潜入 5
潜入 5
興奮しながらも、弱り切ったアマイの力は弱かった。
痩せた顔に憤怒の表情を張り付け、現実が見えていないかのように焦点の合わない目を泳がせている。
「アマイさん、俺ですッ、シュオウです」
シュオウは自らの存在を伝えるが、アマイは態度を変えなかった。
「わかっているッ、その髪、その顔、忘れるものか、君のせいで、サーサリア様がッ――」
アマイが喚き散らしながらシュオウを激しく揺さぶった。
「うわあ?! なになに、どうしたのこの人?」
突然の事に驚いたセナが拳を握って足をばたつかせた。
アマイは彩石が封じられた厚い手袋をしたまま、シュオウに掴みかかったまま必死に藻掻く。
記憶の中の彼とは別人のように理性を失っているのを感じ取りながら、相手を傷つけないよう、加減してその体を押さえ付けた。
「サーサリア様が……王家の血が…………」
アマイは徐々に力を弱め、
「助け……て…………」
シュオウにそう言い残し、意識を失った。
シュオウはアマイの首を支えてゆっくりと体を横たえると、ビ・キョウが、
「知り合いか?」
「そうだ」
ビ・キョウは嘆息して、
「ならば、私を殺める動機になるな」
牢部屋の中は酷い有様だった。汚物の臭いが充満し、虫や鼠の死骸のようなものまでが散乱している。汚れた水や粗末な食べ物の残骸が、床の窪みを皿代わりにして入れられていた様子も窺える。飼われた動物でも、遥かにましな待遇を受けているだろう。
シュオウはビ・キョウを睨めつけ、
「どうしてこんな扱いをした」
「言った通りだ、私が望んでやっていたことではない。我らの雇い主の意向でな、ムラクモの貴族階級にある者たちを屈辱的な方法で扱うよう、細かく注文をつけてくるのだ」
シュオウはビ・キョウから視線をはずし、アマイを見つめた。そして、彼が気を失う前に言っていた言葉を繋ぎ合わせる。
――俺のせいで?
「ねえ、この人を看てあげようか?」
セナがシュオウの顔を覗き込む。
「できるのか?」
セナは大きく頷いて外套をめくり、腰に下げている複数の道具袋を露わにする。
「こうみえても私、お医者――の見習いなんだから」
セナは得意げに鼻を上げて言った。
「なら頼む。でもここじゃだめだ、先に外に運びだす」
ビ・キョウが一歩進み出て、
「拘束を解いてもよければ手伝うが。他の者たちもな」
「他にもいるのか?」
「別の部屋にも複数人を確保してある、鍵は同じだ」
シュオウは急ぎ他の扉の鍵を開け、中の様子を調べた。
「…………ッ」
聞いたまま、そこにはムラクモの輝士たちが、アマイと同じような状態で監禁されていた。
囚われていた者たちは、虚ろな顔でシュオウを見やる。なかには泣き出す者もいた。
シュオウは彼らの生存をたしかめ、一人ずつ、丁寧に拘束を解いていく。
悪臭を放つ彼らを丁寧に背負いながら、シュオウはビ・キョウの手を借り、彼らを一人ずつ外へと連れ出した。
*
囚われていた輝士たちが運び出され、農場の母屋に寝かされた。
男女が入り交じる輝士たちは皆、酷く弱っていた。
酷い怪我を負ったまま放置された者、飢えと渇きで生死があやふやな者、精神を病んだ様子の者、有様は様々である。
苦しむ者たちを前に、セナは真剣な顔で状況を見つめ、
「えっと……まずは観察と……症状を見極めて、分けて……」
独り言を呟いて、寝かされた輝士たち一人ずつの状態をたしかめていく。
セナはシュオウに向け、
「こっちの人は隣の部屋に、それとあっちの人たちも。怪我をしてる箇所を探して服を切って――」
シュオウが返事をする前にビ・キョウに視線を送り、
「――まず火を入れて。その後できるだけたっぷり、あるだけの鍋全部を使って水を沸かして。あと綺麗な布と固定できるもの、毛布も欲しい!」
指示を出しながらセナは傷病者の処置をこなしていく。
ビ・キョウはシュオウを見て、
「よく仕込んである」
シュオウは即座に首を振り、
「いや、俺じゃない」
話しているとセナが手を叩き、
「口じゃなくて手と足! あと……食べさせるものも用意しないと、汁物がいいけど材料は……」
ビ・キョウはセナに手を上げ、
「ちょうど手持ちに良い肉がある、骨と一緒に煮込めば滋養を得られ、肉も柔らかくなるだろう」
セナは目を輝かせ、
「それ! あるだけの食材と調味料もお願い、味付けは私がするからね」
セナはてきぱきと動きながら、極自然な動作で顔を隠していた布と帽子を剥ぎ取った。
ビ・キョウはちらりとセナの顔を見た後、指示を実行するために外に出る。
素顔を晒しているセナに注意しようかと思ったその時、
「ほら、立っててもなにも変わらないッ」
逆に注意され、シュオウはその場で黙り込んだ。
敵であるビ・キョウを自由きままに行動させながら、知られれば命の危険もあるユウギリの住人であるセナの姿が晒されている。
状況を掌握できているとはいえない混乱のなか、傷病者たちのうめき声にせっつかれるように、シュオウは慌ただしくセナの指示に従った。
セナの采配により、傷病者は状態ごとに分けて置かれた。
怪我人の服を切り、患部を綺麗な水で洗い流して、布を包帯代わりにまいていく。
錯乱した様子を見せていた者たちも、柔らかい寝具や清潔な食料と水を与えられ、気絶するように眠りにおちていく。
シュオウも手持ちの薬などを使い、怪我人の世話に従事した。
ビ・キョウとも力を合わせ、三人で忙しなく傷病者の世話をしているうち、溶けるように時間が過ぎていく。
冷たい外気が荒ら屋のすき間を通り抜けていく。
外はすっかり、深夜の気配を跨いでいた。
セナが用意した湯気のたつ白いスープを皆に飲ませ、落ち着いた頃、気を失っていたアマイが薄らと意識を取り戻した。
「う…………」
アマイは自力で体を起こし、綺麗に整えられた自らの体をすみずみまで見つめた。
セナはアマイにスープを差し出し、
「体力が落ちてて、無理に食べようとしても飲み込めなくて危ないから、少しずつ、ゆっくりね」
アマイはよれよれとしながら頭を下げてスープを受け取る。
「……ありがとう、ございます」
シュオウは落ち着きを取り戻した様子のアマイの前で膝をつき、
「アマイさん」
アマイは虚ろながら、しっかりとシュオウを視界に捉え、
「……シュオウ君」
小さく頷いた。
「聞きたいことが色々とあります」
アマイは思い詰めた様子で息を吐き、
「サーサリア様が……消息不明に……」
戦場で得られた不確かな情報が、真実だったことを知り、シュオウは緊迫感と共に息を飲んだ。
「いつですか?」
シュオウの問いにアマイは恨めしそうにシュオウを睨み、
「君がターフェスタに降ったという情報が入って、間もなくのことです。ア・シャラ様と共に突然どこかへ行ってしまわれた。よもや、君のところへ辿り着かれたのではないかとも期待していたのですが……その様子からして、違うようですね……」
シュオウは頷き、
「そういう話を戦場で聞きました、それが気になって――」
アマイは激しく顔を歪め、
「それはまずい……すでに外に話が漏れているのか……」
苦しげに顔を沈めたアマイは、はっと顔を上げ、
「君はどうやってここに? 東地を離れて北方へ渡ったはずでは……」
シュオウは一瞬答えるのをためらい、
「……ターフェスタ軍がユウギリの目前に駐屯しています。進軍の直前に、中の事が気になって、俺が一人で見に来ているところで」
アマイは激しく惑いを顔に浮かべ、
「ターフェスタにムラクモの国境を破られた、と?」
シュオウはアマイにゆっくりと頷いてみせた。
「そんなはずが……牢に入れられていた間に、この東地にいったいなにが起こっている……」
アマイは戸惑いを滲ませながら、不安定に体を揺らした。
シュオウは体をふらつかせるアマイの肩を手で支え、
「あの二人がどこに行ったか心辺りは――」
アマイは汁物を入れた器を落とし、両手でシュオウの腕を掴んだ。
「よくも他人事のようにッ、君のせいだろうッ……君さえいなければこうはならなかった、あのお方は君を追うために――」
激高するアマイに、セナが一歩進み出て、
「そのいなくなった人を守るのがあなたの役目だったんじゃないの? それなのにどうしてそこに居なかったひとのせいにするの?」
セナに言われアマイは言葉を失って咳き込んだ。
セナは咳き込むアマイ背中を撫でながら、
「あと、食べ物を無駄にしないで。命のかけらだって、本当にありがたいものなんだから」
「…………ああ」
アマイは声を漏らし、汚い床に散らばったスープの肉片を手で掻き集め、口元へ運んだ。
セナは慌てて手を出し、
「ああ、違うよ、落ちたものを食べろって言ってるんじゃ――」
アマイは制止しようとするセナに首を振り、
「申し訳ありません、身勝手な怒りに身を任せ、せっかくの食事を零してしまいました。用意していただいたものをいただきます」
まだ湯気のたつ肉を手で掴み、口の中に頬張った。
アマイはゆっくりとした動きで肉を噛みながら、目に大粒の涙を溢れさせる。
「まともな食事がどれほど恵まれたものだったか……これまでの生涯で、こんなに美味しい食事をいただいたことはありません。他の者たちには……?」
アマイは部室に置かれた仲間たちを気にかけるように首を上げた。
シュオウは頷き、
「全員に与えました」
「よかった……ありがとう……南方人らしき集団に襲われ、人の道をはずしたかのような扱いを受けてきたのです、君が来てくれなければどうなっていたか。そうだ――」
アマイは縋るようにシュオウを見つめ、
「――生存者のなかに、キサカは……? 私の副官の姿はありませんでしたか」
シュオウは渋面で首を横に振った。
「……そう、ですか」
アマイが声を震わせて顔を隠したその時、
「汚れた布を熱湯で洗って干しておいた。他にやることがあるなら――」
現れたビ・キョウを見て、アマイが全身を震わせた。
「なぜッ――」
そう叫びながら、力なく腕をあげて晶気を振るうような仕草をする。
シュオウは素早くアマイの手を押さえ、
「大丈夫です――――とりあえずは」
アマイは戸惑った様子でシュオウとビ・キョウの顔を見比べた。
「どういう、ことですか……?」
ビ・キョウは見下すような視線をアマイへ送り、
「すでに我らは監視者ではなく、敗北者に堕ちたということだ。ふらりと現れたこの男にあっさりと狩られてしまってな」
アマイはまじまじとシュオウを見つめ、
「……君は相変わらず、ですね」
「相変わらずってどういうこと? シュオウはいっつもあちこちで喧嘩してるの?」
セナがアマイの顔を覗き込んで聞いた。
アマイは改めてセナを見つめ、
「あ、ええと……ところで君は……」
セナは目を輝かせ、
「私はセナ、ええと……案内人、だよね……?」
シュオウを見て聞いた。
シュオウは頷き、
「囚われていた輝士たち全員を看てくれました。すごく手際が良かった」
照れた顔ではにかむセナに、アマイは深々と頭を下げ、
「親衛隊隊長、シシジシ・アマイが、隊を代表してお礼を申し上げます」
セナは誇らしげに胸を張り、
「傷ついているひとがいたら助けろって教えられてきたからね。だけど、これからどうするの? もしかして人を探してる? サーサリア、とか言ってたっけ、あれ……? なんか聞いたことがあるような……」
シュオウはビ・キョウを鋭く見つめ、
「お前の仲間たちが凍死する前に牢に入れておきたい、手を貸せるか」
ビ・キョウは鷹揚に頷き、
「すでにこの命を差し出した、その程度のこと、お安いご用だ」
「こい――」
シュオウはセナにアマイたちの世話頼み、ビ・キョウを連れて母屋を出る。
「聞きたい事が色々とある。このユウギリの現状と、お前の雇い主のことも」
ビ・キョウは肩を竦め、
「私にわかる範囲でなら」
シュオウが制圧したビ・キョウの部下たちは、皆地面の上に転がったまま唸り声を上げていた。
シュオウは牧場の通路を進み、自らの手で制圧したビ・キョウの部下たちの所へ戻った。
彼らは転がった姿勢のまま縛り上げられ、苦しそうに身もだえて唸り声を漏らしている。しかしその原因が、骨や関節を痛めつけられたばかりではなかった。屈強な武人たちをぎゅうぎゅうにきつく締め上げる、やたらに頑強な拘束である。
ビ・キョウは部下たちをきつく縛る縄の頑丈な結び目に触れ、
「医術の心得といい、あのお嬢ちゃん、幼いが随分と手際がいい」
シュオウが胸の内に抱いたものと同じ感想を口にした。
ビ・キョウの部下たちを地下牢に押し込んだ時、外はぼんやりと淡い陽光が溢れだしていた。
シュオウは汗を拭うビ・キョウを見やり、
「お前たちの雇い主は誰なのか、話せるか」
ビ・キョウは頷き、
「街の裏手に巣くう無頼の輩をまとめる頭目で、カンノという男だ。このユウギリという街を取り仕切り、富を貯め込んできたらしく、傭兵として売り出しをかけていた我ら一門も高額で買われた。それに留まらず、カンノは東方の貴族たちを言いなりに使役している」
シュオウは訝り、
「貴族を、どうやって?」
ビ・キョウは自分の手首を掴んで重苦しい表情を浮かべ、
「……家族を人質にとっている」
*
巨利の館の表玄関の前に、豪奢な馬車が待機している。
館から門へ至る通路に、大勢のムラクモ貴族たちが整列していた。
輝士の軍服を纏う者、それとは別に高価な衣装を纏った者たちが入り交じって立ち並ぶ。
館の主であるカンノが、彼らの前に姿を現すと、貴族たちが一斉に頭を垂れた。
怯え、怒り、惑い、様々な感情を伏せた顔の下に隠す様を見て、カンノは悪辣な笑みを浮かべ、その間を悠々と歩き、渡る。
馬車の前に待機していた若い女の輝士が、カンノの前で膝をついた。
「ん」
カンノの短い咳払いを合図に、輝士は奥歯を食いしばりながら、馬車の乗降口の前で四つん這いの姿勢をとる。
「無様だな――」
カンノは嘲笑と共に吐き捨て、輝士の背で靴の汚れを拭いて、馬車に乗り込んだ。
傭兵たちが馬車の周囲を取り囲むように護衛につく。傭兵を指揮するロ・シェンは槍を部下に投げ渡して、カンノの馬車に乗り込んだ。
ロ・シェンは対面の席に座るカンノに笑いかけ、
「豪勢なお見送りでご機嫌じゃないか、主人」
カンノは満足そうに首を揺らし、
「ふ、出せ」
出発を促した。
ロ・シェンが馬車の天井を拳で叩くと、即座に馬が走り出す。
「首輪は?」
カンノが前のめりにロ・シェンに問うた。
「心配するな、ご要望の通りだ。それよりも気にすべきは外敵への処置だろう? 曲がりなりにも相手は一国の軍隊だぞ」
カンノは表情を変えず喉を唸らせ、
「連中はただの戦争屋だ。お綺麗な盤上で踊るのは得意でも、山攻めはそう単純じゃない」
ロ・シェンは腕を組んで顎を上げ、
「追い返す自信があるのだな」
「向こうがどれほどの痛みを覚悟してるか知らねえが、やりようはある。向こうが諦めて帰るまで、泥試合に持ち込んで粘るだけだ」
カンノは馬車の窓から外を眺めた。
街の人々が、カンノの馬車と護衛の集団を見るや、逃げるように建物の中に入っていく。
カンノは何気なく見るそうした光景に視線を送りつつ、
「くく――」
一人、不気味にほくそ笑んだ。
ロ・シェンは目を細めて、
「主人よ、なにがそんなに面白い?」
「シェン、国を成すものが何かわかるか?」
唐突な問いかけに、ロ・シェンはあごに手をあてて視線を上げ、
「莫大な金……あいや、人……群れだ、人が群れれば、そこにでかい国ができる」
カンノは片頬を歪めて首を振り、
「血だ。国の名を冠する一族の血、王石だかなんだかいうお偉い石を受け継ぐための血を繋ぐ奴らがいて、初めてこの世界じゃ国を名乗れる。ムラクモもそうだった」
ロ・シェンは声を沈め、
「だった、か」
その言葉に、カンノは嬉しげに笑みを漏らす。
「俺はな、糞みたいな裏街の縄張り争いできゃんきゃん吠えるためだけに金を使っちゃいねえ。ユウギリに来るあちこちの職人や商人どもに金を与えて情報を集めてきた。その他にも、あっちやこっちの連中に貸しを付けちゃあ、ネタがないかと探り続けてきたが、そんなとき特大のネタが転がり込んできたんだ、アデュレリアに謀反の兆しありってな」
語りは饒舌に、カンノは油を差すように唇を舌で濡らした。
カンノはロ・シェンをじっと見つめ、
「アデュレリアを知ってるか?」
「名前だけはな、領主はたしか、氷長石、だったか」
「そう、氷長石を継ぐ氷狼の一族、アデュレリアの領地を見に行ったことがあるが、あそこは貴族の治める領地なんかじゃなかった。堅固な壁、行き届いた警備、鍛えられた兵士、優秀な職人たち、俺にはすぐわかった、あの土地は王が治める王国だってな。王石を持つ者は国を統べる、アデュレリアも元は玉座に座っていた一族だった。そんな奴らがどうしてムラクモに恭順していたかって? 怖かったのさ、ムラクモがな。勝てない相手には頭を垂れるのが世界の掟だからだ。だが、そんなアデュレリアが謀反を企てているという噂が耳に入った。どうしてだろうかと、俺は考えた。それでな、すぐに答えに辿り着いたんだよ、どうしてかって? 怖くなくなったからだってな」
カンノは心底愉快そうに腹を抱えて笑い出した。
ロ・シェンは腕を組んだまま姿勢良く話に耳を傾ける。雇い主が言わんとしていることを咀嚼し、
「血、か」
先回りで回答した。
カンノは大きく頷き、
「俺はすぐに思い出したんだ。なんの目的か、こんな街にこの国でもっともお偉い王女様が滞在されている。それがある日を境に、王女付きの貴族軍人どもが、あたふたと人捜しのような真似をやってたってな。そうしたらだ、奴らがふらっと現れたんだ」
ロ・シェンは嬉しそうに語るカンノと同調するように微笑し、
「犬どものお出ましか」
カンノは大きく手を広げ、
「貴族軍人や周辺地域の領主一家がぞろぞろとまあ、塊になって俺の街に入り込んで来やがった。聞けば、アデュレリアから逃げてきたっていうじゃねえか。その時点で噂話は真実に変わった。で、わかった、アデュレリアが本気で独り立ちをしようとしてるのなら、ムラクモはもう終わるんだとな。アデュレリアがやったのか、それとも偶然のことなのかはわからねえが、この国の唯一の王族の血が絶えたんだと、俺はその時確信したんだ」
ロ・シェンは肩を竦め、
「それで、俺達を買った、か」
「すべては巡り合わせだ。俺は時代の激動期に生きている、なにかが大きく変わろうとするときってのは血の臭いが漂うもんだ。そんなとき、俺の胸元に希少な情報が舞い込み、無防備な貴族の群れと、お前たちが現れた」
ロ・シェンは笑声を漏らし、
「俺たちは北方に売り込みに行く途中だったのだがな」
「それが巡り合わせってやつだ。お前らは金、俺は力を必要としてた」
ロ・シェンは上半身を突き出し、カンノに顔を寄せ、
「主人よ、聞かないようにしていたのだがな、いったいこの先になにを見ている、なにが得られる?」
カンノは恰幅の良い体を柔らかい馬車の椅子に沈め、脚を組み、胸を張った。
「アデュレリアと交渉し、俺をこのユウギリの領主と認めさせる」
ロ・シェンはその言葉を聞き、体を仰け反らせて大笑いをした。
「あっはっは――面白いな主人」
カンノは浅く鼻息を落とし、
「ああ、笑え。これは俺の夢だ。こそこそと鼠のように地下に隠れて小銭を集めて終わるのはうんざりなんだよ。誰の目も気にすることなく、このユウギリを支配する。夢物語じゃねえ、このユウギリは場所がいいからな」
ロ・シェンは声を高くし、
「ほう?」
「東地が一国に治められているうちは、人の出入りが多いくらいで、なんてことはねえ場所だ。だが、国が割れるとなると話が変わる。ここはムラクモ王都の鼻先とアデュレリアが軍を置いてる北西部の両方が干渉しあう位置にある、そのせいでどっちからも手を出しにくいんだ。ユウギリは緩衝地帯になり得る、上手く交渉すれば、十分に良い条件を引き出せるってわけだ」
「そうはいっても、すでに別口から手を出されているがな」
カンノは自嘲気味に笑い、
「気の早い連中だ」
「突拍子もない考えを面白くも思ったが、他人の夢を嗤う気はない。貰うものを貰っている以上は、あんたの夢のために俺たちを上手く使えばいい。だが一つ忠告しておくが――」
前置きをするとカンノは顔を顰め、
「……なんだ」
「無駄な事にかまけず、夢があるならそのためにだけ行動することを勧めるぞ」
カンノは窓の外に視線を逸らし、
「俺の趣味に口を出すな」
機嫌を損ねた態度で腕を組んだ。
ロ・シェンはカンノの視線を追従し、
「趣味というより、悪趣味だがな」
馬車内の熱気が冷え切ってきた頃、馬車はロ・シェンらが駐屯する倉庫区画で停止した。
大勢の護衛に守られながら、カンノが倉庫街の地下へと下りていく。
古い鉱山道の名残を刻む道を進むと、中に蟻の巣のように複雑に枝分かれした通路と扉のついた部屋が現れた。
鉱物を混ぜた石が無数に転がる部屋の奥から、低く、おぞましい鳴き声が木霊する。
声を聞き、カンノは幸せそうに笑みを浮かべた。
「……嬉しそうだな、主人」
ロ・シェンが冷めた調子で声をかける。
カンノは美酒を含んだかのようにうっとりと首を回し、
「ああ……薄汚い裏街を這いずって生きてきた、これまでの苦労が洗われる思いだ……」
進むにつれ、声はさらに音を増す。
部屋の奥に岩壁が崩れたような窪みが現れた。
微かな明かりに照らされて、虚ろな目をした貴族の少女が、膝を抱えて顔を沈めている。足には重たい鎖、腕には封じの手袋が枷として装着されていた。
少女の前には一人の老女の姿があった。
老女は両手両足を縛られながら、
「ぐぅおおぅおあああ――」
絶え間なく声を漏らして発狂を続ける。
ロ・シェンは老女の前で屈んで顔を覗き込み、
「この状態で活かしておくのに難儀している……いい加減飽きないか」
死にゆく獣のような唸り声をあげる老婆の左腕は、手首から先が切り落とされていた。
生存に必須である輝石を人体から切り離す、石落としの状態に置かれた老女は、失った左手首の先から、溶けるように光砂の欠片を散らしていた。
カンノは老女の前に椅子を置き、
「飽きるわけがない、最高の景色だ」
唇を濡らし、破顔した。