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ラピスの心臓  作者: 羽二重銀太郎
銀星石攻略編
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籠絡 4

籠絡 4






 荷台を引く馬車が列を成し、アリオトの門から白道へと出て行く。目的地は、目の前に駐屯している増援軍である。


 馬車の荷台には大量の食料、日用品や寝具、生活に必要な様々な備品が詰め込まれていた。


 輸送隊を仕切るクモカリは、増援軍の兵士達からの視線を一身に集めながら、大きく手を振って合図を送った。


「物資を持ってきたんだけど、誰に渡したらいいのかしら、偉い人の確認が必要なんだけど」


 兵士達はそれぞれに顔を見合わせ、慌てた様子で奥へと走り去って行った。




 増援軍の司令部の中で、ディカは祖母のエゥーデに破顔した。


「お婆さま、あちらからの生活物資の輸送が始まったそうですッ」


 だが、エゥーデは顰めっ面で強く強く舌打ちをした。


「勝手にくだらん事を引き受けてきたうえに、余計なことまで言いおって。私は後継として相応しい態度をとれと言った、物乞いをしてこいとは言っていない」


 ディカは胸の上で拳を握り、

「ですが、表向きはあちらからの提供ということになりますから……」


「そういう問題ではないッ」


 激しい剣幕と怒声に、ディカは怯えたようにびくりと肩を揺らす。


「……ごめんなさい」

 消えていくような小さな声を漏らし、目を伏せた。


「大家の当主とはいえ、その座は常に不安定だ。当主として地位を確立するのは、その周囲にいる者達の意志に依る。奴らは常にその座に在る者が相応しいかを計っているのだ。私が決めた後継たるお前が、あの下賎の者に物資を求めたと、ここにいる一族の者達が知れば、ボウバイトを背負う者として相応しくないと判断するだろう。大人しくしているように見えたとしても、奴らも隙あらば己や我が子を跡目に、と夢を見る。隙を見せてはならんのだ、それをよく頭に入れておけ」


 長々と語られる説教に、ディカは慣れた態度で頷きを繰り返した。

「はい……」


 その時、重苦しい空気をアーカイドの一声が打ち破った。


「失礼いたします。あちらが受け取りの証明を求めておりますが、どういたしますか」


 エゥーデはディカを厳しく睨みつけたまま、

「仕切っているのは糞虫の一派か?」


 そうアーカイドに問うた。

「はい、そのように見えます」


「ふん……ならば、どうせ質の悪い物ばかり寄越してきたに違いない。私が直接出向く、皆を集めろ。この私が直々にいびり倒してやるわ」


 ディカが大きく顔を上げ、

「お婆さま、やめてください、わざわざそんなことをしなくても――」


「黙れ。僅かな物資を投げて寄越した程度で、連中に借りを作る気などさらさらないわ」




 飛び抜けて恵まれた体格を持つシガが、さらにその資質を活かして体一つで重たい物資の荷下ろしを手伝っていた。


「ここまでする必要があるのかよ」


 シガは荷台の上から荷物を渡すクモカリにそう聞いた。


 クモカリは一瞬手を止め、

「なんのこと」


「物資の内容だ。手持ちの食料の半分近くを一気に渡す必要があるのかって言ってんだ。それに寝具に野営の道具、暖の燃料からなにからなにまで……ここの奴らは俺達を信用してない、そんな連中のためにわざわざこんな……」


 クモカリは再び手を動かし、荷台の上から大きな木箱をシガに手渡した。


「私達のじゃなくて、あそこに貯蔵されてる食糧はみんなの物なの。シュオウが言ってたでしょ、ここの人達は敵じゃないって。敵じゃないなら私達の仲間ってこと。仲間を飢えさせるなんてありえないし、安心して眠れるように気を遣うのも当然なの」


 シガは軽々と荷物を下ろしながら、鋭い犬歯を剥き出しにした。


「だとしてもやりすぎだって言いたいんだよ。やりすぎりゃ連中に舐められるだけだぞ」


 相手によっては怯えて縮こまってしまうようなシガの怒り顔を向けられても、クモカリは臆することなく荷台の上で胸を張り、シガを見下ろした。


「こういう状況だから、やりすぎなくらいで丁度良いの。シュオウも、ここの将軍様も、お互いにお互いが信じられない。だからって相手に冷たいことばかりしてたら、今よりももっと関係が悪くなるだけ。だから物資も、少し大袈裟なくらいたくさん用意して持ってきたのよ。恩を着せようって話じゃない、これは仲間に対しての誠意、中に入れてあげられなくてごめんなさいっていう気持ちなの。私はシュオウに物資の管理と、この引き渡しの仕事をまかされた、これは全部私の責任でやってること、だから口出し無用よ。わかったら口じゃなくて手を動かしてちょうだい、ほら、ちゃっちゃと手を動かすのッ――」


 クモカリの勢いに押され、シガは喉を詰まらせたまま、強引に渡された荷物を受け取った。


「なんで俺が怒られないといけないんだよ……俺らの分が足りなくなっても知らねえからな」


 不満げな表情で文句を垂れつつも、シガは大人しく荷下ろしの仕事に従事した。




「……」


 物影から二人の会話を聞いていたエゥーデは、威勢良く飛び出そうとしていたが勢いを失い、黙したまま硬直していた。


「エゥーデ様? どうなさったのですか」


 一族の一員で配下の一人がエゥーデの様子を伺うが、黙していたエゥーデは突然来た方へ振り返り、


「……気が削がれた。アーカイド、お前が受け取りを済ませておけ」


 エゥーデは苦虫を噛みつぶしたような顔で唾を吐き、重く鼻息を落としす。


「はい、承知いたしました」


 指示を残して去って行くエゥーデと、嫌がらせのために集められた部下達が、戸惑った様子でその後に続く。


 アーカイドはほっとした様子のディカと目を合わせ、微かな微笑を隠しながら、無言で数回頷いた。




     *




 寒風吹き荒ぶ城壁の上から、シュオウとジェダは肩を並べて外の様子を観察していた。


「物資の受け渡しは順調なようだ、彼にまかせて正解だな」


 往復での物資の運搬を、先頭に立って指揮しているクモカリを見ながらジェダが言った。


「クモカリは全体をよく見てる。戦場に立たせるより、足元を守ってもらっているほうがいいと思う」


「それについては異論はない。が、カトレイの指揮官のほうは少々心配だ」


「反対か?」


 ジェダは肩を竦め、

「奇抜な人事だったとは思っているよ。物資補給を担当していた人間にいきなり大軍を指揮しろというのも、現実的には酷な要求だ。差し出された候補者の中からでも、無難に指揮官をこなす者は選べただろう」


 シュオウは視界すべてを覆い尽くす灰色の森を一望し、

「そうだな。でも、それだけじゃ嫌だった」


 ジェダは鼻から笑声を漏らし、

「君はしつこいからな。一度そうすると決めたらどんなことでもしようとする――」


 向かい風に全身が煽られる。


 濃厚な野生の匂いが鼻をかすめ、得体の知れない生物の声が空気を震わせた。


 押し流された暗雲が昼の光に幕を下ろすと、辺りは時をまたいだように暗くなる。


「やるべきことはやったな」


 シュオウの言った言葉には、ターフェスタを出発してからここまでの過程が含まれている。


「そうだね」


 吹き続ける風に身をさらしたまま、シュオウは目を細め、彼方を見やった。


「明日、ムラクモに戦いを申し込む」


 ジェダは眉を上げてシュオウを見やり、

「普通ならもうしばらくは足場固めに時間を使うだろうが……まあ、あまりだらだらとやっていても、ここの連中に反乱を計画されかねないな。賛成するよ」


 シュオウは視線を落とし、白道に駐屯する増援軍を凝視する。


「使えるものは全部使って、ムラクモ軍を突破する。そのまま軍を押し進めてムツキを完全に制圧した後、そこを足場にしてユウギリを取るぞ」


 ジェダは語るシュオウを見ながら柔く頬を緩めた。


「シュオウ、君は血で血を洗うような戦いに臨もうという話をしながら、自分が今どんな顔をしているかわかっているのかい――」


 どこか呆れるような口調で言いつつ、自身の頬を指で押し上げ、


「――心底、嬉しそうに笑っているよ」


 そのまま暗くなるまで、これからについて語らう二人の声は絶えることなく交わされた。




     *




 夜に入って間もなく、シュオウが自室に戻ると、部屋の中は薄らと明かりが灯されていた。


「お戻りか」


 マルケが部屋の主のようにどっかりと長椅子に座り込んでいた。


「まだいたのか」

 シュオウは外套を脱いで椅子にかけ、寝台の上に背中から倒れ込む。


「寛大な誰かさんに居てもいいと言われた気がしたものでね」


 その時、皮肉っぽく語っていたマルケの腹が大きく音を鳴らした。


 シュオウは仰向けに横たわったまま顔を持ち上げてマルケを見る。

「食べてないのか?」


 マルケは腹を押さえながら顔を背け、

「食べていない……」


「そうか」

 シュオウは首を寝台の上に戻し、静かに瞼を落とした。


 マルケはもぞもぞと体を起こし、

「そこは、なにか持ってきましょうか、と言うところじゃないのか?」


 シュオウは部屋の入り口を指さし、

「歩けるだろ、欲しいなら自分で取りに行け」


 マルケはくやしそうに喉を鳴らし、

「くぅ、私も落ちぶれたものだな、無信心者のうえに彩石を持たない若造にここまで見下されるとは」


「俺は見下してない。俺を見下してるのはそっちだ」


 言い返せなくなったマルケは不満を表明するかのようにごろごろと唸った。


「……それで、今日はいったいなにをしてきたんだ。司令官ごっこを楽しんだか? 見目の良い若い女達を厳選して側において仕えさせるのもいいだろうな。高給取りの輝士達に頭を下げさせるのは気分がいいだろう? 雲の上にあるような地位を手に入れ、さぞご満悦なことだろうよ」


 シュオウは横たわったまま枕に首を乗せ、上半身を僅かに起こしてマルケを視界に捉えた。


「ディカ・ボウバイトと昼食会をした」


 マルケは眉を歪めて、

「ディカ・ボウバイト……ボウバイト将軍の身内か」


「孫娘だ。外に置いてる増援軍との連絡係を引き受けてもらった」


「ほう、調整役か。状況から見れば必要な措置だろうな。だが、人選を間違えているぞ。向こうの身内を間に立ててどうする、その孫娘とやらはボウバイトを最優先して事に当たることになるんだぞ。普通そういう役は、どちらにも与しない中立な人間を宛がうものだ、これだから素人は……」


 マルケはシュオウを小馬鹿にしたように首を振りながら溜息を吐きだした。


「ディカ・ボウバイトは全面的に俺の味方をしてくれることになった」


 マルケは唇をとがらせ、

「どうしてそうなる?」


「色々あるんだ」


 マルケは一瞬の沈黙の後に、だらしなく長椅子に体を預ける。


「ほおう、まあいいだろう……それにしてもボウバイトか、あの家の連中がよくもまあ、門を閉ざされて黙って外に居るものだと感心する」


「ボウバイトについて、知ってることがあるのか」


「まあ、特別詳しいわけじゃないがね。あの家は、混沌領域の蛮族共の流入を防ぐという責務を負ってきた。敬虔なリシア教徒としては、歴史を学ぶうえでその名を見ることも多かったのでな」


 シュオウは大きく上半身を起こし、

「もっと知りたい」


 話に関心を示したシュオウに、マルケは若干嬉しそうに頬を緩めた。


「大山の麓に広がる上層界は広大だ。深界ではなく人間が暮らせる森や自然が一帯に広がっている。だがそこは、北のリシアと南のクオウ、相容れない二つの宗教に挟まれ、どちらも手出しができない地域になった。そんな隙間に住み着いた連中は国家の境界も曖昧で、リシア教徒でもなく、クオウ教徒でもない。独自の価値観を持つ連中だった。連中は昔から好戦的で、隙あらば略奪目当てに国境に侵入を試みてくる。交渉事は通じず、支配構図も不明瞭、なにを信じているのかもわからず、混血も進んでいる、故に蛮族だ。ボウバイトはその領地が混沌領域を目前に位置する。大昔から攻めてくる蛮族共を退けてきた豪傑の家柄、つまり血の気が多く、代々優れた将軍を輩出してきた名門一族の一角でもある。その一族の当主の孫を抱き込むとは、事実ならうまくやったものだな」


「蛮族に、ボウバイトか……」


 殺意に満ちた視線で睨み続けてきたエゥーデ・ボウバイトの背負うものの一端を知り、刻まれてきた歴史に思いを馳せる。


 長い話を終え、マルケは突如大あくびをした。


「妙だな……ここのところずっと不眠に悩まされてきたんだが、やけに眠い」


 マルケは眠そうな顔で目を擦った。

「眠いなら寝ればいい」


「ふ、言われずともだ――」

 マルケは分厚い外套で体を包み、長椅子に体を横たえた。しかし、

「――だめだッ、横になった途端目が覚めた。いつもこうだ……やっと眠気がきたと思っても、すぐに目が覚めてしまう」


 そう言ってすぐに体を起こし、辛そうな顔で暗い溜息を吐き出した。


「昨日は俺が気づかないくらいよく寝ていたようだった」


 マルケは暗い顔に希望を宿し、

「そうだ……たしかに昨日は信じられないほどよく眠れた。いつもと違う事といえば……」


 寝台の下に視線をやった。


 シュオウは呆れ気味に声を上擦らせ、

「もしかして……」


「ものは試しだろう、やってみてもいいか?」


「……やりたいなら、やってもいい」


「そうかッ――」

 マルケはそそくさと狭い寝台と床の隙間に寝床作りを始め、

「――思えば、子供の頃はこうして隙間に隠れるように寝ていた時期があった。父が恐くてな、リシアの教えを覚えさせられ、質問に答えられなければ、その度に厳しい体罰を受けた。時には寝相の悪さを責め立てられ、そのたびに叩き起こされていたこともある。そのせいで父の足音に怯えて寝付きが悪くなってしまったんだ。あの頃は今みたいに怯えて眠れなくなるたびに、すぐに起きれるように狭い場所に寝床を移してそこで眠ったものだ。なぜか……この事も忘れていたな……」


 シュオウは横になったまま横目でマルケを見て、

「その父親は、今は?」


 マルケは虚空を見つめたまま動きを止め、

「……天に召されたよ、少し前にな」


 少しして寝床作りを再開し、完成した場所に器用にするりと体を滑り込ませた。


「眠れそうか?」

 シュオウは横たわる寝台の真下に居るマルケに問いかけた。


「わからん……だが、なんだか妙に落ち着く……」


「朝は早くからクモカリが朝食を作ってくれる。なにか食べたいなら、用意してもらえるよう頼んでやる」


 シュオウの善意からの言葉に、マルケは声を押し殺し、


「……情けない。聖職者への道を嘱望されながら反発し、カトレイで軍人として成り上がってやろうとがむしゃらに働いた。比較的早く指揮官にまで上り詰めたが、その結末でこんな目に遭うとはな」


「命もあって寝床もある。たいしたことじゃないだろ」


 寝台の下でごつんと叩くような音が鳴った。


「たいしたことじゃない? 戦場に出る前に一人だけ追い出されるという大恥をかかされて、なにがたいしたことじゃないだ。お前にはこの屈辱が理解できないんだなッ」


 悲痛に語るマルケに、シュオウは気怠そうに息を吐き、


「わかった。じゃあどうすればその気持ちがましになる」


「私を元の地位に戻せ」


「無理だ。言い忘れてたが、今日新しい指揮官を決めた。リ・レノアという名前の輝士で――」


 言いかけで、マルケが寝台の下で、

「なんだと?! いったぁ――」


 ごつんと大きな音を立てた。どうやら、頭をぶつけたようである。


 マルケは赤くなった額をさすりながら顔を出し、

「――あいつは役立たずの下っ端だぞ、それにろくな生まれじゃない」


「階級の問題はどうにかなる。生まれについては、俺の知ったことじゃない」


 マルケはがっくりと首を落として左右に振りながら、


「なんてことだ……無信心者に指揮官の座を追われ、その後釜までリシアを信じぬ蛮族の血を継ぐ女だなんて。ここを出て本部に戻り、私はいったいなんと報告すればいいのだ、指揮官にふさわしくないと追い出されたあげく、その座を雑用係に奪われたと言えばいいのか? 頼む、いっそ今すぐここで死なせてくれ……」


 鬱陶しいほど気落ちした様子で、マルケは床の上で不幸を嘆く。


 年季の入った中年男は、数日前までの威圧的だった態度を忘れ去り、まるで萎れた植物のように生気を失って見える。


 マルケは力なく、岩の下に隠れる虫のように、寝台の下に戻っていった。


 側にいて愚痴を聞いているうちに、一人の男の人生を狂わせたという罪悪感に見舞われる。僅かながらに、心の中に同情心にも似た哀れみの気持ちも芽生えつつあった。


「そんなに戻りたくないなら、最後までここにいればいい」


 マルケは声を上擦らせ、

「指揮官に戻れるのか」


「それはできない。でも、他のなにかをやればいい」


 シュオウの言葉にマルケは不安げに声を揺らし、

「なにか、とは」


「指揮官じゃなくても、他に出来る事はあるだろう」


「……いいのか? 私を嫌っているから指揮官の座を剥奪したのだろう」


「好きでも嫌いでもない。ビュリヒ・マルケという人間はリシア教徒以外には態度が悪い、だから指揮官を交代したほうがいいと助言されて、俺もそれがいいと思った。それだけだ」


 マルケは寝台の下で声を潜め、

「もしも、私のために体裁を整えてくれるというのなら、私を顧問にするというのはどうだ」


「顧問?」


「司令官の側について、あれこれと助言をしたり手を貸したりする。そういう立場に私を置くというのなら、多少の見栄えは整うのだが……」


「わかった、それでいい」


 マルケは感激した様子で声を高くして、

「本当かッ」


「邪魔をしたら追い出すぞ」


 マルケは押し殺したような笑い声を漏らし、

「邪魔などするものかッ。こうなれば、本気で顧問として仕事をまっとうしてやる、私が無能と思われて職位を剥奪されたのではないと周知させてやる、やってやるぞ……」


 途端に機嫌を良くしたマルケの声が、寝台と床の隙間から絶え間なく溢れ出す。


 少しして、寝台の下からひとの気配がふっと消えていた。


「マルケ、寝たのか?」


 寝息すら聞こえてこない。昨晩と同じように、文字通り死んだ様に眠りに入っているのだろう。


 だが、シュオウはマルケが不眠を訴えていたことを思い出す。


 ――どこがだ。


 不眠を訴えていたわりには、異様なほど深く素早い寝付きのよさに呆れつつ、シュオウは後に続くように、自身も休息のための眠りについた。




     *




 早朝の中庭の地面をついばむ鳥たちの声が、薄暗さを残す快晴の冬空に響き渡る。


 朝食の支度に従事するクモカリと、それを手伝う者達の集う食堂に、一人の人物が颯爽と姿を現した。


「おはよう諸君!」


 高らかに声を上げて部屋に入ったビュリヒ・マルケに、湯気の立つ茶を口に含んでいたジェダが激しく咳き込んだ。


「なぜここにいる、まさか戻ってきたのか?」

 ジェダは声を荒げ、鋭くマルケを睨みつけた。


 クモカリを手伝っていたシュオウは首を振り、

「ずっといたんだ」


 マルケはうんうんと頷き、

「そうだ、いたのだ」


 常に余裕の態度を崩さないネディムが、珍しく真顔で目を丸くし、マルケをじっと見つめる。

「マルケ将軍、そのお姿は……」


 マルケは将として纏っていたカトレイの軍服を脱ぎ、リシアの聖職者が着る衣に袖を通していた。


「私マルケは、アリオト司令官にどうしてもと強く強く請われ、いたしかたなく指揮官の席を自らの意志で退き、豊富な経験を活かして司令官付きの顧問として尽力することとなった。我々の始まりには少々の行き違いがあったようだが、これからは私も仲間の一人として受け入れてもらいたい」


 少年のように晴れやかな顔付きでマルケが辞儀をすると、この場にいる皆の視線がシュオウに集中する。


 シュオウは主に、なにか言いたげな視線を寄越すジェダに対して、

「……こういうことになった」

 気まずい心地をごまかすように鼻をかいた。


 その時、再び部屋の扉が強く押し開かれ、ガタガタと音を立てながら、全身で画材道具一式を抱えたディカが姿を見せた。


「皆様、おはようございます。申し訳ありません、祖母にばれないように絵の道具を運び込みたかったので、こんな早くに押しかけてしまいました。では司令官、お約束いただいた件ですが、本日からさっそくお願いいたします――」


 挨拶もそこそこに、ディカはシュオウの前に道具を広げ、有無を言わさずに下絵のようなものを描き始める。


 無遠慮にじろじろと観察してくるディカに対し、

「今?」

 シュオウは戸惑いながら聞き返した。


 さらに、間髪入れずに、再び部屋の扉が勢いよく開く。

「どうも」


 全員の視線を集めながら、顔を出したレノアは無愛想に軽く手を上げて部屋に入った。


 まともな輝士服を着て、指揮官であることを示す外套と指揮杖を身につけてたレノアは、


「あのさあ、今日からのことだけど――」


 言い終えるより早く、クロムがぬるりとレノアの前に立ちはだかった。


「お前は誰だ、怪しすぎる……いったいここに何をしにきた」


 レノアは汚物でも見るような目でクロムを睨み、

「邪魔だよ、どっか行きな、しっし――」

 薄汚れた野良犬でも追い払うように手首を振った。


 クロムはその場から一歩も動かず、

「怪しい、尋問から逃れようとしている……我が君ッ、この不審者を今すぐ身体検査すべきですッ」


「不審者はそっちだろ――」


 言い合いを始めるレノアとクロムに対し、淡々と絵を描くディカ、一人で食卓について黙々と祈りを捧げているマルケ。


 勝手に振る舞う三人を前にして、ジェダはシュオウの肩に手を置き、

「実に君らしい光景だ」

 大いに皮肉を交えた一言を聞かせた。


 シュオウは皆の視線を集めるために部屋の中央まで移動し、高く胸を張り、足を広げた。


「全員聞いてくれ。皆のおかげで状況がまとまった。このまま止まらずに前に進む。今日中にムラクモに使者を送って予告する――」


 その宣言に、騒がしかった食堂が一瞬で静寂に包まれる。


 「――始めるぞ」










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小説の表紙
― 新着の感想 ―
マルケは普通のおっさんなんだろうな 信仰者として異教徒に厳しく接して、良く接されたら好感を持つ
ハーレム作品なのに、オッサンの上で寝ることになるとは
[良い点] マルケみたいにすぐに消えるかと思ったキャラがいい味出したりするのがとてもいい
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