釘付け 3
釘付け 3
冷たい夜を迎え、アリオトの中庭に、大勢の人々が集まっていた。
群衆はアリオトの兵士らと、そこで働く労働者達。彼らが奏でるざわつきが、時と共に騒音になる頃、回廊に吊された鐘の音が鳴らされた。
群衆は徐々に音を消し、中庭は静けさを取り戻す。
シュオウが回廊の奥から姿を現すと、最前列に並ぶターフェスタ輝士達から険しい表情と、威嚇するような強い視線が送られる。
静寂はさらに沈鬱となり、冷気の底に落ちるように、完全な沈黙が場を支配する。
衣擦れや、微かな呼吸の音さえ聞こえてくるほどの静けさのなか、しかし、シュオウのすぐ後ろからエゥーデが姿を現すと、途端に中庭の空気は活気を取り戻した。
「ボウバイト将軍……」
その名を語る声が四方から漏れ、伝わってきた。
シュオウは回廊の中心に立ち、大きく足を広げ、両手を腰に回して胸を張る。そのすぐ後ろで、エゥーデは立ち止まった。
シュオウは一身にこの場にいる人々からの視線を集めながら、
「シュオウだ。バリウム侯爵を救出した手柄で、ここの司令官に推薦された。ムラクモと戦い、その領土を切り取るためにここに来た。一時的にアリオトを封鎖するように指示をだしたのは俺だ。強引なやり方だったのはわかっているが、一旦ここの状況を落ち着かせるために必要なことだった」
一瞬にして、場の空気は殺気だった。
そこかしこから怒声が飛び交うが、すぐに言葉が聞き取れないほどの騒音となって一帯は騒然した空気に包まれる。
エゥーデは副官に合図して鐘を打ち鳴らさせ、
「鎮まれッ!」
空気が破れそうなほど激しいエゥーデの一言に、群衆は一斉に声を潜めた。
エゥーデは鋭い眼光を向けて、
「皆に不満はあれど、今は飲み込め」
最前列にいたターフェスタ輝士が、
「ですが――」
エゥーデは手の平でそれを制し、
「この者の司令官着任は大公のご意志である。このエゥーデ・ボウバイトは副司令として司令官を補佐し、先の戦いに向けて任命された役割を忠実に果たすと神に誓った」
困惑に染まったざわつきが広がり、各々が顔を見合わせる。
シュオウはエゥーデにだけ聞こえるよう小さな声で、
「――たりない」
と意を伝えた。
エゥーデは大きく足音を発しながら進み出る。目の下を細かく痙攣させ、大きく息を吸い込んだ。
「司令官の意志に逆らうことは、副司令たるエゥーデ・ボウバイトに剣を向けることと同じである、よく心得るがいいッ」
敵意が滲むざわつきは、エゥーデの一言で静かに熱を失っていく。
シュオウはエゥーデに小さく頷いて見せた。
エゥーデは不満げな顔で、
「これをもって着任の挨拶を終える、備えつつ、常の役割を粛々とこなせ……解散ッ」
明らかに敵意を喪失した群衆が、各自の意志によってばらばらに散っていく。
エゥーデは苦々しい表情でシュオウを睨みつけ、
「……忘れるな、一度だ」
そう言い残し、門の外へと向かって去って行く。
エゥーデがいなくなった直後に、ネディム、ジェダ、クロンの三人が肩を並べてシュオウの前に顔を出した。
ネディムは軽く頭を下げ、
「おつかれさまでした。この一日の結末としては、これ以上ない幕引きでしょう」
シュオウは渋い表情で首を振り、
「すべての問題が片付いたとは思っていない」
「選択によっては、今この中庭を鮮血が染めていた可能性もありました。結果として死傷者を出すことなく、土台を固めることはできただけでも大きな成果です」
シュオウは頷きつつ、
「あのディカという名の輝士、俺は招待なんてしていない、どういうことだ」
ネディムは一礼し、
「その件に関してはお詫びいたします。ですがお伝えしようとしたところ、准砂は不要だとおっしゃいましたので」
ジェダが眼光鋭くネディムを睨み、
「それが重要なことなら、なにがあろうと伝えるべきだろう。ただ言われた通りに動くしか能がないなら、そこに立っているのは別に誰だってかまわない」
冷たく言い放った。
ネディムは薄らと微笑み、
「ジェダ殿の仰るとおりです、申し訳ありませんでした」
言って、再び頭を垂れた。
シュオウはネディムが顔を上げるのを待ち、
「……どうして俺が彼女を招いたと?」
「ボウバイト側との今後の関わりにおいて、あの公女殿は重要な存在となり得るからです」
シュオウは眉を顰め、
「重要?」
ネディムは頷き、
「ディカ・ボウバイトは先の一戦から戻った後、取り憑かれたように准砂の絵ばかり描いていたようです。それがいったいどのような感情からなのかはわかりかねますが、いずれにせよ特別な想いを秘めているのは間違いないでしょう。これを利用しない手はありません」
「利用……」
シュオウの呟きにネディムは頷き、
「ディカ殿を、ボウバイト将軍、そして准砂の両方を知る者として、二者間の正式な連絡係として採用するよう進言いたします」
話を聞いていたジェダは、
「……そういうことか」
目を細めて意味深にシュオウを見つめた。
ジェダの反応にネディムはにっこりと微笑み、
「そういうことです」
シュオウはジェダとネディムを交互に見やり、
「どういうことだ」
ジェダは鋭くネディムを見つめ、
「ひとには向き不向きというものがある」
ネディムは微笑んだまま静かにあごを上げ、
「試してみなければわかりません」
シュオウはきょとんと、
「二人ともなにを言って――」
ネディムはぱんと手を叩き、
「この話は一旦置いておきましょう。それよりも、アリオト兵らの今後の処遇に関してですが」
シュオウは疑念を飲み込み、素早く切り替え、
「将軍が彼らの敵意を和らげてくれた。俺はこれ以上の拘束は必要ないと思う」
ネディムは頷き、
「賛成します。現状で下手に枷をはめても、不用意に敵意を増大させてしまうだけになってしまうでしょう」
「かといって安心しきることもできない、警戒は継続すべきだ」とジェダ。
クロンが手を上げ、
「アリオト兵達の自由は保証しつつ、各重要な通路や施設に、引き続きカトレイによる警戒を継続する、というのが妥当な落とし所ではないでしょうか」
その提案に、シュオウ、ジェダ、ネディムの三人が各々に頷いた。
シュオウはクロンに、
「それでいい。あと、俺達全員が落ち着いて休める部屋が欲しい」
クロンは僅かに思索し、
「より安全をお求めであれば、カトレイが借り受けている区画を共有するのはいかがでしょう。警備の利便性も兼ねることができ、合理的です」
シュオウは頷き、
「それで頼む」
クロンは頭を下げ、
「かしこまりました」
ネディムが門の方を見やり、
「あと重要な案件は、外にいるボウバイト陣営への食料や寝具などの手配ですね。分配方法に関しては――」
言いかけでジェダがそれを遮り、
「その件はこちらで検討する」
と強く言い切った。
ネディムは頷き、
「わかりました、とりあえず大きな課題の一つは片付いたことですし――クロン殿、正式にカトレイの次期指揮官を任命する前に、あの件について交渉を終わらせてしまいましょうか」
クロンは渋い表情を浮かべて目を細め、
「金額の交渉、ですな。わかりました」
「では――」
退席の挨拶をしてクロンと共に去って行くネディムの横顔を、シュオウは見逃さなかった。
その目はまるで、獲物を前にした獣のように、爛々と輝きを放っていた。
*
「ご英断でありました」
門へ向かう道すがらに、副官のアーカイドからそう言われ、エゥーデは顔相険しく歯を剥きだした。
「英断なものか。一片の成果もなく、手ぶらで戻らねばらならんとは――」
エゥーデは後方にいる配下達と共に、談笑をしながら歩いてついてくるディカを睨み、
「――ディカめ、普段とは別人のようには生き生きとしおって」
絵に描いていた男を前にした孫の顔付きや態度を思い出し、エゥーデは不快感と共に強く奥歯を噛みしめた。
アーカイドは僅かに空を見上げ、
「さきほどの様子を見ていて……あのお方が生きておられた頃のディカ様を思い出しました」
亡くした娘を思い出し、エゥーデは体の力を脱力させる。
アーカイドは小声で、
「エゥーデ様のお覚悟から、あの場で戦いになることも覚悟しておりました。それを中止にされた時、先方の提案に納得されたものと思ったのですが……」
エゥーデは大きく舌打ちをして、
「直前まで、あの場で仕留めてやるつもりだった。だが、私を見るあの糞虫の目……敵意ある我らを前にして怯えるでもなく、心底落ち着き払っていた。いやむしろ、あの目は私を哀れんでいた――」
エゥーデは一度言葉を切り、強く拳を握りしめる。
「――いったいどれほどの自信があればあんな顔ができる。この私が勝ち目がないと思わされたッ」
アーカイドは息をのみつつ、
「……噂に違わぬ、ということでしょうか」
門に到達し、預けていた馬を引き取り、ボウバイト一行が揃って騎乗する。
門を出たエゥーデは馬上からアリオトを見上げ、
「事はなにも起こっていない、敗北を喫したわけではないのだ。今は婆をやりこめたと、精々調子に乗らせておけばいい……」
夜の明かりが朧にエゥーデの姿を照らしつける。
疲れを隠せない顔には、企みを秘めた暗い決意が滲んでいた。
*
シュオウとジェダは城壁に昇り、高所から自陣へ引き返すボウバイト一行を見下ろしていた。
ジェダは城壁の窪みに肩腕で寄りかかり、
「経験から言うが、あの手合いが大人しく言う事を聞くとは思えない」
シュオウは頷き、
「そうだろうな……もっと上手くやる方法があったかもしれない、俺にもっと、力と経験があれば」
ジェダは笑って、
「君は思っていたよりも上手く司令官を演じているよ」
からかうように言ったジェダに、シュオウは溜息を深く吐きだし、
「あまり、自信はない」
「慣れていくさ。どんな態度であろうと、君の言葉一つで他者の運命が決まる。君はそういう存在になるんだ」
ジェダの言葉が引き金となり、シュオウはディカに言われた言葉を思い出した。
「死神、か……」
ジェダは笑みを消し、
「不快な言葉だったのかい」
シュオウは夜空を見上げて頬を緩め、
「俺の師匠もそう呼ばれていたんだ。だから、少し思い出した」
「言葉で記憶が呼び出される、か……それは郷愁に近い感覚かもしれないな」
「かもな」
ジェダはシュオウの視線を追って空を見上げながら、
「……明日からのことだが」
シュオウは口を開けて白い息を空に舞い上げ、
「明日のことは明日考える」
ジェダは肩を竦めて微笑を浮かべ、
「そうしよう」
夜空を彩る星々から、流れ落ちる一点の流星が線を描いた。
*
ムラクモ王国領内のはずれ、南方へとさしかかる深界、灰色の森の中。
流星が煌めく夜空の下、黒髪を一本に束ねたムラクモの王女サーサリアは、汗ばんだ顔で重たい石を高く掲げ、まばたきもせずに、熟睡するシャラが寝転ぶ地面を睨みつけていた。
「はあ、はあ――」
呼吸荒く、振り上げた石を持ったまま、思いきり地面に叩きつける。石は地面を這っていた、大きな虫の頭を叩き潰し、べちゃりと紫色の体液が辺りに飛び散った。
「……んあ?」
物音で目を覚ましたシャラが、自身の目の前で潰された虫を見て、
「なかなかの腕前だな」
寝ぼけ眼のまま呑気に笑って言った。
サーサリアはつり上げた目に大粒の涙を溜めながら、
「何回呼んでも起きないからッ」
シャラは大きくあくびをしながら伸びをして、
「訓練で疲れてるんだ」
連続で、また大あくびをした。
「噛まれてたら……」
青ざめた顔で潰れた虫を見ながら、サーサリアが細やかに抗議を口にする。
シャラは無邪気に笑い、
「守ってくれただろう」
サーサリアは地面にへたりこんで、
「もう、心臓が飛び出しそう……」
鼓動で振動する胸を押さえつけた。
シャラは傍らで死んでいる虫に注意を向け、
「見てみろ、頭から尻尾まで伸ばせば大人二、三人分ほどの長さになるぞ。頭の近くはムカデのようで、そこから下はミミズのように柔らかいな。ミミズの部分は食えるかもしれないぞ」
「う……」
サーサリアが青ざめた顔で苦く口元を歪めたその時、いつのまにか遠出していたはずのアマネの姿があった。
アマネは声を低くし、
「口に入れたら全身が腫れ上がり、穴という穴が全部塞がれてのたうちまわりながら死ぬ事になる」
シャラは素早く虫の死骸から距離をとり、
「一時も休まらん場所だな、ここは」
アマネは両腕に抱えた丸い塊のようなものを掲げ、
「空腹でしょ――」
どさりと二人の目の前に転がした。
「――谷底に巣を張っていたトカゲの卵をとってきた。中に入ってる白い球のような部分だけ食べられる、量は精々一人分ってとこ」
食べ物と聞いた途端、サーサリアは思わず腹を押さえた。
アマネについていくと決めた日から、持ち運んでいた食料はすでに底を突き、それ以来食べ物はアマネの気まぐれで与えられる余り物だけだった。
ぐうっと情けない音を奏でる腹を撫でながら、サーサリアはシャラと視線を交わす。
その直後、サーサリアの体は、シャラの足に蹴り飛ばされ、地面の上を転がっていた。
力は加減されていながらも、でこぼことした地面を転がり、体中に鮮烈な痛みが走る。
サーサリアはよろける体を支えながら上半身を起こし、
「ひどい……ッ」
シャラは卵を抱きかかえ、
「これは私がいただく、育ち盛りなんでな」
アマネは座ったままサーサリアの顔を覗き込み、
「良い友達を持ったわね」
と皮肉を言った。
サーサリアは眉間に皺を寄せてシャラを睨みつけ、
「分けて食べればいいでしょ――」
シャラは真っ赤な舌を伸ばし、
「いやだ、腹の減り具合も限界だ。私の力は体力を消耗しやすいからな。気に入らないというならかまわん、取り返してみるか?」
挑発するように言って、自身の左手に輝く彩石を見せた。
サーサリアは険しい顔付きでしばらく睨み合った後、視線をはずして俯いた。
勝ち誇ったように食料を抱えるシャラに背を向け、薄くなった腹を押さえる。
目の前に食料がありながら、それを食べられないとなった途端に余計に腹が減ってくる。
サーサリアは縋るような視線をアマネに向けるが、アマネは冷たい視線を返し、
「明日は今日よりもっと歩く、なにか食べておかないともたないかもしれない」
サーサリアは恨みがましくシャラを見た後、
「でも……」
「欲しい物があるなら自力で手に入れなさい。そこらを見てまわれば、なにかあるかもしれない。獲物を探すなら言っておくけど、ああいうのじゃなく、毛の生えた生き物にしておいたほうがいい」
アマネは突き放すように言って、石に潰された虫の死骸を指さした。
灰色の森の中を歩いて食料になりそうな物を探しつつ、サーサリアは体のだるさを感じ、すぐに岩陰に腰掛けた。
溜息をつき、自身の腕や足を観察する。
日に日に痩せていく体からは、徐々に肉付きが失われ、王女として生活していた時には艶やかだった肌も、今ではかさついて見る影もない。
ふらつく上半身を腕で支えながら、短絡的で本能的な、一つの欲求のみを思考する。
――なにか、食べないと。
すでに極限状態に近い有様だが、アデュレリアで狂鬼に追われ、共に逃げ惑っていたシュオウと過ごした時間とは、なにもかもが違った。
なにせ、一緒に行動している二人の女達は、それぞれに強烈に我が強く、甘えや優しさをかけらにでも与えてはくれないのだ。
食わなければ、歩く事さえできなくなる。
王女として生活していたときには思いもしていなかった死と隣り合わせの状況にありながら、サーサリアは、見目の衰えた姿をシュオウに見られてしまうことを恐れていた。
美貌のために必要なものは、栄養。単純かつ純粋な願望が、頭の奥にはめられていた重たい枷を打ち壊す。
――なんでも、いい。
栄養となるものならどんなものでも口にしてしまおう。そんな決意をしてすぐ、目の前の木の幹に張り付いた、ネズミほどの大きさの虫の存在に気づいた。
見るのも嫌だった虫に手を伸ばそうと、サーサリアは身構える。だが、突如空から滑空してきた鳥が、その虫を一瞬にして奪い去って行った。
鳥は高く飛翔し、灰色の木の枝に止まって、喉を広げて手に入れた獲物を丸呑みにする。だが、その直後に、元気よく羽ばたいていた鳥は、突如自分の意志を失ったかのように動かなくなり、そのまま地面に墜落した。
――毛の生えた。
アマネの言葉を思い出しながら、まるで死んだ様に動かない鳥に手を伸ばす。だが、
「ッ?!」
鳥の腹から血が滲み、そこから無数の小さな虫たちが這い出してきた。小さな虫たちは動かない鳥の身を食い破り、鳥に丸呑みにされていた虫の体も同時に捕食し始めた。
異様に見える光景を前にして、全身全霊の力を振り絞ってその場から逃げ出した。
走り出してすぐ、地面から飛び出した植物の根に足をとられて転び、仰向けのまま硬直したように、虚空を見つめた。
今見たものは、深界に降り、灰色の森に入ってからずっと見続けてきた光景だった。
強いものが弱いものを食べて生きる。この広大な世界で行われていることは、ただそれだけだ。
大きく、無様に腹が鳴る。
――食べたい。
足の裏の痛みも、全身にできた生傷にも、すっかり感覚が慣れつつあるが、空腹にだけは耐えられない。
――食べてやる。
弱々しく萎れていた目に、光が宿る。
サーサリアは姿勢を正し、決意を新たに、立ち上がって深界の大地を踏みしめた。
シャラは手に入れたトカゲの卵に苦戦していた。
「どうやって食えばいいんだ」
その形状は卵というより、丸っこい形をした石か粘土のようである。
寝床に横になったアマネは、
「卵だと言ったでしょ、殻を割りなさい」
シャラは手頃な石を拾い、卵の表面に恐る恐る打ち付ける。すると、まるで金属でも叩いたような音が鳴った。
力を込め何度も同じ箇所を叩き続けると、ばりっという音と共に、割れた卵の表面から、どろりと黒く粘ついた液体が零れ出た。
シャラは渋面で手に付いた液体の匂いを嗅ぎ、
「味に期待はできなそうだな……」
その時、
「……ッ!!」
突如体を休めていたアマネが、鼻を手で押さえながら、激しく地面の上を転がった。
驚いたシャラが腰をあげようとしたその瞬間、辺りに紫色の霧が漂い始める。
シャラは、
「しま――」
言葉を途中で止め、樹液に閉じ込められた虫のように、ぴたりと体の動きを止め、人形のようにそのままの姿勢で地面の上に身を投げ出した。
徐々に紫色の霧が晴れていく。
大木の影から姿を現したサーサリアは、殻の破られた卵をシャラの手から奪い取った。
サーサリアは低く身を屈めていたアマネと目を合わせ、
「毛のある生き物」
そう言って全身を麻痺させたシャラを指さした。
アマネはふっと笑みを零し、
「たしかにね」
サーサリアは粘ついた液体が入っている卵の中に手を突っ込み、そこから白い塊のようなものをつかみ出した。
目を合わせたアマネが頷いたのを見て、それを口いっぱいに頬張った。
涙を浮かべながら無言で塊にがっついたサーサリアは、半分をほどをたいらげた後、残った半分をシャラの口元に向けて手を伸ばす。が、途中でその手を止め、さらにその半分を思いきり頬張って咀嚼した。
最後に残った塊を、開かれたままのシャラの口に入れると、
「……はへない」
口を動かすことのできないシャラは、噛めない、と言っているようだった。
サーサリアは顔を背け、
「知らない」
と冷たく返した。
楽しそうに微笑むアマネが、硬直したまま横たわるシャラの顔を覗き込み、
「良い友達を持ったわね」
そう言うと、シャラは不満を表明するかのように、目玉を額のほうへと泳がせた。
サーサリアの晶気によって生み出された麻痺毒は、シャラの全身を翌朝まで同じ体勢のまま固めるほどの威力があった。
早朝、シャラが横たわっていた地面には、食べ物が入ったまま開けられていた彼女の口から零れ出た唾液が、雨上がりの水たまりのように、小さな池を形作っていた。