服従 1
服従 1
「石を無くした人間の様ってのは、獣より劣る」
目の前に証明するものが在る。カンノが他人事のように吐いた言葉には説得力があった。
輝石を切り落とされた貴族の老女は、陸にあげられた魚のように体をのたうち、左右散り散りに動き続ける眼球が、正気を失っていることを示している。
ロ・シェンは冷めた目で老女を見やり、
「苦しみの極地、生きたまま全身を光砂に変えられていく痛みがどれほどのものか」
カンノは老女を覗き込む。皺や傷に隠れた素の人相には、喜怒哀楽のすべてが込められていた。
カンノは老女の首下で鼻を鳴らし、
「……ガキの頃、お前のような婆の貴族に俺の母親が仕えててな。朝から晩まで、体がぼろぼろになるまで働かされて、まだ物もわからない子どもの俺を一人で抱えながら、それでも必死に生きてたんだ」
話ながら、カンノは次第に興奮し、語気を強める。
「今でも忘れやしねえ、あの貴族の咽せるような香水の匂い、ゴミを見るような目、言葉。俺の母親が過労で倒れたときに、ほんの皿一枚に乗った食い物を落としたからって、喚き散らした婆は怒りのままに体罰を与えてぼろぼろにして追い出しやがった――――お前に、あの後、母さんがどうなったか教えてやるッ、ゴミのように苦しんで死に、弔うこともできず、ガキ一匹が這いつくばるように生きながらえたんだ! 見ろ! あの時の無力なガキはな、今は貴族を顎で使ってるんだ、お前らみたいなゴミを、ゴミのように扱う事だってできるんだよ!!」
語りは徐々に勢いを増し、怒りにまかせた叫びに変わる。
カンノは涙を零しながら、
「返しやがれ! 俺たちから奪ったものをすべて、返せ、返せ、返せッ――」
興奮しきったカンノは、老女の顔面を殴り始めた。
部屋の隅にいる少女が、顔を沈めてすすり泣く声を噛み殺す。
ロ・シェンが振り上げたカンノの拳を握り、
「そのへんにしておけ」
カンノは怒り狂った表情でロ・シェンを睨み、
「止めるな糞がッ!」
「……主人、死なせるなとの命令だっただろう。そのまま殴り続ければ間もなくそいつは死ぬが、それが望みなら止めはしない」
その言葉に、カンノは一瞬でのぼせた血を下ろし、不気味なほど怜悧で冷静な態度へと豹変する。
「……いや、死なせるもんか。最後の一片になるまで苦しませ、消えていく様を見届ける。こいつが使えなくなったら次は別の婆だ。嬉しいぜ、神を信じちゃいねえが、なにかが俺に人生で最大の慰めを恵んでくださった」
ロ・シェンは冷笑を浮かべ、
「好きにすればいい」
カンノは拳についた血を拭い、
「他の奴らも見せろ。しっかり弱らせてあるだろうな」
ロ・シェンは肩を竦め、
「言いつけのままに」
部屋の外へ出る途中、カンノはふと足を止めて振り返った。
「王都の貴族軍人どもはどうなってる?」
ロ・シェンは微笑を返し、
「有能な奴にまかせてある、案ずるな」
「俺の指示を守らせてるだろうな」
脅すような声音でカンノが言った。
「上からの指示は徹底する奴だ。気になるなら、このあと向こうに見にいっても構わんが」
カンノは肩を落として首を回し、
「明日だ」
短く告げ、肩を押さえながら首を捻った。
*
「ねえねえ、これからどうするの?」
キラキラとしたセナの視線がシュオウを狙い撃つ。
シュオウはセナから大きく視線を逸らした。
「これから、か……」
夜は明けている。
牧場の柵に腰掛けながら、シュオウは白んだ空を見上げた。
本来の立場を離れ、強引にユウギリに足を踏み入れている現状は、あまり良い状態とはいえない。
――サーサリアはいなかった。
どうあれ、情報を得るという目的を果たすことができた以上、ここを去るのが常道であろう。だが、
――人質。
ユウギリに釘付けにされているムラクモの輝士たちの現状を知ったいま、そのことが頭から離れなくなっている。
「予定に悩むのは自由だが――」
ビ・キョウが手を拭いながら現れ、
「――その前に勝者の責を果たしてもらおうか」
シュオウはビ・キョウに対し、険しい視線で凝視し、
「どういう意味だ」
ビ・キョウは微笑を浮かべて、
「私をどうするのか決めてくれと言っている」
「それについては、私も大変興味がありますね……」
アマイが言って、よろよろと歩き寄ってくる。
セナが慌ててアマイに駆け寄り、
「ああ、だめだめ、まだじっとしてないとッ」
アマイはセナに体を支えられながら、ビ・キョウを強く睨めつけた。
「隊が受けた不意打ちに、その後の惨い仕打ち、どちらか一つをとっても、この東地においては死に値する大罪となります」
ビ・キョウは腕を組みながら真っ直ぐ背筋を伸ばし、
「人聞きが悪いな。後者については否定しないが、我らは不意打ちなどしていない。素性を伝えた上で堂々と戦いを挑み、勝利したまで」
アマイは表情に憎しみと怒りを滲ませながらも、ビ・キョウの言葉を否定しなかった。
アマイは負の感情に塗れた視線をシュオウへ移し、
「君が手を下さないというのなら、私が執行役を務めます」
おぼつかない動作で、晶気を使うような構えをとる。
ビ・キョウは視線を尖らせ、
「私が敗北した相手はお前ではない。それが勝者の意志であるなら、その執行とやらを受け入れるが?」
シュオウへ視線を移す。
怒り猛るアマイ、窺うビ・キョウ、そして不安げに見つめてくるセナ、三者の視線を受けながら、シュオウは座っていた柵の上から飛び降り、ビ・キョウとアマイの間に立って、アマイの腕を下げさせた。
アマイは目に涙を滲ませ、
「私たちがどんな目に遭わされてきたか、その目で見たはずです」
シュオウはアマイの視線を受け止め、
「彼女がいなければ、あなたたちを見つけることができなかったかもしれない。黙っていることもできたはずだ。地下から運び出すときも、その後も、いつでも逃げられたのに、そうせずに俺に手を貸した」
「だからといって許せるはずがない……ッ」
語尾を滲ませたアマイの手元が発光を帯びる。
シュオウは晶気が振るわれる前兆を感じ取り、セナの身を強引に引きよせた。
「うおあ、っとっと――?!」
驚いたセナが間の抜けた声をあげる。
支えを失ったアマイは晶気の扱いを中断し、その場に崩れ落ちた。
「く……ッ」
シュオウはアマイを上から見下ろし、
「どうするかは、こいつを仕留めた俺が決めます」
「ふ――」
背後からビ・キョウの微かな笑声が聞こえてくる。
アマイは不満を込めた視線を嘆息と同時に地面に落とした。
シュオウは皆を平等に見やり、
「仲間を待たせてる、もうここを離れないといけない」
その途端、アマイが爆ぜるように顔をあげ、前のめりに倒れながら、シュオウの足にしがみついた。
アマイは縋るような視線でシュオウを見上げ、
「待ってくださいッ、数を減らし、負傷者ばかりの隊の現状では、ここで起こっている異変への対処もままならない。手を貸してください……どうか、このとおりです……助けて、ください」
シュオウはアマイの肩を支えて立ち上がらせ、視線を下げて、深く息を吐き出した。
シュオウは振り返ってビ・キョウに、
「囚われている輝士たちの家族の居場所はわかるか?」
「……わかる。一門に宛がわれた塒で管理されているはずだ」
「はっきりしないのか?」
「管轄ではないからな、実際にこの目で確認はしていないというだけだ。私の知らない予定変更がなければ、今もそこに幽閉されているはず」
シュオウはビ・キョウに睨みを効かせ、
「案内しろ」
ビ・キョウは目を閉じて頷き、
「わかった、支度をしてこよう」
「私も、同行します」
よれよれの体で、しかし有無を言わさぬ調子でアマイが言う。
セナがアマイに、
「あなたはだめよ、休んでないと」
アマイは首を振り、
「今、君の側を離れるつもりはありません」
シュオウを見ながら宣言した。
「ああ……なら私もッ! うろちょろする怪我人の側に居たほうがいいもんね」
もっともらしい理由を述べつつ、あきらかに好奇心を膨らませているだけのセナが、便乗して同行を主張した。
シュオウは天を仰ぐ。
診療所を出たときには暗かった空は、今はもう明るくなっている。
早く戻ると約束しながら、それを破ることになりそうな現状を思うと、耳元を通り抜ける風の音が、ジェダの小言のように聞こえてきた。
シュオウは僅かばかりの焦りを感じ、
「急ごう」
*
鳥の声と湿った森の香りが、深界に朝の訪れを知らせる。
朝陽でギラつく白道を、駐屯するターフェスタ軍が埋め尽くしていた。
白道に設置された櫓の上で、ジェダは肘をついて道の先を凝視していた。
「あんた、一晩中そうしてたのか」
朝食を片手にレノアがジェダに声をかけた。
ジェダは前を向いたまま目線だけを横へずらし、
「だったら?」
冷めた声で答える。
「この寒さのなか、たいした忠誠心だと思ってね。寝ずの番なんてしなくても、人は余ってるんだ、戻ってくればすぐにわかる」
「最初に見つけたのがボウバイトの兵ならどうなる」
レノアはジェダの隣に並び、肩を並べて遠くを見つめた。
「訓練されたうちの隊が攻めあぐねてた敵の群れの中に、たった一人で突っ込んで無傷で帰ってくるような奴をどうにかするって……? 本気で言ってないのが丸わかりなんだよ。ほら――」
レノアは肉を挟んだパンを半分に千切り、ジェダに差し出した。
ジェダは首を動かしてレノアに初めてまともに目線を送り、
「必要ない」
冷たく言い放つ。
レノアはしかし、出したパンを引っ込めず、
「すこし他人を信じてみな、あんたの主みたいにね」
ジェダは渋々レノアからパンを受け取り、
「なにを信じるかは僕が自分で決める。兵を集めて演習の支度を始めろ、それにかこつけて、今のうちに退路を封鎖しておく」
レノアは喉を詰まらせ、
「……そんな露骨なことをしたら、ボウバイトに敵対行動だと思われる」
ジェダは冷笑を浮かべ、
「思わせるのが目的だ。シュオウがいつ戻るかわからない以上、時が経つほどに将軍は主導権を握ろうとするだろう、余計な考えを抱く前に根を断っておく必要がある」
レノアは渋面を浮かべ、
「この状況で道を閉ざすなんて、喧嘩を売ってるのと同じ……やりすぎだ、断る」
ジェダは腰に手を当てて顎を上げ、
「命令だ、君に断る資格はない」
「司令官代行は後ろに控えてるマルケのおっさんで、軍の序列第二位はボウバイト将軍、その下に続くのはネディム・カルセドニー。その下にすらあんたの名前はない」
ジェダは予兆なく周囲に風を巻き起こし、
「緊急時において、形式に囚われた上下関係に意味はない。命令に逆らうのならカトレイを敵と認識し、僕がこの手で排除する」
局所的に爆風が巻き起こる。しかし、周囲にいる者達は、誰一人としてその事に気づく事はない。
それは限られた空間にのみ干渉する嵐のような晶気の風であり、飛び抜けて高度な技によって生み出される現象だった。
ジェダの能力の一端を見せつけられ、レノアは額に汗を滲ませる。
「従わせるために力尽くってわけか……言う事を聞かないならうちらを殺すって?」
ジェダは自らの起こした風で髪を大きくなびかせ、
「出来ないと思うなら、逆らってみればいい」
レノアはたっぷりと時間をかけてジェダを睨めつけた後、
「…………あんたは、やるね」
重く、唾を嚥下する。
「この問題は二択だ、将軍の機嫌を気にするか、僕か――どっちを選ぶか、今決めろ」
レノアは険しい顔で、
「両者を天秤にかけてみて、あんたを怒らせたほうが面倒なことになる気がする」
ジェダは口元だけで笑み、
「すぐに始めろ」
起こしていた風の晶気を消し去った。
レノアは大きく舌打ちをして、
「ち……どうなっても知らないからね」
去って行くレノアから視線をはずし、ジェダは微笑を消して、受け取ったパンを投げ捨てた。
*
「げっほ、げっほ――――」
エゥーデ・ボウバイトが激しく咳き込む。
副官のアーカイド・バライトが慌てて沸かした湯を渡すと、エゥーデは息を切らせながら粉薬を喉へ流した。
アーカイドは神妙な顔でエゥーデを見つめ、
「深界の行軍がお体に障るのでは……」
エゥーデは鼻息を吹き飛ばし、
「ふん、どこに居ようが、この体が死に向かっていることに変わりはない――」
深々と息を吐き、
「――それよりも、侵攻を控えた軍の長が、一人で敵地に入り込むなど、聞いたことがないッ。ここまで来て奇人の奇行に振り回され続けるとはな」
エゥーデは苛立ちを滲ませた声で言って、空にした湯飲みを投げ捨てた。
アーカイドは湯飲みを拾いつつ、
「仰るとおりです。が、そう簡単にできることではありません」
エゥーデは甲高く声音を上げ、
「ほう、アーカイド、貴様あの男の奇行を支持するつもりか」
「敵地攻めの前に、指揮官自らが危険を承知で内情を知っておこうとする心意気には感心できるところもあります。おおよそ凡人の発想ではありません」
エゥーデは鼻で笑い、
「よくもこの、私の前で糞虫を褒められたものだ」
言葉は強くとも、落ち着いたエゥーデの調子に、アーカイドは微笑を浮かべて辞儀をする。
そのとき、突然静寂を破る大声があげられた。
「エゥーデさまぁッ!!」
一族に連なる幹部の男が、血相を変えて飛び込んできた。
エゥーデは険しい顔で声を張り、
「何事かッ」
「傭兵どもが演習と称して兵を突然動かし始めた、まるで後方の道を塞ぐような動きをしているッ」
「なに……」
アーカイドが声を沈め、
「閣下……」
心配そうにエゥーデを見つめた。
「我らもすぐに兵を動かしましょうッ、連中に舐めた真似をされたままじゃ――」
エゥーデは手を追い払うように動かし、
「わかった、下がれ」
「あ……いや、ご命令は?」
「熟考する、指示あるまでは待機しろ」
勢いを削がれた男は、首を傾げながらとぼとぼと外へ出て行った。
不安げに見つめてくるアーカイドの視線を感じつつ、エゥーデは軽く笑声を漏らした。
「司令官不在の状況を案じて先手をとったか」
アーカイドは深刻な表情でエゥーデを見つめ、
「閣下、どうかご冷静に」
「馬鹿め、今さら怒ってなどおらん。この状況、私でも同じ事を考える。が、雇われの傭兵が自ら進んでやることでもない、大方糞虫の配下の考えによるものだろうが――」
直後に、再び激しい勢いと共に人が入り込んできた。
「お婆さま……ッ」
ディカは深刻な顔で一礼し、エゥーデの前にひざまづき、決死の様相で口を開く。
「カトレイの動きは心からの敵意ではありません、増援軍の軽挙を不安視してのものだと思います。力で対抗すれば不安を煽り、無駄な血を流すことになりかねません」
エゥーデは険しい顔でディカを睨み、
「ならばどうする?」
ディカは強い視線をエゥーデに返し、
「一切の反応をみせず、粛々と進軍に備える姿を見せましょう。増援軍に二心がないことを示せば、無駄な争いを避けられます」
唇を震わせながらも、ディカはエゥーデから視線をはずそうとはしなかった。
エゥーデは頬が緩みそうになるのを隠しつつ、
「……わかった」
ディカは呆けた顔で眉をあげ、
「え?」
「待機を命じてやる。だが言っておくが、下の者らは納得しないだろう。鼻先で挑発され、お前の言った軽挙とやらに打って出る者がいるやもしれん……お前がそれを押さえ込め」
「私、が……?」
エゥーデは頷き、
「口であろうが鞭であろうがかまわん、血の気の多い者たちを従わせる。出来ないのなら、この話はなしだ、舐めた真似をしくさった金拾いどもに私自らの手で制裁を加えてやることになる」
「やります……絶対にッ」
爆ぜるように外へ出て行くディカの背中を見ながら、しみじみと息を吐き出した。
「絵描きの真似事にしか興味のなかったディカが、この短い間に別人のように言うようになったではないか――」
エゥーデはアーカイドと視線を合わせ、
「――アーカイド、ディカに付け、あとはまかせる」
「はッ」
アーカイドは敬礼し、駆け足でディカの後を追う。
外の喧騒を余所に、エゥーデは腰を叩いて深々と椅子に腰掛けた。
エゥーデは一人吹き出すように笑みを浮かべ、
「糞虫め……」
軽妙に、言い慣れた蔑称を呟いた。
*
「お前の群れの統率者はどんなやつだ」
道中、シュオウがビ・キョウに問うた。
ビ・キョウは一瞬の躊躇いを混ぜ、
「……一門の大師範の地位にある、名をロ・シェンという。子どもの頃から共に技を学んできた者の一人だ」
「強いの……?」
顔を隠したセナが、目元を曇らせながら聞いた。
ビ・キョウは微笑んでセナに頷き、
「我らの中でも頭一つ――二つか三つは抜けている。槍術の使い手でな、腕前は師からも天才と評された」
セナは声を潜め、
「……シュオウよりも強いの?」
ビ・キョウはシュオウをちらりと見やり、
「さて……どうだろうな」
「弱点とか知ってるんじゃないの?」
セナは一転、目を輝かせながら聞いた。
ビ・キョウは目を空に向けて泳がせ、
「弱点か……わからんな、私はあいつに勝ったことがない」
「ひええ、そんなにヤバいやつなんて……ねえ、大丈夫? いまそいつがいる所に向かってるんでしょ。もし会っちゃったら、倒せるの?」
心配そうに見上げてくるセナを見返しながら、シュオウは首を傾げた。
「わからない」
「私も手を貸しますよ……」
シュオウに肩を支えられながら歩くアマイが言うと、ビ・キョウが鼻で笑った。
「お前程度では相手にならん――大層な格好をしていたから、お前たちには多少期待をしていたのだがな」
アマイは眉を顰め、
「条件さえ整えば、そう簡単には……」
シュオウは乱れた空気を戻すように咳払いをして、
「もういい」
ビ・キョウの案内の元、シュオウは黙々と目的地に向け、歩を進める。
頭上へと昇り続ける陽光が、過ぎていく時の流れを知らせていた。
*
地下坑道に悲鳴が轟く。
すすり泣く声を背負いながら、部屋を後にしたカンノが額に浮かんだ汗を拭った。
「ご満足いただけたか、主人」
ロ・シェンの声かけに、カンノはすっきりとした顔で、
「俺がいいというまで誰一人として死なせるな、いいな?」
威圧を込めて低く喉を震わせた。
ロ・シェンは手の平で拳を包んで辞儀をし、
「意のままにしよう」
地下を出ると、陽の強さが増している。
淀みのない新鮮な空気を吸い込んだロ・シェンの元に、一門の幹部の一人ジ・ホクが慌てて駆け寄ってきた。
「兄者……」
顔色と声の調子から異常を察知し、ロ・シェンはまなじりを尖らせる。
「なにかあったか」
「ビ・キョウが突然知らない奴を連れて現れた。様子が変だ、捕らえてたムラクモの輝士らしき奴も一緒にいる」
「なんだと……」
ロ・シェンは口を結んで目を細める。
カンノが声を荒げ、
「おい、何かあったのか」
ロ・シェンはカンノをちらりと見やり、
「こっちで片付ける――――ホク、護衛を付けて裏口から主人を館へ送り届けろ」
「わかった。ビ・キョウは――」
ロ・シェンは槍を握りしめ、
「見てくる」
駆けつけたロ・シェンと、門下の武人たちの前で、ビ・キョウはまるで、他人のように向かい合い、佇んでいた。
二人の男と顔を隠した子どもを引き連れ、ビ・キョウはロ・シェンを見つけて軽く手を掲げて見せた。
「シェン、やはり居たか」
ロ・シェンは槍を地面に突き立て、
「キョウ、何をしている。そいつは捕らえていたはずの輝士か?」
「そうだ」
「なぜ俺の許可なく持ち場を離れ、囚人を勝手に連れ歩いている」
ビ・キョウは両手の平を掲げて見せ、
「私も門弟たちも、この男に敗北した」
ロ・シェンは目の下を震わせ、
「なんだと……」
話を聞き、ロ・シェンは初めてまともにその男に注意を向ける。
銀髪に大きな黒い眼帯をしたその男の腰に在るビ・キョウの双子剣に気づき、ロ・シェンは引き抜いた槍をしならせながら、鋭く突き、構えをとった。
「何者だ!」
銀髪の男は淡々と応じ、
「シュオウだ」
名を名乗った。
態度と声音から敵意を感じず、ロ・シェンはゆっくりと構えを解く。
「ビ・キョウを破ったというのは本当なのか」
問われたシュオウは頷き、
「戦って、俺が勝った」
ロ・シェンは顔面を怒気で染め上げ、
「ならばなぜまだ生きてるッ!!」
ビ・キョウへ怒鳴り上げる。
ロ・シェンは槍を地面に刺し、部下の腰から双剣を抜き取り、勢いをつけて剣をビ・キョウの眼前に放り投げた。
「本当にお前が勝てないほどの相手ならそれを証明しろ。剣を拾って戦え!」
ビ・キョウは猛るロ・シェンとは対照的に涼やかな声で、
「それを決めるのは、もはや私ではないのだ、シェン」
シュオウへ視線を送った。
勝者へ恭順するような態度を見せるビ・キョウに、ロ・シェンはさらなる怒りを募らせる。
シュオウがおもむろに動き出し、ロ・シェンの投げ捨てた双剣を拾い上げた。
シュオウは腰に差していたビ・キョウの双子剣を代わりに置き、
「お前たちがここに隠しているものを解放しにきた」
思わぬ目的を聞き、ロ・シェンはシュオウを睨めつける。
「解放、だと? たった数人のお前たちだけで、我らを相手にするつもりか」
シュオウは双剣を両手に分けて握り、
「数人じゃない、俺一人だ」
ギラつく視線でロ・シェンを射貫いた。
集団のなかに膨らんでいく敵意と共に、ざわつく空気が制御不能に陥っていく。
騒然となる場のなかで、ロ・シェンは地面に刺した槍を足で強く蹴り上げた。
虫の羽音のような音を奏でながら、空中で回転する槍を手の中に収め、
「本当にキョウを倒すほどの者なら不足はない、百刃門大師範ロ・シェンが相手をする」
低く背をしならせる肉食獣のように、鋭い視線と共に構えをとった。