潜入 1
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★★★★★★
潜入 1
ムラクモの領地、ユウギリの貧民街の奥深くに、巨利の館と呼ばれる屋敷がある。
複雑に増改築が繰り返された年代物の建物のなかを、ムラクモ王国の重輝士、アルデリック・ノランが急ぎ足で進んでいた。
薄暗い通路を抜け、地下に通じる狭いトンネルを潜り抜ける。
その先に重厚な門が現れ、武器を持って警備する門番たちがノランを鋭く睨みつけた。
「話がある、緊急の用件だ」
対する門番たちは顔を見合わせて、
「ひひッ」
下卑た笑いを零した。
彼らの装いは軍人とはほど遠いものだった。
左手の甲には濁石、質の悪い短剣を腰に下げ、まるで統一性のない指輪や貴金属を複数身につけながら、古びて茶色い安物の服に身を包むその下品な見た目は、野盗や罪人を思わせる。
へらへらと笑いながら開門を拒む門番たちに、ノランは目を尖らせ、
「急ぎだといっているんだ!」
門番たちは門の前に立ちはだかり、
「言い方がきにくわねえ、なんで丁寧にお願いしないんだ? あんたらのやり方ってもんがあんだろ、ほら、貴族様の礼儀作法とかってやつだ、俺らにもそれをやれよ、ひざまずいて言ってみな、お願いしますってよ」
ノランは濃緑色の彩石を掲げ、
「下衆どもが、切り刻まれたいか」
周囲に発光する風を巻き起こした。
晶気の風を受け、門番たちは突如怯えた顔で後ずさり、
「お、俺たちに手を出したら頭がただじゃおかねえぞ!」
もう一人が頷き、
「そうだぞ!」
ノランは晶気を維持したまま、
「自分たちの命にどれだけの価値があると見込んでいるか、試してみるか? だがその結果をお前たちが知ることはないがな」
晶気の風を腕に纏わせながらノランが言う。
門番の一人はその言葉を理解できぬ様子で首を傾げ、
「……え、なんて?」
もう一人が肘で仲間を小突き、
「ばかやろ、俺らを殺すって言ってんだ」
ノランの睨みに門番たちはたじろぎ、
「わ、わかった、通れって、冗談だ――」
門に隙間を作り、道を譲った。
ノランは通り抜けざま、
「二度と無駄な手間をとらせるなッ」
門番の顔面を拳で殴りつけた。
門の先はがらんとした巨大な空洞が広がり、木材で覆われた壁のそばに、ずらりと酒造用の道具が並べられていた。
煌々と青白い光を放つ夜光石のランプが置かれた部屋の中心から、ぼうっと大きくな影が伸びる。
「くっく――」
褐色の肌を持つ南方人の男が、くつくつと笑いながら姿を現した。
顔面を真横に抉られたような古傷をつけ、浅紫色の彩石を持つその男は、
「――聞こえてたぞ、立場をわきまえないあんたのその態度、嫌いじゃないな」
ノランは険しく顔を顰め、
「ロ・シェン、無駄に手間をとらせるなと、あの馬鹿共によく言っておけ」
シェンは粘っこく笑声を漏らし、
「知らないね、奴らは俺の部下じゃない」
ノランは苦々しく口元を歪め、
「……お前の雇い主に用がある」
シェンは背後に向けて首をふり、
「どうぞ、行けばいい。俺の雇い主、そして……あんたに首輪をはめたご主人様のところへ」
ノランは拳を握りしめ、シェンの視線を切って歩みを進める。
洞窟のように広く深い空間の先に、武器を持った男たちが群れていた。その奥に置かれた場違いに豪奢な執務机につく、高齢の男がいる。
男の名はカンノ、ユウギリという街の影の部分を仕切る首領である。
カンノを守るように侍る男たちが、威圧を込めた視線でノランを睨み、立ちはだかった。
ノランはうんざりした態度で、
「話がある!」
声を張った。
カンノは座ったままあごをあげ、
「通してやれ」
酒に焼かれたその声は、すすった泥が乾いたように、枯れた醜い声だった。
ようやく目的の人物の前まで辿り着き、ノランはうんざりとした調子で、
「どうにかしてくれ、ここに来るまでにいちいち止められていてはまともなやりとりもできない」
皺を刻んだ年季の入った表情は微動だにすることなく、ノランの苦情を聞き流す。
「で? その様子じゃ、込み入った話のようだが」
ノランは開封済みの書簡を差し出し、
「ターフェスタ軍から届いた。侵攻の予告と降伏を促している」
カンノは書簡を受け取り、目を細めながら中身を確かめる。
「どういうことだ……? なんでここに北方のやつらが入り込める」
ノランは強く拳を握りしめ、
「信じたくはないが、ムラクモが国境を破られたということだ」
カンノは歯の隙間から呼吸を通し、
「ほう、軍隊だかなんだかで偉そうな格好をしてるくせに、情けない連中じゃないか? だが面白いじゃないか……本当に色々なことが起こりやがる」
ノランは声を荒げ、
「面白がるようなことじゃない、撤収するなら向こうは手を出さないと言っている、今なら血を流さずに――」
カンノはノランの言葉を鼻で笑い、
「撤収、だと? そりゃ軍人が使う言葉だろう。俺の世界じゃそれを逃げるって言うんだよ。ユウギリは俺の街だ、逃げも隠れもしない」
ノランは額に汗を滲ませ、渇いた唇を舐めて湿らせた。
「向こうはムラクモ軍を打ち破るほどの軍勢なのだ、そんなものに攻め込まれればユウギリは血に染まることになるぞ……」
「さあ、それはどうだろうな? 幸運なことに、この街を命懸けで守ろうっていう貴族様たちが大勢いるじゃないか、あんたも含めてな。逃げなんて選択はねえ、徹底抗戦だ、余所の連中にユウギリに一歩でも踏み込ませるんじゃねえ。もし手を抜きやがったらその時は――」
ノランは続く言葉を耳から遠ざけるように顔を沈めて首を振った。
苦悶に満ちた顔を上げ、
「……向こうには、どう返す」
その問いに、カンノは静かに、不敵な笑みを返した。
*
灰色の木々が密集する深界に、無数のテントが点在していた。
ルタエノ太道よりも遥かに狭い白道の両翼を、色褪せた大木が覆い、空から届く光を遮っている。
ユウギリを目前に控えた隘道に陣を張るのは、ターフェスタの侵攻軍である。
集団の中心に設けられた大きな天幕の下、仮設の司令部にシュオウを中心として、ジェダ、シガ、アガサス親子、レノアらが顔を付き合わせていた。
シュオウは椅子に座りながら、受け取った報告に大きく首を傾げ、
「まだ返事がないのか?」
報告を伝えたバレンは渋い表情で頷き、
「は、すでに三度の接触を試みましたが、こちらから渡す通牒を受け取るのみで、返答を寄越しません」
シュオウは隣に控えていたジェダに、
「どうしてだ」
ジェダはあごに手を添え、
「通告を無視するということは抗戦の意を示している、と考えるのが妥当だろう」
「ならどうしてそう言わない」
シュオウが漏らした疑念に、居合わせる者達は誰も答えられなかった。
バレンは一度咳払いをして、
「ユウギリへの交渉に出向いた者によれば、先方にはムラクモ輝士や兵士たちの姿があったそうです。ですが、状況を鑑みればユウギリに対抗しうる規模の軍が置かれていたとは考えにくいと思われます」
椅子の上で足を組みながら目を閉じていたレノアが体を起こし、
「ムツキが陥落したいま、ムラクモにとってユウギリを死守する利点はなんだ?」
皆が視線を交わしつつも、口を開く者は誰もいない。
レノアは指で机を叩き、
「誰も答えられないってことはそういうことだろ。相手側にとって無傷で撤退できるのなら、普通はそれを選択する。そうしないってことは――」
シュオウは勢いよく立ち上がり、
「普通の状況じゃないんだ……もういい」
言って、天幕の外に向けて歩き出す。
ジェダは慌てて、
「どこへ行くつもりなんだ?」
シュオウは足を止めて振り返り、
「直接行って話をする、一緒に来るか?」
言うと座っていた全員が一斉に立ち上がった。
シュオウは首を振り、
「大袈裟にしたくない、行って話をしてすぐに戻る」
ジェダが手を上げ、
「僕が同行しよう、他の者は待機だ」
レノアは淡々と支度を進め、
「悪いけど、部下の命を預かってる手前、状況を把握しておきたいんでね。それと最低限の護衛はつけさせてもらう。あんたらみたいな若いのだけが出張っても、舐められるのがおちだ」
*
シュオウは同行を志願したジェダとレノア、そして少数のカトレイ兵らと共に、白道を駆けてユウギリへ通じる上層界への入り口付近に到達していた。
厳重に設置されている検問の直前まで来ると、武装した兵士たちが一斉に武器を構えて出迎える。
櫓の上に立つ輝士が、
「現在、ユウギリへの門前街道は封鎖されているッ」
厳しい表情で言った。
シュオウはジェダの操る馬から下り、
「ターフェスタ軍司令官、シュオウだ。ここを仕切ってる代表者と話がしたい」
と、声を張り上げて伝えた。
兵士たちは戸惑った様子で顔を見合わせ、
「……少し待て」
ムラクモの輝士服を着た男はそう言って、後方へと走り去って行く。
シュオウは対する兵士たちの様子を観察した。
輝士服と従士服を着た者が少数混じり、その他はムラクモ軍人とは思えない柄の悪そうな者たちが大勢を占めている。その中から感じた小さな違和感にシュオウが気づいた直後、
「ちょっと聞きたいんだけど――」
レノアがシュオウとジェダに小声で呼びかける。
レノアは微かに兵士らに向けて顎をしゃくり、
「――このユウギリってとこじゃ、あれだけ南方人兵士が混じってるのは普通のことなのか」
シュオウは小さく首を横に振り、
「……いいや」
兵士らの集団が占める風景のなかで、一層異様なものとして映る存在、多種多彩な武器を持った褐色肌の者たちが大勢混じっている。
彼らは急所を守る最低限の軽装を身につけ、その下の服は一様に、身動きのとりやすい修練着のようなものを着ていた。軍人というより、その風貌は武芸者といったほうが適切である。
ジェダは、
「一目でわかるがムラクモ軍人じゃないな、それにここの住民にも思えない」
レノアは声を硬くし、
「連中のあの目つき、間違いなくその道の玄人だ。どことなく、うちらと同族の匂いがする……」
シュオウは褐色肌の兵士らを睨み、
「傭兵、か」
姿を消していた輝士が再び櫓の上に戻り、下にいる兵士らに合図を送った。
門が開かれ、中からムラクモ軍重輝士と、兵士らが姿を見せる。
彼らは険しい顔で歩み寄りながら、シュオウたちの前で足を止めた。
重輝士の男はなにかを探すように視線を泳がせ、
「ターフェスタ軍の司令官、というのは……」
シュオウは頷いて、
「俺だ」
重輝士は怪訝そうに首を傾げ、
「お前が……?」
シュオウの左手の甲と顔を交互に見つめた。
ジェダが一歩進み出て、
「シュオウ准砂は、ターフェスタ大公の意志の下に任命された正式なアリオト司令官として全軍の指揮権を有する。僕は彼の配下の一人、ジェダ・サーペンティア。彼女はカトレイ軍指揮官、リ・レノア重輝士だ」
重輝士の男は驚いた顔でジェダを凝視し、
「准砂に、サーペンティア……あなたは蛇紋石様の……? 悪いが、この地方へ来てから日が浅く、そちらの事情がよく飲み込めていない」
シュオウは声をあげて注意を引き戻し、
「それより、こちらからの通告に返答がなかった理由を知りたい。そのためにここに来た」
「それは……」
重輝士は苦い顔で僅かに後ろを気にするような素振りをした。
重輝士の背後に立つ者達が、まるで威圧するような態度で重輝士を睨めつける。
「できるなら戦いを避けたい。駐屯する兵の撤退と、希望する住民の待避にも協力する。信用できないなら、俺が人質として同行してもいい」
シュオウの言葉に、隣にいるジェダが鋭く無言で抗議の視線を向けた。
重輝士の男がなにか言いたげに、
「それに、ついては……」
だが、その態度を制するように重輝士の後ろにいる兵士の一人が大きく咳払いをした。
その途端重輝士は、
「……去れ、占領を望むのなら我々は全力で相手をする。降伏はなく、最後の一人になるまで戦い尽くす、死闘になると覚悟しておけ」
威勢の良い言葉のわりには、語る声に覇気はない。
重輝士は言い終えると、力なく背を向け、元来た道へと歩を進めた。
シュオウはその背を追うように一歩踏み出し、
「待ってくれ!」
兵士たちが一斉に武器をシュオウへ向けた。
緊張した面持ちで、ジェダとレノア、カトレイ兵たちが臨戦態勢を整える。
重輝士はシュオウに背を向けたまま、
「話は、終わった」
取り付く島もない態度に、シュオウは踏み出した足を戻し、
「……名前は?」
重輝士はたっぷりと間を置いた後、
「…………ムラクモ軍重輝士、アルデリック・ノランだ」
力なく、自らの名を告げた。
*
ユウギリの検問所を離れ、陣営に戻る途中、シュオウはおもむろに馬の歩みを止めさせた。
「止めてくれ、ここで降りる」
ジェダは突然馬から飛び降りたシュオウの顔をまじまじと見つめ、
「……その顔を見ていると、どうにも嫌な予感がする」
共に足を止めたレノアが、
「たしかに、なにかするつもりって、そんな顔だね」
シュオウは鬱蒼とした灰色の森を見つめ、
「一人でユウギリに潜入する」
ジェダは溜息を吐いて首を振り、レノアは呆然と灰色の森を見つめ、カトレイ兵たちは無言で顔を見合わせた。
「どうしてそうしようと思ったのか、一応聞いてもいいか」
呆れ声のジェダがシュオウに問う。
「妙な奴らが入り込んでるし、ノラン重輝士の様子もおかしかった。中に入って直接現状を調べてくる。森を通れば、見つからずに入り込める道筋を見つけられるはずだ」
レノアが、
「深界の浅場とはいえ灰色の森を抜けるなら相応の準備がいるだろ、せめて一度戻ってから食料や装備を調えてったらどうなんだ」
「必要ない、必要なものは現地で調達する」
レノアは無言でジェダを見つめる。ジェダはその視線を受けて小さく頷き、
「間違いはない、彼ならそれが出来るだろう」
シュオウは羽織っていた外套を脱いでジェダに差し出し、
「どうなってるか確認したらすぐに戻る」
ジェダは渋面で外套を受け取ろうとはせず、
「……本当に内情を探りたいだけなのか、じっくりと問いただしたいのが本音だが」
シュオウは視線を逸らして、
「……俺のやりたいようにやる」
「ふ――」
ジェダは笑みを零し、渋々な態度で外套を受け取った。
シュオウは森に向けて歩き出す。その背に向けてレノアが声を張り、
「約束の報酬、まだ全額もらってないんだ、絶対に戻ってきなよッ。このお坊ちゃんはケチそうだ、あんたがいないと残金をもらい損ねそうだからね」
シュオウは振り返らず、大きく手を振り、仄暗い灰色の森のなかに姿を消した。
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