飛翔 3
飛翔 3
クロムは極寒の空気を切り裂きながら空を飛んでいた。
風の輪を進行方向に創り出し、その中心をくぐり抜け、さらに速度を増しながら角度を保つ。風の輪をくぐるたび、強烈に渦巻く風に衣服が切り裂かれ、全身の肌が露出していく。
極寒の中を裸に近い格好で高速に突き進む。その先にあるのは、生身で高所から地上に叩きつけられるという現実だった。
まともに受け身もとれず、よくて頭を打ち付けて即死するか、悪ければ体中の骨が折れて長時間苦しむことになる。
一瞬の先に待ち受ける死を、しかしクロムは微塵も心配することなく、その頭の中で思い描く妄想は、親愛なる主君が成果を喜び、褒め称える希望に満ちた未来だけだった。
ゆえに、クロムはこの状況で心の底から笑っていた。
最初の風の輪をくぐって空に打ち上げられてから、幾度か同じように輪をくぐり、強烈な風に吸い込まれてさらに遠くへ飛び上がる。そうしているうち、あっという間に城塞の目前にまで到達していた。
高くから見下ろした情景に、小さく城壁の上に集まった兵士たちの姿が見えた。誰一人としてクロムの存在に気づいている者はいない。
猛禽のように鋭い視力と直感に従い、ムラクモ国旗を支える太い柱に目を付ける。
――ここだ。
着地へと至る行程を定めたクロムは、そのために必要となるものを想像した。それは、粘り気のある風である。
空が壁であると仮定し、そこに留まるために、穏やかだが濃厚な風溜まりを欲する。
晶気は先天的な資質と後天的な錬磨によって形を成すもの。クロムにとってそれは幼少期の積み木遊びであり、職人たちが手がける鋳造であり、木を削って望む形を創り出す木工と変わらない。
風、という本来の在り方に一切縛られる事なく、クロムはこの時、自身を無事に地上へ降ろすために、その力と想像力を余すことなく発揮した。
水気を含んだ粘土のようにねっとりと、しかも重たい風の晶気を創り出し、その一つずつに手をかける。
粘性のある風の晶気は、クロムの体重を一手に支えるほどの力はなくとも、落下速度を少しずつ緩め、体を壊さない程度の勢いで、無事に柱の元まで送り届けた。
裸同然の状態で柱に捕まり、ムラクモの旗を破きながらするりと地面に落下する。
そこは城塞を守る高い城壁の端、さらに数段高く設けられている警備用の楼である。
着地と同時に、目の前に三人の兵士たちと目が合った。見張りのために配置されているであろう彼らの前には、賭け遊びの遊具が箱の影に隠すように並べられている。
三人の兵士たちは賭け事に興じていたときの姿勢のまま硬直し、突然現れたクロムをじっと見つめた。
寒さに震えるクロムは、破き取った旗を腰に巻き、真っ赤になった顔で三人ににやりと微笑した。
「おじゃまするよ、諸君」
震えに耐えながら軽く挨拶をしたクロムに、三人の兵士たちは目の色を変え、床に置いてあった武器に手を伸ばした。その瞬間、クロムのよく冷えた鉄拳が一人ずつの顔面に直撃し、素早く制圧を完了する。
「うう、寒い寒い寒い……」
震える体をさすりながら、クロムは倒した兵士たちの衣服を物色した。
一人の体をまさぐり、
「……ひどい趣味だ」
軍服の下に着ていた、不細工な動物の顔が刺繍されたつなぎを見て顔を顰める。
次に二人目の服をはぎとり、さっと羽織った瞬間、
「なんという悪臭……ッ」
素早く脱いで気絶する兵士の顔に不潔な布着を叩きつけた。
最後の一人が着ていた比較的清潔な衣服を無事に着込む。
「よし、これで――」
支度を終えて転がった武器に手を伸ばそうとした瞬間、クロムは思わず崩れるように片膝をついていた。
「な、なんということ……」
全身が脱力する。立とうとしても膝に力が入らないのだ。
昨日の今日で無理を続け、全力を振り絞ったシガとの戦いの後、棒と鞭で体を打たれ、痛みと疲労はとっくに限界に達していた。
寝台の上でうつ伏せで唸っていてもおかしくない状況にありながら、全身を凍り付くような寒さに晒し、己の晶気によって切り裂かれた衣服の下にある冷え切った皮膚も、細かい擦り傷が無数につけられている。
クロムの体力は、もはや限界に達していた。
「動け、動くんだッ」
必死の形相で太股を叩くが、立ち上がることができない。
「なぜだ、なぜ今なんだ……ッ」
その感情に保身の意は微塵もなく、あるのはただ、主君の機嫌をとる絶好の機会を逃すという恐怖のみである。
「くそ――」
歯を食いしばって両手の拳を床にたたき付けた。その時、賭け遊具として用意されていた四つの賽を入れた器が拳にかすり、跳ねた衝撃で賽が空中に飛び上がった。
四つの賽はほどよく回転しながら宙を舞い、絶望感に打ちひしがれていたクロムの目の前に、導かれるようにして転がり落ちた。
クロムが閉じていた目をおもむろに開くと、四つの賽の目のすべてが、同じ数字の一を表にして落ちていた。
「お……?」
クロムは目の前にあるものが信じられず、素早く瞬きを繰り返しながら何度も賽の目をたしかめる。
おそるおそる指で賽に触れながら、
「おおお……あああ……あー、あーッ、これ!」
クロムは目の前の奇跡に対して証人を求め、自らが叩きのめした兵士の一人の頬を必死に叩いた。
叩き起こされた兵士は首を揺らしながら目を覚ます。クロムはすかさず兵士の顔を四つの賽の前に突き出し、
「見ろ――見たか、見たな?」
意識が未だにぼやけている兵士は、状況をよく理解できていないまま、クロムに振られてかっくんと頷くような動作で首を振った。
クロムはその直後に兵士の顔面を再び殴りつけ、地面にその身を投げ捨てる。
「はッ?!」
その時、クロムは自身の状態に気づいた。
クロムは立っていた。
あれほど強く望んでも立ち上がれなかった体が、まるですべての傷と消耗を忘れてしまったかのように、自由自在に動き回ることができている。
クロムは同じ数字を揃えた四つの賽の前に跪き、
「これこそは天啓、神がこのクロムが進む道を祝福しておられる……なんという神聖さ……恩寵が全身に熱を届ける……動ける、このクロムはまだ動けるぞ!」
薄汚れた四つの賽をたっぷりと拝み倒していると、突如姿を現したムラクモ輝士が、
「なんだ……なにがあった?!」
クロムは満面の笑みを浮かべつつ、
「我が君のために――」
上半身を仰け反り、全身全力を込めて輝士の顔面に頭突きをくらわせた。
*
飛び去っていったクロムを呆然と見送った面々は、しばらくの間、呆然と空を見つめ、誰一人声をあげる者はいなかった。
クロムが創り出した風の輪は、力を弱めつつも未だに元の位置に形を留めている。
ジェダはクロムの風の輪に手をかざした。風の輪はジェダの手の先で徐々に大きさを萎ませていくが、なかなか完全消失にはいたらない。
ジェダは感心と呆れを織り交ぜた声で、
「たいした威力と持続力だ」
エゥーデが口元を歪めて、
「戦いに挑む前に狂人の自死を見せられるとは、胸くそが悪くなる。これ以上なく縁起が悪い」
ネディムが即座にシュオウの前で頭を垂れ、
「クロムならば必ず生存しているはず。おそらく、准砂のお考えを実行しようとし、内からの開門を試みるでしょう。兵を引き連れ、突撃を仕掛ける許可をお与えください、私が指揮を執り、自ら現場へ赴きます」
必死さを滲ませたネディムの願いに、シュオウは返事を渋り、彼方のムツキを見つめた。
「門が開くなら、止まることなく一気に攻められる」
独り言のように呟いたシュオウにジェダが、
「だが、開かなければ悲惨な結果を見ることになる」
シュオウは周囲にいる各々の顔を見渡した。
レノアは腕を組み、
「こっちは司令官の意思に従う、やるにしろやらないにしろ、早く決めたほうがいい」
マルケが渋面で口を挟み、
「顧問の立場から言わせてもらうが、一人の奇行にすべてを託して無闇に軍を動かすのはよろしくない。教典、開北境記、第十四章第一節、智なき勇猛は利にあらず。謙虚の心、これこそ真の勝利を知る道なり――功を焦った部下が難攻不落の城塞に命懸けで突破口を開くと飛び込んだが、これを信じず、軍を退かせて後の勝利のために賢く力を温存した名将の残した言葉だ。歴史が教える教訓を無駄にしてはならない」
シュオウはマルケの語りに耳を傾けた後、バレンに顔を向けた。
「うまくいった場合はどうなる」
「敵拠点の攻略に最も危険が伴うのは、進入路を穿つ瞬間です。それを省くことができるのなら、最小の日数、最小の被害で作戦を進めることが期待でき、拠点攻略後にかかる修復の手間や費用をまるごと浮かせることができるでしょう」
エゥーデがうんざりとした調子で首を振り、
「それは一切の弊害なくすべてが上手く進んだ場合の話だろう。貴様らも知るあの狂人が、ただ一人で門を無事に開くことができるなどという都合の良い結果を信じる者がいたとすれば、それこそ狂人の物の見方となにも変わらん」
バレンの発言に釘を刺した。
それぞれの意見を聞き、シュオウは最後にジェダを見る。
ジェダは首を曖昧に傾け、
「おおむね、慎重論の意見に賛同する。開門を期待して飛び込むのは無謀な賭けでしかない。進軍するにしても、落ち着いて正攻法を検討するほうが無難だろう」
各々の考えを聞き終え、シュオウは僅かな逡巡を経る。
静寂に佇む堅牢な城塞。それを前にして息を飲む軍勢。常に変わることなく同じ時を刻み続ける深界の空気を感じつつ、心中に一つだけ残った答えを、そっと口ずさむ。
「突撃する」
その瞬間、ネディムが嬉しそうに息を漏らし、
「ありがとうございますッ」
焦った様子のマルケが、
「私の話を聞いていなかったのかッ」
シュオウは強い視線でマルケを見つめ、
「命を賭けて戦った仲間を信じずに見捨てた将軍の話なら聞いていた。あいつも勝つために命懸けで飛び込んだ、俺はそれを信じる。仲間は絶対に見捨てない」
ジェダが馬を進め、
「君が信じるものを僕も信じる――司令官の決定だ、以降異議をとなえた者は反逆者とみなし、僕がこの場で処分する」
ジェダは空中に残されていた風の輪の残骸を掌握し、手の中に納めた風の輪を、圧のある強風に変えて天に向けて撒き散らした。
シュオウはジェダに頷いた後、レノアに視線を向け、
「アリオト兵を先行させて道を拓く。後続のカトレイは侵入しだい拠点内各所の制圧に集中しろ、中の構造は覚えさせてあるな?」
レノアは素早く頷き、
「当然――カトレイは侵入しだい、拠点内施設の制圧に集中する」
シュオウはネディムに視線を渡し、
「アリオトの輝士隊に突撃の準備をさせろ、俺が率いて先頭を行く」
ネディムは深く頷き、
「ただちにいたします。微力ながら、私もお供を」
シュオウがエゥーデに視線を向けると、
「無謀な作戦に我が軍を付き合わせるつもりなどないからな」
先を取るようにエゥーデが言った。
シュオウは頷き、
「増援軍は門が開かなかったときに備えて待機してもらう。晶士隊をすべて預けていく、必要になったら上手く使って援護を頼みたい」
エゥーデはシュオウの言葉を鼻で笑い、
「狂人のついでに、私のことも信じるというつもりか」
シュオウはジェダを見やり、
「ジェダ、ここに残って副司令を補佐しろ」
ジェダはおかしそうに吹き出して、
「僕一人に増援軍すべてを監視しろと?」
「いやなのか」
ジェダは一瞬、仏頂面のエゥーデをちらりと見て、
「いや、やりたかったんだ」
歯を剥いたエゥーデと互いに敵意を含んだ視線を交えた。
シュオウは納得がいっていない様子のマルケに近づき、鞍に手を伸ばした。
徐々に顔を白くしていくマルケは、
「おい、おいまさか……ッ」
シュオウはマルケの後ろに跨がり、
「俺達が一番乗りだ」
ずっしりと重たいマルケの腰に腕を回した。
マルケは、大口を開けて天を仰ぎ、
「神よ、この試練はいったいいつまで――ッ」
祈りと絶望の言葉を同時に吐いた。
*
「責任者はどこにいる?」
瞳孔が開ききった眼で、クロムは目の前にいるムラクモ輝士に問いただした。
上品で穏やか、知性的でゆったりとした目元が特徴的で、いかにも優しげな男の輝士は、異様な様子のクロムに睨まれ、半開きの顎を小刻みに震わせる。
「せ、責任者……?」
戸惑う輝士にクロムは、
「ここで一番偉いやつのことだよ」
「ウラク准将のこと、ですか……?」
クロムは笑い、
「そこへ案内を願う」
問われた輝士は、当然のこととして上官の居場所を教えるという行為を躊躇った。
軍人として、それ以上にムラクモという国の名を背負う高貴な責任を背負う身として、断固としてつっぱねるのが当たり前のことである。
だが、クロムの肩越しに見える光景が、輝士としての矜持を貫くことを諦めさせた。
「た、たぶん……じ、上階の一室にいるはず……案内、します……」
呼吸は小刻みで、額に脂汗を浮かべながら、輝士は上官の居場所をあっさりと告げた。
「急いでもらえると助かるよ、我が主君をお待たせしているのでね」
クロムは笑いながら輝士の頬を撫でた。その頬に、べっとりと赤い血が塗りたくられる。
輝士はよろけながら先導を始めた。途中、輝士がちらりと視線を送った通路には、無数の死体が転がっていた。
同種の存在が希有である、という視点においては、クロムは天才と称される部類の人間である。
そして、天才の目から見る大多数の者達は、掃いて捨ててもどこにでも代えが存在する、ただの平凡な者達たちだった。
安定の上にただ生きながらえることだけに執着する凡人は、理解の及ばぬ状況に遭遇した際、たやすくその身を硬直させる。
途中、幾人かのムラクモ兵とすれ違ったが、彼らは状況を飲み込めぬまま、戸惑いながらクロムと案内人を見送った。
平凡なる存在である彼らの思考は、敵がこんなところにいるはずがない、という考えをひり出したに違いない。
凡人たちが見たものの異常さに気づくよりも早く、クロムはムツキの現最高責任者である男の元へ辿り着いていた。
「な、なんだ貴様、どこから現れた?!」
平凡な驚き顔も、身元を問う平凡な言葉も、クロムの心には僅かにも届いてはいない。
クロムはただ、
「西側の門をいますぐ開けてもらいたいのだが」
要求を真っ直ぐに伝えた。
「はあ……?」
状況を飲めぬ様子のウラク准将は、まるでこの世で見る最も奇妙なものを前にしたかのように、顔面を占める各部位のすべてを苦く歪める。
「門を開けて欲しいと言っている、それがそれほど難しいことなのかね」
ウラク准将は立ち上がって、
「開けるはずがないだろう、こいつをいますぐ捕らえろ!」
同室にいた副官らしき男が鋭い目つきで水の晶気を創り出す。すかさず、クロムは手を弓を持つ形に構え、なにも存在しない虚空から、太い風の矢で、相手の胴体を打ち抜いた。
風穴を開けられた男が倒れる鈍い音がして、室内は静寂に包まれた。
ウラク准将は怯え顔で後ずさり、置いてあった椅子に足を取られて転び、尻を床につける。
同じ力を使う輝士であるからこそわかることがある。目の前で放たれたクロムの晶気の力が、どれほどの才覚によって繰り出されたものか。
凡人は自己と他者を比べるのを好む。力量差を計り、相手を見下ろすか、見上げるかを判断するためである。
ウラク准将は素早くクロムと自分の能力の差を計り、抵抗を諦めた。凡人の流儀に則り、早々に見切りをつけたのだ、逆らうだけ無駄である、と。
クロムはじりじりとウラク准将に近寄り、
「無能者にでも簡単にできる方法を要求したつもりだったのだが」
「くるな、やめろ、やめてくれ――」
高級な木材を使用した重たい椅子に顔面を叩かれ、ウラク准将は即座に気を失った。
クロムは椅子を投げ捨てて振り返り、
「君、次の頼みなのだが、縄を用意してもらいたいのだが」
ここまで案内をした輝士は、
「な、縄ですか……?」
大勢の兵士たちの中を、悠々と歩くクロムの背中には、気絶したウラク准将が縛り付けられている。
武器を手に、あるいは晶気を構築した者たちが、突如現れて門へ向かうクロムに視線を釘付けにされている。
ひと一人の重みを背負いながら、クロムは不意に、足をとられたようにその場に留まった。
「おっと――」
自分の膝をじっと見つめ、
「――まだ早い、そうだろう?」
語りかけると、片足が震えを帯びながら、再び歩みを再開する。
門を開ける。ただ単純な目的のために、クロムは本人が思う最適な行動を実行していた。
開門を指示できる地位の高い人間にその要求を拒絶され、次の手段として自らの手で門を押し開ける案を用意する。
敵地にただ一人でありながら、無事に門を開けることは至難の業。開門に至るまで、無事でいられる時間は稼ぐ必要がある。
結果、クロムは盾を背負うことにした。
盾は身を守るためのもの、しかしただ盾を用意しても、敵の攻撃は留まらず、生身の体ですべてを耐えきることなど不可能だ。
重要なのは盾が敵にとっての弱点として機能すること。
クロムは平凡な者たちが何を恐れるか、よく理解していた。
彼らは常に行動に理由を求める。大きな責任が伴う選択を避け、常に保身を最優先とする。
クロムの選択した盾は、実に効果的にその威力を発揮した。
この拠点で最も地位の高い者が人質にとられている。
突如降って湧いた侵入者を排除しようとも、手を出せば人質の命も無事にはすまない。
地位ある者の命を諦め、得体のしれない侵入者を排除する、凡人たる彼らは、至極簡単なその決断を躊躇った。その結果に待ち受ける死の責任を負いたくはないのである。
クロムの目から見る酷く劣って愚かな凡人たちも、現実には皆、正常な判断能力を持ったまともな人間たちなのである。
だが、思った事を即座に実行するクロムの足の速さに、彼らが正常な判断力を取り戻すまでの時が追いつくことはない。
臨戦態勢を整えた兵士たちの中を堂々とくぐり抜け、クロムが目的の門の前に到達したとき、背負っていたウラク准将が唐突に目を覚ました。
「どうした……なにが……?」
ウラク准将は縛られた体と、自身のいる場所を見て、状況を悟る。
次に彼が言い放つ言葉は、この状況ではなにより重要な一言になる。なぜなら、ウラク准将がもしも自らを犠牲にしてでも敵を討て、と言い放てば、その瞬間に背負っているものが、盾としての価値を失う結果になってしまうからだ。
だが、
「ふっふ――」
クロムは門を見つめたままほくそ笑む。
ウラク准将はクロムの背で声を張り上げ、
「私を――」
続く言葉を、クロムはすでに知っていた。
「――助けろ!」
彼の顔を初めて見た瞬間に、クロムは悟っていた。このどこにでも落ちていそうな凡人が、高潔な意志とは真逆の心を持つ者であると。
背に負った凡人が救助を求めたその瞬間、クロムは自らが用意した盾が、真にその意味を成就させたことを確認する。
救助の命令を受けた兵士たちは、しかしその方法をすぐに見つけることができず、ざわざわと雑音を漏らすのみ。
その隙に、クロムは眼前を埋め尽くす巨大な門を凝視した。
分厚く重たい頑丈な金属で強化された木材が鎧のように張り巡らされている。左右を固める二枚の扉を留める多重のかんぬきに目を付け、そこを目がけて晶気の矢を構築し、狙いを定めた。
「止めろッ、やらせるな、准将もろとも奴を討て!」
ここに至り、ようやく正常な判断力を取り戻した誰かが、そう声を上げた。
ウラク准将が大声を張り上げ、
「やーめーろー!!」
背中から迫る晶気の気配を感じつつ、クロムは一人盛大に破顔する。
「遅いのだよ」
クロムの手から、風の矢が放たれる。それは即座に重く頑丈なかんぬきの中心を穿ち、門はそれを閉ざしていた支えを失った。
背後に負った人間の盾から血肉がはじけ飛ぶ音を聞きながら、背中から受けた強烈な晶気に全身を押し飛ばされ、その勢いを利用して、クロムは倒れ込むように重たい門を押し開けた。
開かれた門の先、白道を突っ切る集団の先頭に、敬愛する主君の姿を見つけ、クロムはすべての力を使い切り、
「我が君……お待たせ……いたしました……」
満足げな微笑を浮かべ、その場に崩れるように倒れ落ちた。