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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
117/184

狂乱 5

コミカライズ版ラピスの心臓がピッコマにて連載中です!

活動報告に詳細とリンクを用意してあるので、是非ご覧下さい。

狂乱 5






 ムラクモ輝士隊とカトレイ輝士隊が激突した。


 晶気と晶壁がぶつかり合い、悲鳴のような音が鳴り響く。死の音と血の匂いが、数多の犠牲者を思わせた。


 レノアは雄叫びをあげ、まだ少年の面影を残す若い輝士の横っ腹に剣を突き刺した。


「くそ――」


 家族か恋人か、女の名前をつぶやきながら目の光を失っていく輝士を見つめ、レノアは改めて自軍の状況を慎重に計算する。


 両軍が衝突した結果、戦況は拮抗していた。だが、ムラクモ輝士は勇敢に応戦しながらも、その顔にはどこか憂いのようなものが窺える。


 ――わかるよ。


 この戦場には礼節や常識が存在しない。その現実に直面するムラクモ軍の指揮官に対し、レノアは密かに同情の念を送っていた。


 各所でばらばらに動き、散発的に戦闘を繰り返す輝士隊に、本来捨て駒として消耗されるだけの従士隊は、役目を見失ったかのように、その大半が健在している。


 誰もがどうすればいいのかわからないまま、乱暴な戦いが繰り広げられていた。


 馬術を駆使して互いに交差を繰り返しながら剣と晶気を交える者がいるかと思えば、その傍らで互いに馬から下り、取っ組み合いの泥仕合を演じる者もいる。


 狂騒と争乱を経て時がたち、黄色の数が、徐々に青色を圧倒しつつあった。


「こちらが優勢ですッ」

 シルフが勝ち鬨に近い声をあげる。


 レノアは一帯を見回し、

「これで終われば楽なんだけどね」


 ターフェスタ軍はアリオトに配置されている兵と、派遣された増援軍、金で雇われた傭兵軍であるカトレイのすべてを含めても、ムラクモが用意できる輝士、晶士の数に及ばないというのが、事前の戦力評価だった。


 一度の輝士の攻勢をやり過ごしたとしても、体力のあるムラクモはさらに追い打ちの輝士隊を用意する余力がある。


 楽観的に希望を見出せる状況にはない、とレノアは判断する。


 ――一度整える。


 第二派との衝突を予測し、レノアは隊の状態をたしかめるために足を止めた。だが、その時、


「うそ……」

 シルフが空を見上げ、声を震わせた。


 高々と打ち上げられた巨大な岩塊が、地上に重く影を落とす。


 ムラクモ軍の後衛から放たれた晶士の砲撃が、カトレイ軍が群れる現地点目がけて放たれる。


 レノアは獣のように変化した目を見開き、

「おいこら、お前らの仲間もまだここにいるんだぞ――」


 ムラクモ軍の輝士たちは、数を減らしながらも未だ集団を成してカトレイ軍と交戦状態のまま留まっている。そこへ、彼らの味方であるはずの後方から、巻き添えも厭わない一点狙いの砲撃が繰り出されたのだ。


「逃げろ、早く――」


 予想外の事態に、レノアは散開の指示を叫ぶ。だが、意志が浸透する間もなく、砲撃はすでに目前にまで迫っていた。


 レノアは呆然と空を見上げるシルフの腕を掴んで馬を走らせる。


 ――せめて直撃だけは。


 馬で駆け、砲撃の到達地点を予測し、必死に距離を稼ぐ。


 後方から爆音が轟き、白道に着弾した岩石の塊が砕け散る。爆速で飛び散る岩の破片が凶器となり、周辺一帯に襲いかかった。


 レノアは馬から飛び降り、シルフをかばうようにその身を抱き寄せ、覆い被さった。


 無数の矢が降り注ぐような音が鳴り、そこかしこから、人や馬の悲鳴が鳴り止むことなく聞こえてくる。


 レノアは破片の衝撃に備え、可能な限り身を低くする。しかし、背後に光を放つ晶壁がレノアの背中を守るように展開されていた。


 見れば、シルフが手を伸ばし、晶壁を的確に張り巡らせている。


 飛び散る破片が止み、周囲に一瞬の静寂が降りる。


 晶壁を張っていたシルフは晶壁を消し、力尽きたようにぐったりとレノアに体を預けた。


「ありがとう……ありがとう……」

 涙声でしがみつきながら言うシルフに、

「……こっちが言いたいよ」

 レノアは優しくシルフの背中を叩き、立ち上がって周囲の状況を俯瞰する。


 一帯は土煙に覆われていた。


 微風に流され、徐々に視界が晴れていくと、無数の死体が目に入る。


 黄色の軍服、青色の軍服、それに多数の馬が横たわり、苦しげに首を痙攣させている。


 ――仲間ごとなんて。


 体中に岩石の破片が突き刺さって絶命しているムラクモ輝士を見つめ、レノアは顔色に戸惑いを滲ませた。


 ――こんな手を使う連中か?


 ムラクモは優れた軍隊と国家制度を持つ洗練された大国としてよく知られている。鍛えられた兵士たちは有能で、輝士の振る舞いにも気品や節度が重んじられると聞く。


 そんな国が、あえて味方を犠牲にするような無慈悲な砲撃を撃ち込んだりするものだろうか。


 浮かび上がった疑念をそのままに、レノアは晶気を使い、その力を目に集中させ、前方遠くを注視した。


 輝士を中心とした前衛の戦列を視界に捉えながら、その違和感に即座に気づく。


 ――薄い?


 後衛を守るための壁である前衛の戦列がやけに手薄だ。第二派を予想していた輝士隊も、それらしき集団が見当たらない。


 レノアは地面に倒れたムラクモ輝士たちの死体を眺め、彼らの生前の様子を思い出す。


 ある者は恐れを滲ませていた。またある者は焦ったように視線を彷徨わせていた。不安、混乱、怯え、彼らから感じた感情のすべては戦場に立つ恐怖心からだと思っていた。だが、


 ――違ったのか?


 初めからちぐはぐだった対応に、場当たり的に送り出される輝士隊、それに味方の巻き添えも厭わない無慈悲な砲撃。


 思考の一つずつを瞬時に繋ぎ合わせ、レノアは一つの答えに至る。


 ――自信がないのか。


 彼らは戦いながら怯えている。しかしそれは、戦場に立つ死への恐怖ではなく、あきらかに必要な戦力を欠いた不利な条件のまま戦場に立つという理不尽さから生じているものなのではないか。


 表面上は手薄に見える戦列が、レノアにその物語を想像させた。


 ――罠かもしれないよ。


 自らに問う。


 ――いや違うだろ。


 そして、即座に答えを得た。


 今受けた異常な砲撃は示唆であり予兆だ。仲間を犠牲にしてでも、近寄らせたくない、という恐怖と焦りの発露に違いない。


 レノアはシルフを見やり、


「従士隊に負傷者を回収させて安全地帯まで届けさせる。敵にもう一発撃ち込まれる前に動けるやつらを集めて再編成するよ。使える馬を集めさせろ、平行して晶士の進行を準備、こっちも砲撃をぶち込んでやる」


 シルフはよろけながらも敬礼をして、

「はい、ただちに」

 命令実行のために走り出した。




 縦二列を成してレノアの指揮するカトレイ輝士隊が戦場を直進する。


 先頭に立つレノアが馬上で立ち上がり、高らかに剣を掲げた。


 それを合図に、後方に身を置く晶士から、巨大な晶気の岩石が放たれる。


 応戦のために集まっていたムラクモ輝士隊が一斉に進路をずらし、回避行動をとった。


 敵の手が届かない後方からの砲撃は、ムラクモの戦列には届かない。だが、敵の目の前に撃ち込まれた砲撃は白道に衝突した瞬間に砕け散り、派手に土煙を舞い上がらせた。


「突っ込む!」


 舞い上がった土煙を目隠しとして、カトレイ輝士隊が手薄になったムラクモ軍の戦列に突撃をかけた。


 従士隊を蹴散らし、戸惑うムラクモ輝士の追撃を振り払いつつ、戦列の壁を突き破り、後陣へと達した。


 ――やっぱりだ。


 ムラクモ軍の後衛は不自然なほど隙間が多い。晶士隊の数も少なく、それを守る護衛兵もまばらだ。


 退路を無視した決死の行動の最中、遠目に見覚えのある大きな眼帯をした男の姿が目に入った。


 レノアは思わず苦笑し、

「なんで先にいるんだよ――」


 レノアは向かってくる兵士たちに剣先を向け、

「――全隊足を止めるな、このまま中をかき回す!」

 高らかに命令を伝えた。


「こういうのが好きなんだろ」


 レノアは自らを指揮官につけることに固執したシュオウに向け、聞こえるはずのない声で語りかけた。




     *




 恐怖を乗り越えた先には達観の境地があった。


 マルケは敵陣の奥深くという特異な地点に身を置きながら、この戦場の有様を観察する。


 深界の戦場風景は、統制のとれた両軍が手順を踏んで兵を進める盤上の遊戯と似ている。


 歩兵を進めて削りあい、砲撃によって群れを散らし、戦場が適度に熱を帯びた頃、花形である輝士が互いの力を比べ合う。


 だがこの戦場はそうではない。


 少なくとも、ターフェスタ側の意志決定権を握る司令官が、少数精鋭で飛び込んだこの場所は、常識が通用しない異常な様相を呈していた。


 晶士隊の護衛兵たちがシュオウに襲いかかる。


 マルケは馬上からシュオウの所作を見つめ、

 ――美しい。

 思わず見惚れていた。


 シュオウが足を数歩進めただけで、武器を振りかぶって襲いかかっていた従士たちが地に伏せ、膝を折っている。


 輝士が馬上から晶気による攻撃を放っても、それを予めわかっていたかのように難なく躱してしまう。


 慌てた輝士たちが剣による攻撃を仕掛けても、シュオウに引きずり下ろされ、地面に倒れ込んだ次の瞬間には、首から鮮血を零している。


「なんなんだあいつは――」

 喧騒のなか、どこかからそんな声が聞こえてくる。


 マルケはその言葉に心中で強く同意した。


 こんな戦い方をする人間にどう対処すればいいのか、誰にもわかるはずがない。


 深界で戦う者達を盤上の駒に例えるとしたら、規則に縛られない異端の駒が存在しているのと同じことだ。


 単身で突っ込んで行く主君が囲まれないよう、アガサス親子が懸命に退路を確保しているが、それが必要かどうかすら疑問に思うほど、シュオウはたった一人で敵を次々に制圧していく。


 結果、晶士隊の多くが手を止め、逃げだそうとする者達の姿が増えていく。


 だが、敵の数はいっこうに減ることなく、前衛に割かれていたムラクモ輝士たちが、続々と後ろの守りに参戦し始めていた。


 戦いで相手を圧倒するシュオウにも体力には限界がある。個での戦いを続けていても、いずれはじり貧になるだけだ。


 集まりだした兵士たちを前に、マルケはぶり返してきた恐怖に寒気を感じた。その時、前方から聞こえてくる馬群の足音に、慌てて視線を向けた。


 そこに見慣れた黄色い軍服の群れを見つけ、

「おおッ」

 マルケは思わず笑みを零した。


 ムラクモ軍の最奥に潜り込んだカトレイ軍は、応戦するムラクモの輝士隊に攻撃を仕掛ける。


 不意打ちをくらったムラクモ輝士たちが次々に討ち死にしていくなか、カトレイ軍を率いるレノアがシュオウの前で馬を止めた。


「まだ報酬を全額もらってないんだ、先に死なれたら困るんだよ」


 シュオウは軽口を言うレノアに頷いて、

「俺は平気だ」


 レノアは辺りを見渡し、シュオウの手で討たれた者達の亡骸をみつめ、

「そうみたいだね」

 しみじみと漏らした。


 シュオウは周辺を指さし、

「砲撃を完全に止める、カトレイはこのまま後ろを荒らしてくれ」


 レノアは頷きつつ、

「そのつもりだけど、中央を引きつけてるボウバイト軍もいつまでもつかわからない。アリオト軍はどうなってるんだ、あいつらが動かなければ前の連中の目がいずれ全部こっちに集まるよ」


「心配いらない」


 言い切ったシュオウと目を合わせ、レノアは間を置いて頷いた。


「わかった。カトレイは守勢にはまわらない、そっちはそっちでなんとかしな」


 馬を進めたレノアの背に向け、シュオウが大きな声で呼び止めた。


「レノアッ――逃げる奴は追うな」


 レノアは手にした武器を肩に担ぎ、

「仰せのままに」

 笑みを浮かべながら簡易に崩した敬礼を返した。


 マルケはレノアの背に、

「あ……」

 未練がましく手を伸ばす。


 すれ違いざまに視線を重ねたレノアがマルケに向けて、

「無理するなよ」

 挑発的な微笑を浮かべた。


「ぐう――」


 マルケは垂らしていたままの鼻水を吸い上げ、背筋を伸ばし、無理矢理に胸を張り、前に抱えたムラクモ輝士の長剣を抜き放った。




     *




 殺気に満ちたムラクモ輝士の集団が迫ってくる。


 クロムは己の力が最も有効的に機能する距離を保ち、先頭を走る輝士の胸元を、晶気を纏わせた矢で貫いた。


 文字通りの風穴を開けられた輝士は糸が切れた人形のように落馬し、隊列を組んでいた輝士たちが慌てて散開する。だが、彼らは逃げたわけではなかった。


 ムラクモ輝士隊は完全に統制のとれた動きで、狙いを一点に絞らせないよう左右から攻撃をけしかける。


 クロムは馬を斜めに走らせ、

「小賢しい、初めからそっちの射程に入るつもりなどないのだよ」


 追ってくるムラクモ輝士たちが直線上に進路が交わる一瞬を狙い、再び晶気を纏わせた矢を中空に走らせた。


 ムラクモ輝士たちが咄嗟に回避行動をとるが、そのうちの一人に矢が直撃し、胸元を貫通して逃げ遅れたもう一人の肩を大きく抉る。


 胸に穴を開けて絶命した輝士と、肩を抉られてかろうじて腕がついている瀕死の輝士が、同時に落馬した。


 生き残りの輝士たちはクロムの矢の威力に怯え、距離をとって攻勢を諦める。そしてまた、新たな輝士隊がクロムを仕留めようと突っ込んでくる。もう何度も同じことを繰り返していた。


 悠々とがら空きの白道の上から矢を射ているクロムとは対照的に、シガは集団の中で一人で大暴れを演じていた。


 晶気の攻撃を生身で受け止め、時折長剣で肩や背中を突かれながらも、まるで動じた様子もなく長い腕を伸ばし、敵兵の体に軽々と拳で貫く。骨や肉に覆われた人体が、シガの前ではただの藁束のように脆く散っていった。


 クロムは怒濤の如く敵をなぎ倒すシガの姿を観察しながら、

「やはり、あれは人ではなく獣の類……」

 しみじみと感想を述べる。


 大軍がたった二人の手によって、完全に機能不全に陥っていた。

 だが、依然として数の差は縮まる様子がない。


 輝士としての力で圧倒しようとも、体力の限界はある。

 絶え間なく攻めてくる敵兵を相手にしながら、クロムの体力にも、僅かな陰りの兆候が現れはじめていた。


 クロムは引き絞る弓を敵兵に向けながら、

「ぬッ――」

 苛立たしげに顔をしかめた。


 手元で構築する風の晶気が弱まっている。風を纏わせる力が損なわれれば、最大の威力を維持することができる矢の射程が短くなる。多数を相手にしている以上、そしてシガのように非常識な頑丈さを持たない以上、クロムにとって敵との間合いを維持することは死活を左右する重要な要素だった。


「しかしッ」


 敵に取り憑かれる危険を覚悟で、クロムは恐れ知らずに馬を前に進めた。


 敵兵との距離が縮まっていく。


 狙いは重輝士であろう中年の男。勇壮な出で立ちで馬上から指揮を飛ばす凜々しい顔を睨み、狙いを付ける。


 あとは矢を放つだけ、というその時、


「はあッ!」


 横から飛び込んできたシガが、クロムが狙っていた獲物に、馬ごと強烈な体当たりをかました。そのまま崩れ落ちた輝士を一撃の拳で仕留めてしまう。


「ぬぬ……」


 あとほんの少しで綺麗に仕留めることができた獲物を横取りされ、クロムは歯を食いしばって行き場を失った殺意を飲み込んだ。


「まあいい、獣の餌にくれてやろう……ッ」


 クロムは冷静さを取り戻し、次の獲物に目を付けた。


 淡い金髪の見目の良い女輝士が、混乱する各隊の兵士たちを必死に鼓舞している。透き通るような目元と気丈な振る舞いは、混沌とした戦場のなかでも特に目を引いた。


 クロムはその輝士を標的に定め、

「優れた者から始末する、これぞ狙撃の醍醐味――」

 舌なめずりをして、晶気を纏わせた矢を引き絞った。


 だが、


「おらッ!」


 クロムが矢を放つ寸前、また横から飛び込んできたシガが輝士の体を掴み、その身を空高くに放り投げた。投げ飛ばされた輝士は悲鳴を上げながら地面に落下し、ぴくりともその体を動かさない。


「……ぬぐぐぐ」


 またしても獲物を奪われたクロムは、目の下を震わせ、鬼神の如き人相でシガを睨みつける。


「……ああそうだった」

 シガを初めて見た時からの記憶が、全身に不快感となって突き抜ける。


 生涯の主君を見つけたその瞬間に足場を崩され、そのせいで主の元に参上するのが遅れてしまった。その後、天運を占うために愛用していた賽をゴミのように破壊された。


 クロムにとっての生きる指針、そして運命を、この男はまるで価値がない物として扱い、無下にする。


「この腹ぺこ熊さんめッ」


 まさしく、クロムにとってシガという人間は、生ける天敵そのものである、その事実をクロムはこの瞬間にはっきりと思い出していた。


 クロムは極自然な動作で弓矢の狙いをシガに定める。途端、恐ろしいほど視界が鮮明に透き通った。


 狙いを付けた矢に風の晶気を纏わせ、

「これは戦いの中で起こった不慮の事故」

 ほくそ笑みながら、手頃な言い訳を口ずさむ。


 シガが敵を仕留める瞬間を狙い、引き絞った矢を解き放つ。だが、矢を放つ寸前、貯めていた晶気が突然、穴を空けたように萎れ、その力が弱まった。力配分を誤り、無理を続けてきた影響がついに現れたのだ。


 クロムの手を離れて放たれた矢は目標に到達する寸前で力を使い切り、獲物に到達する前に完全に晶気を失った。


 矢は依然として鋭い射線を維持しながら、戦闘に明け暮れるシガの後頭部に突き刺さる。


 激しく暴れ回っていたシガが、突然動きを止めた。周囲の敵兵たちが戸惑った様子で顔を見合わせる。


 シガはわなわなと肩を震わせ、自身の頭に刺さった矢に触れて振り返る。その視線は迷いなくクロムを捉えていた。


 シガは歯を剥きだして矢を抜き、

「わざとやりやがったな」

 掴んでいた敵兵を放り投げ、クロム目がけて走り出した。


 戦闘で気が立ったまま、歯を剥きだして迫り来るシガの迫力に、ぞくりと全身に悪寒が走った。


「これは、まずいッ」


 馬を反転させて逃げようとするが、シガはすかさず跳躍して距離を詰める。


 馬の後ろ足を取られ、クロムは馬ごと地面に引き倒された。直後、直感に従い体を横に転がすと、元いた位置にシガの強烈な拳が突き刺さる。


 シガは硬い白道に拳を突き刺したままクロムを睨み、

「いよいよ本当に頭がいかれやがったなッ」


 クロムは横たわったまま両手をあげ、

「そんな気はなかった、手元が狂っただけ、不慮の事故だ」


 シガは刺さった拳を引き抜き、

「誰に喧嘩を売ったのか、命と引き換えにわからせてやるッ」


 シガは叫んで全身を強弓のようにしならせた。そこから繰り出されるシガの打撃は、元々の身体能力と晶気による強化を受け、その速度と威力は芸術の域にまで達している。


 下手に回避を試みれば即死は確実。


 クロムは咄嗟にシガの拳の軌跡を予測し、中空に風の膜を張り巡らせる。あえて毛布のように重く晶気を構築し、触れたものを弾くような風の流れを創造した。


 風の晶気を纏わせたシガの拳が、クロムの顔面を打ち抜いた。その威力は人体を破壊するに至らないほどに力が軽減されている。だが、


「ぶほッ――」


 弱らせてもなお、シガの拳は強烈な威力を保っていた。

 顔面で拳を受け止めたクロムの体が、派手に地面を転がっていく。


 視界の中で天地がめまぐるしく入れ替わる光景を見ながら、

「ぬうッ」

 這うように身を留め、途切れかけた意識を繋ぎ止める。


 シガは厭わしそうに拳を振り回しながらクロムに近づき、

「むかつくほど器用なことしやがって。今のやり方は覚えた、次はねえぞ」


 殺意をみなぎらせ拳を鳴らしながら距離を詰める。


 クロムは応戦のために晶気の構築を試みるが、

「……神よ、これはクロムに与えられた試練なのか……我が身のみを使ってこの敵を倒せとおっしゃられているのかッ」


 疲れを溜め、意識を保っているのがやっとの状態で、まともに晶気を構築することができなくなっていた。


 状態を察したシガが邪悪な笑みを浮かべ、

「へばったな、雑魚の癖に調子にのるからそうなるんだ」


 シガが拳を振り上げる。だがそれを繰り出す寸前、

「……く」

 突如拳を下ろし、その場で崩れ落ちて片膝をついた。


 その様子を見てクロムは嬉しそうに笑い、

「そっちも随分お疲れのようだな?」


 シガは重そうに息を切らして腰を落とし、地面の上に仰向けに横たわり、

「ああくそ、腹が減った……」

 大きな音をたてて鳴る腹を押さえた。


 クロムはよろよろと上半身を起こし、前を見た。

 殺気に満ちたムラクモ兵の視線が二人を捉えて放さない。


 シガに怯え、クロムに怯えていた者たちが、すっかり冷静さを取り戻しているようだった。


 仲間を殺された恨みからか、泣き喚きながら呪いの言葉を吐く者もいる。彼らが落ち着いて隊列を組み直し、二人目がけて押し寄せる。


「こうなることを予測すべきだったのだ」


 クロムの言葉に反応したシガが顔を上げ、

「お前のせいだからな」


「何人やった?」

 クロムが問うとシガは視線を空に向け、

「……覚えてねえ」


 クロムは鼻で笑って、

「ふん、どうせこのクロムの数よりは少ないだろう」


 シガは溜息を落とし、

「言ってろ、あとで数えりゃわかることだ」


 その時、横たわる白道から地響きのような振動が伝わった。

 攻勢に出ていたムラクモ輝士たちが、突然一斉に進路を変え、後方へ退避し始める。


 直後、二人の真横を、無傷のアリオト兵が勢いよく通り過ぎていく。


 喧騒と怒号が、戦馬と歩兵の足音が奏でる騒音に混じり、阻まれることなく奥へと進んでいく赤い軍服の背中が、戦いが最終的な局面に移ったことを知らせていた。


 少しして、ムラクモ軍から撤退を告げる角笛の音が、戦場一帯に深く、重たく鳴り響いた。


 疲労困憊で横たわるクロムは、

「勝った、か」


 仰向けに横たわるシガは、

「当然だろ」


 体を起こしたクロムは隣で横たわるシガににこりと微笑む。仏頂面のシガがクロムから目をそらしたその瞬間、


「ぬんッ――」


 クロムはこっそり握っていた白道の欠片を手に、殺気を放ちながらシガの顔面を狙って殴りかかった。


 ムラクモ、ターフェスタ両国間の戦いに決着がついた後、二人の間に起こった不毛な争いは、駆けつけたネディムが止めに入るまで続けられ、両者は無意味な争いの証として、体中に数えきれないほどの傷を負っていた。











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小説の表紙
― 新着の感想 ―
>前に抱えたムラクモ輝士の長剣を抜き放った。 念願の戦利品の剣を手に入れたマルケさん
[良い点] >マルケは垂らしていたままの鼻水を吸い上げ、背筋を伸ばし、無理矢理に胸を張り、前に抱えたムラクモ輝士の長剣を抜き放った。 遂にマルケが!? 無事勝利! [一言] レノア&シルフは良い感じ…
[一言] ゆり アッー!
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