ビギナーズアンラック
人生を振り返ってみる。
そうすると、不思議と現代のソシャゲの歴史が完成してしまう。
そんなくだらない人間が俺。
二十代も後半に差し掛かって、自身が独身でい続けることの暴力性が増してきたことに恐怖を感じ、重い腰を上げようとした矢先のことだった。
「この前さ、初めて献血に行ったんだよ」
「はぁ」
「興味なさそうだね」
「実際興味はありませんね」
「こういうのも仕事なんじゃないの?」
「そうですけど」
「それでさ、その献血でさ――」
献血の際、アプリに登録することで採取した血液の検査結果を見ることができた。
結果は酷いものだった。
体重は前から問題視していたが、物理的にも重い腰はなかなか上がらずつい惰性で口に食べ物を運んでいた。
初めてちゃんと見た自身の健康状態に「まずい」以前に、「血を献上するにしては質が悪い」そう思った。
次の献血までの三か月間は主に食事に気を遣った。
どうせ続かないと思っていた食生活が意外と続いていたことを自覚した日、何かのスイッチが入った気がした。
「それで? この話の先はなんなんですか?」
「え? もうちょっと語らせてよ。俺も結構頑張ろうとしてたって話をさ」
「それがこの話のオチですか」
「はぁ、これから盛り上がるところだったのに」
そう言って、下に視線を落とした。
「まぁ、ダイエットは成功か?」
「……あれをダイエットと言うのならですが」
「二十一グラムダイエットした数日後にはもう七十キロダイエットだもんな。リバウンドが怖いよ」
「それ、笑えばいいんですか?」
「笑ってよ。ブラックジョークってやつ」
俺は視線の先にある自分の遺骨を眺めてボケてみた。
端的に言えば、俺は数日前に死んだ。
後悔を数えたらきりがないが、救いはあった。
「貴方みたいなのはたまにいるんですよ」
「死に方に納得して、ボケ始めるやつ?」
「そうです。死んだことに後悔がないなどと言う人間。私は納得できません」
「そんなもんでしょ」
「私は嘘だと思ってますよ」
「へぇ、天使も意外とそんなことを考えながら仕事してんだ」
「まあ、私は真面目ではないので、貴方たちの話を聞いて『嘘くさっ』って思いながら、日々日記に愚痴を綴っていますよ」
「でも、後悔が無いって言うのは確かに違うかも。後悔はある、でもこの死に方も納得できる。俺の場合はこうだな」
「何が違うんです?」
天使の問いに俺は死ぬ直前の光景を想像した。
「まぁ、男なら一度は憧れるんじゃないかな? 子供を守って死ぬってやつ」
「憧れても死にたくはないでしょう」
天使の言うことはごもっともだ。
「そうなんだけどさ、なんかさ、ほら、あるじゃん? 死に方マウントみたいな? 多分かなり上位に行けると思うんだよ。この死に方」
俺は数日前、道路に飛び出した小さい子供を守るために車に撥ねられることになった。
「別に死後だれとも交流できないですよ」
「えぇ!」
天使の言葉に開いた口が塞がらない。
「じゃあ、俺の死に方マウントは?」
「できませんよ」
「そんなぁ」
肩を落とす俺を横目に葬儀は着々と進んでいった。
現代のラベリングを当てはめた場合、いわゆる「弱者男性」とでも言うのがちょうどいい人間の最後を見送る人間は少ない。
これが「いない」じゃないことに感謝すべきだということは頭では分かっていながらも、親への孝行なんてのが頭をよぎると何とも言えない表情を浮かべるしかなかった。
「それで」
肩を落とした俺を見かねた天使が自ら話題を切り出す。
「献血の話はどうなるんですか?」
「あぁ、その話ね。いやね、最近は結構上手くいってたの。体重も改善してきて、こっちに帰ってきてからの生活も安定し始めたからさ、独り立ちしようって引っ越し先も探し始めてさ。なんか全てを始める気力が献血を起点に生まれてったんだよ」
「じゃあ、やっぱり後悔してるんですね」
「それはさっきも言ったじゃん。後悔はしてるよ。まだやりたいことは色々あった。地元に戻ってきて、ようやく再スタートできるところまで来たんだ。ひとり暮らしを始めて、趣味に没頭して、仕事して、彼女作って、結婚して。そんな色々を手にするための努力の起点に立ってた」
「今までの人生は起点に立ってもいなかったと?」
「痛いところ突くね」
「天使ですから」
「関係あんのかな? まぁいいか。これまではそうだね、起点に立って無かったよ。どこまでが自分のせいで、どこからが自分のせいじゃないのかも分からない場所で、何かを削って生きていた」
「地元に戻る前の話ですか?」
「そう。若いころはさ、斜に構えてるくせに純粋だったんだよ。それは今もそうかもしれないんだけど、今はそれを自覚するだけの余裕がある」
「では、そうでなかった当時は?」
「自分はできるって魔法から抜け出せなかったし、抜け出した時には全てが遅かった。よくある話だよ。仕事漬けの生活で一人の人間が潰れたってだけの、本当によくある話」
俺は、思い出したくもない記憶をたどりながら意味ありげなことだけを言葉にした。
「だから逃げ出したんだ。だから再スタートだったんだ」
「やり直したいですか?」
「え?」
天使の唐突な提案に俺は無いはずの体が跳ねたような気がしながら、聞き返す。
「もし、やり直せるならやり直したいですか?」
その誘いに思わず首を縦に振りそうになった。
縦に振りかけた首を止めたのは、さっきまでのかっこつけの結果ではなく、一つの疑問が浮かんだからだった。
「どこから?」
「死の直前から」
死の直前。つまりは、子供を守るために身を挺する直前ということになる。
「いや、やめとくよ」
「どうしてです?」
「決意が揺らいじゃいそうだろ?」
「いいんじゃないですか? そもそも他人の子供でしょうに」
「まぁ、それはそうなんだけど。要するにあれでしょ?『納得はしてる』ってのすら嘘だと思ってるってことでしょ?」
「そうですね」
「俺があの瞬間に記憶を持って戻ったら、助けないと思ってる?」
「そうです。『納得』というのは、その状況に置かれてしまった人間が自分に言い聞かせる言葉です。他に起こりえたもっと悪い仮定を勝手に立て『あっちよりはマシか』と受け入れたフリをするための言葉」
天使の語りは続く。
「反省会を行った後、もう一度その分岐点に立てば絶対に選ばない選択肢を、初回であるがゆえに選んでしまったことを、ビギナーズアンラックとして消化したものが納得だと、私は多くの死者を相手にしたことで考えたのです」
「だから、俺で試そうと?」
「そういうことになります」
「だとしたら、相手が悪いんじゃないかな?」
俺の反応に天使はしばらく黙り込んだ。
「……理由を伺っても?」
「俺の場合は、他の人が言う『納得』よりも、その選択の結果として得られたものが大きいから」
「死んだとしてもプラスだと言えると?」
「プラスは言い過ぎかもだけど、プラスマイナスで見ればかなり死んだ分のマイナスは取り返せてると思うよ。だって、あの場で俺はヒーローとして死ねたんだし」
「そうですか、まぁ私に講釈垂れた貴方の選択もどのみち気になります」
そう言って天使は俺の頭に手を伸ばした。
「魂を抜きますので、少々お待ちを」
あ、魂って心臓じゃなくて、頭の方にあるんだ。
そんなことを考えながら、俺の意識は遠のいていった。
◇ ◇ ◇
立ったままぼーっとしていた気がする。
日差しがまだ暑い。これ本当に十月か?
散歩をしていた俺は、どうやらあまりの暑さで意識が勝手に逃げ出していたらしい。
ダイエットを始めてからというもの、歩く癖をつけようとこうしてたまに散歩をしている。
お気に入りの音楽だけをまとめたプレイリスト。
その中でもさらにお気に入りをまとめたプレイリストを再生する。
このプレイリストは、仰々しくも「人生」と名付けている。
ここに入った音楽はいわば殿堂入りで、人生においてこの曲を忘れることはないだろうという確信があるものが、ここに名を連ねることになる。
そんなプレイリストを再生しながら、川沿いを歩く。
川沿いであることの涼しさよりも、日中の日差しの暑さの方が圧倒的に強く、汗が体に滲む。
別に歩くために装備を整えてから挑んでいるわけではないので、ジャージなどではなく、私服にスマホと財布を携帯した状態で歩いていることも、暑さに拍車をかけていた。
何か忘れているような気がしつつも、何も考えずに散歩を続けた。
川沿いを歩いている時は、プレイリストの音楽を口ずさみながら歩いている。
川沿いなら成人男性が歌いながら歩いていても恐怖感が少ないだろうという独自の判断の結果だった。
川から離れ住宅街に入ると、大人しく聴くモードに自身を切り替える。
住宅街をリズムに乗りながら歩いていると、公園に差し掛かった。
その時、視界の端に映った光景を見て全てを思い出した。
ボールを追いかける子供に、迫りくる車。
この先の選択と結果。
天使の言葉。
子供も車の運転手もどちらも相手に気が付いてはいない。
天使に大口を叩いた手前、子供に駆け寄ろうとしたその時、体の違和感に気が付いた。
足が震えていた。
前回の自分は、子供を助けた結果死ぬ可能性があるとは考えていたものの、本当にそうなるとはどこか信じていなかった。
だが、今はどうだ?
頭によぎったのは自身の葬式の光景とそれを見ながら天使と話した再スタートの話。
死が確定している行動を選び直すということがここまで怖いことだとは思わなかった。
今なら天使の言ってることも分かるな。
ビギナーズアンラック。
天使が言っていた言葉が頭をよぎった。
一度しか選択が許されなかったがゆえの過ち、それを回避できる権利を今の俺は手にしていた。
◇ ◇ ◇
「それで、結局こうなったんですね」
「あぁ、頑張ったよ」
「再び死ぬことを『頑張った』と言うのは少し癪に障ります」
露骨に不機嫌そうな天使に対して、俺はやり切った表情を向けた。
結論から言うと、同じ道を選んだ。
ただ、そのためには死ぬための勇気を振り絞る必要があって、結果として前回の死よりもハードルの高い死を経験することになった。
「それで? どうよ?」
「どうと言われましても」
天使は今まさに道路に横たわっている俺を見て、回答に困っていた。
「これで今日の日記には悪口を書かずに済みそう?」
「……それは、書きますよ」
「結局書くのか」
「後悔は良かったんですか?」
「良くはないよ、それは変わんない。だから『納得』なんだって」
「だから、それもやり直させたじゃないですか」
「確かにそうなんだけど……改めて考えるとこれは俺の弱さだったのかも」
「『弱さ』ですか?」
「うん。あの後、生き続けて何者かになるための努力をするより、あの一瞬でヒーローを気取る方が楽だったのかもしれない。俺はその欲に負けただけなのかもしれないって」
「そ、それは御自身を下げすぎでは?」
「そうかな? もし天使があの時、俺の幸せな未来を見せてからこの場に送り出してたら、俺は動けなかったかもしれない」
「そう……なのでしょうか?」
天使はどこか納得のいっていない表情を浮かべていた。
「だからこの選択は、今の俺が納得できる一番の自己証明だった。そういう意味では後悔もないのかもな」
天使はしばらく黙り込んだあと、気持ちを切り替えたのか、仕事モードの表情になって口を開いた。
「分かりました。それでは今後について話しましょう」
「了解」
「まず初めに、転生についてですが」
「えっ! やっぱりあるのそういうの?」
「ありません。いわゆる異世界みたいなものも、未来や過去へ転生することもありません」
「あぁ、ないんだ」
「露骨にがっかりしてますね」
「まぁ、一瞬期待するよね」
「そうなんですね? でも異世界から転生してきた人間が現世にいないあたりで察するものでは?」
「まぁ、そうかもしれないけどさ、こんな死後の体験をしたら少しはファンタジーの気持ちにもなってくるじゃん」
「勝手にその気になってたわけですね。続けます」
「はい」
「次に、天国と地獄ですが、これも同様にありません」
「ええっ!」
こっちには転生云々よりも驚いた。
「天使は? 天国の使い的なものじゃないの?」
「天使は貴方が勝手に呼んだものに私が乗っかっただけです。私の役割は死者の魂の回収で、その過程はある程度融通が利くのでこうして貴方を試したりしたわけです」
「役割的には死神とかの方が近かったんだ」
「そうなりますかね」
俺のソシャゲに染まった思考を通して改めて天使を見てみると、やっぱり天使にしか見えない。
相手の見たい姿になるタイプの上位存在なんだろうか?
「まあいいや、今日はこのまま天使って呼ばせて。それで、俺はこの後どうなるの?」
「回収した魂は一つにまとめられ、また次の魂が絞り出されていきます。私はそこに貴方を導くガイドと思ってください」
「ん? それって転生と違うの?」
「私は違うと思っています。イメージとしては水のサイクルに近いです。魂はペットボトルに入った水と思ってください」
天使に言われ、頭にペットボトルをイメージする。
「ちょっと待って!」
「なんですか?」
「ペットボトルは500ml? 1L?」
「……話を続けます」
「……はい」
ボケを無視して説明が再開される。
「ボトルに十分に満たされた水が一人分の魂です。死ぬことによって、その水は海に帰っていきます。海に混ざった水からまたランダムでボトル一本分の水を掬い上げて、誰かの魂になるのです」
だから水のようなものか。
「この時、海から掬った水が完璧に貴方のボトルに入っていた水と同じになると思いますか? ありえないでしょう。だからこれは転生とは言わないと私は判断したのです」
「分かった。覆水盆に返らずの魂版ね」
「まぁ、それでいいです」
天使は雑に同意する。
天使も俺の扱い方が分かってきたらしい。
「じゃあ、これを最期に俺の意識は散逸するわけだ」
「そうですね。ここでお別れという訳です」
本当に最期。そう考えたときふと疑問が浮かんだ。
「そういえば、俺がここで死ななかったらどうするつもりだったの?」
「それは……この子の魂が回収対象になっていました」
天使の視線に釣られて、俺も真下に視線を向ける。
視線の先では、俺に抱きかかえられた少年が俺の腕の中から這い出て、俺を涙ながらに呼んでいた。
「じゃあ、やっぱりこれでよかったよ」
「そう、ですか。では、これ以上引き留めても仕方がないので、これで最期にします。安心してください。きっとこの子は強く生きていきます」
「そう言ってくれると死に甲斐もあるよ」
「死に甲斐……ですか」
「そういえば、ここに転がってる俺はもう死んでるの?」
俺の魂がここにあるってことは即死だったんだろうか? そういう疑問だった。
「いえ、生命としてはまだ死んでいません。ただし、貴方の意識は既にこちらにあり、あの体に戻ることはないでしょう。次第に体もこちらに追いついてくるはずです。もって一日と言ったところでしょうか」
「そっか、まだ一応生きてるんだ……まぁ、戻れないなら一緒か。分かった、もういいよ」
「はい、それでは改めて魂を頂きますね」
遠くから救急車のサイレンが聞こえはじめ、俺の意識が遠のいていく。
即死ではない。
そう聞いたことで、一つだけ思い出してしまった。
「ねえ、天使」
「何でしょう?」
「一個だけ、最期に後悔を聞いてもらってもいい?」
「どうぞ」
「免許証の臓器提供の意思表示。書き忘れてたの思い出した」
俺の言葉に呆れたような表情を浮かべた天使は、やれやれといった様子で答える。
「それくらいなら、叶えてあげますよ」
「え? やった、ありがとう」
「貴方に比べたら感謝されるほどのことではないですよ」
「そんなことない。これで誰かが救えるかもしれないんだ。天使は今、人助けに加担したんだよ」
「『加担』と言われると居心地が悪いですね」
「ごめんごめん……でもさ、ありがとう」
「はい。どういたしまして。それではおやすみなさい」
「うん。おやすみ」
そうして、俺の意識は大いなる魂の海の中の一部として自己の境界を無くしていった。
事故現場の財布の中で眠っている免許証の臓器提供意思表示記入欄に俺の名前が浮かび上がっていった。




