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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
141/184

大戦 3

大戦 3






 夜に浸されていた冬の森は、極度に深く、冷気のなかに沈んでいる。


「先に前哨の気配ありッ」


 先発隊から報告を聞き、エゥーデは跨がる愛馬セリーン・ゼカを急速に走らせる。


 副官のアーカイドを筆頭に、ボウバイト軍の幹部たち、それにアリオト軍の実質的な指揮官であるジェダらが、エゥーデの後に続く。


 先発隊が示した先は、山中にありふれた森林地帯だった。片側は鋭く欠けた切り立った崖になっているが、その逆側は、まばらに木々が生え伸びる、なだらかな斜面が広がっている。


 周辺に点々と設置された木柵を見つけ、エゥーデは眉をくねらせた。


「ここか……?」

 疑念を込め、エゥーデは周囲の様子を舐めるように窺う。


 一帯は攻めるに易く、守るに難い、平凡な地形である。敵が前に出て迎撃を試みるとしても、山中の難所を選択すると考えていたエゥーデは拍子抜けの心地がしていた。


 アーカイドが部下から報告を受け、

「――閣下、上に集団が待機している気配があるとのことです、どうなさいますか」


 エゥーデは上下の唇を擦り合わせ、

「ここで……か……」

 下からでは見渡すことのできない斜面の上を見上げた。


 その時、ボウバイト家の幹部の一人が声をあげ、

「これほど開けた視界が確保される場所であれば簡単に数で押し切れるだろう、上の連中は素人か能なしだ、慎重になるだけこちらが消耗する、エゥーデ様、ただちに強攻突破のご命令をッ」


 わかりきったことを大声で主張する一族の男に苛立ちを感じつつ、


 ――だからこそ、気味が悪いのだ。


 エゥーデは心中で愚痴り、密かに舌打ちをして目を細めた。


 なだらかに広がる斜面は、まとまった数の騎兵を送り込むのに十分な広さがある。一方で、整備された正規の山道は、馬車がすれ違うのに必要最低限程度の広さしかなく、折りたたむように道が左右に曲がりくねって設置されていた。


「緩い傾斜にありながら、道はやたらに慎重に整備されているな」


 エゥーデが違和感を口にすると、アーカイドが大きく目を見開き、周囲と山道に交互に視線を移した。


 エゥーデはわざと聞こえるように大きく咳払いをする。


 主の意を察したアーカイドは後方に振り返り手を振り上げ、

「斥候隊ッ――」


 アーカイドの指示で、三騎の斥候が斜面を昇る。斥候たちは順調に傾斜を駆け上がっているように思われた、がしかし、進んでからすぐに、馬たちはまるで沼地に迷い込んだかのように、突如としてその足取りを鈍らせた。


「ち――」

 一部始終を見ていたエゥーデが大きく舌打ちをした。


 その時、坂の上から光を帯びた水の晶気が放たれた。水球は轟音を伴いながら、坂の中盤で足を止めていた斥候の頭部をかすめる。斥候兵は直後に片耳を失い、悲鳴を上げながら落馬した。


 エゥーデは歯を剥き、

「戻せ」

 アーカイドに指示を伝える。


 エゥーデは馬を下り、退却した斥候隊に駆け寄り、彼らの乗っていた馬の足についた土をとって手の中で揉んだ。


「柔くねばっこい土だ……地の利があったか……」

 独り言のようにつぶやき、前に広がる斜面に視線を向けた。


 ジェダがエゥーデの隣に並び、

「こんなところで足止めとは、先が思いやられますね」

 憎々しいほど平坦な声で言う。


 エゥーデは苛立ちを喉の奥に留め、横目で静かにジェダを見た。


「……敵は有利をとれる地点に布陣している。斥候に放たれた晶気の一撃は警告だ、簡単には入り込めん」


 エゥーデの言葉にジェダは表情を変えず上を見上げ、

「ですが、軍を迂回させられるようなまともな道もない、となると、ここを昇るしかありません」


 ジェダは簡単な荷運びでもするかのように軽く言う。


「正攻法で攻めれば兵の消耗は計り知れん、危険を伴うが、精鋭を坂から駆け上がらせて側面を突き、敵の意識を惑わせるのが上策であろう」


 ジェダは周囲を見渡しつつ、

「良い作戦です、というより、この状況ではそのくらいしか出来る事がないでしょうが」


 エゥーデは頬を震わせ、ジェダを睨めつける。

「賛同するのであれば、そっちで奇襲の先陣を立てろ」


 ジェダは表情から徐々に熱を下げ、

「こちら側だけで危険な任務に兵を使え、とおっしゃるのですか」


「我らはこの後、敵地の制圧の任を負う。上の陣に構えた敵の兵力もわからないまま、この先でどれほどの消耗戦を強いられるかわからんのだ、主力はできるかぎり温存しておきたい」


 ジェダは涼しげな真顔で息を落とし、

「こちらの兵が先にすり減らされるのは問題ない、というお考えのようですが、アリオトとカトレイの軍はすべて司令官直轄の兵です――厳密にいえば、あなたがたボウバイトの増援軍もそうですが」


 エゥーデはジェダの皮肉を笑い飛ばし、

「ふッ、四の五のとうるさいわ、引き受けぬというのなら構わん、敵側から攻めてくる様子もない現状、副司令の権限を持って、軍を後退させるまでだ」


 ジェダは途端に顔を顰め、

「……それは、話が違います」


「貴様が言った通り、たかが一介の輝士一人との口約束など、将にとっては寝言を聞かせたに等しい。分を弁えよ、ただの輝士でしかない若造が」


 ジェダは冷ややかににエゥーデを見つめ、

「…………こちらで、先鋒の奇襲隊を編成します。中央突破はあなた方にまかせますよ、この約束が寝言になってしまった場合には、僕も自分の立場を忘れかねませんからね」


 ジェダは硬い声で捨て台詞を言い残し、後方へと去って行く。


 エゥーデはアーカイドと視線を交わし、口元に小さく笑みを浮かべた。




     *




 陽が昇り、世界は色を取り戻す。


 周囲一帯からは、人々の荒い呼吸だけが聞こえてくる。


 坂の上に展開するユウギリ軍の陣に、多数の民兵とムラクモ兵たちが身を置いていた。


 一仕事を終えた後、場に流れていた一時の和やかな空気は、すでに一変している。


「…………」


 ノランは厳重に張り巡らされた木柵の奥から、緊張した空気の流れる戦場を俯瞰していた。


 先の傾斜の下に、敵軍はすでに布陣している。目に慣れない赤の軍服、そこに混じる黄色い軍服、異邦人に戦馬の群れが、先に迫っているものが、この地にとって、まごうことなき異物であると知らせている。


「警告が効けばいいが」


 偵察のために送り出された敵の兵士に対して、撃ち込んだ晶気の一撃を思い、ノランは言った。


 木柵のすき間から下を覗き込む傭兵の男はあごをさすり、

「連中の動きが鈍った――躊躇っている気配はある。不利な場面に立っていると悟ったのかもしれない」


 ノランは渋面で眼下を見渡し、

「一時でもいい、このまま退いてくれ、頼む……」

 祈りに近い言葉を口ずさんでいた。


 昇った陽が厚い雲の中に隠れた後、薄暗い山中の森は一層強い冷気に包まれた。


 冷えた空気は、時が過ぎゆく感覚さえ凍らせる。


 風が止み、音が消え、合間に生じた僅かな時間は、無数の運命の先行きを内包し、永遠にも思えるほどその終わりを匂わせない。しかし、


 戦馬のいななきと共に、坂の下で大勢が動く気配が伝わってきた。赤と黄の軍服を混ぜ、長剣や長柄の武器を構えつつ、腕甲を身につけた輝士たちが隊列を組んで並んでいる。


「なるほど、無慈悲な指揮官だ」

 下の様子を見て、傭兵の男がさらりと言った。


 敵軍にとって、この戦場は先の見えない完全な不利となる状況である。上をとる側が有利となり、足場は悪く、馬の走行には適さない。そのような状況を理解しながら、相手は輝士による強攻突撃を選択したのだ。


 だが、それは真っ当な状況での話である。


 ノランが指揮を執るユウギリ軍は、正規軍に比べて大きく兵力が劣っている。強引に突破を試みられれば、そこにあるのは素人同然の民兵たちと、僅かばかりのムラクモ軍人たちによる、微力な抵抗のみ。結果、どちらがより多くの血を流すのかは、考えるまでもなく明らかだ。


「無慈悲だが運はある。強攻されれば、こちらはひとたまりもない。守りが手薄なこともすぐに知られる」


 ノランは言って、木柵から離れて剣を抜き放った。


 傭兵はまじまじとノランの剣を見つめ、

「行くつもりか?」


 ノランは頷き、

「坂を上がってくるのは決死隊だ、期待に応えてやらねばな」


 ノランの考えを汲み、周辺に待機していた兵士たちが立ち上がり、剣を抜き始める。


 馬が連れられ、晶気を扱える者たちが乗り込んでいく。


 南方人の傭兵たちは木柵の内で淡々と身を屈め、各所に慣れない様子で武器を握る民兵たちは、不安げな顔で浅い呼吸を繰り返している。


 ノランは連れられてきた自分の馬に触れ、

「……アレリー・ノランという名を、覚えておいてくれ」


 傭兵は目を細め、

「なんだ、急に」


「アレリーはまだ子どもだが、大人びていて頭が良い。軍に身を捧げ、親らしくろくに側にもいてやれなかったが――――」


 アレリーとの細やかな思い出を語りつつ、ノランは話のなかに、少しずつ娘の面影が伝わるよう、その特徴を混ぜていく。


 話を聞き終えた傭兵はあきれ顔で視線を逸らし、

「その家族を人質にとる一助をこなした者に、伝言をさせるつもりか」


 ノランは薄らと笑みを浮かべ、

「覚えておいてくれ……気が向いたらでかまわん」


 傭兵はゆっくり深く息を吐き、

「……覚えた。だが、少女に父親の死を知らせる役は断らせてもらうぞ」

 武器を手に、坂のほうへ体を向ける。


 ノランは声をひそめ、

「お前たちに、そこまでの義務はないだろう」


「一門が鍛えし武は戦うためのもの、使わねば錆び付くだけだ。それに、不利だからと逃げ出せば生涯の恥となろう」


 一人の傭兵の行動が、他の者たちに波紋のように広がっていく。武器を手にした褐色の肌をした南方人たちが、言葉なく身振りのみで各々に手慣れた様子で配置を決めていく。


 ノランは呆れたように、

「面倒な習性だな」


 傭兵は、

「誉れ、と言え」

 むすっとして応えた。


 ノランは集う兵士らの前に立ち、武器を握り、語りかける。


「敵が攻めてくる」


 その一言に、民兵たちの間から激しい動揺の声が漏れた。


 ノランは声が静まるのを待ち、


「ここは良い場所だ、敵にとっては攻めづらく、待ち構える我々にとっては守りやすい。だが敵もそれをわかっていながら、側面からの侵入を試みようとしている。一点に集中した守りならば耐えられても、二点となれば話は別だ。私は先に降り、側面からの侵入者を叩く。お前たちは教えた通り、中央の守りに集中しろ。敵の主力は狭い街道を通って登ってくるが、そのおかげで数の不利があっても抵抗の余地はあるだろう――怖がるなッ、これは勝てない戦ではない!」


 つらつらと吐いた言葉に、安堵の表情を浮かべる民兵たちを見て、心の奥に刺すような痛みが走った。


 言った言葉に嘘はなかった。だがそれは、ユウギリ側の主力として計算できるムラクモ軍の兵士や輝士、晶気を扱える者たちを万全な状態で一点にまとめられる場合の話である。


 現状、敵が痛みを覚悟で道のない傾斜から兵を送ろうとしている以上、これに対応するために戦力を割かなければならない。


 ほとんどが戦の経験もない民兵が、ここまで攻め上ってきた敵の軍人とまともに衝突すれば、その結果に起こるのは一方的な虐殺である。


 それをわかっていながら、ユウギリを守る、という使命を負ったノランは、彼らに言わなければならない言葉があった。


「殺せ」


 小さくとも、硬く言った一言に、場に凍るような緊張が流れる。

 集団の視線を一身に受けながら、ノランは目を見開いて口を開き、


「一人でも多く敵を殺せッ。手を出せばただではすまないと敵にわからせろ、でなければ我々が殺されるだけだ。後方にある街にいる守るべき者たちが手にかけられる。財を奪われ、家に火を放たれるのだ。生き残った者たちは神の名をすり込まれ、街に異国の紋章旗が建てられる。お前たちはそれを望むのかッ」


 怯えていた民兵たちの目に、力が宿る。


「いやだ!」

「させねえぞ……ッ」

「やってやるッ」


 高揚していく兵士たちの中から、意気のある声が次々とあがる。


 ノランは剣を空に突き上げ、

「数を減らそうとも、我らは最後まで戦い続ける! 一人が殺されれば二人を殺せ! 死ぬ前に一人でも多く道連れにしろ! 必ず――」


 士気を高めるための演説を最後まで言い切る直前に、

「おい――」

 隣に並んだ傭兵が、ノランの脇を肘で小突いた。


 気勢を削がれたノランは傭兵を睨み、

「なんだッ?!」


「話の途中で悪いが、お前の娘というのはたしか――」


 傭兵はさきほどノランが効かせたアレリーの特徴を一つずつ口にする。


 まったく場にそぐわない言動に苛立ちつつ、ノランは彼の言う話に渋々相づちを返した。


「そうだが……なんなのだ、いまさら――」


 傭兵は前方の奥のほうへ向けて顎をしゃくり、

「そこにいるぞ」


 ノランはぱちくりと瞬きを繰り返し、

「……?」


 耳を疑うような一言を受け、視線を先に向けると、

「アレ、リー……?」


 見覚えのある男に手を引かれた、アレリーの姿がそこにあった。


「大師範……?」


 傭兵がぼそりと漏らしたその言葉を聞き流し、ノランは兵士たちを掻き分けるように走り出した。


 寝ずの作業と、過酷な日々を過ごしてきたため、まるで腰まで水につかっているかのように足が重い。だが、視界のなかにいるアレリーの姿が、これまでの苦労をすべて彼方へ吹き飛ばした。


「アレリーッ」


 ――愛する。


 ノランは一点のみに集中していた。

 双眸が捉えるのは愛娘の姿のみ。


 互いの姿をはっきりと視認できる距離になり、ノランは立ち止まって顔の傷を強く押した。


「痛ッ」

 傷口から駆け抜ける強い痛みに、これが現実であることを知る。


 最後に見たときよりも随分と痩せてしまった愛娘に向け、ノランは力を振り絞り全身全力で駆け寄った。


「アレリー!」


 アレリーは破顔して、空を抱くように高く両手を広げる。


「お父様ッ――」


 ノランは飛び込むようにアレリーを抱きかかえる。胸のなかに小さな体を抱きかかえ、頬をすり寄せた。


 顔の傷に気づいたアレリーが心配そうに、

「お父様、怪我を……」


 ノランは目に涙を溜めながら微笑み、

「名誉の負傷だ、心配ない」


 手の中に我が子の温もりを感じながら、すべてを忘れさせていた一時の興奮が冷めていく。ノランはアレリーと共に現れた三人の男を見て激しく動揺した。


 三人の男たちは、全員ノランの記憶に刻まれた者たちだった。


 一人はムラクモ王家に仕えるアマイ親衛隊長、もう一人は不幸の元凶の一つである南方人の傭兵組織を率いる長、ロ・シェン。そして、最後の一人が、なによりノランの頭に混乱をもたらした。


「お前、は……?」


 銀髪に目立つ大きな眼帯をしたシュオウは、ノランを見て小さく頷く。


 ノランはアレリーを守るように背後に送り、

「敵軍の司令官が、なぜここにいるッ?!」


 ノランの言った言葉に対して、アマイとロ・シェンが驚いた顔でシュオウを見つめる。


 動揺を隠せないアマイが声を震わせ、

「ちょ……それは、いったいどういう意味で……ッ」


 アマイ以上の混乱のなかにあるノランは声をかぶせ、

「なぜ貴様が、我が子と共に現れた……」

 剣を構えてシュオウを睨む。


 シュオウが口を開こうとしたとき、アレリーがするりとノランの手を抜け、シュオウの前に立ち、かばうように手を広げた。


「助けていただきましたッ、私だけではなく、他の方々もみんな」


 ノランは剣を握る手から力を抜き、

「助け、られた……?」


 シュオウは曖昧な角度に首を傾け、

「流れで、そういうことになった」


 ノランは混乱が晴れぬまま、敵として認識していたロ・シェンに剣を向け、

「それに、お前もなんだッ!? ここでなにをしているッ」


 ロ・シェンは険しい視線を横に滑らせながら、

「敗北し、今はその男に従っている――」

 ぶすりと言いながら、前方に控える部下たちの元へ足を向ける。


 去り際、ロ・シェンは何度も振り返り、シュオウにちらちらと視線を送っていた。


 アマイが一歩踏み出し、

「私は親衛隊隊長――」


 ノランは頷いて、

「存じております、アマイ殿……私には、あなたがここに居ることも含めて、この状況がまだ理解できておりません」


 アマイは咳払いをして、

「話せば長くなりますが――彼が監禁されていた私と部下たちを救出し、その足であなた方のご家族を救出しました。その後に元凶であるカンノという男を討伐し、他の場所に監禁されているという者たちのもとにも救出隊が送られています」


 端的に語られつつも、目まぐるしく変化する経緯を聞かされながら、ノランはある一言に心を奪われる。


「カンノが、討たれた……? どうやって……」

 その視線は、自然とシュオウへと吸い寄せられる。


 シュオウは渋面で、

「あの男は、俺が死なせた。遺体もそのままにして置いてある」


 その言葉を聞いた途端、ノランの手に握られていた剣が、がらりと音をたてて地面におちる。


 アレリーが心配そうにノランを見上げ、

「お父様……?」


 全身の疲労に抗っていた気力が、その一瞬にぶつりと途切れた。片膝を突きながら、ノランはシュオウを見上げ、


「……奴は、苦しんでいたか?」


 シュオウは無言で、静かに頷いた。


 その時、

「下に動きがある、今にも上がってきそうだッ」

 ロ・シェンが離れた場所から声を荒げた。


 シュオウはノランの前で屈み、まっすぐに視線を合わせる。


「話がしたい」


 ノランはシュオウを見つめ返し、

「それは、敵軍の司令官として、か?」


 シュオウは鷹揚に頷き、

「降伏するのなら、脱出を希望する住民を含めて、ここを出ようとする人間には絶対に危害を加えないと約束する。残る者たちにも、害が及ばないようにできる限りのことはする」


 ノランは険しい顔でシュオウを睨んだ後、側で不安そうに見つめるアレリーに目を移した。


「なぜだ……」


 ノランの言葉にシュオウは首を傾げ、

「なにがだ」


 ノランは視線をシュオウへ移し、

「なぜ、アレリーを利用しなかった」


 カンノが没した後、侵略軍に抵抗するユウギリの実質的な指揮官はノランとなる。その家族の身柄を手にした効果を目の当たりにしながら、シュオウはそれを勝利のために利用しようとはしなかった。


 シュオウは一瞬、考え込むように空を見上げ、

「さあ、考えたことがなかった」


「……いまも、その気持ちは変わらないか?」


 シュオウは躊躇なく頷き、

「明日、同じ頃にまたここに来る、それまでにどうするかを決めておいてくれ」


 そう言い残し、シュオウは前線に向けて歩き出す。すぐに、アマイが慌ててシュオウの後を追い、


「待って、くださいッ」

 重たい声で引き留め、手首を掴んだ。


 シュオウは握られた手首を見つめ、

「離して――」


 アマイは顔に怒気を孕ませ、

「離しませんッ、なにがあろうと、今のあなたが何者であろうと、絶対に側を離れるつもりはないッ」


 シュオウは小さき溜息をついた後、ロ・シェンを見やり、

「……ついてこさせるな」

 一言、そう命じた。


 ロ・シェンは頷き、部下の傭兵たちに指示を飛ばす。

 屈強な傭兵たちがアマイを羽交い締めにすると、アマイは声を荒げて抵抗する。だが、力押しで地面に強く押さえつけられた。


「待って――待てッ!」

 切迫し、感情を露わにアマイが叫んだ。


 シュオウはまなじりに力を込め、

「俺はここに戻ってくる、必ず」

 アマイと、そして同時にロ・シェンに対しても視線を送りつつ、言った。


 強く押さえ付けられたアマイは、

「……く」

 顔を上げつつ、必死の形相でシュオウから視線を外そうとはしない。


 シュオウはそのまま、静かに坂のほうへと歩いて向かい、その姿が見えなくなった。


 彼らの経緯いきさつを知らないまま、ノランがそのやり取りをじっと見つめていると、アレリーが注意を引くために服の裾を引いた。


「お父様……お知らせしなければならないことがあります……お婆さまが…………」


 アレリーは酷く悲しげな表情を浮かべながら、涙ながらに祖母の死を報告する。


 過酷な環境に身を置かれていた我が子の不幸と、愛する母の死を思い、


「辛い思いをさせて、すまなかった……」


 ノランはアレリーを強く抱きしめ、その悲しみを分かち合った。




     *




 ユウギリ領内の山中に足止めされているターフェスタ軍のなかで、


「反対だ、すぐに中止しろッ!」


 カトレイ軍指揮官であるレノアが怒声が上がった。


 怒声を浴びせられたジェダは、

「なぜ?」

 こともなげにそう返す。


 レノアは表情険しくジェダを睨み、

「危険だからだ、ここは敵が用意した相手側にとっての有利な戦場だ。これみよがしに広がってる緩い坂が放置されてる、その意味が坊ちゃんにはわからないってのか」


 ジェダは肩を竦め、

「罠、だろう」


 レノアは怒気に顔を歪めてジェダの肩を掴み、

「それがわかっていながら、どうして突撃なんて引き受けたッ」


 ジェダとレノアの態度は対照的だった。一方は冷水、もう一方は熱湯である。


「引き受けなければ、ボウバイトは退くと脅してきた。言いなりになるのは面白くないが、今は前進を続けたい。だからやるしかないだろう」


 レノアはジェダの肩を掴んだまま、

「退けばいいだろう、今この状況で、焦って敵地に入る理由なんてないんだ」


「僕は、そうは思わない」


 肩を掴むレノアの手が、徐々に変化していく。それは晶気による肉体の変化だった。


 獣の特性を帯びた目や伸びた爪を露わに、レノアは肉食獣の唸りのように喉を鳴らす。


「……司令官不在のいま、こっち側の兵はあんたを仮の指揮官として崇めてる。その口から出される一言で、私の部下も含めて、大勢が死ぬことになるんだよ、わかってるのか」


 ジェダは意外そうに眉をあげ、

「それが兵士の役目だろう、当然、その結果も含めて」


 レノアは鋭く尖った歯を剥きだし、

「あんたは、ひとが死ぬ事をなんとも思ってないんだな」


 ジェダは冷笑を浮かべ、

「兵士は命ではなく、数でかぞえるものだ。感傷的な人間に指揮官は務まらない。未知の戦場に入る恐怖に我を忘れているようだが、君は大人しく上からの命令を部下に実行させればいいんだ。言っておくが、僕は耳元を飛び交う虫を放置するほど寛大じゃない、これ以上余計なことを言って士気を下げるのなら、その座を退いてもらうことになる、強制的にね――」


 ジェダは言って肩を掴むレノアの手を払いのける。そのまま、近くに停めていた馬に跨がった。


「――今、君が手にしている指揮官の座を欲しがっている人間は多くいた。彼らに後釜を狙われたくなければ、黙って指示に従い、大金を受け取ることだけを考えることだ」


 その時、騎乗したバレン・アガサスがジェダの前で敬礼をする。


「突撃隊の編成を終えました、いつでも行けます」


 ジェダは頷いて、

「よし、僕が直接指揮を執る」


 バレンは驚いた顔で、

「ですが……」


「アガサス重輝士はレオン輝士と共にここに待機、待機の兵と共に、ボウバイトがおかしな動きをしないよう牽制してほしい、これは君たちにしか頼めない重要な任務だ」


 バレンは一瞬の躊躇いをみせた後、

「……はッ、ご武運を祈ります」


 傾斜の前で、アリオトとカトレイの輝士や歩兵が整然と並んでいる。ジェダは彼らの横を通り過ぎ、その先頭に躍り出た。


 右隣に並んだシガが、当然と言わんばかりに無言で体をほぐして、突撃の瞬間を待っている。少し間をおいて、左隣にレノアが並んだ。


 レノアは、

「ひとにやらせず、先頭での指揮を買って出たところだけは認めるよ」


 ジェダは鼻で笑い、

「難しい役だ、ひとにまかせるのが不安なだけだ――そっちこそ、部下に命じろとは言ったが一緒に来いとは言っていないが?」


 レノアは身につけた軽装の鎧をたしかめつつ、

「同行するよ。間近であんたの死を見届けて、即命令を撤回するためにね」


 ジェダは傾斜の奥を見上げて笑み、

「望みが叶うことはないだろうが、好きにすればいいさ――」

 他の者達になにも告げることなく、単騎で馬を走らせた。


 直後に、レノアが背後から、

「続けぇッ!!」

 と叫ぶ。


 兵士たちが一斉に傾斜を昇り始めた。

 馬や大勢の足音は、柔い土に受け止められ、不思議なほどその気配を覆い隠す。


 ――さあ、なにがくる。


 戦場を駆け上がる途中、馬が地面に足を取られ、急速に速度を落としていく。


 仕掛けるならばこの時をおいて他にない。矢の雨か、丸太や岩が落とされるか、もしくは強烈な晶気が放たれるかもしれない。


 数々の可能性を考慮にいれつつ、ジェダは身構えながら馬を進める。しかし、敵からの攻撃はいっこうにその様子が窺えない。


 無風、なにも起こらないということが、かえって不穏な気配を匂わせる。


 ――どんな小細工を用意していても。


 ジェダには自信があった。自身の力があれば、先に大群が待ち構えていたとしても打開できる。


 速攻に備え、鈍足で進む馬上から風の晶気を構築する。


 坂を進み、あと少しでその奥にある景色が見えようかという、その瞬間――


「――ッ?!」


 先に現れた者の姿を見て、ジェダの心臓が大きく跳ねた。


 灰色の髪に黒い眼帯、鋭い隻眼がジェダを捉え、なにかを訴えるように、大きく手を振って佇んでいる。


 ジェダは慌てて後方を振り返った。

「止まれッ、止まるんだ!! 停止しろッ!」


 咄嗟に叫んだジェダの声は、決死の覚悟で攻め上がる兵士たちの声に掻き消される。


 兵士たちは血走った眼で突撃を継続し、先行する隊の一部が坂を登り切る直前にまで到達しつつあった。


「く――」


 ジェダは歯を食いしばり、手の内に溜めていた晶気を解放する。

 周辺一帯に爆風を巻き起こし、攻め上る自軍の兵士たちを吹き飛ばした。


 一切の調整や加減もなく発生させた爆風は、周囲一帯の兵士や馬と共に、ジェダ自身の体も吹き飛ばす。


 馬が横向きに倒れ、その衝撃で地面に放り出されジェダは、全身を強く打ちながら、その痛みに苦痛の声を滲ませた。


「く……う……」


 伏せった状態で地面に叩きつけられ、痛みを堪えながら仰向けに体を転がす。その視界いっぱいに映る人物を見て、ジェダは呆れながらも、心からの微笑みを浮かべた。


「シュオウ……」


 名を呼ばれた本人は、ジェダの無事を気にする声もなく、

「いくぞ」

 無表情で手を差し出した。


「まったく……なにをしていたんだ、今まで……」


 不満を語りながら、ジェダは雑に差し出されたシュオウの手を強く握り、引き起こされるままに身を委ねた。











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小説の表紙
― 新着の感想 ―
ジェダはそのうち暗殺されそうな気がする。 いや暗殺は難しいから、政治的に殺すとかか。まあジュナがいるからそれは難しいんだろうけど、ジェダは指揮官とかやらせちゃだめだね。 使い捨て部隊を恐怖で縛るとか…
ジェダは描写だけなら下位の燦光石に食い込めそう。 性質的に単身で群を相手にできるし、どのくらいでガス欠するのかわからんけど、開戦の瞬間は兵士突撃させないで自分で突っ込む方が良い感じだね。
[良い点] 何とか衝突前に間に合ったのはよかった(今回のジェダの暴走考えると、シュオウが居ない時の代理指揮官等を予め決めておかないとだ。余裕の無い時ではなく多少は余裕有る今分かったのは不幸中の幸いだっ…
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