち上がり、
「いったんは私の診療所に運び込もう。この者が目を覚ましたときに事情を聞いてから、その後のことを考えればいいだろう」
男の一人が、
「先生、この死体はどうしますか」
ミヤシロはあごをさすり、
「……近くに空の巣穴があったな」
セナがぎょっとした顔でミヤシロを見上げ、
「置いてくの?」
ミヤシロはじっくりと頷いて、
「さすがに、街中に運び込むわけにもいかんだろう」
男は死体の肩を持って上半身を起こし、
「先生がそうしろっていうなら。でも、獣に食われちまうかもしれませんぜ」
ミヤシロは死体に歩み寄り、失われている頭部の断面をじっと観察した。
「そこいらの道具で出来るような芸当ではない。この彩石を持つ男がやったのだとしたら、相当な手練れだろう。む? これは……」
ミヤシロは見解を語り、突然首を傾げて死体の服をはだけさせた。そこには、数を示す線のような特徴的な刺青が無数に描かれていた。ミヤシロは、その刺青にじっと視線を釘付けにする。
ミヤシロは男たちに、
「皆、すまんが道具を調達してきてほしい。葬儀用の石砕器と固定具だ。見つかる前に光砂にして、この死体を空へ上げてしまおう」
男たちは、
「うちの弟の嫁さんの実家の隣の家に住んでるやつが葬儀屋の親戚だ、頼めば貸してもらえる」
「俺は荷車を調達してくる」
「おれも手伝うぞ」
それぞれが街に戻って行き、ミヤシロは深刻な表情で周囲を観察した。
「この死体の頭が近くに転がっているはず、悪いがセナ、探すのを手伝っておくれ」
ミヤシロは滅多に見せないほど険しい顔つきで言った。
セナはそんなミヤシロを怖怖と見つめ、
「じいちゃん、どうしたの? この死体のこと、なにか知ってるの?」
ミヤシロは振り向いて死体に刻まれた刺青を睨み、
「昔、こうした印を体に入れた連中を看たことがあってな……ろくでもない者たちだったのだ……」
*
早朝、寝室で寝そべるエゥーデの下へ、ディカが茶と軽食を手に現れた。
「お婆さま、今日こそは大公殿下のところへ挨拶に向かってくださいね。一軍の将としての立場にありながら、二日も顔を出さないというのは、おかしな噂をたてられてしまいます」
エゥーデは孫に諭されるように言われ、
「お前が私に説教を垂れるのか……ほんのちょっと軍を仕切ったからと、調子にのりおって」
「逆の立場であれば、お婆さまが私に言われるようなことを言っているだけです」
ぼうっとして絵を描くこと以外に興味を示さなかったディカの変わり様は、日々を共にしていてもすぐにわかるほどである。
ディカはこのところ、権力や地位への執着のようなものを見せつつある。副司令代行の仕事も積極的に務め、ボウバイトの領地から連れてきた気性の荒い兵士たちも、上手く乗りこなしているようだ。
――なんであれだ。
なにが原因でそうなったにしろ、それはエゥーデが長らくディカに求めていた後継者としての姿勢ではある。
エゥーデはディカの用意した茶を一口すすり、
「で?」
口数少なく質問を投げられ、ディカはきょとんと子どものように無垢な顔を浮かべる。
「はい?」
エゥーデは舌打ちをして、
「糞虫だ、殿下は奴の処遇をどうされたのだ」
聞くと、ディカは目を輝かせ、
「殿下は司令官――シュオウ様をこの地の代官に任命すると宣言されました」
エゥーデは力なく肩を落とし、
「……世も末だな」
ディカは晴れやかな表情のまま、
「素晴らしいお話だと思います。あのお方がここに至るまでにあげられた戦果がそれに相応しいものであるのは、お婆さまも認めておられるのでしょう?」
エゥーデは仏頂面で喉をがらがらと鳴らす。
この行軍に参加する前であれば、平民の若造を代官に任命するなどと聞けば、机をひっくり返してドストフの下へ抗議に向かっていただろうが、今はそれほどの怒りが湧いてこない。
思うような形ではなかったが、ディカは次期当主としての覚悟と片鱗を見せつつある。
身分違いの恋愛に身を焦がしているのではと心配もしたが、そこまで現実が見えていない様子でもない。
――シュオウ。
常日頃、蔑称で呼ぶ男の名を思う。
言動には憎たらしいほどの自信が溢れ、そのまま結果も出した。優れた武人や軍人を周囲に集め、優秀だが自尊心の強いネディム・カルセドニーが配下の如くかしづいている。
この男が、このままターフェスタで出世を続け、軍人として一定の力を持つようであれば、ディカにとっては強力な後ろ盾となるかもしれない。
今となっては、エゥーデにとってシュオウは、孫をたぶらかした分不相応な糞虫ではなく、利用価値を見出すことのできる存在ともなっていた。
――私が顔を出さねば。
副司令として増援軍を用意し、率いていたエゥーデが隠れていては、司令官として務めていたシュオウとの不仲の空気が漂うことにもなりかねない。
エゥーデは寝台から重い腰を下ろし、
「よし。着替えを支度しろ、ドストフ様の下へご挨拶に向かう」
言うと、ディカは破顔し、
「はいッ」
軍服に着替えて久方ぶりに馬に乗り、大公が滞在する領主館に向かった時、ドストフは軍服姿で馬に跨がり、外出の支度を整えている最中であった。
この寒空の下、いつもであれば隠れるように馬車に入り込むドストフのらしくない姿を目の当たりにしたエゥーデは、若干の戸惑いを感じつつも、主の前で跪き、最敬礼をして挨拶を述べる。
「遅くなりました、殿下。エゥーデにございます」
ドストフは朗らかに笑みを浮かべ、
「おお、将軍。調子を悪くしていると聞いていたが、無事な顔を見られて安堵したぞ」
「ありがとうございます、殿下。たいしたことはありませんが、歳には勝てぬところもあり、代行として孫に役目を引き継がせておりましたが、殿下の前で恥をかくようなことがなかったかと、心配をしておりました」
ドストフは下馬して、エゥーデの肩を掴んで立ち上がらせ、
「なにを言う、ディカ殿はなにを恥じることもなくそなたの代わりを立派に務めていたぞ。ボウバイトに良き後継者があることを、私も嬉しく思っている」
ドストフからボウバイト家の後継としてディカが認められた言葉を聞き、エゥーデは思わず頬を緩めた。
「はッ。至らぬ所はありますが、あの者であれば私が退いた後もターフェスタを支える一助となりましょう」
ドストフは見た事もないほど幸せそうな顔で頷いて、
「これから丁度、代官の案内で捕らえた捕虜を見に行くところだったのだ、体調に問題がなければ将軍も同行せよ」
エゥーデは奥に立っているシュオウをとらりと見やり、
「お供をさせていただきます」
ドストフを中心として、騎乗した一団が街はずれの一画へ向かって馬を走らせる。
一団にはネディムとシュオウ、それにドストフと冬華のエリス、警護のための輝士たちが同行していた。
エゥーデはドストフの少し後ろをついて馬を駆るエリスと並び、
「不安そうだな、テイファニー卿」
エリスは頷いて、
「ボウバイト将軍……はい、占領下とはいえ、ここは敵地でしたので、手薄な警備で殿下に万が一のことがあればと考えると……」
「案ずるな、反乱の兆候は連中に大方潰されている」
エゥーデは言いながら、ネディムとシュオウに向けて顎をしゃくった。
「だと、いいのですが……」
渋々と言うエリスの視線は、粘っこくシュオウを捉えている。腹に一物ありそうなその目を見て、エゥーデは眉間に微かな皺を寄せた。
一団は廃墟となった牧場に到着していた。そこには仮設で用意された簡易の収容所のような施設が設けられている。
馬を下り、シュオウが先頭となってドストフを案内する。
ドストフはシュオウに、
「捕らえたのは傭兵たちということだったな?」
シュオウは首肯し、
「はい。ここを支配していた男に雇われていた組織の武人たちです。ここを制圧する際に、彼らの命と引き換えに協力を取り付けました」
ドストフは嬉しそうに声を弾ませ、
「ほう、寝返らせたのか、さすがだな」
ネディムが軽く頭を下げ、
「本来なら刑を与えるに相応しい所業に手を染めた者たちです。そのような輩ですから、野放しにするのも忍びなく、処遇については殿下のご意見を伺ってから、という運びとなりました」
重要な裁可を主に問いかける。見え透いた機嫌とりだが、ドストフはまんまと機嫌を良くしている様子である。
「そうか、まずはこの目でその者らを見てみるとしよう」
朽ちている大きな建物の中で、家畜を閉じ込めるのに使われていた牢に急場で手を加えられたものに、大勢の人間たちが監禁されている。
シュオウは牢の一つの前に立ち、
「この男が組織の首領、ロ・シェンです」
シュオウの紹介を受けたロ・シェンは、姿勢を整え武人式の辞儀をした。
「罪深きロ・シェンが、ターフェスタ大公殿下に拝謁いたします」
言って、地面に額をつけて伏礼をする。
ドストフは感心した様子で、
「ほう、随分と行儀が良い。聞いていた印象とは異なるな――」
そのまま周囲の牢に入れられた者たちを見つめ、
「――大半はクオウ教徒たちか」
ネディムが書面を差し出し、
「この者たちが冒した罪をまとめた一覧をご覧ください」
ドストフは一行ずつ並べられた文書を見つめ、次第に顔を強ばらせていく。
「おぞましいことを……」
ドストフが睨むように見つめると、ロ・シェンは目を合わさないようにさらに深く頭を落とした。
ドストフは書面をネディムに投げ返し、
「戦場での働きであれば、敵とはいえ仕事であったと認められよう。だが、虜囚となった幼い少女の前でその家族を拷問にかけるなど、紛うことなく犯罪人の所業ではないか」
様子を見ていたエゥーデは声を張り、
「見せしめとして今すぐ街に連れ出し、全員を斬り殺せばよろしい。血を見せ、街の者たちに舐められぬように脅しておけば、今後の統治もやりやすくなりましょう」
よく通るエゥーデの野太い声が響くと、見守る囚人たちから、騒然とした空気が漂った。
すかさず、シュオウがロ・シェンの牢の前で膝を落とした。
「殿下、私はこの者たちの助命と引き換えに協力を取り付けました。彼らの働きがなければ、さらに多くの犠牲者を出していました。彼らの協力で素早く制圧を完了させることができた結果で、救われた多くの命があります。その働きに免じて、減刑を強く願います」
ドストフは下唇を突き出して、ロ・シェンとシュオウを交互に見比べた。
「そなたがそこまで言うのなら、よかろう。この者たちはターフェスタへ連行し正式な裁きの後に刑に処す。が、命の保証は約束しよう」
シュオウは、
「ありがとうございます、殿下」
ロ・シェンは一度上げた顔を、もう一度深く落とし、
「感謝、いたします……」
ドストフは満足げに振り返り、
「凱旋の将には華を添える敵国の捕虜がつきものだ。シュオウよ、この者らの管理を任せるぞ」
エリスが驚いた顔をドストフへ向け、
「凱旋とは……この者を連れて戻られるおつもりでしょうか」
「当然であろう、戦勝の将を連れ民にこの度の成果を知らしめるのだ」
「あ――」
エリスが食い下がろうとした直後、
「准砂に緊急でご報告がッ」
シュオウの部下であるバレン・アガサス重輝士が現れ、敬礼をした。
シュオウは、
「どうした?」
バレンは言いにくそうに、
「……遠征隊の兵の一部が、市中で騒ぎを起こしております」
*
ドストフを擁する一団が現地に駆けつけて目の当たりにしたのは、住民たちの金や物を力尽くで奪い取る、絵に描いたような略奪行為に手を染める兵士たちの姿だった。
エゥーデは先に駆けつけていたディカとアーカイドを見つけ、
「なにをしている、奴らを止めろ」
アーカイドは、
「大公殿下の兵です、許可なく手出しができません」
シュオウが呆然と前を見るドストフの前で敬礼し、
「殿下――」
最後まで聞くことなく、
「あ、ああ、かまわん、今すぐ止めよ」
ドストフは状況を察して許可を与えた。
エゥーデはシュオウと目を合わせる。シュオウから頷きが戻ってきたのを合図として、
「鎮圧しろ!」
腹の底から出した大声で命じた。
増援軍の兵とカトレイの兵が混じり、街中で暴れている遠征隊の兵士たちが次々に捕らえられていく。
ここまで戦場で戦い、組織的に街の治安を管理していた軍人たちに、遠征隊の兵士たちはあっけなく制圧されていく。
捕らえられた兵士の一部が縛りあげられ、一カ所に集められていく。エゥーデはその兵士たちに歩み寄り、おもむろに鼻を鳴らした。
「この匂い……ッ」
エゥーデは突如、捕らえられた兵士の服を強く引き千切った。
「なにしやがるこのババア! 鼻の穴から血反吐を詰めて焼き殺してやるぞぉ!!」
血走った目で口汚く罵る兵士の胸元に、幾重にも線を刻んだように刺青が入れられていた。
エゥーデは刺青を見て血相を変え、
「こいつら、混沌領域の出か……」
エゥーデは歯を剥き出し、怒気を露わにドストフに詰め寄った。
「混沌領域のクズどもを……なにゆえこのような輩を連れてこられたッ。長年、このクズどもと戦ってきたボウバイトの前に友軍面でのさばらせるなど……ッ、血と汗を流し、殿下にお仕えしてきた当家を愚弄するおつもりかッ」
ドストフは激しく狼狽をみせ、
「し、知らんぞ、兵の調達はすべてエリスに一任して――」
エゥーデに強烈に睨みつけられ、
「あ、あの……彼らは緊急で雇い入れた者たちで……」
エリスもまた、おろおろと激しく動揺を滲ませた。
エゥーデは視線をずらし、
「アーカイド、捕らえたくず共をすべて殺せ――」
言って、シュオウを見やり、
「――かまわんな?」
シュオウは、
「俺はもう、司令官じゃない」
エゥーデは抜いた剣に水流を纏わせ、
「ならば、許可はいらん」
囚われた兵士の一人の胴体に晶気の水流を穿ち、抉り殺した。
轟く悲鳴と血しぶきが舞うなか、エゥーデは死者の顔面に思いきり唾を吐きかけた。
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