7.懺悔
**********
ようやく追いついたところで、アリアは木にもたれかかって黒く曇った空を見上げていた。
優しく降った雨はすでに止んで、雲の合間からは再び星が現れ、月の子供の誕生を祝うようにきらきらと煌いていた。
「ねぇ…あなた、誰?」
ルティに気付いたアリアが顔を上げ、本当に素朴な疑問を投げかけるようにして尋ねてきた。
そこでようやく、アリアとは自己紹介すらしていなかったのを思い出した。
「私はルティよ…あなたのお兄さんと森で会って、一緒にあなたを探してたの」
「そう…」
それっきり、アリアは口を噤んだ。ルティは彼女の隣に腰を下ろし、同じように空を見上げる。
聞きたいことはいっぱいあるし、考えなければいけないこともいっぱいあるけれど、ひとまずはアリアが話してくれるのを待とうと思った。
同じ月の子供だからだろうか。
アリアの心がひどく揺れているのがわかる。
風がなびいて辺りの影が揺れた。そしてアリアのすぐ傍でも小さな影が動いた。
目を凝らしてみれば、ミレーシャによく似た小妖精が心配そうにアリアを覗き込んでいる。
アリアはそれをあえて無視するかのように、顔を伏せていた。
「…ルティは、月の子供のお話を知ってる?」
顔を上げないまま、アリアが言った。
「知ってるわ…ジスに聞いたの。…可哀想なお話よね」
「可哀想?誰が?月の子供が?――――ちっとも可哀想なんかじゃない!」
首を振り吐き捨てるように行ったアリアの態度に、ルティは目を瞠った。
彼女は今にも泣き出しそうな顔でルティを見上げると、怒ったように睨み付けてきた。
「あれはね、あの子は―――
自業自得だったの!
お城に連れて行かれたのも、国中の人に憎まれたのも、牢屋に閉じ込められたのも全部自分のせい。
無知で自分のことしか考えてなかった月の子供が全部悪いの!」
―――あの子?
どうしてアリアはその月の子供を知っているかのように話すのだろう。
「でも…月の子供は無理矢理お城に連れて行かれたんでしょう?自業自得なんて―――…」
ルティの言葉に、アリアの顔がくしゃりと歪んだ。
「自業自得だわ。だって、何も考えずに、もてはやされるままに雨を降らせて、人じゃないものたちと話して、自分から人離れしていった。
その結果が王様の耳に入ったの。もっとひっそりと黙って暮らしていればよかったのだわ、そうすれば―――」
言いかけたアリアの頬に、一滴の涙が伝った。
アリアは堪えるように肩を震わせると、深く俯いてぽつりと言った。
「私はあのお話が嫌い。それから、私にまとわりついてくるものたちも大嫌い…」
その言葉を聞いて、それまでアリアの傍で心配そうに見上げていた妖精が震えた。
見る間にその瞳からぽろぽろと涙を流すと、逃げるように闇な中に飛び込んで行ってしまった。
その後姿を何の感情も込めず黙って見つめていたアリアだったが、次の瞬間、ミレーシャの小さな手のひらによってぱちんと小気味よい音が立てられた。
「ミ、ミレーシャ!?」
思いがけなかった行動に驚いてミレーシャを見ると、彼女は真っ赤になって顔を逸らすアリアを睨みつけていた。
「ちょっとっ!あんな言い方はないんじゃないの!?
あの子はただあなたのことを心配していただけじゃない」
「…そんなこと、頼んでないじゃない。
勝手に心配されたり同調されたって私には迷惑なの。
―――放っておいてよ!」
「迷惑、ですって!?
私たちにとって月の子供は何よりも神聖でなによりも愛おしいものなの! 自分の気質に近い子なら尚更―――それこそ自分たちの灯火に変えても守ろうとするのに…それを―――!」
「だから、頼んでないって言ってるじゃない!
私は村を沈められることなんて望んでなかったっ。人が死んでしまうほどに雨を降らせることも望んでない。
…何より、自分たちの命に代えて人間に報復することなんてちっとも望んでなかった…っ」
「アリア!」
わっと泣き出したアリアに、ルティはただ困惑した。
村を沈められた?人間に報復?
何を言ってるのだろう。
アリアの言葉に、ミレーシャも戸惑いがちにこちらを見てくる。
「何の…話なの?」
「これからここで起こる話よ。全部無くなるわ、人も、家も、この村全部!
―――たった一人、月の子供が生まれたばっかりに」
そういうと、泣きはらした顔を上げ、真っ赤な目でルティを見た。
「知っているでしょう?月の子供のお話を…お城に連れて行かれた可哀想な月の子供…そのせいで村が一つ水に沈むの。
そのせいで多くの水の精たちが死んでしまうの。
そのせいで―――あのお話とまったく同じことが、これから起こってしまうのよ!」
興奮したアリアは叫びつかれたのかしばらくは肩で息をしていたが、何度も繰り返すように「嫌い、嫌いよ…」と呟いていた。
涙は次から次へとあふれ、ルティの肩を濡らしていく。
―――まさか、そんなことが?
まとまりのつかない頭で考えながら、ルティは思う。
ここはルティのいたときよりも数百年以上も前だという。だったら、ありえないことではないのかもしれない。
ここは、あの昔話の元となった時代?
苦しそうな嗚咽の合間に、それでも吐き出すようにアリアが言った。きっとこれが、アリアが一番言いたかったことなのだろう。
「私は…私は、それ以上に私が大嫌いだわ。
私のせいで、すべて壊れた…」
その月の子供は、何も知らなかったのだという。
小さい頃からすべての人々に敬われ、大事に扱われてきた。
だから、少し勘違いもしていた。人には出来ないことが自分には出来る―――自分が雨を降らせるから、皆幸せなんだと。
少しずれた、優越感みたいなものがあったようだ。
人ではないものたちが嵐が来るといえば、それを人に伝え、人々が雨が降らないといえば人ではないものたちに雨を降らせてくれるように頼んだ。
それが出来るのは自分だけで、その力は恥ずべきものではなかった。
だから、その力を隠すことなど考えもしなかった。
「あれは…今日産まれた月の子供は、私なの。
今の、アリアとして産まれる前の私」
ようやく落ち着きを取り戻したアリアが話し出したことはこうだった。
大事に育てられた月の子供は、その力を大いに使った。
その不可思議さから近隣にも名が知れ、月の子供を頼ってくる人も訪れるほどに。
「風評が風評を呼んで、結果的にその国の王様の下へも月の子供の噂が届いたの。
王様は信じなかった―――おかしな術を使って人を欺き、あまつさえ金品を騙し取っていると言われたの。
村人たちは怒ったし、私も悔しかった…
だから、雨を降らせてやったの」
けれど、タイミングが悪すぎた。
王の言葉を伝えに来た使者がその雨のせいで増水した川に飲まれ、死んでしまったのだ。
村人たちが何かをやらかしたのだと思った王様は怒って兵を送った―――村一つ、簡単に制圧できるほどの兵を。
たった一人、月の子供を捕らえるためにそれだけの兵を送り込んだ王は―――もしかしたらその実、奇妙な子供を誰よりも畏れていたのかもしれない。
そうして、王の怒りを恐れた村人は月の子供を差し出した。
「私は、どうして、といったの…。何もわかってなくて…どれだけ事が重大かもわからなくて…行きたくないといったの…」
史実は、物語なんかよりずっと残酷で、容赦が無い。
再び肩を振るわせ始めたアリアをそっと抱いて、ルティはアリアの次の言葉を待った。
「言わなければ良かったのだわ…おとなしく、行っていれば。
私があんなことを言ったせいで、クレイは私を逃がそうとして…殺されて、しまった…」
クレイ、と聞いて息を呑んだ。
先程見た、ジスによく似た男の顔が頭をよぎる。
あの人が、殺された?
アリアを―――月の子供をかばったせいで?
それから先は、聞くまでも無いような気がした。月の子供は怒っただろう。
大事な人を奪った、それまで自分を大事にしてくれた村人に対して。そしてその怒りを、妖精たちは強く受けてしまった。
同調した月の子供自身の怒りと、あっさりと月の子供を差し出した村人に対する妖精達の怒りと。
その、結果が。
「それで…村が沈められてしまったの?」
ルティの問いに、アリアは微かに頷くことで答えた。
「私はそれを、お城のてっぺんにある冷たくて暗い部屋の中で聞いたの。
予感はしてた…数日前に、たくさんのよく知る気配が消えたから。でも、何にも感じなかった。
クレイが死んでしまった事でいっぱいになってて、そこで気付くべきだったことに気付けなかった。私が悲しめば悲しむだけ、あの子達も掻き乱される事に気付けなかったの」
暗い部屋の真ん中で、ずっと月の子供は泣いていた。
周りにいる水の精たちも泣いていた。
国では毎日のように雨が続いた。毎日どこかで何かの気配が消えるたび、雨は一段とその激しさを増していく。
それでも月の子供は泣くのをやめなかった。
そのころになってようやく王様も、いろんなことが普通ではないことに気付いた。
月の子供と呼ばれる少女と、降り続く雨。
民衆は王様よりもずっと早く、その異様さに気付いていた。
「私のいた所は一番高いところだったから…門の前に大勢の人がいるのがよく見えたの。
まるで黒い塊みたいになって―――門からはずっと離れていたのに、その声ははっきりと聞こえたわ。
皆、本当に怒っていた」
言いながら、思い出すものがあったのかアリアは体を震わせた。
「そこでようやく気付いたの。自分のしてしまった事―――
している事に。だから、私は…」
身を投げた
アリアの小さな唇がそう呟いた。
告白を終えたアリアはルティの顔を覗き、それから潤んだ瞳のままなぜかくすりと笑った。
「どうしてルティが泣くの?すごい顔になってる」
「だって…」
こんなに哀しいことがあっていいんだろうか。
ルティはぎゅっとアリアを抱きしめた。
アリアはもう泣くこともせず、ただ黙ってされるがままになっていた。
「泣くことなんてないのよルティ。だって私はそれだけのことをしてしまったんだもの…耳を塞いで自分のことだけで一生懸命で…。
王様から忠告があって、雨を降らそうってなったとき、クレイは止めたの。
そんなことはしないほうがいいって…なのに私は、聞かなかった。その結果、クレイを殺してしまったの」
どれほど後悔したのだろう。どれほど自分のしてしまった過ちを責めたんだろう。
アリアの言葉の端々に覗く後悔が痛くて、ルティは少しでもアリアに自分のことを許してほしくて、強く強く抱きしめる。
これじゃあアリアがあまりに可哀想。
「クレイはずっと私を育ててくれて…本当に私のことを思ってくれていたのに。
月の子供として飾られていたあの時に…クレイがいてくれたから、私は独りだなんて感じる事もなかったのに」
何より、アリアはクレイのことが大好きだったんだろう。
先程クレイに飛びついた時のアリアの顔を思い出し、ぼんやりとそう思う。
「あの人は…ジスなの?」
ずっと気になっていたことだ。
アリアは確かに頷いた。
「そう。クレイは今はジス―――私が、今はアリアとして生きているように。
身を投げたとき、私は月の子供としての生は終らせたけど、心は月が光の雫としてすくいあげたの。
そして―――どういうつもりかわからないけど、私はまたクレイの所に墜とされた。
そこでクレイは―――ジスは、また私を見つけてくれたの。山の中で産まれた私を連れて帰って、妹にしてくれた。
私はもう二度と同じ事を繰り返さないために、ただの人として生きていくことにした…精たちの声を聞くことも、話すことも絶って。
そんなことをしていたら、怒った精に本当に声と音を奪われてしまったのだけれど」
そう言えば、ジスはアリアが話せないといっていた。
生まれつきではないが、話すことと聞くことが出来ないと。
妖精が声を奪っていたのだとしたら、身近にいる妖精の干渉を受けないこの場所でアリアが普通に話せているのも頷ける。
アリアは静かに立ち上がると、頭上高く輝く月を見た。
その表情は今にも泣き出しそうなほどもろくて。
「どうして、私はこの場所にいるのかしら。
―――まだ、許される事などないということなのかしら。
私がジスの隣で、それを忘れそうになっていたから…だから、忘れることなど許さないということなの…?」
こらえ切れないように崩れ落ちた彼女を受け止め、ルティも暗闇で輝くただ一つの孤高の存在を見つめた。
その光はあまりにも優しくて、愛おしいものなのに。
「それともこれは…好機…?ずっと、やり直したいと思っていたから…」
独り言のように呟いたアリアの真意を、ルティは気付くことができなかった。
**********
「なんだか良くわからなくて大変ね。
つまり貴方達、自分がどこから来たのかも分かってないってことでしょ?」
いくら闇に目が慣れているといっても、足下さえおぼつかない中、ミレーシャの道標代わりの光はありがたかった。
ひとまずは落ち着いたアリアが、水を飲みたい、と言い出したのはついさっきのこと。
今の状態のアリアを一人にすることには多少の心配はあったが、もう大丈夫だとアリアは気丈に笑って見せた。そんな痛々しい顔をさせられては、断るわけにはいかない。
「もともといた場所なら分かるんだけど…。
ベルタの森というの、聞いたことない?」
「ベルタ?さぁ、ここらへんじゃいちいち森に名前なんて付けないもの」
「……そう」
ルティは本格的に渋面を作って考え込んだ。
一体どうすれば元いた場所に帰れるんだろう?
…そもそも、帰れるのかしら?
……果てしなく不安だわ。
「もうすぐ水場につけるわ」
先を行くミレーシャが嬉しそうに言う。
「え?水の音なんてどこにも…」
言いかけて、けれど耳を澄ませば確かにどこからともなく水の滴るような音が聞こえる。
本当に微かで、今にも途切れてしまいそうな水音。
「これ…沢?」
月の光を反射する水面が見えないのは、何も暗いせいばかりではないはずだ。
ミレーシャの連れてきてくれた水場を前に、ルティは目を凝らして水の存在を探した。
「枯れてないだけまだましでしょ。
―――ほら、そこの岩場の間から水が湧き出てきてる」
「えぇっ…これ、湧き出てるって言うか、浸み出してるって言うか…」
岩の間から続く、細い命綱のような水の流れ。
さっきわずかに雨が振ったとはいえ、岩の表面にびっしりと生えた苔は乾燥してぱりぱりと手の中で崩れた。
「ここはもともと、雨に恵まれない土地なのよ。
南の空で出来た雨雲が山に塞き止められてこっちまで流れてこずに消えてしまうの。
水源は山から湧き出してくるわずかな水だけ。それでもまぁなんとかなってたんだけど…ちょっと日照りが続くとすぐ干からびちゃうのよ」
やれやれ、とでも言いたげに首をすくめたミレーシャは、岩の上に降り立ってわずかな水の流れを照らし出す。
岩場の陰に隠れていたのか、驚いた小妖精が数匹飛び出してきた。
こんなにも水気のないところで村が沈むほどの水害が起きるなんて。
アリアが言ったのでなければ容易には信じられないことだ。
「今はこんなんだけど、すぐに水が湧き出してくるようになるわ。
なんたって、水気のものたちに近い月の子供が現れたんですもの」
「月の子供がいると、そんなに変わるものなの?」
「もちろん。だって皆が活発になるもの。
今日だって早速雨が降ったでしょう?あれ、2ヶ月振りの雨なのよ!」
そんなにも月の子供って影響力のあるものなんだぁ…。
同じく月の子供として産まれたはずのルティだが、全く心当たりはない。
普通にこの十六年間生きてきて、環境を変えるほどのことを何かやった、という話を、両親から聞いた記憶もなければ見に覚えもなかった。
―――個人差があるのかしら…。
なんだか自分との違いように軽くへこむものがありつつ、とりあえずは水を汲まねばと何か器になにそうなものを探した。
けれどいかんせん、ここは枯れかけた沢。
干からびた植物意外目に付くものはなく、どうしようかと思案したときに、ちょんちょんと軽く肩をつつかれた。
振り返れば、そこには先程飛び出してきた小妖精。
手にはどこから持ってきたのか、大きな芭蕉の葉を持っていた。
多少干からびてはいるものの、十分器として使えそうなそれを受け取り、ルティは妖精にお礼を言った。
はにかむように微笑んだ妖精は、そのままぱちんと光となって姿を消した。それを見て、ミレーシャがこぼれるように笑う。
「ほらね、月の子供はいるだけで私たちから愛されるの。
少しでも月の子供のためにと頑張っちゃうのよ」
ルティは手の中の芭蕉の葉を見つめらがら、胸の中にほっこりと優しく暖かいものを感じた。




