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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
129/184

潜入 3

潜入 3






 気まぐれな猫のように、するっと姿を現したセナを見て、シュオウは露骨に顔をしかめた。


「帰れと言っただろ」


 強く言われたセナは叱られた子どものようにしゅんとなり、

「だって……これを渡そうと思って……」

 握っていた帽子を気まずそうに差し出した。


 シュオウは帽子を受け取らず、地面にひざまずかせた三人の男たちに視線を移す。


 男たちはセナを見つめていた視線を露骨にそらし、敵意がないことを示すかのように首を下げて俯いた。


 シュオウは中心にいる男の前で身を屈め、

「ムラクモの王女がどこにいるか知ってるか」


 問われた男は顔を上げ、シュオウを見ながら目元を歪めた。

「ばかかよ……そんなこと知ってるわけねえだろ」


「なら、ここの現状についてなにを知ってる」


 その問いに三人はこっそりと視線を交わし、

「いったいどういう意味だ。ここはここだ、現状もくそもねえよ」


 答えた男の顔をじっと見つめる。人相は悪いが特段なにかをごまかそうとしている様子もない。むしろ、彼らはシュオウの質問に戸惑っている様子すらあった。


 ――なにも知らない。


 シュオウは素早く思考を切り替え、

「兵士と一緒にいる南方人たちについて知っていることはないか、傭兵のような雰囲気をしている」


 この質問にも男たちは曖昧な態度をみせる。


「上の連中が雇ってるっていう奴らのことか。聞かれたってよく知らねえよ」


 ――やっぱり。


 雇われ、という情報を聞き、傭兵であろうという予想に根拠を得る。が、そこからさらに疑念が湧いた。


「彼らを雇っているのはムラクモ軍じゃないのか?」


 シュオウに問われた男はへらりと笑い、

「へ、なわけねえ。ムラクモ軍なんて大層な連中は、今じゃうちの組織の言いなりに仕事してるって話だぜ。南方人もうちらがこき使ってるしな」


 そう語る口調と顔付きは、どこか自慢気にも見えた。


「ここに訪れた貴族の集団はその後どうなった?」


 さらなる質問に男は苛立たしげに歯を剥き出し、

「知るかよ、そんなお偉い連中様方が俺らのしまをうろつくはずもねえ」


 シュオウは得られる情報を整理しつつ、

「わかった。最後の……質問だ」

 立ち上がり、男達を静々と見下ろす。


 男たちは萎ませていた敵意を徐々に戻しつつ、ひざまずいた姿勢のまま鋭くシュオウを睨み上げた。


「早く言えよ、足が痛くなってきた」


「ムラクモ王国軍親衛隊について、なにか知っていることはないか」


 その問いを受けた直後、男たちの様子に変化が現れた。


 それはシュオウでなければ見逃していたかもしれない一瞬の間だ。問われた瞬間の刹那、彼ら三人の動きが不自然に硬直したのだ。


 中心にいる男がおもむろに口を開き、

「しんえいたいい……? だから言ってんだろ、そんな高級なもんがどうなったかなんて俺らが知ってるわけがねえって」


 シュオウは眼をはっきりと見開き、

「嘘だ」

 相手の首に剣の刃を当てた。


「てめえッ――」


 中心にいた男が立ち上がろうとするが、硬い地面に膝をついていた影響で足に力が入らず、そのまま前に倒れ込む。


 シュオウは倒れ込んだ男に剣を向けたまま、まばたきをせず男を見下ろした。


「話せば手を出さねえって言っただろ」


 シュオウは頷き、

「話せばと言った。話さないなら事情が変わる」


 男は目だけで剣の刃を見つめて唾を飲み下し、

「…………北西地区のでけえ廃農場に、それっぽい連中が連れ込まれたのを見たって話を飲み屋で聞いたことがある」


 シュオウは冷たい剣の刃を相手の皮膚に押し当て、

「他に知っていることは」


 男は声を荒げ、

「知るか! あの辺は例の南方人どもが住処にしてるってことくらいだ、ほんとにこれ以上なにも知らねえよ!」


 シュオウは男の目をじっと見つめ、

「そうか――――」

 押し当てていた剣の先を引くことなく、皮膚の奥へ深く、深く押し進めた。


 刃を差し込んだ傷口から、ぬらりと鮮血があふれ出る。

「ごぼ――」

 暗がりの中、裂かれた喉から終わりを知らせる音が鳴る。


「ひ――」

 引きつったようなセナの小さな悲鳴が背後から聞こえた。


 急所を切り裂かれた男は傷口から空気を漏らし、そこから溢れ出る血を手で押さえようと必死にもがく。だが、一瞬にして力尽きたように、突っ伏した姿勢のまま動きを止めた。


「ひぃぃッ――」

 残された二人の男たちは慌てて逃げだそうと腰を浮かせた。


 シュオウはすかさず、剣で正確に男たちの急所を突き、切り裂いた。


 それぞれに喉から血を溢れさせ、声を発することもできない男たちは、先に死んだ男と同じような姿勢で、その命を散らしていった。


 恐る恐る近づいてくるセナは、地面のくぼみに溜まる血だまりを見つめながら息を飲み、


「全員、殺したの? なんで……?」


 シュオウは強い視線でセナを見つめながら、

「顔を見られた」


 セナは青ざめた顔で口元を隠し、

「私の……? 私の顔を見た、から……?」


 シュオウはセナの言葉に頷いた。


「こういうことになる。誰にも見られないようにここを出て、すぐ家に帰れ」


 厳しい口調で言って、シュオウは地面に横たわる死体を、小道の脇に片付け始める。暗い小道に立ち並ぶ建物の壁際であれば、簡単に外からは見つけることもできないだろう。


 目を開けたまま、がらくたのように壁際に重ねられた死体の前に、セナが静々と近寄り、その姿をじっと見つめた。


「これを見たら、泣いて喜ぶ人たちがたくさんいるよ……」


 シュオウは声を潜め、

「そのためにやったんじゃない」


 セナは振り返り、強い視線でシュオウを見上げ、

「ねえ、行きたいところがあるんだろ? さっきこいつらから聞き出したところ? 北西部の廃農場だっけ? だいたいわかるから案内したげようか」


 シュオウはセナを睨めつけ、

「いらない、帰れ」


 セナは強い視線でシュオウを見つめた。その顔は、山中で見かけた、勇敢に熊と対峙していたときの表情と同じだった。


「嫌だ。今日はなにか特別なことがあるって、そういう日だったんだ。絶対これだよ、このために私は山で熊に襲われたんだ。レキ経じゃ、生まれた時から死ぬ時までのことは全部決まってることになってる。今日、あなたに会ったのは絶対に決まってたこと、絶対そう!」


 口達者な語りに気圧されながら、シュオウは意を決して首を振り、

「必要ない」

 はっきりと拒絶の意思を伝える。


 セナは腕を組んでしたり顔を作り、

「へえ、そうお? この街のことどれだけ知ってる? 言っとくけどかなり広いよお、中央通りの脇に入ったらもうほとんど迷路みたいなものなんだから。めんどくさい奴らも多いよお? 変な奴らの縄張りがそこら中にあるけど、余所者はその境が見分けつかないだろ。いくら腕っ節がつよくても全員と喧嘩してるほど余裕ある? 時間がないって言ってたよね、道を探しながら目的の場所まで行くのにどれくらい時間かかるかわからないよお?」


 利と不利を天秤にかけた情報の暴力を一瞬でたたき込まれ、シュオウの思考は迷いの渦に押し流された。


 セナはさらにたたみかけ、

「ほらほら、こうやったら万が一のときにも顔を見られることもないし」

 持っていた帽子を目深にかぶり、口元を腕に巻き付けていた大きな手巾で覆い隠した。


 得意げに顔を隠したセナを見つめ、

「……上手いな」

 思わず、シュオウはその手腕を褒めていた。


 セナはにんまりと目元を綻ばせ、

「やばそうなときはちゃんと隠れるから、ね?」


 シュオウは鼻から深く息を落とし、

「わかった、頼む。でも途中まで、だ……怖くなったらすぐに逃げろ」


 セナは両手を大きく空に突き上げ、

「やったあ! うっほうっほ」

 器用に血だまりを避けながら、地面の上を跳びはねた。




     *




「ねえねえ」


 セナが夜空の星々のように目を輝かせ、シュオウの服を引っ張りながら見上げた。


 シュオウはそっけなく前を見たまま、

「なんだ」


「なんでミヤシロのじいちゃんがへこへこしてたの? あなたは偉い人なの? でも貴族じゃないよね、じゃあ豪商の家のおぼっちゃんとか? なんで山の中にいたの? 助けてくれたけど熊は怖くなかった? なんでさっきの連中を一人でやっつけられたの?」


 絶え間なくかぶせられる質問に対してシュオウは、

「……ああ」

 雑で曖昧な返答をした。


「それって何に対して? 熊? 偉い人? やっぱ金持ちの家のぼんぼん? あんまり良いとこの出には見えないけどなあ、なんか目つき怖いし」


 シュオウは足を止めて肩を落とし、

「……熊のことを言った。俺は孤児だ、金持ちの家なんて関係ない」


 セナは唯一見える顔の部位である目を大きく見開き、

「そうなの?! 私も私も! 一緒だねえ」

 嬉しそうにその場で何度も跳びはねた。


 セナが孤児であることを知っていたシュオウは静かに彼女の目を見つめ、

「大変だっただろ」


 元気に体を弾ませていたセナは徐々に勢いをなくし、

「……うん」

 視線を落として頷いた。


 セナは再び視線を上げてシュオウを見上げ、

「あなたも……?」


 シュオウは鷹揚に頷き、

「そこそこにな。でも、腹は丈夫になった」

 微笑みながら腹の上をぽんぽんと二回叩いた。


 セナは目元を綻ばせ、


「あんまり覚えてないけどずっと一人きりだったよ。残飯もあさったし、恵んでもらったり、余所からくる商人たちの手伝いや道案内で稼いだり。ミヤシロのじいちゃんのとこで教わるようになってから色々覚えたんだ。同じくらいの親のいる子と比べたって私のほうが全然なんでもできる。一人でも全然平気だからね」


 力強く言って胸を張った。


 シュオウはセナに、僅かに自分の半生を重ね、かつての日々を懐かしむ。


「全部終わったら道案内の報酬を渡す」


 シュオウの言葉にセナは目を輝かせ、

「え、いいの? こっちから言い出してむりやりついてきたのに、もらっちゃいけないような気が……」


「なら、なしで――」


 冗談めかして言いかけると、セナは先んじて歩き出し、


「お安くしておきますう! そうだ、特別に道案内にくわえて私の占いもつけてあげましょうか、お客様」


 シュオウはついて歩きながら首を振り、

「俺はいい。ああ……でも、仲間にそういうのが好きな奴がいる」


 セナは振り返って大袈裟に辞儀をして、

「おまかせください、誠心誠意を込めてその方のために占わせていただきましょう」


 その時、

「……ッ?!」


 歩きながら後ろを振り返ったセナと、十字路の横道から突如走り出てきた馬がぶつかりそうになる。シュオウは一瞬の間に距離を詰め、セナの身を引き、懐のなかに抱き寄せた。


 セナとぶつかる寸前であったにも関わらず、馬は速度を緩めることなく走り抜けていく。その馬に乗っていたのは褐色肌をした、顔に大きな傷を付けた槍を持った男だった。


 シュオウは相手が見えなくなるまでその男を凝視する。


「ひぃ、今日は動物と相性が悪い日なのかッ」


 懐のなかでセナがぶるりと体を震わせた。


「大丈夫か?」


 セナは顔を見上げ、力強く頷きを繰り返す。


「私、よくいろんなものにぶつかるから。今朝だって山で採集をしてたんだけど、転んで落ちた先にあの臭い熊がいて――」


 シュオウは馬が去って行ったほうを見つめ、

「農場はあっちのほうか?」


 セナはきょとんと首を伸ばし、

「うん? ううん、あっちは違う。外の客が見に来る交易市場だったり、職人たちが使う物置や倉庫みたいなのが集まってるところ」


 シュオウは道の奥をじっと見つめ、

「南方人たちのことをなにか知らないか」


「さあ、よくわかんないよ。ちょっと前から急に見かけるようになって、なんか武器持ってるし、人相も悪いからみんな不気味がってるけど……」


 セナはシュオウの腕を掴み、

「……もしかして、あいつらと戦うの?」


 シュオウはセナに視線を向け、

「まだ、わからない」


 目的地に向かうまでの街外れの景色から、夜の街が放つ明かりは徐々に薄くなっていく。


「ここから先、真っ直ぐ歩けば見えてくるよ」


 セナの言葉を受け、シュオウは前に立ち、でこぼことした夜道を踏みしめた。




     *




 古びた資材倉庫が建ち並ぶ一画で、一頭の早馬が地面に線を引きながら足を止めた。


 馬から下りた南方人の傭兵、ロ・シェンに対し、出迎えた仲間たちが一斉に武器を地面に置き、


「大師範に礼――」


 号令の下、全員が深々と頭を下げた。


 ロ・シェンは手持ちの槍を回転させ、石突きを落として音を鳴らす。


「よし」


 地面を叩いて音を鳴らすのと同時に声をかけると、仲間たちは頭を上げ、武器を拾って各々に訓練や食事などに戻って行った。


 集団の名は〈百刃門〉という。南山の武術流派を起点として集った者たちによって構成されており、ロ・シェンはこの群れを率いる実質的な指導者だった。


 彩石を持つ者、持たぬ者が入り交じり、それぞれが型に囚われない武器を手にしている。


 集団の中から、

「兄者」


 幹部の一人、重たい広刃の長剣を背中に吊す巨漢の男、ジ・ホクが焼いた骨付き肉を差し出しながらロ・シェンの前に現れる。


 ロ・シェンは骨付き肉を受け取って、

「変わりはないな」

 勢いよく肉にかじりついた。


 ジ・ホクはあごをあげて、

「とくになし。外はどうだ、北方人が攻めてきているそうだが」


 ロ・シェンは絹糸のようにきめ細やかな髪を手で流し、

「おそらく、早晩攻め込んでくるだろうな」


 ジ・ホクはしかめっつらでたっぷりついた頬肉を下げ、

「奴ら一国の軍隊だろう……元々の我らの売り込み先でもあったし、ムラクモの拠点を落とすほどの軍勢ならば、それを相手にしなくてはいけない……面倒なことにならなきゃいいがな……」


 ロ・シェンはくつくつと笑い、

「相手は巨体だが山道は狭い、攻め上るには時間がかかる。長期戦になろうとも、こちらには言いなりに使える犬軍人どもがいる、内に引き込み連中に殺し合いをさせ、消耗させておけばいい。手駒が減ればこちらの価値が増す、それを待って値をつり上げる」


 ジ・ホクはじっくりと首を振り、

「なるほど、流石は兄者、先の先まで見ているのだな」

 ひょうたんに詰めた酒を喉に流し込む。


「それ故に犬軍人用の首輪が重要なんだ。ホク、飲食はほどよく押さえておけ。ここが戦場の熱に侵されればなにが起こるかわからん、油断は禁物、いいな?」


 ロ・シェンは真顔で槍の穂先をジ・ホクの首に当てる。


 ジ・ホクは下唇を突き出して、

「兄者の言いつけを守る」

 未練がましくひょうたんを見つめ、まだ中身のあるそれを地面に投げ捨てた。


 ロ・シェンは微笑んで槍を肩に載せ、

「首輪の様子を見てくる。明日、カンノのじいさんがまた見に来ると言っている、雇い主のお遊びにも付き合ってやらんとな。お前も来るか?」


 ジ・ホクは途端に顔色を悪くし、

「……いや、兄者には悪いが、行きたくない」


 ロ・シェンは、

「くっく、かまわんさ。許可のない者は猫一匹、鼠一匹とて見逃すな、それがお前の役割だ」


 背を向けて奥へと進むロ・シェンに、ジ・ホクは手を伸ばして引き留め、

「兄者!」


 ロ・シェンは足を止めて首を向け、

「どうした?」


「ビ・キョウのいる農場に油乗りのいい牛が入ったって聞いたんだが……」


 ロ・シェンは溜息を吐き、

「明日にでも聞いておいてやる」


 ジ・ホクは思いきり破顔して、

「肩と舌を残しといてくれって必ず伝えてくれよ、頼んだぞ!」


 ロ・シェンは応えず、一人資材倉庫の片隅へと向かう。


 積み上げられた丸太の隙間を通り抜け、床に敷かれた木の板を蹴り飛ばすと、地下へ続く石の階段が現れた。


 こつこつと靴音を鳴らしながら、ロ・シェンは暗い地下を目指し、階段を踏み、降りた。




     *




 百刃門の幹部、女武芸者のビ・キョウは、一頭の牛の前で目を閉じ、深く呼吸を整えた。


 手の甲に黄色の彩石を光らせながら、ぴんと背筋を張って佇む様に、同門の者たちが我を忘れたかのように見惚れている。


 それは立ち居振る舞いが整っているばかりではなく、ビ・キョウが特級の美女であるためでもあった。


 深く吐いた息を止め、ビ・キョウは美しい切れ長の目を開き、空気を切り裂くような勢いで手刀を伸ばす。


 手先が牛の頭に触れた瞬間、頭蓋が破裂したように砕け散る。一瞬にして絶命した牛の体が地面に横たわった。


 周囲から感嘆の声があふれ出る。


「お見事です、ビ師範」


 部下の褒め言葉に気を良くしつつ、ビ・キョウは渡された手巾で汚れた手を拭った。


「上物だ、丁寧に血を抜いて皆で切り分けろ。肩肉と舌は残しておけよ、ホクの奴がうるさいからな」


 ビ・キョウは高く美しい声音で指示を伝え、側に立てかけてあった自らの得物である細長い一対の双子剣を腰に下げる。


 門下の一人が現れ、

「ビ師範、部外者らしき者がこちらへ向かってきています」

 頭を下げつつ報告をあげた。


 ビ・キョウは他の者を見やり、

「なにか聞いているか?」


 聞かれた者は首を振り、

「いいえ」


 ビ・キョウは報告を上げた者を見やり、

「どんな奴だ?」


「銀髪の男と子どものような者の二人連れです。男のほうは武器を持っている様子」


 ビ・キョウはにこりと笑み、

「よもや押し込みではあるまいな」

 嬉しそうに言った。


 他の者達が武器を手に立ち上がり、

「ビ師範、我々で対処します」


「いいや、私が応対をしよう――」

 ビ・キョウは髪を整え、

「――退屈を紛らわせてくれる者だといいが」

 腰に帯びた剣に手を乗せた。




     *




 薄暗い夜道の先に、朽ちた農場の入り口らしき場所が現れる。


 シュオウはそこへ足を踏み入れる寸前、振り返ってついてきているセナを見つめた。


「もう十分だ、帰っていい。報酬は後であの診療所に必ず届ける」


 セナは両手を首の後ろで組んで、

「信じてないわけじゃないよ、たださ、ここまで来たらどうなるのか気になるんだ。ね、いいでしょ? なんかあったら隠れるからッ」


 なんとなくその言動を読んでいたシュオウは、

「……行くぞ」

 諦観した心地で言った。


 セナは両手を空に向け、

「やったー」


 その時、


「止まれ、そこまでだ」


 道の先から女の声が聞こえてくる。直後、ぼうっと明かりが灯され、詰めかけた者たちの姿が、夜の景色に浮き彫りとなった。


 武器を持った男や女が複数人、彼らを率いるように一人で前に立つ女が声の主であろう。。


 怯えたようにシュオウの背にくっつくセナを守りながら、シュオウは女に向けて声を上げた。


「ここに用があって来た」


 女は短く、

「では聞こう、何用だ」


「ムラクモ王国親衛隊がここに連れ込まれたという話を聞いた」


 女は微かに眉間に力を入れ、

「誰から聞いた」


「街の奴から」


 女は一瞬の間を溜めた後、

「知らないな、見当違いの話を聞いたのだろう」


 シュオウは一歩踏みしめ、

「いいや、たぶん本当の話を聞いた」


「……どうしてそう思う」


「お前たちがここにいる」


 女は顔を上げて背後を見やり、おかしそうに吹き出した。


「道理だな、これ以上の否定は無粋といえる。わかった、それで――」

 女は前へ進み出て、

「――お前はこれからどうしたいんだ?」


 シュオウはさらに一歩を詰め、

「話を聞きたい」


「拒否する、と言えば?」


「強引に聞き出す」

 女を睨めつけた。


 直後、女は嬉しそうに笑みを浮かべる。


「よかった、天つ鬼神のお導きか、期待通りの者が現れてくれた」


 女は腰に差した二つの剣を同時に音もなく抜き取る。細長い双剣をぶら下げながら、恭しく辞儀をした。


「南山流派、百刃門師範、ビ・キョウと申す。恥ずかしながら、ここのところ実に退屈で体がなまっていてな。見たところ剣士とお見受けするが、差しの勝負を望めるか?」


 シュオウは手にした剣を軽く構え、

「俺はシュオウだ、勝ったらどうなる?」


 ビ・キョウはふわりと流麗な所作で剣を回し、

「勝者の権利だ、好きにするがいい」


 シュオウは頷いて、

「……勝負を受ける」

 背後にいるセナに目配せをした。


「わかったよ、がんばってッ」

 セナは小声で言って頷き、道脇の影の中に身を隠す。


 ビ・キョウは前を向いたまま声を張り、

「このシュオウという男と戦いの約束が成立した。他の者は手を出すなッ」


 その言葉を受け、控えていた者達が無言で頭を下げ、身を引く。


 対するシュオウは相手の左手の甲の石をまじまじと見つめた。視線に気づいたビ・キョウはふっと微笑を浮かべ、


「悪いが、我が流派では対等でなくとも手を抜くなというのが教えでね、期待はしないことだ」

 シュオウの左手にある白濁した輝石を見て言った。


 シュオウは顔色を変えることなく、

「それでいい」


 ビ・キョウの体の線は細い。が、深く地面に穿たれた柱のように、全身から強い芯を感じる。自信に溢れた態度、屈強な男たちがかしずく様、間違いなく、彼女は鍛え抜かれた手練れであろう。


 今まで対してきた強敵たちに劣らぬ、優れた武人の気配を感じながら、シュオウは腰を落とし、戦闘態勢を整えた。


「まいるッ」


 発声と共にビ・キョウが双剣を振り上げた。左肩の奥に刃を送り、二つの刃を平行に並べながら剣を払う。


 シュオウは並んだ二つの刃の間に自身の剣の刃を通し、剣を傾けてビ・キョウの剣の機動を巧みに歪めた。その直後、


「……ッ?!」


 一対の剣のうち、ビ・キョウが突如一本から手を離した。空手になった片方の手が、柔軟な紐のようにシュオウの手首目がけて伸ばされる。


 ――これは。


 シュオウは一瞬の判断で強く地面を蹴り、全身全力で身を引いた。ビ・キョウはしかし、惑うことなく距離を詰めてくる。手を離していた剣を再び握り、双剣を濁流のように複雑な線を描いて切り払い、先ほどのように隙あらば剣を手放して手先を伸ばしてくる。


 シュオウはその流麗な動きに意識のすべてを集中し、一連の動作をつぶさに観察していた。


 ――似てる。


 これまで見てきたムラクモ輝士の剣技とも、南方の剣士の技とも違う。ビ・キョウの用いる武芸の型は、剣技よりも体術の趣を強く感じる。その動作から滲み出る技の理念から、アマネから学んだ数々の技法が、一瞬にして鮮烈に頭の中を駆け抜けた。


 シュオウはすべての攻撃を躱した後、一転して反撃に打って出た。しかしその方法は、自身が身につけた剣技ではなく、ビ・キョウが用いた技の模倣である。


 振りかぶる剣に殺意を込めながら、その本命は剣を捨てた一身から繰り出される体さばきに重きを置いている。


 ――面白い。


 それはシュオウにとって強い興味をそそられる動作だった。

 ムラクモ流の剣技を学び、輝士の剣技を間近で知りながら、その動作はシュオウが学んだ体術とは決して溶け合うことがない水と油の関係にある。


 だが、目の前の女が使う技は、巧みに武器と体術が組み合わされ、その技の創始者の強烈な思想、理念が窺える。それはアマネから受けた、ただ人の身一つだけで敵を制圧するという、利己的な暴力性の発露として健在している技の教えを想起させた。


 剣を振り、双剣と刃を交わす。刃が擦れ合う音が聞こえるより早く次の動作に移り、気取られないよう半歩の距離を詰める。直後に剣から手を離し、ビ・キョウの手首を掌握した。


「なッ?!」


 手首を掴まれたビ・キョウは切れ長の目を全開に見開き、呆然としてシュオウを凝視する。


 シュオウは手放した剣を空いた手で握りとり、微かに顔に微笑を浮かべる。


「この後はどう動く? もっと――」

 握った手首に力を込め、

「――もっと、見たい」

 その掌握を手放した。


 それはまるで、生き別れた兄弟に出会った時のように、渇いた土に降る雨や、飢えを潤す食べ物のように、欲していた何かが埋まる感覚に、表現し難い充足感に満たされる。


 ビ・キョウは握られた手首の痕に触れながら、青ざめた顔で後ずさった。











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― 新着の感想 ―
どんな作品にもいるけど、ワガママなクソガキと、それを放置する展開って凄いストレス
[良い点] ビ・キョウ、退屈しのぎで遊ぶつもりが怪物に出会うw それにしてもアマネを思い出す流派で嬉しそうだな。しかも剣術と体術の複合武術みたいなので、シュオウにも合うとは…というか、シュオウまだ強く…
[良い点] シュオウは技を通じてアマネに再会した気持ちになっているのですね。なんかかわいいな
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