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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
125/184

序曲 4

序曲 4






「こちらをジュナ・サーペンティア様にお渡しするようにと、ドストフ大公殿下から直々のお招きです。お体の事情を考慮し、使用人を一人まで同席させてもかまわないとのことです」


 派手な衣装を着込んだターフェスタ大公からの使いが、一通の招待状を差し出しながらそう告げた。


 用件を伝え終えた使用人の男は、ユギクに対してやたらと熱のこもった視線を送り、唇を舌でなぞって湿らせた。


 ユギクは多少の不快感を表情に滲ませ、

「ど、どうも……主人に伝えますのでこれで……」

 開いていた扉を強引に押し込んだ。


 使用人の男は素早く扉の隙間に足を挟み、

「……よかったら後で会わないか」

 ひそひそと小声で話しかける。


 ユギクは早口で、

「ああ、たった今ご主人様が湯浴みを終えられたばかりでお手伝いしなければ――」


 有無を言わさず、男の足を蹴り出して扉を閉ざす。


「はあ……」


 部屋の奥から様子を見ていたジュナは、

「大変そうね」

 楽しそうに言った。


 ユギクは恨めしそうな視線を返し、

「誰のおかげでしょうね」

 ふくれっ面でジュナに招待状を差し出した。


 ジュナは招待状の封を開けながら、

「加減を間違えたのなら、それはあなたの問題でしょ」


 招待状の文面をさっと読み、ジュナはそれを腰掛けている寝台の隙間に投げ入れた。


「ね、言った通りだったでしょ」


 薄暗い隙間から、

「……信じられません」

 リリカの声だけが聞こえてくる。


 ユギクの発案からドストフに祝いの書状を送って一晩がたっていた。それだけの時間、たった一枚の紙に綴った言葉だけで、ジュナは大公からの夕食会に招待されていた。


 また隙間からリリカが、

「大公の気を惹くために、まずなにか特別な贈り物を用意すべきとリリカは申しました。ですが、ジュナお嬢様はそれに対してただ祝いの言葉だけでいいと言われ、提案を拒まれた。それで本当に望む結果が手に入るのかどうかと、正直なところ懐疑的だったのですが」


「大公のもとには多方面の貴族家から豪華な贈り物が届くはず。宝石の山に宝石を一個投げ込むより、みすぼらしくても石を投げ入れた方がよく目立つ」


 ジュナが淡々と真意を語った。


 リリカは声を曇らせ、

「……石は石です」


 ジュナは頷き、

「そう、石は石。だけど、相手がもしその石をとても欲しがっていたら話は別。その瞬間、その石はどんな高価な宝石よりも輝きを放ち、贈られた相手は、宝石の山を掻き分けて石に手を伸ばそうとする」


「それが、言葉?」

 側に立って話を聞いていたユギクが口を挟んだ。


 ジュナはユギクに微笑みながら頷き、

「私は言葉を贈った。ターフェスタ大公が今、どんな高価な祝いの品よりも欲しかったはずの言葉を選んで贈ったの」


 寝台の隙間から、

「ひょこん――どんなことを書いたのか、気になります」

 言ったリリカがひょこんと顔を覗かせた。


 同じようにユギクがジュナに目を釘付けにし、部屋の奥で家事をしていたレキサが掃除道具を手にしたままジュナの前で足を止めていた。


 ジュナは三人の関心を一身に集めつつ、

「まず社交辞令を書いて、勝利のお祝いをして、それがすべてあなたの功績であると書いた。寛大な心で私たちに機会を与えていただいたことに対しても、たっぷりと感謝の言葉綴った。そして最後に、私は最も重要な言葉を添えた」


 そこで止めるとユギクがぶすっと顔を曇らせ、

「もったいぶって楽しんでますか?」


 リリカとレキサが同時に頷き同調を示した。


 ジュナは楽しそうに笑み、

「ええ、ちょっと楽しかった。話してしまえば別にたいしたことじゃないから。私が書いたのは…………悪口」


 ユギクは大きく首を傾げ、

「悪口って……大公の……?」


 ジュナは首を振り、

「まさか、ご機嫌をとろうとしている相手の悪口を言うはずがないでしょう。告げる悪口はその相手が最も嫌っている相手のこと、私はただ、プラチナ・ワーベリアムの悪口を書き連ねて贈ったの、下品にならないように、とても綺麗な言葉に置き換えてね」




     *




 身なりを整えて招待に応じたジュナは、晩餐の支度が整えられた城内の一室に通された。


 介助役として同行するユギクが、車椅子に乗ったジュナを席につける。ユギクは辞儀をして、そのまま後方の壁際に佇んだ。


「急なことで驚かれたのではないか」


 ドストフの第一声に、ジュナは美しい微笑を浮かべて応じる。


「いいえ、むしろとても喜びました。せっかくターフェスタの城内に置いていただいているのに、お会いできる機会がほとんどありませんでしたから。お招きに感謝いたします、大公殿下」


 礼儀正しく頭を下げた。


 ドストフはきょろきょろと忙しなく視線を彷徨わせ、

「いや、実は私も同じように思っていたのだ。だが、このところは体調が優れなかったのでな」


 ジュナは身を乗り出し、

「まあ、それはとても心配です、大丈夫なのですか?」


 ドストフは大きく咳払いをして、

「流行病の類だ、もう完治した、たいしたことはない。それよりもまずは食事を、東方の出身者にも馴染みのある味にするよう、料理長に言っておいた。口に合うといいのだが」


 ジュナは品良く微笑み、


「ありがとうございます、殿下。私のようなものには過分なおもてなしです。どうしてここまでのことをしていただけるのでしょうか。失礼ながら、裏面になにかがあるのではないかと、少々不安に思ってしまいます」


 ドストフは周囲に視線を配り、

「ん、ん――」

 重く喉を鳴らして控えていた者達を退出させた。


 一人残ったユギクに見つめられ、

「大丈夫」

 ジュナは頷きを返して退出を促す。


 食卓に二人だけとなり、ドストフはおもむろに懐から折りたたんだ厚紙を取り出した。


「これだ――」


 ドストフは折られた紙をゆっくりと広げる。それはジュナが書き、贈った戦勝祝いの書だった。


 ジュナは大袈裟に頭を下げ、

「どうか不敬をお許しください。殿下の功績を知り、相応しい贈り物をと考えましたが、このような身の上ゆえに質素な物しか用意することができず、使用人に止められながらも、せめて心だけでもお渡ししたいと強く願い、そのような物しか贈ることができませんでした」

 深く顔を伏せた。


 ドストフは息を震わせ、

「なにを言う……戦勝を伝えた布告の後、私に贈られた数多の献上品のなかでも、そなたから贈られたものが最も我が心を強く打った……ッ」


 余所行きに見せる偽りの言葉ではない。震えと熱を帯びたドストフの声は、心の奥底から溢れ出た声音だった。


 辞儀をしたまま、隠した顔に冷笑を滲ませる。


 ジュナは素早く表情を作り替える。鷹揚に顔を上げたとき、そこには感動で目を潤ませた表情が新たに用意されていた。


つたなく、お見苦しいものをお見せしてしまいました。ご本人を目の前に、恥じ入るばかりです」


 ドストフは首を横に振り、書かれている文面に目を移す。

「これが拙い? ここに並ぶ言葉の連なりはどれもこれも名文だらけ。まるで宝珠を実らせる神木のようだ、色とりどりでありながら、どれも格別の輝きを持っている。戦いの勝利への喜び、そこへ至るまでの重責への労い、あげればきりがないが、なかでもこの一文だ――」


 ドストフは興奮気味に立ち上がり、


「――飾り立てた銀の盾、その輝きはなにものをも照らすことなく、ただ静寂の水面に沈み行く」


 その一文を語りながら、酔いしれたような表情でグラスに注がれていた高価な美酒を口に含み、口内で味わうようにもごもごと舌を回した。


 その一文は、銀星石の主、プラチナ・ワーベリアムを比喩的に侮辱した内容である。


 ジュナはそのことを包み隠すことなく、


「光を降ろさず自分だけが輝く太陽は月と同じです。銀星石という石がいかに高名であろうとも、その威光を独り占めにするようであれば、ターフェスタにとっては、無用の長物でしかありません」


 あけすけな物言いにドストフは面食らったように座り込み、


「遠慮がないが……その通りだ。プラチナ……我が命令にも逆らい、口を開けばねちねちと苦言ばかり聞かせようとする、まるで母親面をした口うるさい乳母のようだ。私を子ども扱いをして…………」


 ジュナが素の表情を垣間見せるドストフの顔をじっと見つめていた。


 ドストフは不意に喉を詰まらせ、自らを諫めるように左手の手で右手の甲を叩き、愚痴を止める。


 ジュナは目の前の食事に少し手をつけ、


「銀星石という存在がいかに大きなものかと、この国に受け入れていただいてから、幾度となく知らされる機会がありました。燦光石は一国を成すほどの絶大な力とされている、大公家はその石を継承する一族を配下に持ちながらも、その扱いには苦慮されてきたのではないでしょうか」


 ドストフは深く頷きを繰り返し、


「そうだ……どれほどの努力をしようと、どんな功績を手に入れようと、それはすべて銀星石の力によるものだと軽んじられる。ターフェスタ大公が座す玉座ですらも……若い娘でありながらなんという慧眼か、神のきまぐれによって石の色を失ったまま生まれてきてしまったのかもしれないが、そなたの資質を見ていると、紛うことなく風蛇の家のご息女であると思わされる」


 ジュナは頭を下げ、

「もったいない御言葉です。私のほうからも心中をお察しいたします。ですが、もうこれ以上悲観なされる必要はありません」


 ドストフは僅かに顔を顰め、

「……それはどういう意味か」


「片手に持つ銀の盾が役に立たずとも、殿下はすでにもう片方の手に新たな力をお持ちになられています」


「新たな力……」


「殿下に任命されたアリオト司令官シュオウ、その配下である私の弟のジェダ、その他の者達も、殿下とターフェスタの未来のために、全身全霊の力を込めて道を切り開くことでしょう」


「……ふむ」


 ドストフの態度には濁りが混じっている。それはまだ、シュオウのことを完全には信頼していないという意思の表れだった。


 ドストフはパンを取ってかじりつき、


「シュオウとかいう、まあ、あの男はよしとしよう。だがジェダ・サーペンティア……そなたの双子の片割れということだが、あの者は我が国と神の信徒を冒涜してきた。そんな者を信用し、その手を借りてことにあたれば、他の者たちから指を指されぬかと不安にも思うのだ」


 真剣に話しに聞き入る態度をとりながら、ジュナは心の中で笑っていた。


 ドストフ・ターフェスタ、生まれのわりには随分と素直な人間のようだ。真情を吐露する態度からは、王に匹敵する地位にある者としての威厳を微塵も感じ取ることができなかった。


 ジュナは悲しげな顔と共に視線を低く下ろし、


「私は長い間、生家であるサーペンティアに人質として隔離されてきました。弟のジェダは私を守るために一族からの虐待に近い扱いに耐えなければならなかった。腹違いの兄姉たちからの暴虐に耐え、何度も命の危険に晒されたこともあります。危険な戦いへの参加を強いられながら、それでも生きるために全力を尽くさなければならなかった。その方法や手段に問題があったことは承知していますが、そこに死者を冒涜するような意図は微塵もなかったのです」


 身の上話を聞かされたドストフは悲しそうに眉を下げ、

「大家に生まれながら、それほどのめに合わされていたとは……二人ともに、さぞ辛い思いをしたのだろうな……」

 同情を示した。


 ジュナは胸の上で、濁石を秘めた拳を握り、


「私たちはムラクモを離れることを最善の道として選びました。ですが、人生は続きます、その先も生きねばならない。殿下が私たちを受け入れてくださり、これから先にも居場所を与えてくださるのなら、私たちはその恩を忘れず、殿下に生涯を捧げて尽くします。血を分けた姉弟から見たひいき目ではなく、ジェダの持つ輝士としての才覚は傑出している、そのジェダを部下として扱うシュオウ様もまた、並外れた武力と優れた将としての資質を持ち合わせていると信じています。あの方であれば、その力を行使されることでしょう、あなたの国、このターフェスタのために――――」


 言った直後、

「…………」

 ジュナの顔を見てドストフが一瞬、怯えたように身をひいた。


 ジュナは笑っていた。


 感情の消えた目は大きく見開かれ、口元だけが大きく左右に開かれている。その表情はまるで、獲物を前にして舌をちらつかせる蛇のようだった。


 ジュナは素早く表情を正し、情熱を訴えるか弱い女の顔に作り替える。


 ドストフは一瞬の幻でも見ていたかのように瞬きを繰り返し、仰け反らしていた上半身を少しずつ元の姿勢に戻した。


 ドストフは深く息を落とし、

「……思いはよく伝わった。才覚ある者たちが私のために働くというのなら、それ以上に望むことはない。約束の通りにムラクモから領土を削り取れれば、失墜したターフェスタ大公の名は栄光を取り戻せるはず」


 ジュナは頷き、

「その日が間もなく来ることを心から願っております」


 ドストフは不器用に顔に笑みを浮かべながら、ジュナの書いた祝いの言葉に再び視線を戻した。


「何度見ても名文だ。他の者たちにもこれを見せてやれればよいのだが」


 ジュナは、

「よろしければどうぞ」

 即答した。


 ドストフは驚いた顔で腰を浮かせ、

「よいのか?」


 ジュナは涼しい顔で、

「はい、なぜそのように言われるのでしょうか」


「それはだな……」


 しれっと聞いたジュナには、ドストフの心がよくわかっていた。そこに書いてあるのはターフェスタ大公へ贈る祝いの言葉だけではなく、プラチナ・ワーベリアムという大人物に対しての侮辱に等しい言葉が綴られている。


「私は嘘偽りのない思いをそこに書きました。その証明として、私の名と共にその文面を公表していただくことに異存はありません」


 一見して誠意ともとれるような聞こえの良い言葉を吐くと、聞いていたドストフは目を潤ませながら頷きを繰り返した。


「……よく言ってくれた。そなたの言葉によって、渇いていた我が心は潤い、苦難の道を選んだことを根底から肯定された思いだ。そなたの心意気に応えたい、なにか困っていることがあればなんでも言うといい」


 ジュナは品良く姿勢を整え、


「その紙にしたためたとおり、ターフェスタに滞在を始めてから、リシア教の教えに強い関心を持ちました。もしあつかましくも望むことをお許し願えるのであれば、リシア教に属する人物から直接教えを受ける機会を与えていただけないでしょうか」


「信仰を持たぬ国に生まれ、苦難の道を歩みながらも、神の在り方を学びたいとは、なんと感心なことか……そうであればすぐにでも私の一存で城下の教会を仕切る高位の神官を手配してやろう」


 ジュナは首を振り、

「初めからそのような高名なお方から学ぶのは、私のような生まれの者には気後れしてしまいそうです。よろしければ、もう少し親しみを感じられるようなお方であれば望ましいのですが」

 言いながら、白濁した輝石をドストフに見せる。


 ドストフは視線を上げて考え込み、

「あえて下位の神官、か……」


 ジュナは声を潜め、

「出世になど興味がなく、ただ誠意を持って神に仕えながら、身分の低い生まれの者達に対しても分け隔てなく接することのできるような、謙虚でありながら寛大な心をお持ちのお方です」

 記憶を誘導するように具体的な言葉をドストフに聞かせる。


 ドストフは、はっと何かを思い立ち、

「ああ、たしかそれなら、下街の教会にそのような司祭が一人……だが、まだ領内に留まっているかどうか……」


 ぼそぼそと独り言を呟くドストフに対してジュナは微笑んで頷き、

「どうか、その方にご教示いただけるように、お願いいたします」

 はっきりと願いを告げた。


 きょとんとするドストフは一瞬返事を濁したが、ジュナの顔と、食卓の上に置かれた祝賀の書簡を交互に見つめ、


「よかろう、まかせておけ」


 合意を告げた。




     *




 晩餐の席からはずれたユギクは、部屋の前の通路で待機していた。


 護衛役の兵士たちからの視線を意識しながら、疲れを隠してぴんと背筋を伸ばし、美しい立ち姿を意識する。


 ――遅い。


 夕刻から始まったこの集いから、すでに外は完全な夜に入っている。

 中から声がかかるのを待っていたが、一向にそのような気配がない。


 扉の前でじっと立ったまま待機しているユギクに、

「こちらで待たずとも、使用人のための控え室に案内いたします、火も入れてありますし、お茶と軽食のご用意も――」


 ユギクは素早く案内人を制し、

「けっこうです。ご迷惑でなければ、ここで主を待たせていただいてもよろしいでしょうか」

 きっぱりと断りを伝えた。


 案内人は頷き、

「わかりました、それでは」


 残ったユギクに、若い衛兵たちが互いに目配せをしながら、にやけた笑みを向けてくる。


 ユギクはそれに気づかないふりをしたまま、拳を握る手に力を込めた。


 ――置いてくるべきじゃなかったか。


 ジュナは自らの力で歩くこともできず、晶気を操る力も持たない。


 サーペンティアの名に恨みを持つ大公と二人きりにするべきではなかったのではないか。中の動向が窺えない状況にあって、そんな不安が頭をよぎった。


 そこでふと、


 ――なんなんだよ、くそ。


 無意識的にジュナの身を案じていることに気づき、頭をかきむしりたい衝動に駆られた。


 ユギクは表向き、ジュナ・サーペンティアに仕える使用人を演じながらも、実際の事情はまったく異なる。


 ジュナはユギクが己の意志で選んだ主ではない。


 本来仕えるべき相手はサーペンティア家と、それを仕切る人物だが、任務失敗の果てに、その責任をとらされることへの恐怖心から、しかたなしにジュナの側に残っているだけなのだ。


 ――でも。


 その結果に得た現状こそが自分の居場所なのだとしたら、それを守るために力を注ぐのを躊躇うべきではない。


 すっきりとしない矛盾を抱えたまま、しかしユギクは即席の納得を経て、決意と共に部屋の扉の前に足を進めた。


「止まれ」

 衛兵の一人が武器でユギクの行く手を遮った。


「主人の介添えのために同行しております、部屋を出て時間が経っているので、私の手を必要とされているかもしれません」


 衛兵は語気を強め、

「許可なく中に入ることは許されないッ」


 ユギクは一瞬、お淑やかで可憐な娘の顔を捨て、

「だったらなかに入って今すぐ許可をとってこいよッ」

 強く言った。


 衛兵は驚いた顔で口元を引きつらせ、

「え……あ、え……?」

 見開いた目で、他の衛兵たちと視線を交わす。


 その時、部屋の扉が押し開かれ、中から土産物を膝に乗せたジュナが姿を現した。


 ジュナはその場の異様な雰囲気を察して首を傾げ、

「……なにかあった?」

 ユギクを見つめ、微笑みながら首を傾げた。


 ユギクは疾風の如く勢いでジュナの車椅子に手をかけ、

「いいえ、なにもッ」

 未だに呆然と視線を送ってくる衛兵たちから逃れるようにその場を後にした。




 人気のない城内の通路は、しんと静まりかえっていた。


 ユギクは車椅子を押しながら、

「それで、なにがどうなったんですか」

 自らが退席した後のことが気になり、問うた。


 ジュナは振り返って微笑み、

「気になる?」


 ユギクは唇をとがらせ、

「……べつに」

 視線を逸らした。


 ジュナは顔を前に戻し、

「全部上手くいった。いまごろ誰かが司祭様の下に向かうよう、支度を命じられている頃でしょうね」


 ユギクは声を潜め、

「ほんとに……あの気難しそうな大公が許されたんですか」


「ええ、本当に。会ってみたら、思っていた以上に可愛らしいお方だった」


 ユギクは喉を詰まらせ、

「どこが……腐ったヤギみたいな顔したおっさんでしたけど……」


 ジュナはくすりと笑って、

「素直で、とても豊かな感性をお持ちの方だった。だけどちょっと臆病で、自身を見つめる心のゆとりをお持ちではない。恵まれているのに、誰よりも不幸そうに生きている。生まれる場所を間違えてしまったのね」

 言い終える頃、顔から笑みを消していた。


「はあ……」


 常のように、ジュナの行動や意図をよく理解できぬまま、ユギクはすっかり慣れつつある曖昧な相づちを返す。


「音が――」

 ジュナが耳の後ろに手を添えた。


 暗い通路を挟んだ奥の広間から、弦楽器の音が微かに漏れ伝わってくる。


 楽器の音に気づいたジュナは手を上げ、

「あの音のほうへお願い――」


 ユギクに押されながら車椅子を進めると、城の広間に様々な楽器を手にした音楽家たちが集っていた。


 音楽家たちは話し合いながら楽譜を見つめ、細かく部分ごとに演奏の方法を話し合っている。


 打ち合わせを止め、音楽家たちがおもむろに演奏をはじめた。


 弦楽器を中心にして、いくつかの楽器の音色が複数に折り重なる。


 音は豊かに空間を跳ね、終わりのない舞踏のように反響を繰り返した。


 ジュナは目を閉じ、その音に身を委ねるように体を揺らしていた。やがて小さく、綺麗な声で鼻歌を添え、


「星月夜の街――」


 聞こえてくる音から連想した風景を口ずさんだ。


 その印象は、まさしく名も知らないこの曲にぴったりだと、ユギクは心の内で感じていた。


 ジュナはしばらくその演奏に耳を傾けながら、まるでその音の一つずつを拾い集めるかのように、伸ばした指を指揮者のように宙に泳がせた。




     *




 人気のない夜の街なかを早馬が駆け抜ける。


 上街を抜けて橋を渡り、寂れた下街の大通りを突っ切って、教会の前で足を止めた。


 夜更けの訪問者に応じたのは教会で助祭を務める青年、ハースだった。


 ハースはその内容を知り、祈りの最中であったエヴァチ司祭の元へ、爆ぜるように駆けつける。


「司祭ッ、大変ですよ!」


 エヴァチは祈りの姿勢を崩さぬまま、

「…………神への呼びかけの最中だ、一人にしてくれと頼んでおいただろう」


 ハースは頭を下げ、

「申し訳ありません、ですが緊急だと思ったもので」

 エヴァチの目の前に一通の書簡を差し出した。


 差出人を示す封蝋ふうろうを見たエヴァチは、

「これは……大公家の……」

 驚きの声を漏らしつつ、勢いをつけ書簡の封を破り捨てた。











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― 新着の感想 ―
[良い点] ジュナにコロコロされる大公w [一言] ドストフは普通の人って感じですね。大公なんて地位じゃなければ幸せに生きられたのかもしれんなぁ。
[一言] 銀星石攻略するのってジュナだったりしてwww
[一言] これは見事な人力ピタゴラスイッチ
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