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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
137/184

服従 6

服従 6






 南方の武人たちが姿勢を正して屈服する姿が、彼らの立場を知る者に強い衝撃を与える。


「なぜ、彼らが……」

 女輝士は、その豹変ぶりに明らかに動揺していた。


 シュオウはロ・シェンに、

「他にもまだ人質がいるらしい、知っていたのか?」


 ロ・シェンは、

「……知らなかった」

 言いながら、視線を合わさないように俯いた。


 次いでシュオウから視線を送られたビ・キョウは、

「カンノという男は慎重だ、我々にも親衛隊とやらの管理を分けるよう指示があった。ムラクモ兵や貴族たちにはめた枷の鍵も、分けておいたのだろう」


 シュオウは女輝士に視線を移し、

「監禁されている場所を知っているか?」


 女輝士は首を振り、

「いいえ、まったく……見当もつかない……」


 シュオウは門を見つめ、

「なら、聞き出すしかない」


 アレリーが馬を降りて女輝士に歩み寄り、

「父は――アルデリック・ノランはここにいませんか?」


「ノラン重輝士は、前線で侵攻を開始したという敵軍への対応に追われています。一度ここに戻られたのですが、その後またすぐに前線に」


 アマイは、

「侵攻が始まった…………」

 シュオウに視線を送る。


 シュオウは女輝士に、

「侵攻が始まったって、本当に?」


 女輝士は険しい顔で頷き、

「ええ、間違いなく」


 軍の行動に決定権を持つ司令官は不在なのだ、本当にターフェスタ軍が動いたのだとしたら、現場でそれを決定できるのは、副司令であるボウバイト将軍しかいない。


 だが、エゥーデ・ボウバイトが進軍に消極的であることをシュオウは知っている。


 ――ジェダ。


 すぐにその名が頭に浮かんだ。


 戻らないことに痺れを切らしたのか。だとしても、おとなしくボウバイト将軍が進軍に同意したのか、それとも内部でなにかがあったのか。不透明な想像が後を絶たず、浮かび上がる


 ――時間をかけすぎた。


 シュオウはしゃがんで不安げなアレリーの顔を覗き込み、

「父親がここにいないなら、待っていていい。すぐに戻ってくる」


 アレリーは首を振り、

「いいえ、中の人たちに解放された私の姿を見せなければ……そのために私はここにいるのですから」

 勇敢に言って、胸の上で拳を握った。


 シュオウはアレリーに頷いて、視線をロ・シェンに向ける。


「お前たちはここの中を把握してるな」


「おおよそのところは、だが」


 シュオウは門の奥を見やり、

「制圧に手を貸せ、ただ、敵味方の区別がはっきりしない。誰も殺さずにやり遂げたい」


「それは……」

 シュオウの言葉にロ・シェンは喉を詰まらせる。


 ビ・キョウが代わりに、

「中に居るのはごろつき共だけではなく、訓練されたこの国の軍人たち、簡単なことではない」


 シュオウは二人を見つめ、

「できないのか」


 ロ・シェンは密かに歯を食いしばり、部下たちのほうへ振り返る。

「館を制圧するッ。全員、得物から刃をはずせッ、できない者は武器を置き、徒手で中に攻め込む用意を――」


 百刃門の武人たちが黙々と突入の支度を整える。


 女輝士がシュオウに、

「私も同行し、中の者たちの説得にあたります」


 シュオウは言葉を返すことなく、ただ黙って頷いた。


 支度を終えた面々が、緊張した面持ちで門の前に待機した。


 アレリーを連れたアマイが、

「安全が確保されたのを確認して進みます、彼女のことはまかせてください」


 シュオウは、

「お願いします」


 硬く閉ざされた門を見つめる。シュオウはビ・キョウに、

「開けろ」

 首を振って合図を送った。


 ビ・キョウは舞うように体術の構えをとり、門の中心に右手を当てる。直後、奥にかけられたかんぬきごと、ビ・キョウの指先が轟音と共に門の一部を破砕した。




     *




「西の回廊から裏手に回れ! 順に制圧を進め、四方から拠点内を潰していく――――何人なんぴとにもに致命傷を与えるな、これは厳命だッ!」


 部下たちに指示を伝え、


 ――俺はなにをやっている。


 ロ・シェンは心中で恥じるように自分を責めた。


 百刃門は命懸けで武を磨いてきた生粋の武術一門である。先代の大師範が、自らの衰えを悟り、凄絶な自死をもって弟子であるロ・シェンに跡目を譲ったように、この群れ、流派に甘えや妥協は許されない。


 だが、

「ちッ――」


 対峙するカンノの兵と一戦交えるなか、ロ・シェンは自らの手にはめられた枷の重さに絶望する。


 刃を外した槍の棒部分のみで対応する。的確に相手の急所をつき、絶対的な優位を得た直後にとどめの一撃を繰り出そうとするが、殺めるな、という制約が枷となり、その手が不自然に止まるのだ。


「うあああッ!」


 とどめを免れた相手は、死に物狂いで反撃に打って出る。混沌としたこの状況で相手を殺さずに仕留める難度は、強敵と対峙するよりも困難さを思わせた。


 ロ・シェンの背後からするりと一人が駆けだした。銀髪と隻眼を特徴とするシュオウである。


 シュオウは敵の群れに入り込み、その先頭の一人の手首を掴み上げ、背後にまわり顔面から地面に叩きつける。


 ロ・シェンは思わず息を飲む。


 シュオウは一人目を倒して一瞬にして無力化した後、即座に横転して次の獲物に襲いかかる。崖底を吹き抜ける一陣の風のように素早く、低く足元から二人目の腕をすくい取り、自身の体重を乗せて体勢を崩し、肩を地面に叩きつける。


 二人目が悲鳴をあげるより先に、その手はすでに三人目の手首を掌握していた。


 ――逆技か。


 それは、いわゆる関節を極める動きだった。南方の体術にも、その動作を取り入れる武術は数多ある。上手く極まれば相手を一瞬にして無力化できる強力な武術だが、実戦で使うには多大な危険を伴うものだ。


 しかし、シュオウの用いる技はロ・シェンの知るそれとも微妙に趣が異なっていた。そこには、ある種の型のようなものがあるようで、しかし存在しないのである。


 シュオウは三人目の顔面を建物の壁面に激しく打ち付け、気を失わせた。


 その動きを見てロ・シェンは、


 ――違う。


 これは武術流派の教えではない。


 用いられる戦い方にあるのは型ではなく目的だ。そこから感じるのは、どのような形であれ、絶対的に相手を無力化するという異常な執着心が垣間見える。


 付け焼き刃に使ってみせた剣に槍、あれだけの武芸の才を持ちながら、その真髄は相手をただ戦えない状態におとしこむ、ということ。そして、それを実現させられるだけの圧倒的な身体能力と戦闘感覚によって成せることなのだ。


 シュオウは何事もなく眼前の敵をすべて倒しきる。その誰もが、一目でわかるほど確実に命を繋ぎ止めていた。


 おそらく、ビ・キョウが見たものと同じものを見て、


 ――こいつは何者なんだ。


 あらためて驚嘆し、重く苦い唾を嚥下する。


 シュオウは振り返って、

「かなりの数がいるな」


 ロ・シェンは慌てて頷き、

「母屋の外周にはムラクモ兵たちが置かれ、うちにいくほどカンノの手下が増えていく。箱の中に詰め込まれた護衛の多さは、あの男の気の小ささの表れだ」


「お前の仲間もいるのか?」


 ロ・シェンはカンノの護衛に付けたジ・ホクらを思い、

「おそらく」


 シュオウは周囲に視線を巡らせ、

「俺は館の外側を中心に見て回り、ムラクモ兵たちを説得する。そっちは先にカンノを生きたまま捕まえておけ、できるか?」


 問われながらも、選択肢は存在しない。


「――承知」

 ロ・シェンは短く同意を伝えた。




     *




 ロ・シェンはビ・キョウと共に、門弟たちを引き連れ、よく知る敷地内を駆け抜ける。


「お前ら、なんでッ?!」


 カンノの手下と交戦し、武人たちがこれを手早く片付ける。その時、


「どういうことなのだ、これは……?」


 声を潜め、ムラクモ貴族の男が、倒れ込むカンノの手下たちを不思議そうに見つめながら姿を現した。


 ロ・シェンは身構え、

「話がある……」


 男は訝りながら、

「貴様ら南方人の傭兵どもが、あの男を裏切った、ということなのか?」


 ロ・シェンは曖昧に首を傾け、

「……そうとしか言えんな」


「ふはは――」

 男は突然、愉快そうに笑いだした。


 ロ・シェンは額に汗を滲ませ、

「聞け、お前たちを縛っていた人質の一部が解放された、残りの居場所を突き止めるために我らはカンノの捕縛を目的に行動している」


 男は笑みを消し、

「わけのわからないことを言う……」


「真実だ」


 男はロ・シェンと共にビ・キョウや一門の武人たちを眺め、

「それで、なぜお前たちがその解放作戦とやらに加担している? 高額で雇われただけに留まらず、あれほど喜々として我らを従わせていたというのに」


 実際、その通りのことを言われ、

「…………」

 ロ・シェンはなにも言い返せず、喉を詰まらせた。


 男はゆったりとした動作で腰を落とし、

「たとえ話に矛盾がなくとも、いまさらお前たちの話など信じられるものか」


 ビ・キョウが自嘲するように、

「然り。さて……」

 言って、ロ・シェンを見やる。


 ロ・シェンはビ・キョウに頷き返し、

「先行しろ、裏手から攻めて数を減らしておけ」


 ビ・キョウは武人の作法で辞儀をして、

「承知した、大師範――行くぞッ」

 門弟たちを連れて通路の別れ道へ進んでいく。


 ムラクモ貴族の男は去って行くビ・キョウらに視線を向け、

「部下を先に行かせたのは自信の現れか?」


 ロ・シェンは武器を構えて身を屈め、

「俺では不足か?」


「というよりも、お前たち全員をこの場で皆殺しにしたかった」

 男は敵意を剥き出しにロ・シェンを睨めつけ、手中に水球を生じさせた。


 晶気を扱う彩石を持つ者は様々な個性によって分類される。


 自然現象を再現し行使する力、自らの肉体に変化を生じる力、その他様々な現象を実現し、その事象に関与する。晶気という言葉一つには、人一人の容姿や性格が異なるのと等しく、数え切れないほどの個性と可能性が内包されている。


 だが、東方を統べる大国ムラクモにおいては事情が異なる。ムラクモの貴族家は晶気を体系化することに執着した。水を操る力、風を操る力、土や岩石に由来する力、それぞれの個性を束ねて長所を伸ばし、血によってそれが強化されるよう意図して伸ばしてきたのだ。


 ロ・シェンが出身とする南方に由来する国々にも、そうした傾向は存在する。並外れた腕力、脚力など、武術の優劣に直結される能力が継がれるよう、意図した婚姻や見合いが画策されることは多い。


 名のある一族の力を真っ当に受け継ぐ子をつくり、次の担い手とする。それにより、先祖から伝わる力の使い方が伝授され、純粋に伝えられた技はさらなる発展を遂げ、次代へと淀みなく引き継がれる。


 眼前にいる男はまさしく、継承により磨き上げられてきた晶気の使い手だ。年齢は中年期、自らの力を熟知している年頃でもあり、さらに東方の貴族たちは、そのほぼすべてが訓練を受けた元軍人であるという。


 武人としての勘により、ロ・シェンは相手の実力を測っていた。その見立てによれば、この相手は強者の類に分類される。


 殺すな、という重い枷により、完全なる敵意を持って挑んでくる相手に対して本気で戦うことができず、広さもない建物内という場所では数で取り囲むことも出来ず、単と単の戦いに応じざるを得ない。


 圧倒的な不利を抱えたまま、相手はロ・シェンの事情になど構うことなく掌中から水の晶気を具現化させた。


 手の平大の水の玉が放たれる。それは空中を飛翔しながら徐々に大きく膨れ上がり、複雑な槍の形状に変化した。


 ロ・シェンは刃を抜いた槍を構え、槍の先で晶気をいなそうと試みる。だが、


「がッ?!」


 水の槍が突如、空中で破裂し、つぶての如く水しぶきがはじけ飛ぶ。発光を帯びる小さな水の粒一つずつが、まるで瀑布のような重さを帯びていた。


 避けようのない水しぶきに対して、ロ・シェンはあえてそれに逆らわずに身を任せる。自らの体重を極限にまで軽くし、風に乗る羽毛のように、水の晶気から受ける衝撃に身を任せた。


 体が吹き飛び、後方の壁に激しく押し当てられる。その衝撃で肺の空気がすべて抜け、視界が白一色に覆われた。


 男は、

「百年痛めつけたとしても、ここで受けた屈辱には見合わない」

 再び、手中に水球を構築していく。


 ロ・シェンは胸を押さえながら立ち上がろうとする途中で、その動作を止めた。


 ――無理だ。


 手加減をして勝てるような相手ではなく、状況も悪い。


 膝を落とし、武器を前方へ投げ捨てる。そして、そのまま無防備な姿勢で両手を大きく掲げてみせた。


 男はロ・シェンのとったその行動を見て戸惑い、

「……なんの真似だ」


「あんたを殺さずに打ち負かす術が思いつかない」


 男は嘲笑を漏らし、

「殺さずにだと……? 負け惜しみか、情けないやつだ」


「どう取られても構わん。この戦いにもはや意味はない、言った通り、すでにカンノに使役されていたムラクモ兵たちを解放する行動が起こされている。あんたの立場からすれば、その流れに逆らうのは愚の極みだ」


「まだそれを続けるのか……」


 ロ・シェンは顎を上げて、

「アレリー・ノランという、ムラクモ軍重輝士ノランの娘が保護されここに来ている」


 男は動揺をみせ、

「アルデリックの……?」


「ある男が我ら百刃門を打ち負かし、捕らえられていた人質たちを解放した。その男が、ノランの娘を連れてここに来ている。この言葉を信じてもらうために命を賭ける。信じられないというのなら、俺を殺せ」


 男は黙したままロ・シェンを睨み、手中にある水の晶気を槍の形に変化させる。


 強く睨んだまま、じわりと距離を詰め、水の槍を振り上げた。


 目を開いたまま、姿勢を変えないロ・シェンに対して、男は槍を振り下ろすことなく、代わりに顔面を蹴り上げる。


 倒れて壁に押し当てられたロ・シェンの真横を水の槍で穿ち、

「詳細を話せ」

 睨みながら、そう告げた。




     *




「カンノさまッ、侵入者が中庭にまで入り込んできてますッ」


 厳重な警護に守られる門の先、巨利の館の奥深くに鎮座するカンノの下に、ふらふらになるほど息を切らせて手下の一人が報告を上げた。


 カンノは途端に血の気の失せた顔で腰を浮かせ、

「やっぱりこうなったか……嫌な予感がしたんだ……侵入者は何人くらいで、どこのどいつだ!?」


「それが――」

 手下の男は言いにくそうに、ジ・ホクを見やり、

「――そいつのところの連中です」


 ジ・ホクはきょとんと目を見開き、

「おい? ふざけんなよ」


 カンノは手下に、

「……間違いないのか?」


 手下の男は大きく頷き、

「何度も見てるんで、間違えるわけがねえ。今ここを襲ってきてるのは、カンノの親方が雇ってる、百刃門とかいう連中――」


「おいおいおいおい――」

 ジ・ホクは拳で卓を叩き割り、

「――適当なこと言うんじゃねえぞ」


 激しい音と衝撃に怯えながらも、手下の男はジ・ホクに首を振り、

「冗談で言えるようなことじゃねえ……」


 カンノはジ・ホクは睨みつけ、

「おい、どういうことなんだ……」


 ジ・ホクはぼりぼりと首をかき、

「……わからねえっすよ、俺だってなにがなんだか」


 動揺を隠せないジ・ホクと同様に、彼が連れている配下の武人たちも、戸惑いながら視線を交互に迷わせる。


 ジ・ホクは首を傾げながら部屋の外へ足を向ける。カンノはそれを素早く引き留め、


「待て、どこへ行くつもりだッ」


 ジ・ホクは親指で部屋の外を指し、

「なにが起こってんのか確認しねえと」


「勝手に行くんじゃねえよ、お前らにはすでに高額を支払ってるんだ、ここに残って俺を守れ……ッ」


 言葉は強くとも、カンノの顔と声に、恐怖と焦りが色濃く滲む。


 ジ・ホクはしかし、迷いと憂いを込めた視線で、

「でも、このままってわけじゃなぁ」


 カンノは頬をひくつかせ、足元の隠し戸に隠してあった袋を取り出した。二重に作られた頑丈な袋の中にはたっぷりと金貨が詰め込んである。カンノはその袋を、ジ・ホクの足元に放り投げた。


「特別報酬だ、ここに残るならさらにもう一つくれてやる」


 じゃらりという金の音に誘われ、彷徨っていたジ・ホクの目から迷いが消える。


「これは、俺にってことか?」


 袋を拾い上げて聞くジ・ホクに、カンノは頷いて、

「そうだ、言う事を聞くならもっと出すぞ」


 ジ・ホクは唾を飲み込み、

「へへ、まあそういうことなら、ここに残っとくか」


 カンノは密かに安堵の溜息を口から落とす。そのまま手下たちに顔を向け、

「支度をしろ、このまま外が落ち着かないようならここを出る――」


 その時、

「親方ァ!」

 門を開け、すき間から這うように手下の一人が現れる。


「敵が来てる、そこまでッ、南方人の傭兵どもだ!」


 カンノは歯を剥き出し、

「くそッ、もうか――」


 ジ・ホクは強く口角を下げ、

「本当なのかよ……」




     *




 館の主人、カンノのいる厚い門へと至る道を進む。


 ビ・キョウは道中で遭遇した警備兵たちを制圧しながら少しずつ奥へ攻略を進めていた。だが直前になり、突如前方の狭い通路から鋭い風刃が放たれる。


「待避!」


 後続の武人たちにそう叫び、ビ・キョウは通路の曲がり角に身を隠す。


 虚空に放たれた晶気の風が、突き当たりの壁面に深く傷痕を残した。


「……四、五人は貫通するな」

 威力を見て、ビ・キョウはこの晶気の使い手の能力を推し量る。


 通路は一本道、狭く、奥に辿り着くまでにそこそこの距離がある。


 ビ・キョウは角から顔だけで覗き込み、

「聞け、話がある!」


 奥が見えない通路の先から、返答の代わりに再び鋭い風刃が撃ち込まれた。


 ビ・キョウは顔を引っ込め、壁に背を預ける。


「師範、どうしますか」


 門弟に問われ、ビ・キョウは半眼で視線を落とし、

「逃げ込む場所もなく、下手に突っ込めば晶気に直撃をくらう。無事にここを抜けたとしても、奥にいるムラクモ人を殺さずに制圧する余裕があるかどうか。やっかいだな……」


 その時、

「大師範――」

 門弟からその名を呼ぶ声があがった。


 来た道を見ると、向かってくるロ・シェンの姿が見える。その傍らには、さきほど対峙していたムラクモ貴族の男がいた。


 合流したロ・シェンは、

「足止めか?」


 ビ・キョウは頷き、

「隙がない、突破を試みるには、多少強引な手を使うことになる」


 ムラクモ貴族の男は、

「どけ――」

 仏頂面で一門の武人たちを押しのけ、通路の先に顔を出す。

「――私だ! 事情が変わった、手を止めて話を聞いてくれ、今そっちに行く」

 大声で告げ、一人通路の奥へと進んでいく。


 しばしの静寂の後、通路の奥から人の叫び声や悲鳴が伝わってきた。直後に奥から、


「片付いたぞ!」

 男から報告があがる。


 ビ・キョウはロ・シェンと頷き合い、一門を従えて慎重に奥へと足を進めた。


 一行は頑丈な門の前に辿り着く。そこには数人のムラクモ貴族と兵士、そして血を流して横たわるカンノの私兵たちの姿があった。


 返り血を浴びた貴族の男がロ・シェンを睨み、

「言ったことを遂行できなければ、貴様らを皆殺しにしてやる」


 ロ・シェンはなにも返さず、重たい門に手を当てる。


 ビ・キョウが肩を並べ、門をこつんと拳で叩き、

「厚いな、破れるかどうか」


 ロ・シェンは門を蹴り、

「古いが頑丈だ、開閉を封じる仕掛けは一つじゃない」


 二人は無言で顔を見合わて頷いた。


 ロ・シェンは拳で門を叩き、

「百刃門大師範ロ・シェンだ。応じろ!」


 その一声と同時に、ビ・キョウは後方に控えた門弟に、

「連れてこい」

 手を招くように合図を送った。




     *




 門の奥から聞こえてきた声を聞き、ジ・ホクは激しく動揺した。


「兄者、なのか……?」

 門のすき間から声を返すと、


「ホク、やはりそこにいたか」

 間違いなく、聞き知ったロ・シェンの声が返ってくる。


 ジ・ホクは声を荒げ、

「なにやってんだよッ、ここは俺らの雇い主の城だぞ」


「事情が変わった、我ら百刃門はある者に降った。その者の意思により、カンノを捕縛するためにここにきた、速やかに門を開けろ、ホク」


「くそッ――」

 背後からカンノが声を荒げ、

「――裏切りやがったなッ」


 ジ・ホクはじっと門を見つめ、

「なあ、兄者……降ったって、なんだよ……なんのことなんだよ?」


「……戦い、敗北した」


「敗北だとぅ……?」


 動揺しつつも、ジ・ホクはしだいに声を荒げ、

「ならなんで生きてるんだ? ここまで歩いてきたんだろ、ぴんぴんしてるじゃねえか……のうのうと無事な姿さらしといて、いったいになにが負けたっていうんだよ」


「……事情はあとで話す、とにかく開けろ、一門の長としての命令だ」


 カンノが慌てて、

「お、おい! こっちを見ろッ」


 振り返ったジ・ホクの目に入ったのは、山のように詰まれた金貨袋だった。


 カンノは袋を抱え、

「し、仕事を引き継ぐ気はねえか?」


「引き継ぐって……?」


「お前が代表になって俺の下に付くんだ、奴に約束していた報酬もすべてお前のものになる、悪い話じゃねえだろう」


「…………」


 ジ・ホクは金袋をじっと見つめた後、ゆっくりと門まで歩み寄り、握りしめた拳で強く門を殴りつけた。


「俺は認めねえぞ! 一門が負けたなんて急に聞かされてもよ、この目でなんも見てないんだ、認められるわけがねえ! 門は開けねえからな!」


 その途端、安心した様子のカンノの溜息が室内に流れた。


 ジ・ホクは腕を組んでカンノの前に立ち、

「兄者――いや、シェンと約束した倍の金を俺に払え、いいな?」


 カンノは渋い顔でジ・ホクを見つめ、無言まま鷹揚に頷いた。


 カンノは、

「よし、あの門は簡単には破られない、今のうちだ、荷物をまとめて一旦ここを――」


 その時、

「親父ぃ……ッ」

 門のすき間から、声が聞こえてきた。


 カンノは荷造りの手を止め、

「ミノク、か……?」


 カンノは恐る恐る門に近づき、

「なんでそこにいる……お前が首謀者なのか?!」


「違う! 南方人共に捕まったんだ、頼むここを開けてくれ、このままじゃ殺されちまう……ッ、こいつら、なんでもやるって言ってる!!」


 カンノはしばしの逡巡の後、

「…………ふ、能なしの間抜けのために誰が自分を差し出すもんか! そんなやつ好きにしろッ」

 笑みを零して門に向かって強く叫んだ。


「てめえこの、糞親父ッ!!」


 さらに門のすき間からビ・キョウの声で、

「元主殿、残念ながら、捕らえたのは一人ではないぞ。今から捕まえた者全員の名を読み上げる――――」


 カンノの身内ともいえる者たちの名が告げられていく。初め、余裕の態度を見せていたカンノは、しかしつらつらと語られていく名の多さにしだいに顔色を悪くしていった。


 ビ・キョウは最後に女の名を告げ、

「――の子で名はカンノ、というそうだ。血に染めるには惜しいと感じるほど、利発そうな少年だが、自分と同じ名を与えたのはどういう心からだったのか」


 自分と同じ名を聞いたカンノは呆然と立ち尽くし、

「…………開けろ」


 ジ・ホクは首を傾げ、

「はあ?」


「開けろって言ってんだ!」

 必死の形相でそう叫んだ。


「なんだよ急に、さっきと話が違うじゃねえか」


「うるせえ……そこにある金は全部くれてやる、いいから黙ってさっさと門を開けやがれ」


 ジ・ホクは苦い顔で配下の武人たちに指示を送り、複雑な門の仕掛けをはずさせる。


 重たい門が悲鳴のように軋む音と共に、ゆっくりと開かれると、百刃門の武人たちの姿が現れた。


 ジ・ホクはそこにある大きな違和感に意識を向ける。


 くすんだ灰色の髪に大きな眼帯、まるで一門の武人たちを従えるように中央に立ち、鋭い視線で前を睨む一人の男がそこにいた。











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― 新着の感想 ―
[良い点] カンノの野望は実質シュオウ1人にひっくり返された訳だ。そう考えると本当シュオウはヤバイなぁ。 [一言] >ジェダ。すぐにその名が頭に浮かんだ。 だれが侵攻を主導してるか直ぐ気付いたか。 …
[良い点] 面白い! 続きが早く読みたくてしかたない
[良い点] あぁ、本当に『ラピスの心臓』面白い。シュオウの地位地盤が固まってきた今現在が最高すぎる。 漫画も早く2巻出て欲しい。シガ、ジェダ等、キャラデザ気になる。 [気になる点] ムラクモ貴族の男、…
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