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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
134/184

服従 3

服従 3






 手の平を見せながら膝をつき、顔を伏せて視界を閉ざす。ロ・シェンのとったその姿勢は無抵抗と無防備の意志を表していた。


 差し出したまま受け取られることなく、浮いたままの槍を下ろし、シュオウは冷めた心地で息を吐く。


 戦いを途中で放棄したロ・シェンに物足りなさを感じるシュオウ以上に、百刃門の手下たちは不満と疑念を露わにした。


「大師範ッ、どういうことだ、立ってくれ、まだ戦える!」

 手下の武人たちが口々に再戦を促す。


 彼らの言う事は事実だった。顔面を強打して倒しはしたが、ロ・シェンに対して戦えないほどの痛手を負わせてはいない。


 シュオウはあらためて槍をロ・シェンの前に差し出し、

「まだやれるはずだ」


 ロ・シェンは微かに肩を揺らし、

「……いいや、もういい」


「大師範……」

 手下の武人たちが口々にロ・シェンに声をかける。なかには殺気立ち、シュオウに今にも襲いかかろうとする者もいた。


 ロ・シェンは伏せた姿勢のまま、

「全員武器を捨てろ!」


 その発言に、集団に動揺が広がっていく。


「…………」

 ビ・キョウが眉をひそめ、平伏するロ・シェンから目をそらした。


 納得がいかない様子の武人たちは、

「大師範――シェン! たった一打を受けただけではないか! まだ戦える、一門は無傷だ!」


 ビ・キョウが低く声を響かせ、

「馬鹿め、まだわからないのか」


 武人はぎろりとビ・キョウを睨み、

「なに……?」


 ビ・キョウは神妙に息を落とし、

「勝ち目のない相手だと、大師範は今の手合わせでそれを悟ったのだ」


 武人たちの戸惑いと驚きに満ちた視線がシュオウに寄せられる。


「そんな……こんな奴一人に……」


「俺は認める――」

 ロ・シェンは震える声で静かに切り出し、

「――俺より強い者の存在を認める、俺が頂点ではなかったことを認めるッ!!」

 徐々に語気を強め、最後には叫びに近い声で言った。


 ロ・シェンは額を強く地面にこすり、

「一門を守るため、地に伏して負けを認めるッ。要求があるのなら飲む、代わりに我らを、見逃してもらいたい……ッ」


 伏していてもわかるほど、ロ・シェンは大きく開いた口の中で、強く奥歯を噛みしめ、全身を震わせていた。


 それを見ていた武人たちは、一瞬の静寂の後、せきを切ったように騒ぎ出した。


「我らは認めていないぞ……戦わずして負けろなど、これだけの力がありながらたった一人に屈服するなどッ」


「黙れッ」

 突如、ビ・キョウが声を荒げて彼らの訴えに水を差す。


 ビ・キョウは武人たちを睨み、

「お前たち、日々を共にここまで過ごし、シェンがどのような人間かよく知っているはず。その男が屈辱を飲み、生き恥を晒して頭を下げてまで守ろうとしているものを理解できないか」


 武人たちは押し黙り、思い思いの顔で視線を落とした。


 ロ・シェンは、

「俺は本気で戦った。だが、相手は本気で戦ってはいなかった。すべては手の平の中、高みから見下ろされ、打つ手がないッ。その男は、俺たちとは見ている世界が違う、遙かな高みに立っている…………一門を率いる者として命ずる、全員、武器を降ろして降伏しろ、逆らう者は……この場で破門に処す」


 武人たちは仲間内で視線を交わしつつ、一人、また一人と武器を捨て、その場に膝を折る。


 ただ一人、ただ一度の戦いの末に、大勢の武人たちが降伏の意を示していく。


「うわ、すご……」

 屈強な武人たちが次々と、戦わずして降伏していく様を見て、セナが心から感嘆の声を漏らした。


 隣にいたアマイは、

「…………」

 声もなくその様子に呆然と目を釘付けにされている。

 

 渋々ながら、全員が武器を手放してひざまづいたのを見届け、ビ・キョウがシュオウに頷いた。


 シュオウはロ・シェンを見下ろし、

「ムラクモの輝士たちの家族が人質にとられていると聞いた。ここにいるか?」


 ロ・シェンは一瞬喉を詰まらせ、

「……いる」


「人質たちを解放したい」


「……承知、した。場所まで案内する」


 シュオウは頷き、

「その前に――」

 セナを見る。


 セナはきょとんとした顔で自分を指さし、

「私?」


 シュオウは頷き、ひざまづいて大人しくしている武人たちに視線を送る。


 セナはにやりと笑み、

「ははん、縛って、欲しいのね?」


 シュオウは鷹揚に頷いて、

「しっかり、きつく」


「使えそうなものを探してきましょう」

 アマイは言って、奥にある建物のほうへ、よたよたと歩いて行く。


 人数分の縄を調達し、シュオウたちは降伏した武人たちの手足を縄で拘束していく。


「ああ、ああ――」


 セナは武人を縛るアマイを見て不満げに声を漏らし、


「――だめだめ、それじゃ簡単にはずれちゃう」


 アマイは戸惑いつつ、

「そ、そうですか……」


 セナはアマイから縄を取り上げ、手際良く縄を結び直した。


「いッ?!――」

 セナに縛られた武人は途端に顔を青くして倒れ込み、

「――いった、いたたたッ、なんだこのガキ、動くほど縄が食い込んで?!」


 悶絶する武人をよそに、アマイは肩を落として持っていた縄をすべてセナに差し出した。


「おみそれしました……僭越ながら、見学をさせていただきます」


 セナは縄をぱんと手元で張り、

「まあ、見ていなさいよ」

 得意げに武人たちを縛り上げていった。


 しばらくの間、一帯は屈強な男女の悲鳴に包まれた。




     *




 腰にビ・キョウの双剣を差し、片手でロ・シェンの槍を持つ。その二つはシュオウにとって勝者の証となっていた。


「シェン、お前は群れを率いる者としては正しい選択をした。私はお前ほど早く諦められなかった。力量差を見誤り、全員をけしかけ、このざまだ」

 目的の場所へ向かう道中、ビ・キョウがロ・シェンに声をかける。


 ロ・シェンは振り返り、

「お前に預けた者たち全員がか?」


 ビ・キョウは首肯し、

「やられた。命は無事だが、当面武人としての再起すら危うい者ばかりだ……すまんな」


 行くロ・シェンは苦い顔で顎を引き、シュオウが手に持つ槍を見つめた。


 ロ・シェンは視線をシュオウへ移し、

「……聞いてもいいか?」


 シュオウは鋭い視線でロ・シェンを見つめ、

「なんだ」


「俺の見立てでは、あんたは自分の流儀を確立させている。なのに、どうして圧倒する側に立ちながら俺たちの技を真似たがる……見下しているからか」


 意外な言葉を聞き、シュオウは視線の鋭さを解いて首を振った。


「見下してない。ただ、お前たちの戦い方が面白かったんだ。武器の扱いと体術を上手く合わせて使っているのが特にいい。その二つが同時に扱えるものだと思えたのが新鮮だった。だから、だな」


 ロ・シェンは、

「……そう、だったのか」

 肩の力を抜きながら、ゆっくりと前を向いた。


 ビ・キョウが歩幅を広げ、さっとシュオウの隣に並んだ。そのまま顔を覗き込み、


「私はお前のその眼が気になっている。一呼吸の間に相手を仕留める我らの技を、その片眼一つでどうやって見切っているのか」


 シュオウは視線だけでビ・キョウを見返し、

「上手く言えない。ただ、この能力のおかげで、おれは師匠に拾ってもらえた」


「子どもの頃か?」


 ロ・シェンに問われ、シュオウは首肯する。


 ビ・キョウが前を向きながら微笑を浮かべ、

「我らは皆、幼少の頃より武芸の道に入った者同士ということ、会ったばかりだが、どこか他人のような心地がしない」


 アマイが突然咳払いをして、

「馴れ合うのもそのへんまでにしてください。我々は敵同士のはずですよ……」

 言いながら、憎悪を滲ませた視線でビ・キョウを睨む。


 会話に冷めた空気が流れた直後、

「ここだ」

 ロ・シェンが足を止め、足元を指さした。


 隠された地下通路に通じる入り口に辿り着いた。


 ロ・シェンは入り口を隠した板に手を伸ばしながら、一瞬その手を鈍らせる。

 沈鬱とした表情を浮かべるロ・シェンを見て、なにかを察した様子でビ・キョウも顔色を鈍らせた。


 シュオウはロ・シェンを睨み、

「早く開けろ」


 ロ・シェンは無言で頷き、入り口の板をはずしていく。


 巨大な生物の喉の奥のように、地下へと伸びる暗闇の道が姿を現し、明暗の境界線を跨ぐ冷気が、水のように底へと飲まれていく。


「ここ、なんか、嫌だ……」


 地下への入り口を覗き込み、セナが声を震わせ、シュオウの服を強く握った。


 シュオウはしゃがんで、

「中は狭そうだ、ここで出入り口を見張っててくれるか」

 セナの顔を見て言った。


 セナは暗い顔で、

「……うん」


 アマイがセナの後ろに立ち、

「では、私も一緒にここで待たせてもらいましょう。今の体の状態で、この通路の上り下りは難しそうですし、このお嬢さんと一緒に、ここを死守しておきますよ」


 シュオウは頷いて、かさばる槍と双剣をアマイに預け、

「先に行け」

 ロ・シェンとビ・キョウに強く命じた。


 用意した明かりを灯し、中へと下りていく。


 途中でビ・キョウが、

「シェン……どうした?」

 ロ・シェンの様子を窺うように声をかけた。


 上下左右に揺れ動く明かりが、時折ロ・シェンの後ろ姿を照らす。その首筋に、じわりと汗が滲んでいるのが見て取れた。


 ロ・シェンはゆっくりと地下へ足を向けつつ、

「……牧場に置いていたムラクモ輝士たちの様子を見たか?」


 声音からシュオウは察し、

「見た、酷い状態だった……ここも同じか?」


 ロ・シェンは重い息づかいで頷き、

「……もっと悪い。だが一つだけ言わせてくれ、我らが望んでやっていたことではない」


 シュオウは声を尖らせ、

「聞いた言葉だ」

 前を行く二人を強く睨んだ。


「うう……あああ……うああ……」


 異音が耳に届き、シュオウはその場に足を止めた。

「なんだ……?」


 人の声だ。泣いているようにも聞こえ、苦しんでいるようにも聞こえる。


 ロ・シェンが顔を隠すように俯いた。シュオウは強ばった声でその背中を押し、

「声の出所まで連れて行け」


 進むほどに、うめき声が増していく。


 底に降り、ロ・シェンは部屋の前で足を止めた。


 聞こえてくる声は人のものでありながら、そうではないとも感じられる。それはまるで、雨に濡れて怒り狂う、狂鬼の咆哮のようでもあった。


 地下通路一帯に響き渡る異常さに、全身が強ばった。

 ロ・シェンが鍵を開け、重く錆び付いた扉が開かれる。


 声の主は老婆だった。髪や服装から貴族階級にある者であると思われるが、左手の甲にあるはずの輝石は、手首から先がばっさりと切り落とされ、欠損していた。


「あああ……ッ、ぐぐぐ……ッ」


 およそ正気を保っているとは思えない声を発しながら、苦しげに悶える老婆と、その奥に膝に顔を埋めて座り込む少女らしき者の姿がある。

 ビ・キョウは老婆の欠損した手首を見て、

「シェン、お前……ここまでのことを……」

 凍えるような声で言う。


 ロ・シェンは脂汗を滲ませ、

「俺が望んでしていたことではない……」

 視線を泳がせながら、ちらとシュオウの顔を窺った。


「…………」


 シュオウは黙して老婆の元に歩み寄り、しゃがんで手首を様子を窺った。断面は鋭い刃物で切り落とされ、切り口になにかを塗られた後、火で焼かれて止血されたような痕が見受けられる。


 切られ、焼かれただけでも途轍もない痛みだったはず。そのうえで、輝石を切り落とされながら、あえて惨い苦しみを与える方法で無理矢理に命を繋がれている。


 シュオウはゆっくりと老婆の手首を下ろし、

「なんだ、これは――」

 振り返り、ロ・シェンを鋭く睨みつけた。


 ロ・シェンは思わず一歩退き、

「雇い主の強い要望だった、ただそれだけ――」


 シュオウはロ・シェンを睨んだまま一瞬で相手の間合いに飛び込み、手を伸ばした。


「く――ッ」


 ロ・シェンが素早く格闘の構えを取るが、すでにシュオウは相手の手首を掌握していた。


 見た目からでは想像もできないほど、ロ・シェンの体は重みがある。どころか、その重量はどんどん増していくようだった。


 一瞬の間にシュオウは判断を切り替える。不自然な重さが原因で技を極める手間が増える事を考慮し、相手のつま先を踏んで、掴んだ手首を前へ流した。その結果、ロ・シェンは全身の均衡を失い、前のめりに倒れ込む。


「かッ?!」


 転倒と同時に胸を強打し、喉から空気を吐き出したロ・シェンに対し、シュオウは胸に膝を落とし、全体重をかけてのし掛かる。


 ロ・シェンは苦悶の表情を浮かべ、

「ちが……う……」


 シュオウはロ・シェンの顔面を手で押さえ付け、

「指示だったとしても、やっていたのはお前たちだろうッ」

 顔を上げてビ・キョウを睨んだ。


 ビ・キョウは苦い顔で目をそらし、

「……返す言葉はない」


 シュオウは再びロ・シェンに視線を戻す。全身の体重をかけて胸を圧迫し、さらに呼吸が苦しくなるよう頭の動きも抑制した。


 痛みと息苦しさで目を血走らせるロ・シェンも、晶気を使えば反攻の芽もあるはず。


 シュオウはロ・シェンの顔面の横に転がった鋭利に尖った鉱石の破片を見つめた。直後、相手を見下ろしながら、その手の動きを観察する。


「ぐく、ぐぐ――」


 息苦しさで眼球が徐々に裏返る。白目を剥きながらも、ロ・シェンは握っていた拳を開き、手の平を無防備に天井へと向け、下半身の力を抜いた。


 ロ・シェンは無抵抗を選択した。


 シュオウは顔面を拘束をゆるめ、ゆっくりと膝はずし、立ち上がる。


 拘束を解かれたロ・シェンが激しく咳き込み、うつ伏せになって苦しげに呼吸を繰り返す。


「あなたは――」

 部屋の奥から声がした。うずくまっていた少女が顔を上げ、

「助けに、来てくださったのですか……?」

 縋るような視線でシュオウ見た。


 シュオウは少女を真っ直ぐ見据え、

「助けにきた――」

 少女の側で苦しげに呻く老婆を一瞥し、

「――必ず、ここから連れ出す」


 少女は目に涙を溢れさせ、

「ありがとう、ございます。私はアレリー・ノラン、父はノラン家の当主、ムラクモ王国軍重輝士、アルデリック・ノラン。私たちはここまで――――――」

 綺麗な所作で辞儀をして、ここに至るまでの経緯を語り始めた。




     *


     *


     *




 ノラン家の軌跡を辿るため、時を遡る。




「やはり、補給路が完全に封鎖されていました。封鎖を仕切る兵が掲げている印は氷狼――」


 ムラクモ領内、深界に置かれた砦に務めるアルデリック・ノラン重輝士の下に不穏な知らせが届けられた。


「左軍がやっていると……?」

 ノランは疑念を吐き出す。


 報告を告げた輝士は頷き、

「間違いありません。封鎖の理由を問い合わせても、ただ演習であると言うだけで」


 ノランは渋面で頭を掻き、

「この状況で道を封鎖することの説明になっていない」


 ノランの言に輝士は頷いて同意を示した。


「それと、確たる事ではありませんが、封鎖を仕切る兵の中に、異国の兵士らしき者たちを見たという話が複数上がっております」


 ノランは険しい表情で窓の外を眺め、

「北方を睨んでいるはずの左軍が……突然、領内の道を封鎖し、予告なしの大規模な演習を展開しながら、その中に異国の兵士を混ぜている……だと……」


 受けた報告を一つずつ口にし、ノランは振り返って輝士と視線を交わす。


「まさか……あ、いえ、なんでも……」

 輝士は思いついた考えに即座に蓋を落とした。


 輝士は簡易の敬礼をして、

「向こうへ出向き、もう一度、確認をとります――」


 ノランは手を上げて提案を制し、

「いや、身内の補給路を通達なしに封鎖している時点で異常なことだ。明らかに意図を持って行われている作戦行動だろう。このままこの砦まで手を伸ばしてくるのも時間の問題かもしれん――」


 言って、たっぷりと熟考した後、


「――そうなる前にここを放棄し、この件を王都の元帥閣下に直接持ち込む」


「上の許可なく、持ち場を放棄せよ、と?」


 ノランは首を横に振り、

「強制はしない。現状を全員に伝え、その後の行動は自己判断で決めさせる」


「皆にはどう伝えるおつもりでしょうか……」


 ノランは声を潜め、

「アデュレリアが謀反を企てている可能性がある、と」


 輝士は重く嘆息し、

「……間違っていたら、大事になりますよ」


「正しくてもな。周辺地域を左軍に占領されれば、そこに家族がいる者たちは言いになりにならざるをえなくなる。私は謀反人の一人に数えられる前に、家族を王都へ移動させる。君はここに残るつもりなら、後のことはよろしく頼む」


 輝士は暗い顔で、

「承知しました、お気を付けて――」




     *




 ムラクモ王国の軍人たちの働き方は様々だ。家族を置いて遠方に勤める者、家族を任地の近くへ呼び寄せる者、もともと任地の近くを故郷とする者。ノランは現在の任地の側を故郷とする側の者だった。


 農園と林業、小規模な酒造を収入とするノラン家の領地は、冬の静寂に包まれていた。


 太陽が高く昇る前、夜通しで移動を続けたノランは、同行を希望した部下たちを引き連れ、自身が当主を務めるノラン家の邸に帰宅した。


「アル……? あなたなの? まあ、どうして急に? しばらくは戻れないと言っていたのに」


 老いた母親が満面の笑みでノランを出迎える。


「母上、急なことですが軍務を離れ、王都へ向かわなくてはならなくなりました」


 母親はノランの背後に控えた兵士の群れを見て、険しい顔で頷いた。


「軍務を離れてって……なにか、あったのね?」


 ノランは頷き、

「急な事で申し訳ありませんが、全員でここを出る必要があります、急ぎ準備をお願いしたいのですが」


「……わかったわ。近隣の家々にも声をかけましょう」


 ノランは慌てて一歩踏み出し、

「いえッ、大所帯になれば足が鈍りますので、できれば……」


「突然に軍務を離れ家族を引き連れて領地を離れるほどの状況で、自分たちだけで動こうというつもり? ここに居を構えるのは親族一同だけではない、先代、先々代よりも古くからお付き合いのある方たちばかりなのですよ」


 子どもの頃のまま、叱りつけるように言われ、ノランは思わず気圧される。


「……わかりました。状況を伝え、希望する者たちと合流できるよう計らいます」


 ノランの母親は満足げに頷き、

「よろしい、それでこそノラン家の当主としての威厳が保たれる。シェリアの所へは私が直接言って話をしてきます、急いで馬の用意をして――」

 古い友人の名を語りながら、使用人と共に外出の支度を整え始めた。


「お父様……?」


 愛娘のアレリーが顔を出し、ノランは思わず破顔する。


「ただいま、戻ったよ」


 アレリーはほっとしたように笑みを浮かべた直後、周囲の状況を観察し、顔色を曇らせる。


「なにかあったのですね?」


 幼いながらに精神の成長が早いアレリーは、緊急事態を的確に察知し言い当てる。


 ノランはごまかすことなく頷き、

「アデュレリア重将が指揮をとる軍隊の様子がおかしい。嵐が起こる前触れのような予感がする。巻き込まれる前に、この件を直接王都に持ち込むつもりだ。急な旅になってお前たちには苦労をかけるが」


 アレリーは頷き、

「私たちが捕まれば、お父様は逆らえない状況に置かれます。それを避けるためなら、どのような苦労も厭いません」

 大人びた顔つきと言葉で言った。


 ノランは愛娘の成長を愛おしく思いつつ、目を細める。

「まだ早いと思っていたが、丁度良い、王都に到着後、お前の宝玉院入りを進めるとしよう」


 アレリーは目を輝かせ、

「本当ですかッ」


「ああ、私は少し寂しくなるがね」


「それなら、同じ年頃の子たちと同じでは釣り合いません、上の級から初めていただけるよう学院に交渉してください」


 ノランは娘の願いに苦笑いを浮かべ、

「やるだけはやってみよう」

 愛らしい頬に、優しく手の平を添えた。




     *




「まさか、これほどの人数に膨れ上がるとは……」

 王都へ向かう集団を見て、ノランは深々と息を吐く。


 子どもや老人も多く、馬車は大量の荷物積み込み、馬の足も酷く鈍い。

 集団はノラン家の親族たちに加え、部下とその家族、さらに周辺地域に住まう貴族家とその使用人たちを加え、大所帯となっていた。


 そして、深界を行く途中の休息地で、さらに逃げ出した兵士らを中心とした集団と遭遇する。


「君たちはどこから?」

 ノランは集団の代表者である輝士に問う。


「東からここに……左軍の異常な行動を察知し、任地を離れて王都を目指し、ここに辿り尽きました」


「東からここまで? 遠回りをしたものだな」


 感心するように言ったノランに対して、輝士は大きく首を振り、

「主要な白道が左軍に封鎖され、ここを通るしか道がなかったのです。あなた方ももしや?」


「同じような状況だ。左軍により補給路が突然封鎖された。理由はわからずじまいだ。この件を王都に報告するための道中にここに立ち寄ったところなのだが」


「こちらには左軍から脱出してきた者たちが多数おります。彼らの言いようによれば、左軍は北方の兵を取り込み、突然演習と称して各所の封鎖を始めたとか。元帥の許可を確認した者は誰もおらず、あきらかに左軍が独断で遂行している行動であることは間違いありません」


 ノランは強く頷き、

「いいぞ、その証言は役に立つ」


「よろしければ同行を願います、この集団ではあなたが最上級の階級持ちとなる、指揮をお任せしてもよろしいでしょうか、ノラン重輝士」


 ノランはさらに膨れ上がる集団を俯瞰し、

「わかった、受け入れよう。あまり休憩に時間をかけたくない、早めにここを出たいが、次の休息地は……」


「ユウギリです」




     *




 鈍足で進む一行は深界を行き、ユウギリに到着する。


「アル、他に泊まれるところはなかったの? 壁を虫が這っているし、壁もすき間だらけよ……アレリーをこんなところで寝かせるなんて……」


 寝台に腰掛けた母親に向け、ノランは膝を折り、


「母上、ようやく確保できた宿です、お辛いでしょうが一晩だけ耐えてください」


 側にいたアレリーが微笑み、

「お婆さま私は平気です。部屋のなかで香草を炊けば虫が近寄らなくなるとご存じでしたか? いま支度をしてまいります」


 言って、部屋の外に駆けだしていくアレリーを見送り、

「アレリーは賢くていい子だわ」


 母親の言葉にノランは頷き、

「はい」


 だがそのとき、

「おとう、さま……」


 アレリーの震える声を聞き、ノランは慌てて部屋の入り口へ顔を向けた。


「アレリー……」


 顔に大きな傷をつけた褐色肌の武人が、アレリーの首を掴んでいた。


「この――ッ」


 咄嗟に、相手に攻撃を仕掛けようとするも、男はアレリーの首を強く締め上げる。


「軽率な行動はやめておけ、ムラクモ輝士。お前たちの宿はすでに我らの手により包囲されている」


 宿全体から人が出入りする激しい喧騒と、悲鳴が次々と鳴り響く。


 ノランは相手を強く睨めつけ、

「何者だ……」


「我らは百刃門、俺はその代表、ロ・シェン。今は傭兵の真似ごとをやっている。我らの雇い主が、お前たちの代表者と話をしたがっている。俺の見立てでは、お前がそうだと思ったのだが?」


 ノランは汗を浮かべながら、じっくりと頷いた。


「ムラクモ王国軍重輝士、アルデリック・ノランだ……用があるなら、そっちから出向いてこいと雇い主に伝えろ」


 ロ・シェンはノランの言葉を鼻で笑い、

「くっく――それはよくない。指示は常に上から下へと下される。我らはお前たちの喉元に刃を突き立てた、逆らうとどうなるか、軍人ならば想像は容易いはずだ。さて、どうする? 重輝士殿」


 ロ・シェンは言って、アレリーの首をさらに強く締め上げた。

「……う、うう」


 必死に悲鳴をあげないように堪える娘の姿を前に、

「……わかったッ、わかったから、その手を離せ!」


 ロ・シェンは僅かに力を弱め、

「武器を捨て、自分の手でこれをはめろ」

 腰から分厚く、薄灰色に染まった封じの手袋を取り出した。


「アル……」


 不安そうに見つめる母親に頷いて見せ、投げ渡された手袋を左手に深くはめる。


 ロ・シェンは強い視線でノランを睨めつけ、

「手を上げながらひざまずき、ゆっくりと顔を床に付けろ。這いつくばって餌をねだる、犬のようにな」

 笑みを浮かべ、冷徹に命じた。


 ノランはアレリーを見つめ、安心させるように一瞬だけ微笑み、歯を食いしばり、その場に膝をおとした。


「く……」


 ゆっくりと頭をさげ、汚れた床に顔を近づけながら、アルデリック・ノランはこのとき、完全なる服従を選択した。











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小説の表紙
― 新着の感想 ―
[良い点] シュオウの眼はスローに見る力(ゾーンみたいな)が有るんかなぁ。 [一言] >ロ・シェンは無抵抗を選択した。 ここで抵抗したら多分殺ってたかもしれませんね。 ロ・シェンは強いし、勝てないと…
[一言] 包囲して無傷での敵降伏という作戦行動と雇い主依頼の拷問は別で考えないと…
[一言] 石がない以上慈悲を与えるのが遅いか早いかしか無いと思うのだけどどうなるのかな。
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