売れない物語術師としてギルドを追放された俺、なぜかSSS級に覚醒しました ~今さら戻れと言われても、もう遅い。俺も一度言ってみたかった~
ギルドの酒場で、また一人、英雄が生まれた。
掲示板へ貼られた紙が金色に輝き、天井から星が降り始める。一つ、二つ、三つ。星が紙へ吸い込まれるたび、横に置かれた水晶の数字が跳ね上がった。
「来たぞ!」
「追放だ!」
「無能扱いだ!」
「実は最強!」
「聖女も出たぞ!」
「元婚約者が戻ってきた!」
「遅えよ!」
「主人公にはもう王女がいる!」
「ざまああああ!」
酒場が揺れた。
俺――レイヴも立ち上がる。
「いいぞ!」
星が降る。
「そこで断れ!」
十。
「そうだ!」
五十。
「今さら戻れと言われても――」
紙の中で主人公が言った。
『もう遅い』
「よっしゃあああ!」
思わず拳を握った。
隣で酒を飲んでいた術者が、冷めた目で俺を見る。
「お前、他人の作品で喜びすぎじゃね?」
「面白いものは面白いだろ」
「お前も物語術師だろ」
「だから何だ」
「自分の作品は?」
「……」
「レイヴ」
「何だ」
「お前の作品は?」
「聞くな」
男が掲示板の端を見る。
「あ」
「見るな」
「ゼロじゃん」
「見るなって」
「昨日もゼロだったよな」
「殺すぞ」
「物語術師が物騒だな」
掲示板の中央では、人気作が眩しいほど金色に輝いている。
星、百二十七。
その隣にある俺の作品は、驚くほど静かだった。
星。
ゼロ。
「何でだ……」
今回こそ売れる物語を書いたはずだった。
主人公は才能のない剣士。仲間から馬鹿にされ、役立たずと罵られ、最後には冒険者パーティーから追放される。
ここまでは完璧。
俺自身、書きながら思った。
来た。
今回は来た。
問題は、その後だった。
主人公は小さな村へ行き、畑仕事を始めた。
五年後。
近所の子供たちに剣を教えながら、普通に幸せに暮らしている。
「お前さ」
「何だ」
「覚醒は?」
「しなかった」
「何で?」
「才能なかったから」
「最強は?」
「ならない」
「ざまあは?」
「追放した奴ら、普通に幸せに暮らしてる」
「じゃあ何で追放から始めたんだよ!」
「俺が聞きたい!」
周囲から笑いが起きた。
「またレイヴか!」
「今度は追放もの!」
「五年後、農家になってるぞ!」
「何でだよ!」
俺は机を叩いた。
「俺だって最強を書きたいんだよ!」
「書けよ!」
「俺もそう思ってる!」
「聖女出せよ!」
「出した!」
「どこに!?」
「村の診療所で働いてる!」
「ヒロインだろ!?」
「四十七歳で既婚だ!」
「何でだよ!」
「知らねえよ!」
酒場が笑いに包まれた。
俺は頭を抱えた。
追放。好き。
覚醒。大好き。
最強。最高。
ざまあ。もっとくれ。
読む側なら、俺ほど素直な読者はいないと思う。
理不尽に踏みつけられた主人公が本当の力を見せつけ、散々馬鹿にしてきた連中が青ざめる。追い出した側が後悔し、戻ってきてくれと頭を下げる。
そして主人公が言う。
『今さら戻れと言われても、もう遅い』
最高だ。
なのに自分で書くと、何故か普通の人間が普通に頑張って生きる話になる。
「またゼロか」
背後から声がした。
振り返ると、ギルド長が立っていた。
「レイヴ。少しいいか」
「嫌です」
「来い」
「はい」
逆らえなかった。
ギルド長は俺の作品を掲示板から剥がし、そのまま酒場の奥へ連れていった。
「君には何度も言ったはずだ。もっと売れる物語を書け」
「書きました」
「これが?」
「追放から始まってます」
「農家になっているだろう!」
「本人が幸せそうだったので」
「何で作者のお前が主人公に負けてるんだ!」
「俺にも分かりません」
ギルド長は額を押さえた。
まあ、この人の気持ちも分かる。
ギルドは慈善事業ではない。作品へ落ちた星の一部で建物を維持し、術者たちを支えている。
星を生まない俺は、七年間ずっと赤字商品だった。
「読者が求めているものは何だ」
「追放」
「そうだ」
「覚醒」
「そうだ」
「最強」
「そうだ」
「ざまあ」
「分かってるじゃないか!」
「全部好きです」
「なら書け!」
「書いてるんですよ!」
俺も声を上げた。
「最初は最強にするつもりなんです!」
「なら何故ならない!」
「途中で、こいつ本当にそんな簡単に強くなるか? って思い始めるんです!」
「知らん!」
「俺も困ってるんです!」
「なら直せ!」
「直したら面白くなくなる!」
「誰にとってだ!」
「俺にとって!」
静かになった。
「……それだよ」
「はい?」
「君が売れない理由だ」
ギルド長は紙を持ち上げる。
「才能なし。努力しても届かない。仲間にも置いていかれる。最後には、たった一人の子供を救う」
「はい」
「英雄には?」
「なりません」
「世界は?」
「救いません」
「姫は?」
「出ません」
「伝説の剣は?」
「折れました」
「何でだ!」
「古かったので」
「レイヴ!」
「はい!」
ギルド長は深く息を吐いた。
「暗い。地味。爽快感がない。ざまあもない。最強でもない」
「はい」
「なら何がある?」
紙を突きつけられた。
答えは決まっていた。
「……頑張って生きてます」
「だから売れないんだよ!」
酒場から笑い声が聞こえた。
俺だって分かっている。
疲れた夜には、主人公に強くなってほしい。悪い奴はぶっ飛ばしてほしい。最後には笑ってほしい。
分かっているのに、書くとこうなる。
「もう何年になる」
「七年です」
「星はいくつだ」
「累計十二個」
誰かが吹き出した。
「七年で!?」
「累計十二!?」
「うるせえ!」
俺は振り返る。
「十二人には届いたんだよ!」
「少なっ!」
「一人より十二倍だ!」
「基準そこ!?」
また笑いが起きた。
ギルド長だけは笑わなかった。
「レイヴ。今日で終わりだ」
「……何がですか」
「君を、このギルドから追放する」
酒場が静かになった。
俺の頭の中に、一つの言葉が浮かぶ。
追放。
「……来た」
「何?」
「いや」
待て。
これ、俺が何百本も読んできたやつじゃないか。
才能なし。
周囲から馬鹿にされる。
ギルド追放。
ここまで完璧。
なら次は――。
覚醒。
「レイヴ?」
「大丈夫です」
俺は紙を受け取り、羽ペンとインクを鞄へ詰めた。
七年もいた場所なのに、荷物にしてみれば驚くほど少ない。
出口へ向かう。
「七年で星十二!」
「才能ねえよ!」
「追放されたんだから次は覚醒だな!」
俺は止まった。
「……それ」
「ん?」
「俺も期待してる」
扉を開けた。
その夜、俺は雨の中に一人で立っていた。
一分。
二分。
三分。
「……」
何も起きない。
「覚醒は?」
雨。
「おい」
空を見る。
「こういう時って、何か頭の中に声が聞こえるだろ?」
雷が鳴った。
「それじゃない」
歩く。
「謎の老人」
誰もいない。
「聖女」
いない。
「王女」
猫がいた。
「……お前じゃない」
「ニャー」
「伝説の剣」
道端に木の棒が落ちていた。
三歩通り過ぎる。
戻った。
「……一応」
拾って振った。
折れた。
「……」
捨てる。
「現実って厳しいな」
追放された。
覚醒しない。
美女も来ない。
金もない。
七年間笑って読んできた展開を、自分が経験して初めて知った。
追放された直後って、普通に寒い。
「せめて一個くらいテンプレ仕事しろよ……」
雨の中を歩き続け、ようやく一軒の小さな酒場を見つけた。
古い扉。
消えかけた看板。
中へ入ると客はほとんどいなかった。
無愛想な店主。
眠そうな老人。
そして店の奥で、一人の男が酒を飲んでいる。
右腕がなかった。
「……来た」
男がこちらを見る。
「何がだ」
「いえ」
俺は真顔に戻った。
追放された夜。
寂れた酒場。
隻腕の謎の男。
これはある。
「隣、いいですか」
「好きにしろ」
椅子へ座る。
「名前は」
「レイヴ」
「グリムだ」
グリムは俺の鞄から覗く羽ペンを見た。
「物語術師か」
「一応」
「一応?」
「今日、追放されまして」
グリムが噴き出した。
「物語術師が追放されたのか」
「はい」
「面白いな」
「俺もそう思ってます」
まだ少し期待していた。
この男が実は元SSS級だとか、王家の血筋だとか、伝説の師匠だとか。
そういうやつ。
「何か書けるか」
「何を?」
「眠れる話」
俺の中に残っていた期待が、少し消えた。
「眠れないんですか」
「ああ」
「いつから?」
「三ヶ月」
グリムは、ない右腕へ目を向けた。
「これを失ってから。仲間も死んだ」
俺は黙った。
さっきまで、隻腕の男と出会うなんて何かが始まりそうだと思っていた。
馬鹿だった。
この男にとっては何かが始まる場面じゃない。
全部が終わった後だった。
「五人いた。帰ってきたのは俺だけだ」
「……」
「目を閉じるとな、出てくる」
「仲間が?」
「ああ」
「どんな人でした」
「聞いてどうする」
「書きます」
グリムが俺を見る。
「眠れる話を?」
「眠れるかは分かりません。でも、今見てるものとは違う形にはできるかもしれない」
しばらく返事はなかった。
やがてグリムが笑った。
「馬鹿だったよ。全員」
「特に?」
「ガインって奴」
「どんな?」
「弱い。剣も下手。酒も弱い。女にもモテねえ」
「最後の必要です?」
「書け」
「はい」
羽ペンを動かす。
「でも、いつも前に出た」
ペンが止まった。
「弱いのに?」
「ああ」
「何で」
「知らねえ。馬鹿だからだろ」
グリムは少し笑った。
その笑顔が、ゆっくり崩れた。
「最後もそうだった。勝てるわけがなかった。あいつも分かってたはずだ」
ない右腕を見る。
「俺が逃げろって言ったら、あいつは俺を突き飛ばした」
雨音が、やけに大きく聞こえた。
「気づいた時には、この腕がなくなってて。全員、死んでた」
俺は紙へ目を落とした。
強くない男の話を書いた。
才能もない。
剣も下手。
酒も弱い。
女にもモテない。
怖くて、逃げたくて、それでも最後の一歩だけは仲間より前へ出た男。
勝たない。
覚醒もしない。
奇跡も起きない。
敵も倒せない。
名前も残らない。
ただ一人だけ。
自分の命を使って、生きて帰した。
最後に、一行だけ書いた。
『だから、彼が守った命は、生きていていい』
紙を渡す。
グリムは黙って読んだ。
「……おい」
「はい」
「ガインは、こんな格好いい奴じゃねえぞ」
「酒に弱くて」
「ああ」
「女にもモテない」
「ああ」
「でも、格好いいですよ」
グリムはまた紙へ目を落とした。
しばらくして、肩が震えた。
「……ずるいな」
「何がですか」
「こんなの、思い出すだろ」
涙が紙へ落ちた。
「俺、ずっと思ってた。何で俺だけ生きてんだって」
紙を握りしめる。
「でも……そうか」
泣きながら笑った。
「こいつが、生かしたのか」
その瞬間。
紙が青く光った。
「……え?」
光がグリムの胸へ吸い込まれ、ないはずの右肩へ集まる。
肩。
上腕。
肘。
手首。
指。
「……は?」
光が消えた。
そこには、右腕があった。
グリムがゆっくり拳を握る。
「……動く」
その時。
【物語術師としての真の適性が確認されました】
【SSS級技能〈物語共鳴〉を獲得しました】
【読者の心が真に動いた時、物語は現実へ干渉します】
俺は固まった。
「レイヴ?」
「グリム」
「何だ」
「俺、覚醒した」
「何の話だ?」
「いや」
俺は少しだけ笑った。
「こっちの話です」
翌朝には、噂が街中へ広がっていた。
「腕を失った冒険者が治った!」
「聖女か!?」
「物語だ!」
「誰が書いた!?」
「星ゼロのレイヴ!」
「余計怪しい!」
俺もそう思った。
技能には、こうある。
【読者の心が真に動いた時、物語は現実へ干渉します】
それだけだった。
治そうとして書けば必ず治るわけでもない。
俺が書く。
誰かが読む。
心が動く。
そして、何かが起きる。
分かるのはそれだけだった。
三日後。
「レイヴさん!」
宿の前で、一人の少女が待っていた。
「お母さんを助けてください」
「俺は治癒術師じゃない」
「でも、腕を治したって」
「あれは俺にも分からないんだ」
少女は小さな手を開いた。
銅貨が三枚。
「これしかないけど」
俺はその手を閉じた。
「いらない」
「でも」
「その代わり、お母さんの話を聞かせて」
病気になって半年。
父親はいない。
少女は毎朝、水を汲み、母親の額を拭き、夜には手を握る。
「何が一番怖い?」
「朝」
「朝?」
「起きた時、お母さんが起きなくなってること」
俺は紙を広げた。
魔法も使えず、薬も買えず、自分には何もできないと思っている少女の話を書いた。
でも母親にとっては、毎朝握られる小さな手の温かさが、今日も目を開けようと思える理由だった。
紙が淡い青色に光った。
翌朝。
母親は、自分の足で家の外へ出た。
それから一週間。
老人も来た。
声を失った歌姫も来た。
剣を握れなくなった冒険者も来た。
奇跡が起きる時もあれば、何も起きない時もあった。
それでも。
「少し楽になりました」
「また来てもいいですか」
そう言って帰る人がいた。
だから俺は書いた。
気づけば、小さな酒場の前には列ができていた。
「レイヴ!」
グリムが両腕で酒樽を抱えながら言う。
「飯食え」
「後で」
「昨日も言った」
「食べた」
「パン一個だろ」
「十分」
「死ぬぞ」
「その時は俺の話を書いてください」
「誰が書くんだよ」
「……あ」
「馬鹿」
グリムが笑う。
俺も笑った。
忙しかった。
でも、ギルドにいた七年間よりずっと楽しかった。
星はまだゼロ。
それでも俺の物語を待つ人がいる。
それで、もう十分な気がしていた。
十日目の昼。
ポトン。
「……ん?」
机の上に、小さな銀色の星が落ちていた。
「星?」
店主が言う。
俺はそっと指で触れた。
「……来た」
「一個?」
「一個」
「良かったな」
「……はい」
奇跡が起きた時とは、違う嬉しさだった。
七年間。
ずっと欲しかったもの。
誰かが俺の物語を読んで、星を一つ置いてくれた。
「やっと……」
ポトン。
「ん?」
もう一つ。
ポトン。
ポトン。
ポトン。
「増えてるぞ」
「気のせいでは」
ポトポトポトポト。
「気のせいじゃねえ!」
十。
百。
五百。
千。
銀色の星が酒場中へ降り注ぐ。
【C級作品認定】
【B級作品認定】
【A級作品認定】
【S級作品認定】
「待て待て待て!」
一度、すべての光が消えた。
次の瞬間。
【SSS級作品認定】
「SSS!?」
「王国初だぞ!」
「星ゼロだった奴だぞ!」
「十日前までな!」
俺は机に落ちていた一個の星を拾った。
「……一個でよかったんだけど」
グリムが俺の頭を叩く。
「贅沢言うな」
その日の午後、酒場の前に黒い馬車が止まった。
出版貴族だった。
「レイヴ殿。専属契約を結びたい」
「俺と?」
「あなた以外に誰が?」
契約書を見る。
数字を数える。
もう一度数える。
「桁、間違ってません?」
「いいえ」
「多いですよ」
「少ない?」
「逆」
「では倍に」
「人の話聞いてます?」
酒場が笑った。
その時だった。
「レイヴ!」
入口に、ギルド長が立っていた。
「戻ってきてくれ!」
俺は固まった。
「レイヴ?」
グリムが見る。
「来た」
「何が?」
「ついに来た」
ギルド長が駆け寄る。
「報酬は十倍出す! 専用の執筆室も用意する! 好きな物語を書いていい!」
心臓が少し速くなった。
ずっと言ってみたかった。
何百回も読んだ。
あの台詞。
「戻ってきてくれ!」
俺は一拍置いた。
「今さら戻れと言われても」
グリムが目を細めた。
「あ」
「もう遅い」
一秒。
二秒。
「うおおおおおお!」
酒場が爆発した。
「言った!」
「本当に言った!」
「ざまあ来た!」
グリムが腹を抱えて笑う。
「お前、それ言いたかっただけだろ!」
「七年待った」
「長えよ!」
最高だった。
想像の三倍気持ちよかった。
「レイヴ!」
「戻りません」
「何故だ!」
「俺を追放したの、そっちですよね」
「謝る!」
「はい」
「私が悪かった!」
「はい」
「なら――」
「謝ったら戻らないといけないんですか?」
ギルド長は言葉を失った。
俺は周囲を見る。
古い酒場。
無愛想な店主。
少女。
老人。
冒険者。
そして、両腕で酒樽を抱えるグリム。
「俺、ここ好きなんです」
店主が鼻を擦った。
「家賃は取るぞ」
「そこは無料にしてください」
「嫌だ」
「感動返してください」
笑いが起きた。
俺は出版貴族を見る。
「契約します。ただ、好きな物語を書かせてください」
「もちろん」
「売れなくても?」
「それを届けるのが、我々の仕事です」
「……お願いします」
握手を交わした。
その直後、一人の術者が酒場へ飛び込んでくる。
「ギルド長! ランキングが!」
「何!?」
「看板作品に新しい星が入ってません! 読者がレイヴへ流れてます!」
ギルド長の顔から血の気が引いた。
それを見て、俺は思った。
ざまあ。
やっぱり気持ちいい。
読むのも。
やるのも。
最高だ。
ただ。
思っていたより、その満足感は長く続かなかった。
その夜、酒場は祝賀会になった。
料理が並び、人が溢れ、誰かが俺の名前を呼ぶたびに別の誰かが杯を掲げた。
王国一位。
SSS級。
出版契約。
七年間欲しかったものが、一日のうちに全部やってきた。
「レイヴ! 飲め!」
「弱いんですよ」
「一杯くらい平気だろ!」
飲んだ。
すぐ後悔した。
「弱っ」
グリムが笑う。
「水ください」
「最初から飲むな」
俺も笑った。
楽しかった。
これ以上、何を望むんだろう。
そんなことを考えた時、店の隅に一枚の紙が落ちていることに気づいた。
「ん?」
拾い上げる。
古い紙だった。
角は折れ、汚れ、誰かに踏まれた跡まである。
けれど、見覚えがあった。
「……これ」
昔、俺が書いた物語だった。
才能のない男が、努力しても強くなれず、仲間にも置いていかれる。
英雄にはならない。
世界も救わない。
ただ最後に、たった一人の子供だけを助ける。
それだけの話。
ずっと星ゼロだった。
そのはずだった。
紙の端に、小さな銀色の光があった。
星。
一つ。
「……誰が」
裏返す。
子供の字。
『ぼくのお父さんみたいでした』
俺の指が止まった。
『お父さんは世界を救ってません』
『強くもありませんでした』
『でも、ぼくを助けて死にました』
『だから、このお話が好きです』
何度も読んだ。
たった数行なのに、紙から目を離せなかった。
周りではまだ、俺の成功を祝う声が響いている。
何万もの星。
SSS級。
出版契約。
全部欲しかった。
でも今、手の中にある一個の星が、やけに重かった。
「レイヴ?」
グリムが来る。
「どうした」
「昔の作品が出てきて」
「お前の?」
「ああ」
グリムも紙を見た。
何も言わなかった。
七年間で。
十二個。
少ないと思っていた。
周りにも笑われた。
俺自身も、たった十二個だと思っていた。
でも。
十二個の星があったんじゃない。
十二人いたんだ。
その向こうに、一人ずつ。
俺の知らない誰かがいた。
この子みたいに。
笑った人がいたかもしれない。
泣いた人がいたかもしれない。
明日も生きようと思った人が、一人くらいいたかもしれない。
「グリム」
「何だ」
「星一個ってさ」
「ん?」
紙の端の星へ触れる。
「結構すごいんだな」
グリムは少しだけ笑った。
「ああ。そうかもな」
俺も笑った。
「レイヴ!」
酒場の奥から声が飛んだ。
「次は何を書くんだ!」
俺は新しい紙を取り出した。
「次か」
羽ペンを持つ。
今度こそ最強を書こう。
覚醒も。
追放も。
ざまあも。
全部入れよう。
絶対に面白い。
そう思って書き始めて、たぶんまた途中で、普通の人間が必死に生きる話になる。
今までは、それが嫌だった。
でも。
まあ。
それでもいいか。
俺は紙の一番上に題名を書いた。
『英雄になれなかった者の物語』
グリムが覗き込む。
「売れそうか?」
「分からん」
「SSS級がそれでいいのか」
「いいんだよ」
「何で」
俺は古い紙に残った一個の星を見る。
「一人くらいには、届くだろ」
最初の一行を書こうとした。
ポトン。
「……ん?」
新しい紙の上に、小さな銀色の星が一つ落ちた。
グリムが吹き出した。
「早えな」
「まだ一文字も書いてないんだけど」
「才能あるんじゃねえか?」
「七年間それ言ってくれる奴いなかったぞ」
俺も笑った。
今度は、心から。




