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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
142/184

大戦 4

大戦 4






 地面に倒れたジェダに手を差し伸べながら、シュオウはジェダの顔色に首を傾げた。


「ひどい顔だな」


 見たままの感想を言うと、ジェダが不満げに眉を歪める。


「誰のおかげだと……すぐに戻るといいながら、現地でなにをしていたのか、聞かせてもらいたいね」


 シュオウは一瞬の頬の緩みを即座に消し、

「話は後だ、いったん退くぞ」


 ジェダは頷いて、

「せっかくボウバイト将軍の腰を上げさせたのを思えば、もったいない気もするけどね」


 ジェダの起こした晶気の風を受けた兵士たち、それにシガやレノアなど顔を知る者たちが斜面の上で足を止め、シュオウを凝視している。


「あんた、今頃……ッ」


 目を丸くしてシュオウを見つめるレノアに対して、

「レノア、全員戻らせろ」


 レノアは顔に怒気を滲ませながら、

「……後ろを突かれやしないだろうな?」


「大丈夫だ」


 レノアはジェダの風で飛び散った土をかぶったまま、

「全隊、退却だ! 退け、退けぇ!」

 大声で叫び、指示を伝えた。


 シガは服についた泥を払いながら、

「いいんだな?」

 軽い態度でシュオウに聞いた。


「いい、今日はこれで終わりだ」


 よろよろと体勢を立て直す兵士らの横を通り抜け、斜面の下へ軽々と降りていく。


 戸惑う兵士たちの視線を受け止めながら、シュオウは渋い顔で睨むエゥーデの元へと歩み寄った。


 両者の距離が縮まり、

「ご帰還であるか……司令官、殿」

 エゥーデが先に声を発した。


 シュオウは胸を張って屹立し、

「待たせた、副司令」


 エゥーデの側に控えていたディカが進み出て、

「おかえりなさいませ――ッ」

 弾けるように笑みを零した。


「――ッ」


 純粋に帰還を喜ぶディカを、エゥーデが猛獣のように睨みつけた。途端、ディカは笑みを消し、顔を落として静々と後ずさった。


 エゥーデは馬に跨がったままシュオウを見下ろし、

「司令官不在の間、残された者たちがぴいぴいと鳴き喚いてな、うるさくて仕方がなかった。軍を置き去りにまでした偵察とやら、なにかしらの成果があったのだろうな、司令官殿」


 シュオウは胸を張りながら頷いて、

「戻ってからだ、副司令。いったん全軍を引き上げる、部下たちにそう命じろ」


 エゥーデはシュオウをじっと睨みつけた。


 シュオウはエゥーデを睨み返し、

「言いたいことがあるか、副司令」


 エゥーデは片頬を上げてちらりと歯を見せながら、

「いいや……命令に従おう、司令官殿」


 エゥーデは振り返り、

「アーカイド、速やかな撤収を指示しろ――」


 言いかけてシュオウに向き直り、

「いや待て……司令官はお疲れだろう、我らが殿しんがりを務める。どうぞ、お先に戻られよ」


 挑発するように、薄ら笑みを浮かべて言った。


 遅れて辿り着いたジェダが馬上から、

「それは承服しかねますね――」


 シュオウは微かに首を振り、

「ジェダ、いいんだ――」

 シュオウはエゥーデの意図を理解しつつ、

「――わかった、そうさせてもらう、副司令」


 エゥーデは拍子抜けした様子で真顔になり、

「……ふん、話は戻ってからだ」

 ぶすりと鼻息を落とし、馬を反転させ、背を向けた。


 去って行くエゥーデの後を、ボウバイト軍の幹部たちが続く。

 後に残るディカは言葉なくシュオウに微笑みを向け、辞儀をした。


 ジェダが口をとがらせ、

「向こうはどさくさでこっちの背後を突く気かもしれない、言いなりに動くのは危険だぞ」


「本当にその気なら、もっと上手く隠そうとする」


 シュオウが軽く言うと、ジェダは不機嫌そうに口角を下げる。


「なら、心からの労いだとでも言うつもりかい」


 シュオウは薄ら笑みを浮かべ、

「いいや、俺は将軍に試されてる。怯えを見せれば弱いと思われ、その瞬間に食い殺そうと襲ってくるかもしれない」


「僕の見立てでは、最初からそれしか考えていないように見えているけどね」


 そう言ったジェダの視線が不自然に横に動き、シュオウの背後に迫る者の接近を知らせた。


 シュオウが振り返った直後、

「――ッ」

 不意に放たれた拳に横っ面を強く叩かれる。


 それは完全に視界の外から繰り出された、レノアの鋭い一撃だった。


 拳を見舞ったレノアはシュオウの胸ぐらを掴み、

「部下の手綱を握れないなら軽々しく単独行動なんてするんじゃない、あんたの右腕の坊ちゃんは指揮官としての適性を欠いてる、代行をたてるならもっとましな奴を見つけておきなッ」


 ジェダが露骨に咳払いをし、

「そういうのは普通、本人が居ないところで言うものでは」


 レノアは斬るように鋭くジェダを睨み、シュオウを凝視した後、胸ぐらから手を離して、地響きが起こりそうなほど強く足を踏みながら撤収の指揮を執り始めた。


 シュオウは切れた唇を手の甲でこすり、

「…………俺がいない間、なにをしたんだ?」

 じっとりとジェダを見つめた。


 ジェダは腕を組んで視線を逸らし、

「さあ、僕は君を迎えに行っただけだからね」


 ジェダが周囲を見やると、見世物のように目を釘付けにしていた者たちが一斉に目をそらした。


「レノア重輝士の言葉が聞こえただろう、撤収だッ」


 ジェダのかけ声を受け、慌ただしく兵士たちが引き上げの支度を整える。


 その時、森の奥からバレンが現れ、

「准砂、よくぞお戻りになられました。ユウギリはいかがでしたか」


「相手側の指揮官に降伏するように伝えてきた」


 ジェダが口を挟み、

「それだけで、これほど時間がかかるものなのかい」


「上は色々とおかしなことになっていたんだ。それで――」


 ジェダは溜息をついて肩の力を抜き、

「聞かなくても、君のやりそうなことは、なんとなく想像がつく」


 バレンが強面に笑みを浮かべ、ジェダの言葉に頷いた。


「明日、同じ頃にここに戻って向こうからの返答を聞く」


 即座に表情を硬くしたバレンが、

「向こうが降伏勧告を受け入れなければ……?」


 シュオウはゆっくりと息を落とし、斜面の上を見上げつつ、すでに見知った者たちのいるユウギリの街がある方角をじっと見つめた。




     *




「敵軍が退いていく……」


 今まさに、直前まで攻め込もうとしていたターフェスタの軍隊が、突然その気を無くしたかのように撤退していく。


「離しなさいッ――」

 南方人の傭兵に拘束されながらも、アマイは執拗に抵抗を続けていた。


「アマイ様が……」


 不安げなアレリーに見つめられ、ノランは剣を抜いてロ・シェンの前に突きつける。


「その方を解放しろ」


 ロ・シェンは素早くノランの剣を掴み、

「勘違いするな、お前に従う理由はなにもない」


 掴まれた剣が、まるで岩にでも挟まったかのように微動だにしない。


「なんだ……ッ」


「おい――」

 ロ・シェンは配下の傭兵を呼びつけ、

「――この男を拘束しろ、自由にすれば、すぐにでも追いかけていきそうな勢いだ」


 傭兵は、

「承知」

 辞儀をした後、僅かにノランに向けて視線を合わせた。


 彼は、ここまでノランと共に防衛の支度を指揮していたあの男である。その男が、ノランにだけわかるよう、ほんの微かに首を横に振ってみせた。


 ロ・シェンは剣を掴んだまま、

「我らの管轄の外に監禁されていた人質たちを回収させている。もう終わっている頃だろう――」

 そう言って剣から手を離し、

「――引き上げだ、撤収する!」


 部下である傭兵たちに声をかけ、街のほうへと引き返して行く。


 ロ・シェンの手を離れた剣が途端に通常の重さに戻り、手の中から伝わる急激な重さの変化により、ノランは突風に煽られらように、体の均衡を崩した。


 馴染みのムラクモ兵たちがノランに駆け寄り、その体を支える。


「重輝士、いったい……なにが起こっているのでしょう……?」


「私も把握しきれていない。とにかく一時、門まで撤退する。どうなっているのか、この目で全容をたしかめる」




     *




 ユウギリの門前は、昨夜とは状況が一変していた。


 我が物顔で群れていたカンノの部下たちは、それぞれが酷く負傷した状態で一カ所にまとめて置かれている。


 ノランたちがそこへ到着してすぐ、通りの奥から荷馬車を引き連れた集団が向かってくるのが見えた。


 その集団を先導しているのは、一目でそうとわかるロ・シェンの仲間たちである。


 その先頭に立つ一人の女が、ロ・シェンの前で馬を下りた。


「終わったか?」


 ロ・シェンの問いに女は頷き、


「大方は無事なまま救出を終えた。成果を証明するために、動ける者たちは連れてきたが、眼帯の御仁はどこに」


 女の問いにロ・シェンは、

「去った……だが、戻ってくるらしい」


 二人のやり取りが進むなか、遅れて着いてきていた荷馬車が徐々に距離を詰めてくる。荷台に載った老若男女の人質たちの姿が見えると、


「ああ――」


 ノランと同じ立場にある家族連れでここまで来ていたムラクモ兵たちが、見知った顔を見つけて、その名を次々に叫びだした。


 弱った様子の人質たちが馬車を降り、ふらついた体で家族との再会を果たしていく。


 ロ・シェンはノランに歩み寄り、

「巨利の館にも大勢が残っている。我らが管理していた人質たちも、医師や町人たちが面倒をみているはずだ」


 ノランはロ・シェンを強く睨み、

「……言いたいことはそれだけか?」


 ロ・シェンは以前よりも弱々しくも、相変わらず憎たらしい笑みを浮かべ、

「貴様らは我らが憎いだろうが、こちらはただ雇い人の意志を反映し、行動していたにすぎん。もし攻撃を仕掛けてこられれば、全力で相手をさせてもらう」


 一片の謝罪でも言う気はない、というロ・シェンの態度に、ノランは怒りを押し殺し、憎らしい顔を睨めつける。


 ノランは拘束され、捕らわれた獣のように馬に乗せられているアマイを見やり、

「もういいだろう、アマイ殿を置いていけ」


 ロ・シェンはつんと顎をあげ、

「いいや、連れて行く」


「また人質とするつもりか」


 ロ・シェンは顔を苦々しく歪め、

「ついてこさせるなと命じられた……」


 ノランはその言葉を鼻で笑い、

「従順だな……? こんどはいくらで雇われた」


 ロ・シェンは言葉を詰まらせながら背を向ける。見ると、強く握った拳が、小刻みに震えを帯びていた。


 ロ・シェンはアマイの解放を受け入れないまま、馬に向かって歩き出す。


「待て!」


 ロ・シェンは背を向けたまま、

「時がくれば解放する、傷つけるつもりはない」


 そう言い残し、仲間たちを引き連れて去って行った。


 この場に連れて来られた人質たちの中に家族の姿を見つけられなかった兵士たちが、不安げな顔をしてノランの元に集う。


「重輝士、私の妻は……」


 ノランは兵士の肩に手を置き、

「別の場所にも解放された者たちがいるようだ、そこへ向かおう。だが、その前に――」


 涙を流しながら、互いに縋るように抱きしめ合う仲間たちを前に、


 ――終わった、のか。


 一人の男の過大な野望により、長らく利用され続けてきた時間に、突如終わりが訪れたのだと、目の前に広がるこの光景が示している。


 ノランは納めていた剣を抜き放ち、捕縛されているカンノの部下たちに歩み寄る。


 集団のなかで、必死に首を下げて身を隠す男の姿を見つけ、

「見えているぞッ」


 そう言うと、男のまわりから腕を縛られたカンノの部下たちが、虫のように這って距離を取った。


 その男は、昨夜までこの場を仕切り、防衛のための作業を放棄し、ノランへの暴行を指示したあの男である。


 ノランは剣を強く握りしめ、

「アレリー、後ろを向いて、耳を塞いでいなさい」

 そう言い残し、男に向かって、ゆっくりと距離を詰めていく。


 男は怯えきった顔で地面の上を這いずり、

「ち、違うんだ! 全部カンノさんの指示だった――」


 苦し紛れの言い訳を最後まで聞くことなく、男の喉に剣を深々と突き刺した。僅かにでも痛みが通るよう、刺した刃をこねくり回す。


 ノランのその行動に釣られたかのように、ムラクモ兵たちが次々と武器を手に、カンノの部下たちに襲いかかった。


 各々が心の内に溜めていた絶望と怒り、その恨みを晴らすかのように、彼らは躊躇なく武器を無抵抗な者たちに振り下ろしていく。


 悲鳴と、おびただしい量の血が流れるが、その死の結末に、同情を示す者は、この場には誰一人としていなかった。




     *




 一時を越えて、街の様相は一変していた。


 閉じこもった貝のように静まりかえっていた街は、人々の活気を取り戻しつつある。


 市中に集い、会話を交わす町人たちの様子は一様に不安げである。


「おい聞いたか、巨利の館のとこの親分が――」


 風よりも早く噂は伝わる。

 町人たちの会話を耳に入れつつ、ロ・シェンは一門の武人たちを引き連れて街中を走り抜けていた。


 ユウギリの実質的な支配者として君臨していた男が死んだ。瞬く間にその話が伝わるごとに、町人たちが百刃門に送る視線に強さが増しているのにロ・シェンは気づく。


「おい、あいつらだ――」


 目立つロ・シェンたちに対して、露骨に指を差す町人たちまで現れる。


「不穏だな」

 併走するビ・キョウがロ・シェンに言う。


 ロ・シェンは前を向いたまま、

「状況は一変した――」


「この地での活動の後ろ盾でもあった雇い主は果てた、この後我らはどうするかだが」


「この地は解放されたムラクモ兵どもの支配下となるだろう、奴らが冷静になれば、我らへの復讐を望む声が上がるはず。まずは一門をすべて合流させ、身を隠す」


 ビ・キョウは、

「これは提案ではないが、そのまま逃げる、という手もあるぞ」


 ロ・シェンは目の下を震わせ、

「……あの男、目前に布陣するターフェスタ軍の司令官だった」


 ビ・キョウは、

「……なに?」

 

 いつも落ち着き払っているビ・キョウにしては、珍しいほど驚きを顔に表し、鼻の奥から、脱力した声で聞き返した。


「逃走を謀り、万が一にユウギリを睨む大軍に捕まればどうなるか。百刃門はまだ、あの男から許しを受けていない……」


 真剣に声を沈めるロ・シェンの話を聞き、ビ・キョウは威勢良く笑声をあげた。


「風変わりな男だとは思ったが――」


 ロ・シェンはビ・キョウを睨み、

「笑い事ではないぞ」

 声に滲ませた緊張感のまま、一筋の冷や汗を頬に落とす。


 ビ・キョウは馬を走らせながら前を向き、

「逃げるも困難、留まるのも怖い、戦おうにも勝ち目がない。すべての道がふさがっているのなら、開き直って笑うほかあるまい。一門はおさたる大師範に従う、どの道を選択するかは、お前が決めればいい」


 街中を馬で走り抜けながら、ロ・シェンはあの男の眼光を思い出す。

 圧倒的な強者の立場に立ちながらも、独自の流儀を持つ男だ。その男が、協力と引き換えに一門の無事は保証していた。


「必ずここに戻ってくると言っていた。筋を通し、我らは次の指示あるまで、ここに待機する――」


 笑みを消し、ビ・キョウは真顔で頭を垂れ、

「承知した、大師範」




     *




 目まぐるしい一日が過ぎていた。


 現状の把握、怪我人の収容に、死者の弔い。夜通しの作業を監督し、ほんの僅かな睡眠を経て、ムラクモ軍重輝士アルデリック・ノランは朝を迎える。


 ノランを筆頭とした、他の地方からの来訪者であるムラクモ兵とその家族一行は、忌まわしい記憶が刻まれた巨利の館に滞在していた。


「決めなければならないことがある」

 朝食をとる大勢の仲間たちを前に、ノランはその言葉を切り出した。


 その瞬間、和やかな朝の時間は凍り付いた。


 少なくない犠牲者を出しながらも、絶望のなかにいた者たちにとって、降って湧いた家族や仲間たちとの再会は、一時の幸福をもたらした。


 だが、それはあくまで問題の一つが終わっただけにすぎない。現状、このユウギリでカンノという男によってもたらされた不幸にも劣らない問題が、まだ目の前に存在しているのである。


「なにを決めるかについては簡単だ。戦うか、戦わないか、それだけだからな。このユウギリが抱える人、それに物資は、長期の戦に耐えうるだけの量はある。これらを淀みなく利用すれば、しばらくの間は、侵攻を耐え忍ぶこともできるかもしれない」


「戦争……また、人が死ぬのか……」

 真剣に聞き入る者たちの中から、その声があがった。


 どんよりと重くなった空気に、ノランはさらに語りかける。


「戦わない、という選択もある。敵軍の司令官は、ユウギリを脱出する者にたいして無事を保証した」


 その時、

「信用できるわけがない……」

 と、またどこかからともなく暗い声があがる。


 集団から止めどなくざわめきが起こり始める。頷く者多数、各々に真剣な眼差しで不安を言葉に換え、口から滑らせる。


 ノランは離れて座るアレリーに目をやった。酷く残酷で悲しいものを目の当たりにしてきながら、アレリーは気丈に笑みを返す。


 ノランは愛娘に頷き、ざわつく集団を強い視線で凝視した。


「私は信用する――」


 そう言った途端に、ざわめきがぴたりと収まった。


「――あの男は、なにも求めず、私に娘を返してくれた」


 集団の視線が、控えめにアレリーに寄せられる。


 ノランは続けて、

「その男が、降伏するなら手を出さないと約束した。私は、その言葉が信用できると思っている。戦わないことを選択し、敵軍の長が約束を果たせば、我々は安全な地へと逃れることができる、これ以上、一人の死者を出すこともなくな」


 集団が否定的に横に振っていた首が、しだいに縦に揺れだした。


「ですが――」


 その一言が集団の中から上がるとノランは頷き、


「ああ、わかっている。我々が降伏すれば、このユウギリは敵の手に墜ちるということだ。だからこそ、この決定は多くの者の運命を左右する――」


 ノランは重輝士の軍服姿を誇示するように背筋を伸ばし、


「――私は、この集団を率いる正式な長ではない。だが、王国軍重輝士の階級により、自然とこの群れを率いる役をこなしてきた。ここにいる皆が継続して私を長として認めるというのなら、代表者として、一つ提案がある」


 その言葉に、不満や異を唱える者は誰一人いなかった。


 ノランは集団を一人ずつ見渡して頷き、

「私はこう思っている。この地の運命を決める権利を持つのは、この地に生まれ、暮らしている者たちであるべきだ、と」


 その言葉は、集団に少なからず動揺を広げた。


「領民に決めさせる、と言われておいでか?」


 集団からあがった声に、ノランは力強く頷いた。


「我らは、この地の守護を命じられたわけではない、ただの流れ者の集団だ。その我々だけの意志でこの地の運命を、多くの者の命が関わる決定をしてもいいのだろうか。戦うにしろ、そうしないにしろ、その影響を一番に受けるのはユウギリの領民たちだ。どうするかを彼らに選ばせたい…………反対意見があれば、聞こう」


 沈黙が流れる。


 否を唱える者は、誰一人として現れなかった。


 ノランは小さく頭を下げ、

「感謝する」




     *




 まだ空が薄暗い早朝、ターフェスタ軍は、ユウギリ領内、山中の森を慎重に進んでいた。


 軍隊の先頭に立つのは鋭く視線を尖らせるシュオウだ。その眼は前方一帯の景色を隙間なく見据えている。


 一行は森の中に伸びるなだらかな傾斜地帯に辿り着いた。そこは昨日、二つの勢力が睨み合いをしていた、あの場所である。


 ジェダは斜面の上を睨み、

「斥候を送ろう」


 シュオウは首を振ってそれを制止し、

「いや、俺が行く」


 是非を問わず、シュオウは馬を下りて軽々と斜面を登っていく。登りきった先に見えた光景に、人影はかけらも見当たらない。


 後ろへ合図を送り、軍隊は再び前へと進む。


 無造作に設置された木柵を避けながら歩みを続け、少しして、ユウギリの街を囲う壁と門が見えてきた。


 そこに広がる光景を見たジェダは、溜息を吐いてシュオウに向けて首を振った。


「期待通りにはいかなかったようだ、残念だよ……」


 城壁の上に、弓を構えた兵士たちがぎっしりと居並び、門の前には武装した輝士や従士、それに町人たちと思しき急造の兵士たちが整然と隊列を組んで並んでいる。


 武器を構え、兵士を配置し、ユウギリはこのうえなく戦闘に応じるという意志を示していた。


 対するターフェスタ軍の中から、人の群れを切り裂く勢いでエゥーデとその配下の者たちが姿を現した。


「ふん、やはりこうなるか。昨日のうちに攻めておけばよかったものを……」


 前に広がる光景を見て、エゥーデは指揮杖で空を切り裂いた。それを合図に、将軍の副官であるアーカイドが、大声で軍に配置の指示を伝えていく。


 その仕草に、ジェダは声を尖らせ、

「わきまえてください、将軍。司令官はまだ、なにも命じてはいない」


 エゥーデが鋭くジェダを睨み、

「命じるも糞もない、大軍を引き連れてここまで来ていながら、宴会をしにきたわけでもなし、戦う以外、他にやることなどありはしないのだ。そもそもが、連中が我が方に恭順する理由はなにひとつとしてないとわかりきっていた。近くに行って話せば通じるなどと、本気で甘いことを思っていたのではあるまいな、戦を舐めるな餓鬼どもが」


 後半にいくほど、その語りはほとんどシュオウに対して当てられたものになっていた。


「お婆さま、そこまでの言いようは……」

 側にいたディカが、咎めるように声をあげる。


「黙れッ!!」


 エゥーデが一喝するも、ディカは肩を震わせながら、視線を外そうとはしなかった。


 エゥーデは舌打ちをして、

「どうするつもりだ、戦うのであれば先手を取られる前に速やかに布陣をするほかない。それとも、中に入って情が湧いたか? 躊躇っているのならかまわん、任を放棄したものとみなし、私が副司令として全軍に号令をかけてやる――」

 そう言って、高らかに指揮杖を振り上げた。


 だがその時、門前に群れた集団の中から、一人が馬で前に進み出た。


「待て!」


 シュオウは強くエゥーデを制止して、前に向けて歩き出した。


「シュオウッ」


 引き留めようとするジェダに向け、

「ジェダ、いいと言うまで、誰一人動かすな」


 眼を見ながら伝えると、ジェダは口角を曲げつつ、渋々の態度で頷いた。


 前方から駆けてくる馬は両軍の中央に足を止めた。先に到着して下馬した人物を見て、シュオウは遠目に思っていた通りの相手を見る。


 アルデリック・ノラン重輝士、カンノが討たれた後、実質的にユウギリを監督する立場に就いたであろう指揮官である。


 砂利が混じった街道を、しっかりと一歩ずつを踏みしめながら、シュオウはノランに向けて歩を進める。


 一帯を覆う冷えた空気に逆らうように、集う者たちから放たれる無数の視線が、この状況に熱を与えていた。


 距離が縮まり、シュオウは開口一番、

「そっちはどうだ」


 問われたノランは渋面で頷き、

「忙しない一日だったが、大方は落ち着いた」


 シュオウは頷き、

「よかった――昨日の返事を聞きに来た、降伏をする気はないか」


 ノランは半眼で地面を見つめ、

「占領を目的として進軍してきた異国の侵略軍など、信用できるはずもない……」

 鈍い声音でそう言って、腰に下げた長剣に手を添えた。


 シュオウは胸に溜めた息をそっと落とし、

「……そうか」


「ユウギリの領民たちにとってここは生死のすべてを委ねる地、我ら流れ者のムラクモ軍人にとっても、侵略を阻止すべき責務を負う――」


 ノランは視線をあげてシュオウを見つめ、腰に差した剣を抜き放った。


 後方に控えるターフェスタ軍から、一斉にどよめきがあがる。

 シュオウは後方に向け、動くな、という意志を込めて手の平を突き出した。


 シュオウは剣を抜いたノランを見つめ、

「戦いを望むなら――」


 言いかけで、ノランは突如その場に跪き、言葉を紡ぐ。


「大勢と話し合いをした。貴族、軍人を筆頭とした我々に、この地で暮らす領民たち……その結果、誰一人として戦いを望んでいる者はいなかった。降伏すれば、危害を加えないと、お前はそう言ったな?」


 シュオウは即座に首肯し、

「言った」


「普通なら、敵軍の長の言葉など信用できるはずもない。だが、お前は、見返りもなく我々に家族を返してくれた。その男の言葉なら信用できる、と皆に言ったのだ」


 シュオウは、

「降伏するのか?」


「一つだけ問題がある。無抵抗にユウギリを明け渡したと知られれば、軍人である我々は重罪人となる。だがどうだろう、もし両軍が三日三晩、いやそれ以上の長き時をかけ、命懸けの戦に身を投じた結果のことである、とするならば、国や軍に面目がたつだろう」


 シュオウはノランの発言の意図を理解し、ふっと密かに笑みを零した。


「ユウギリとターフェスタ軍は激しく争い、戦った……?」


 ノランはにやりと笑みを浮かべ、


「激しい戦いは数日間に及び、両軍に少なからぬ被害を出した。この戦いは凄惨を極め、多くの命が散った。後にこの地の名を冠するほどの大戦が繰り広げられ、ユウギリはターフェスタ軍の手により陥落した」


 シュオウ、ノランの両者は互いに目を合わせ、微かな微笑と共に頷いた。


 ノランは手に持った剣を横たえてシュオウに差し出し、


「激しい戦いの末の降伏の証に、我が剣を敵軍の司令官に捧げる。お前の――――あなたの言葉を信じ、我が身よりも大切な我が子と、仲間たち、それに領民たちの運命を委ねる。どうか、寛大な処置を願う」


 重く語られた言葉を聞き、

「約束する」

 命懸けの覚悟と共に差し出された信用と剣を受け取った。


 ノランは立ち上がって振り返り、

「開門しろッ」

 大声でそう叫んだ。


 ノランの背後に控える集団から、一斉に歓声のような声があがった。




     *




 状況を見守るターフェスタ軍陣営は、土砂降りの如く、ざわめきに包まれていた。


 ディカは祖母の言いつけを破り、安全な陣の中心から、兵士たちを掻き分けて馬を進める。強引な前進をしても、気にかける者は誰もいなかった。


「ユウギリが……降伏を……した?」

 最前列に並ぶアーカイドが、常にないほど動揺した様子で前と後ろへ忙しなく首を動かしている。


 動揺は個人に留まらず、全軍に浸透していく。

 前に立つ者たちが見たものを、後ろへと伝えていくうち、ざわめきは波打つ湖面のように、徐々にその勢いを増していった。


 馬上から腰を浮かせて前方を見るエゥーデの隣に並び、ディカは前方の景色と祖母の顔を交互に見つめ、


「お婆さま……」


 エゥーデは眼を見開き、

「馬鹿な……」

 ディカに気づいた様子もなく、呆然と言葉を漏らした。


 その時、ジェダが馬で駆けつけ、

「将軍、司令官が合図を送っています、軍を進めて中に入りますよ」


 アーカイドが先頭に馬を進め、

「私が行きます、将軍はここに――」


 エゥーデは即座に馬を進め、

「いや待て……この場に留まれば怯えていると侮られる……」


 ディカは慌ててエゥーデを追従し、

「あの、私も――」


 エゥーデはぎろりとディカを睨み、

「…………」

 なにも言わずに視線を逸らした。


 古びているが、大きく頑丈な街の門がゆっくりと開かれていく。

 本来、そこにあるはずだった流血や悲鳴はかけらもない。


 エゥーデがゆったりと先頭を行き、ディカがその後に続く。


 戦場を構成する風景を傍観する者にとって、ここは他にない特等席だった。


 エゥーデは半開きの口で、ただ戦場を眺めている。

 前に進むほど、ディカはこの場の異常さに目を奪われていた。


 そこに、もはや戦場と呼べる空気はない。


 戦支度に身を整えた兵士たちが、シュオウの前に列を成して並び、その足元に手にした武器を置いていく。


 ある者はなにか声をかけながら、またある者は、目に涙を溜めてシュオウに抱きつき背中を撫でた。


 距離が近づくにつれ、敵軍の兵士たちがシュオウにかけている言葉が耳に届いた。


「ありがとう――」


 戦場に似合わないその言葉が、次々とシュオウへかけられていく。


 この光景を未だ受け入れきれていない様子のエゥーデと同様に、ディカは半開きの口を閉じるのも忘れ、目の前の光景に釘付けになっていた。


 その時ジェダが馬を並べて歩調を合わせた。

「君は、シュオウを指して、死神と評していただろう――」


 自分の発言を改めて聞かされ、遠い彼方に、他人が言ったような言葉に感じながら、ディカは言葉を詰まらせる。


「あ、の……」


 ジェダは微笑を浮かべ、

「他意はない、今もそう見えているのか、気になっただけでね」


 荒々しく戦場を駆け抜けているときとは、まるで別人のような姿を目に焼き付けながら、

「……わかりません」

 曖昧な答えを返した。


 一切の抵抗も、ひとかけらの怨嗟の声もなく、間もなくして完全に解放されたユウギリの門は、粛々とターフェスタ軍を受け入れた。











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小説の表紙
― 新着の感想 ―
[一言] やっぱ面白いなあラピスb
[良い点] カンノ部下達は因果応報でスッキリ。 ユウギリ降伏!おそらくカンノの勢力が好き放題やっていて、他国の軍よりカンノの方が嫌いって感じに領民の感情がなってたんだろうな。そしてそのカンノの支配か…
[良い点] 更新あありがとうございます! [一言] 生者と死者を選んだって点ならまだ死神だけど、やっぱ英雄の方がしっくりくるよなぁ
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