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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
133/184

服従 2

服従 2






 連なる南山の一角にある僻地の山中に、子どもたちが集っていた。


「俺はジ・ホク様だ、お前はどこから来た?」


 初対面の相手からの質問は、酷く高圧的だった。


 ロ・シェンは体格差のあるジ・ホクを見上げ、

「……西の、ほう」

 消え入るような声で答える。


 ジ・ホクは鼻の下をこすり、

「その顔の傷、誰にやられた? 父親か、それとも母親か?」

 悪意を込めた声音で聞く。


 その問いに、じくりと心に痛みが走る。経験した過去が、無遠慮に古傷をなぞった。


 俯いたロ・シェンを弱いと見たのか、ジ・ホクは無遠慮に顔を寄せて腕を掴み、手の甲にある色のついた輝石を見た。


「俺は親父が殺されて、跡を継いだ叔父さんに捨てられたんだ。お前もどうせおんなじようなもんだろ、どこかの良家から捨てられたガキ、ここにいる奴らはそんなのばっかりだ。お前は弱そうだから守ってやるよ、じゃないと他の奴らにやられるだろうからな。俺が上でお前が下だ、今日から俺を兄者と呼べ。守ってやる代わりに、食いもんの半分を毎日差し出せ、逆らったら容赦しねえからな」


 ジ・ホクはロ・シェンの肩を強く押し、椅子代わりに座っていた巨大な丸太を真っ二つに叩き割った。年の頃に合わない怪力は、明らかに彩石がもたらす力である。


 ロ・シェンは黙って俯いたまま、浴びた木の破片をそっと払う。


 ジ・ホクは満足した様子で、次に片隅で一人座っていた少女に声をかけた。


「おいッ、女!」


 怒鳴るように声をかけられた少女は、表情一つ変えずにジ・ホクを睨み、地面に転がっていた石ころを拾い上げた。その直後、固い石が少女の手の中で破裂したように、激しく音を立てて砕け散る。


 石を粉々にした少女は一言、

「なんだ、男」


 ジ・ホクは汗を滲ませ、

「い、いいや、なんでもねえ……」

 素早く相手を切り替え、別の子どもに声をかけにいった。


 ぼうっとその様子を眺めていたロ・シェンに、少女が歩み寄る。


 少女は勝ち気な鋭い視線でロ・シェンを見つめ、

「お前、名前は?」


「……ロ・シェン」


「私はビ・キョウ、お前たちより先にここに来た。ロ・シェン、なんでやり返さなかった。お前、あいつを怖がってなかっただろ」


 ビ・キョウは手の甲の輝石を指さしながら、子どもらしからぬ完成された微笑を浮かべてロ・シェンを見る。


 他の子どもたちを脅してまわるジ・ホクは、言いなりにならなかったのか、突然相手を激しく殴りつけ始めた。


 馬乗りになり、笑いながら肩や腕を殴りつける。加減はしているようだが、すでに相手は重傷を負っている様子だった。


 周囲にいる大人たちは誰一人ジ・ホクを止めようとはしない。ここがそういう場所であるとわかっているかのように、ジ・ホクはなにを気にすることなく暴力を振るい続けた。


 まわりにいる少年少女、多少年上であろう者たちも、ジ・ホクを止める者は誰もいない。


 ビ・キョウは鼻息を落とし、

「ああいうのはどこにでもいるな。強さを示して順位をつける、下に置かれた奴らは上にいる奴らに嫌われないよう、こそこそと自分を殺して生きるんだ。お前もさっき、そっち側に居ることを選んだ。いいのか、なにもしないまま、それを受け入れても」


「……嫌だ」

 ロ・シェンは静かに、ジ・ホクに向けて歩を進める。


 ロ・シェンは振り上げたジ・ホクの腕を取り、

「もうやめろ」


 ジ・ホクは怒りで興奮した顔でロ・シェンを睨みつけ、

「なんだお前」


 ジ・ホクは取られた腕を振り払おうとする。だが、

「え……あれ……?」


 ロ・シェンはびくともせず、そのまま手を離さない。


 戸惑いつつも、ジ・ホクはもう一方の腕を振り上げた。


「このやろうッ!!」


 見上げるほどの体格差がある相手から、顔面にするどい一撃が見舞われる。しかし、ロ・シェンに与えた衝撃は、布ではたいた程度のものだった。


 ロ・シェンの左足が、ずんと重たい音をたて、激しく地面にめり込んだ。その様はまるで、高所から落下した巨岩が地表に激しくめり込むようだった。


 ジ・ホクは激しく戸惑い、

「なんなんだ、なにをしてるんだよ?!」

 後ずさるが、ロ・シェンに腕を掴まれたまま、離れることができなかった。


 ロ・シェンはジ・ホクを軽々と引っ張り、大きな体を地面の上に引き倒した。


 周囲で見ている者たちの驚きの眼差しを集めつつ、ロ・シェンは倒れたジ・ホクを見下ろし、ジ・ホクの顔面の真横すれすれの地面に拳を打ち付けた。


 鉄塊で岩を砕いたような衝撃音が轟くと、小柄なロ・シェンの拳は、深々と硬い地面に穴を開けていた。


 ジ・ホクは怯えた顔で周囲の大人たちに視線を送り、

「ひ――た、助けてッ」


 だが、それを見る大人たちは誰一人動き出す者はいなかった。


 この場で一人、一歩進み出たビ・キョウが、

「そいつにどっちが上か聞いてみたらいい」


 ロ・シェンはジ・ホクを睨み、

「どっちだ、言え」


 ジ・ホクは戸惑いながら、

「し、知らねえよ――」


 ビ・キョウが鼻で笑うと、ジ・ホクはなにかを察した様子で息を飲み、


「――お、俺が下だ、下でいいッ! 許してくれ、あ、兄者ッ」


 ジ・ホクは涙目で降伏を叫び、服従の意を表した。




     *




 付き従う者たちからの視線を受けながら、ロ・シェンはシュオウと名乗った男と対峙する。


 双剣を構える姿に隙がない。


 柔軟だが芯があり、両足は根を張ったように地面を掴んでいる。細身に見えるが、間違いなくかなりの鍛錬を重ねた体の持ち主だ。


 屈強な武人の群れを相手にしながら、その隻眼は揺らぐことなく、ただ目の前の相手のみを捉えて放さない。その眼光はまさに、強者の証だった。


 そしてなにより、ビ・キョウを相手に勝利したと言いながら、傷一つ負った様子がない。そのことがロ・シェンの心を惑わせた。


 ビ・キョウが行使する晶気の力は握力と呼べるような代物ではない。掴む力が強すぎて、指先に触れたものはその瞬間に爆ぜるように吹き飛んでしまう。


 剣技と格闘の間合いの極意により、初見の相手ならば必勝を誇ったビ・キョウを相手に、無傷で勝利を収めるなどという話は、彼女をよく知る者であるほど眉唾にしか聞こえない。


 ――だが、わかる。


 疑いながらも、ロ・シェンは目敏く察知していた。目の前にいる相手は紛れもなく強者である。どんな方法を用いたのかわからずとも、立ち姿からひしひしとそれを感じるのだ。


 ――キョウが触れることすらできなかった相手だ。


 ビ・キョウと対戦して無傷という事実からその推測が成り立つ。

 彩石を持たずにそれを行えたということは、並外れた技術の持ち主ということ。


 ――防御に長けた剣術の使い手か。


 整理した思考の結果、その考えに行き着いた。


 両者は睨み合い、どちらからも動くことはない。


 ロ・シェンは身を低く屈め、

「先取ッ」

 言って、胸に溜まった息をすべて吐き出した。


 長柄武器の間合いを活かし、剣の間合いの外から槍を突く。


 一撃、二撃の素早い突きに対し、相手は二本の剣を用いて、それを的確にいなしてみせた。


 並の相手であれば初手で決着がつくほど鋭い攻撃、それを難なく凌ぐ防御の技は、達人の域に達している。


 ――やはりか。


 守りに特化した剣技であれば、攻撃一辺倒のビ・キョウと相性が悪かったのも頷ける。


 ロ・シェンの攻めに合間が生じても、相手から攻めてくる気配はない。


 ――後の先の守りの剣技、つまらん相手だ。


「ふううッ――」


 槍を手の中で回し、集中を高め、彩石の力を行使する。直後に、ロ・シェンの片足が地面にぐっとめり込んだ。


 槍の中心を掴む握りから、柄の先端まで握りを替える。遠くから相手に向けて槍の刃をなぎ払った。


 相手は再び二本の剣を構え、道を作るように防御の姿勢をとる。だが、


「――ッ?!」


 槍を受けた二本の剣が一瞬にして均衡を失った。崩れた防御の態勢から、相手は驚いた様子で半歩、後ろへ身を引く。



 ロ・シェンは歯を食いしばって相手を睨めつけた。


 ――こいつッ。


一撃目に体勢を崩していたにもかかわらず、二撃目を入れる隙がまったくなかったのだ。


 シュオウは剣を握る手をじっと見つめ、

「重くなった……?」


 観戦するビ・キョウが、ふっと笑声を零した。


 ロ・シェンは槍を木の棒のように軽々と空に投げ、

「軽くもなり――」

 落ちてきた槍を受け取り、

「――重くもなる」

 硬いはずの地面が、まるで泥水のようにでもなったかのように、槍を深々と突き刺した。


 ロ・シェンは槍を軽々と抜き、

「そして、俺自身もな」

 自らの足を深々と地面に突き刺した。


 手にした武器と自らの体の部位の重さを変化させる。武器の振り、歩幅、そのすべてが操る重さによって一瞬のうち、自在に変化を繰り返す。それにより、ロ・シェンの技は、間合いの騙しを極意とする一門の中でも、天才の域と評されていた。


 ロ・シェンは再び構えを取り、

「受けてばかりでは退屈だろう、そっちからも仕掛けてこい。序列二位のビ・キョウを破った相手だからこそ、俺が直々に相手をしている。がっかりさせるなよ」


 その言葉は相手に対する軽い挑発の意が込められていた。防御に特化した剣技を使う者だからこそ、攻めてこいと言われるのは気分を害するはずである。しかし――


 直後、シュオウは前に踏み込み攻撃を仕掛けてきた。その行動が、少なからずロ・シェンの心に動揺を招く。


 ――先をとってきた。


 受け身に徹すると思っていた相手が、あっさりと攻撃を仕掛けてきた。


 ロ・シェンは足の重さを変化させ、大木のように地面に深く根を張った。


 シュオウが二本の剣を操り、技を繰り出す。その型が、再びロ・シェンを大きく惑わせる。


「な……」


 二本が一対の動きを成しながら、一つずつの技のなかで絶妙に武器の間合いを変化させる。その一連の動きは、


 ――キョウ。


 飽きるほど見てきた双剣の型、それにビ・キョウが自らの能力を活かすために独自の研鑽を積み上げてきた動作のすべてが、シュオウのとった動きと酷似している。


 一門の教えを、そして長年の努力の結晶を汚された気になり、ロ・シェンは激しい怒りを感じた。


 ――ふざけた真似を。


 一の手で偽りの間合いを見せ、二の手で真の間合いに持ち込む。種を知るロ・シェンにとって、真似事の技を仕掛けられることは酷い侮辱に等しかった。


「俺を誰だと――」


 技を修め、大師範として一門の頂点に立つ者を相手に、上っ面をなぞった技が通用するはずもない。


 相手の動作の次を読み、ロ・シェンは防御から素早く反撃に切りかえた。


 ――ここッ。


 絶対に躱せない、という状況で鋭い槍の一撃を穿つ。だが、シュオウは剣の軌道を変え、上半身を屈めて一撃を難なく躱してみせた。


「な?!」


 ロ・シェンが驚いた直後、全身に寒々しい悪寒が走る。

 攻撃を躱した後、シュオウはロ・シェンの間合いを飛び越え、懐深くまで距離を詰めていた。


 息づかいが聞こえるほどの距離にありながら、シュオウは剣を一本ほうり投げ、空いた手でロ・シェンの手首を掌握する。


 その瞬間、春が冬へと落ちたかのように、全身の血が一瞬にして凍り付いた。


 反射的に槍を投げ捨て、掴まれた腕の重さを増した。腕一本が丸太のような重さに変わった直後、シュオウは掌握を手放し、素早く後退して間合いをとる。


「はあ、はあ――」


 呼吸は乱れ、全身に冷えた汗が滲む。


 ――なんだ、今のは。


 その間合いは剣士にはありえない。剣を捨て、手を伸ばして手首を掴んできた。まるで剣術ではなく、体術のそれだ。


 ――キョウ、こいつは。


 掴まれた手首に触れながらビ・キョウを見る。

 ビ・キョウは平素のように穏やかな表情のまま頷きを返した。


 ――剣士じゃないのか。


 手放した槍をシュオウが拾った。その使い心地をたしかめるように各所を握り、ぎこちない動作で突いてみせた。


「同じ武器を使ってみたい」


 そう言って、シュオウが槍をロ・シェンに投げ渡す。


 ロ・シェンは不快感を露わに顔を歪め、

「渡してやれッ」

 門下たちに叫んだ。


 立てかけてあった予備の槍がシュオウに投げ渡される。


 シュオウは双剣を地面に置き、渡された槍を持って、構えを取った。


「ふざけた奴め」


 シュオウのとる構えはロ・シェンのそれと酷似していた。というよりも、見かけにその形はまったく同じである。


 ビ・キョウが、

「いまさらだが、私はその男に技を盗まれたぞ、一瞬でな」


 ロ・シェンは改めてシュオウの輝石を観察する。見間違えではないのか、一瞬で達人の型を模倣する、などということが、凡人にできるはずがない。だが、そこにあるのは、なんら特別な力を持たぬ者であることを証明する、白濁した石のみなのである。


 ロ・シェンはシュオウを睨めつけ、

「長柄を扱ったことはあるのか」


「ない」


「……だろうな」


 ロ・シェンは槍を回転させ、複雑な槍術の型を披露する。

 次にシュオウがとった行動に、周囲からどよめきがあがった。


 シュオウはロ・シェンの披露した型を正確に模倣し、繰り返した。


 一瞬、あっけにとられたロ・シェンは、しかしその動きのなかに、相手の能力の正体を見つける。


 ロ・シェンは握った槍の重さ、そして四肢の重さを、型ごとに最適な状態に変化を繰り返している。


 シュオウのとる動作は一見してよく出来た模倣であるように見えながら、重さの変化を反映していない。それはつまり、


 ――ただ、見て真似ているだけ。


 それにしても十分な神業である。が、それ以上のものでもない。

 相手は人並み外れた能力を持つ者、しかし、濁石を持つ凡人であることに変わりはないのだと、改めて心に刻みつける。


 意表を突かれたとしても、相手の存在を過大に膨らませる必要はない。落ち着いて対処すれば、必ず勝てる相手である。


「ふう――――」


 ロ・シェンは深く、深く、深く息を吐き出した。胸が板のように薄く縮まり、全身の筋が芯に引きずられるように硬くなる。


「先取ッ」


 合図と共に攻撃を仕掛ける。


 払い、突き、握りを変えて間合いを詰めながら晶気を行使する。


 使い慣れない槍を持った相手の防御は、あきらかに脆くなっている。ぎこちなく槍の腹で一撃を受けるが、その衝撃を上手くいなすことが出来ていない。


 頭上から打ち下ろす一撃が、相手の防御を大きく崩した。


 ――ここッ。


 隙を見つけ、ここしかないというすき間に刃を通す。


 だが、当たらない。


 幾度となく訪れる好機に打を加えるも、槍の刃先は寸前で相手の肉に届かない。


 そして、攻防を繰り返すほどに、相手にある変化が訪れる。槍を用いた防御の堅さが増しているのだ。


 その動作は、やはりロ・シェンの見せてきた動きに酷似していた。まるで雨水がしたたかに地面を濡らしていくかのように、ぎこちなかった槍の扱いが、違和感なく相手の手に馴染んでいく様子を目の当たりにする。


 ――こんなやつが。


 ロ・シェンは脅威を感じていた。


 ビ・キョウがかすり傷すらつけられなかった相手。守りの剣技に長けた者という予想が完全に打ち砕かれる。武器を使った防御、などというものとはまるで異なる、これはあり得ないほど完全なる見切りだ。ロ・シェンとの実戦の最中に、見切った技を研磨するほどの余裕を持ちながら、必殺を確信した技を的確に躱している。


 ――早く、早く。


 ロ・シェンの心に焦りが生じた。


 時をかけるほど、相手は強さを増していく。打つ手がなくなる前に決着を付けなければならない。


 地を踏む足に重さをかける。その足を蹴り上げる瞬間、四肢と槍の重さを極限にまで軽くさせ、羽根のような軽さで跳躍する。


 ありえない早さ、ありえない軽さで間合いを詰め、槍を打つ瞬間、その重さを実際の数倍にまで膨らませた。


 重みに押され、シュオウは槍を持つ姿勢を大きく崩す。ロ・シェンは飛び込んだ勢いのまま槍を手放し、鉄塊の如く重く変化させた四肢で、強烈な拳を繰り出した。


 武器の扱いを極めながら、己の体もその延長と成す。


 百刃門の教えを体現するロ・シェンの一打は、繰り出せるかぎり頂点に達する威力と早さを秘めていた。


 だが、届かない。


 拳はからぶり、一瞬、完全な無防備を晒す。


「くッ――」


 身に覚えのある怖気の直後、シュオウの手がロ・シェンの手首を、まざまざと掌握した。


 掴まれた手首が上下逆さに捻られる。


 ロ・シェンは反射的に四肢の重みを最大にまで引き上げた。両足でがっしりと地面を捉えながら、返された手首を元の位置に引き戻す。


 シュオウは素早く手首の掌握を手放した。


 ――凌いだぞ。


 そう思ったのも束の間、シュオウはロ・シェンの投げ捨てた槍を掴み、柄の部分でロ・シェンの顔面を強打した。


「ぐあッ?!」


 その瞬間、爆ぜるように、視界を白い閃光が埋め尽くした。




     *




 巨大な門の奥から武芸者たちが修練に励む音が山中に響く。

 石が敷き詰められた敷地の奥に、巨大な鬼神の石像がそびえ立ち、周囲には歴史のある大きな堂が建っていた。


 その門の外で、

「兄者、言われたとおりに全員を並ばせた」

 幼いジ・ホクが従順に報告をあげた。


 ロ・シェンはジ・ホクに頷き、

「渡された食材を分担して調理しろ、俺がいいと言うまで配膳はするな」


 山中で修行に励む幼年の者たちに対し、ロ・シェンは彼らを統率する立場になっていた。


 ここにいる大人たちは何も干渉しようとはしない。


 ただ少ない食材を渡し、監視するように各所に立って様子を見ているだけである。

 変化のない日々が数日過ぎたある時、壁の向こうの敷地から、貫禄ある壮年の男が姿を現した。


「大師範に礼」

 周囲の大人たちが一斉に平伏の姿勢をとる。


 連れて来られたばかりの子どもたちは戸惑ったように立ち尽くすなか、大師範と呼ばれた男が険しい顔で、ロ・シェンの前で足を止めた。


 大師範は静かに視線を回し、

「これほど早くにまとまるのは珍しいことだ。ここにいるお前たちは、それぞれに意味があってここにいる――」


「――捨てられた者」

 言って、ジ・ホクを見る。


「――自ら選んだ者」

 言って、ビ・キョウを見る。


 最後に、

「――うとまれた者」

 そう言って、ロ・シェンを見た。


 大師範はロ・シェンと視線を交わした後、振り返って門に向かって歩を進めた。


「来なさい」


 招かれ、初めて門の奥へ足を踏み入れる。


 砂利を敷いた広い中庭は訓練場になっていた。屈強な男女の武芸者たちが、様々な武器を持って鍛錬に汗を流している。


 子どもたちが怯えるほどの恐ろしげな顔をした鬼神像の横を通り抜けると、古びた堂の一つへ連れていかれた。


 扉が開くと、子どもたちが驚いて声を響かせる。


 部屋一面に置かれていたのは無数の武器。様々な形の剣や槍、棒や弓に至るまで、この世のすべての武器が集められているのではないかというほど豊富な種類が並べられている。


 大師範は部屋の中心に立ち、

「百刃門は我が身の延長として武器の扱いを習得する。生涯を共にする武器を選べ、この儀式を終えた者から入門を認める――まずはお前からだ」


 大師範はロ・シェンを指さし、手招きをした。


 ――選ぶ。


 歴史を知らせる残響のように、並ぶ武器にいくつもの傷が刻まれている。


 傷が見せる陰影を頼りに、古びた一本の槍の前で足を止めた。


 体に合わない大きさの槍を取ると、先端から生じたしなりが、振動を伴って全身を震わせる。それはまるで、生物から伝わる鼓動のようだった。


「これにする――――」


 武器を選んだその日から、修行の日々が始まった。


 厳しい肉体の強化、体術と武技の訓練、学問。その過程で死す者、逃げる者、様々な様相を経て、成長を遂げる。


 そして、成熟したロ・シェンは、

「大師範に礼!」


 一門を実質的に率いる立場にまで上り詰めていた。


 白くなった髪が抜け落ち、老いて体が小さくなった大師範は、ある日、山中の奥へロ・シェンを呼び出した。


「シェン……強くなったな」


 ロ・シェンは膝をつき、

「師の教えあってのことです」

 頭を下げる。


 大師範はロ・シェンの言葉に冷めた笑みを返し、

「殊勝な態度だ……見かけだけはな」


 ロ・シェンは下げた顔を険しく歪める。

「……至らぬ所があれば精進いたします」


「上辺はいい。シェンよ、ここに、もはやお前を超える者はいなくなった――」


 大師範が腰に下げた細身の剣を抜き取った。ロ・シェンの額にじわ、と汗が浮かび上がる。


 大師範は剣を構える。老いてはいても、体に染みついた熟練の技は、圧倒的な殺気を放っていた。


「――お前は一門をどうしたい」


「先達を畏敬し、教えを次の代に伝えます。私は皆の手本になるよう精進を重ね、生涯をかけて技の研鑽に努め――」


 大師範は低く、唸るような声で、

「上辺はいい、と言ったぞ。幼少の頃から、お前の内に秘めた邪悪さは透けて見えていた。言え、本音を、これを聞くのは今日かぎりだ」


 ロ・シェンは拳を握って顔を上げ、

「……山に籠もり、ただ鍛えているだけでは意味がない。外にでて力を試したい。我らの力で大金を稼ぎ、百刃門をさらなる巨大な集団へと育て上げ、その名を天下に知らしめたいッ」


 顔に刻まれた古びた傷が幻の痛みを生じさせる。痛みは幻覚を伴い、ある言葉を脳裏に浮かび上がらせた。


 ――復讐。


 最後に吐きかけた言葉を飲み、ロ・シェンはその視線を静かに沈める。


 言葉を聞いた大師範は穏やかに微笑し、

「ふ、野心に塗れた者の言葉よ――――よく、わかった」

 手にした剣を自らの腹に突き刺した。


「大師範!」

 ロ・シェンは慌てて一歩を踏み出す、しかし、


「本日をもって大師範としての役目を終わる。次代に繋ぐ役目は果たした、多く育てた弟子たちの中でお前以上の者はいなかった。一門の行く末を託す、大師範となり思うままにやってみろ、お前なりの方法でな」


 血をこぼしながらじりじりと足をすり、背後に広がる広大な空に向かって身を投げる。高所に突き出た崖の上から、地の底へ、大師範の身は音もなく消えていった。


「………………はいッ」


 ロ・シェンは深々と伏礼し、額を地面に擦りつけた。




     *




「大師範ッ!!」


 大声で呼ばれ、ロ・シェンは意識を取り戻す。


「う、あ……」


 喉から溢れる自身のうめき声を聞きながら、現状を確かめる。


 ――どうなった。


 視界に映るのは一面の空。背中の全面が硬い地面に張り付いている。


 ロ・シェンは全身で倒れ込んでいた。顔面には焼け付くような痛みが走り、手足の反応が鈍っている。


 どうにか顔を上げると、一門の者達が殺気立ち、シュオウを取り囲んで武器を向けているのが見えた。


「大師範、ご指示があればすぐに!」


 総出の攻撃を訴える者たちの殺気だった声が鳴り響くなか、敵意を向けられているシュオウは、酷く落ち着き払っていた。


 シュオウは槍を握り、ロ・シェンが披露した技の型を一つずつ再現していく。


 ――形が。


 見せつけられたものを前に、ロ・シェンは声を失い、驚愕した。


 不完全であったはずの、見よう見まねの即席の動きだったものが、一つずつの技に、独自の動作が加えられていく。手首のひねり、握りの深さを調節し、体を捻り、外に振る力を加えた新たな技が構築されていく。次の瞬間、異なる動作を加えた動きのなかで、突如として重さを操るロ・シェン独自の技の型に、ぴたりと軌道が重なった。


「――――」

 全身の毛が総毛立つ。


 これは新たな技の構築ではない。あくまでも模倣なのだ。見たものをそのままに再現する、足りないものがあれば、その過程に独自の解釈を織り込みながらも、最終的な到達点はまるで同じものになっている。


 シュオウは満足げに槍を振り終え、それをロ・シェンに差し出した。


「…………」


 言葉はなくとも、ロ・シェンはシュオウの意を理解する。

 まるで子どもが遊びに誘うように、続けよう、とそう言っている。


 差し出された槍に伸ばした手を、ロ・シェンは途中で引き留めた。


「大師範……」


 戸惑う声が各所から水漏れのように地上を滑った。


 ロ・シェンは深々とシュオウの前にひれ伏した。


 渇いた土を額にこすりつけ、手の平を空に向ける。それは勝者に対し完全なる降伏を示し、服従する、敗者の姿勢だった。











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小説の表紙
― 新着の感想 ―
どうしてひたすら目が良いのと、師匠から教わったただの体術で主人公無双にここまで説得力が持たせられるんだ。 最高。
この模倣能力も何度も死にたくなるぐらいの修行による莫大な基礎のもとで成り立ってるんだろうな だからこそ模倣ならではの上辺だけの浅さが生まれない
[良い点] いやあ、またもよい強化イベントでしたね。 シュオウは個人同士の対決のほうがやはり面白いです。 新たな部下が増えていよいよ決着ですかね。 [一言] 最近はいろいろな視点から物語が進みますが …
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