5.昔々…
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昔々、ある綺麗な月夜のことでした。
空から一雫の光がこぼれ、小さな村の真ん中に墜ちてきたのです。
強い光と地面を震わせる大きな音に驚いた村人は、なんだなんだとこぞって顔を出し、その中の一人が光の中から赤ん坊を見つけました。小さくて丸くて、元気の良い女の子の赤ん坊。
村人達は天からの授かりものと喜び、それはそれは赤ん坊を大事にしました。
村人達に敬われ、大事に育てられた赤ん坊はすくすくと成長し、やがて月日が経ってそれはそれは美しい少女となりました。
月からおちてきた不思議の子供。
緑に守られ、動物達から愛された少女は、その不思議な力を操って村へと降りかかるさまざまな厄災を退け、人々に幸せをもたらしてくれました。
そんな少女に敬意を込め、村の人々は誰からともなく彼女のことを、月から堕ちて来た幸せの子供…“月の子供”と呼ぶようになりました。
月の子供のおかげで、村の人々はみな幸せでした。
彼女が笑うと、それだけで周りの人々も明るくなって笑いあいます。
誰も彼女のことを天からの授かり物だといって疑わなかったし、事実、疑う必要などなかったのです。
月の子供がいるだけで笑顔が溢れる。村の人々には、それだけで十分でした。
そんなある日のことです。
月の子供の存在を聞きつけたその国の王様が、少女を是非にとお城へと招いたのです。
国では年々雨が減り、いたるところで大地はひび割れ、作物は枯れて人々の間でははやり病が広がっていました。
そんな中現れた月の子供の存在は、その力の不思議は、すぐにも王様の耳に飛び込みました。
少女の話を聞き、その不思議を聞いた王様は、その少女の力で国を助けて欲しいと願ったのです。
少女は自分に出来ることがあるならと、住み慣れた村を出てお城へと上がりました。
月の子供を始めて目にした人々はその少女の美しさに皆息を呑み、王様も威光と気品を放ちかしずく少女の姿を一目で気に入り、少女は国の人々から手厚く歓迎されました。
月の子供は早速雨雲を連れ込み雨を降らせ、ほとんど枯れかけていた国に時には何日も続く恵みの雨をもたらしたのです。
これには、誰もがそろって歓喜の声を上げました。
人々は喜び、少女に一目合おうとお城の前に集いました。
王様は自分の一人息子の王子様と結婚させようと、少女にお城で一番良い部屋を与えました。
けれどある美しい満月の晩、王様と王子様が少女のもとを訪ねると、少女はひどく悲しい顔をして言いました。
『私は月の子供です。月の光のあたらぬ場所を照らし、浄化させるために、月から心の種を落とされ、大地から体を作り出しました。
周りを照らし、人を照らすのが役目の私が、ここでこうしていることは何よりも耐え難いことなのです』
そうして少女は窓辺へと寄ると、柔らかく差し込む月光のもと、王様達が瞬く間もなく一滴の光になって消えてしまいました。
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「その月の子供はね、雨を連れてきたんだ」
ルティの知っている昔話を聞き終わってから、ジスは静かに話し始めた。
「水の神様に愛されてた、って言う人もいるけど。
月の子供は村に豊かな水をもたらした。もともと、土地柄的に水には良く困らせられていた場所だったから、そこまでは確かに皆幸せになったんだ。
でも――――」
「でも?」
何だか聞きたくない気もしながら、それでもルティは知りたくて促した。
「でも、少女の噂が王様の耳に入って、少女は半ば誘拐されるみたいにしてお城に連れてこられたんだ。
干ばつにあえいでいたのはその村だけじゃなかったからね」
「ひどい・・・」
「そうやって連れてこられた少女は国にも確かに雨を降らせた。そりゃもう、毎日のように」
ルティは生まれつき妖精たちの姿を見、感じることが出来た。
その妖精達にはそれぞれ特異な性質、とでも言うべきものがあって中には水に近しいものもいる。
ミレーシャで言うと、光が彼女の属性だ。
きっと、少女は水の属性を持つ“何か”と仲が良かったのではないだろうか。
「雨は何日も続くんだ。干からびていた土地に容赦なく。
あちこちで崖が崩れ、川は溢れて植物は腐っていった。
少女は村で降らせた恵みの雨じゃなく、すべてを押し流す破壊的な雨を降らせた」
きっと悲しかったんだわ。
今までいた大事な場所から引き離されて。
ルティは自分の今の環境が幸せかどうかなんてわからない。
父さんと母さんしか知らなくて、友達は妖精だけ。でも少女のようにいきなり別の場所に連れて行かれたら、きっと今この瞬間を大事に思うだろう。
「人々は最初こそ感謝していたけど、あまりに続く雨に生活は悪化して、水害で死者さえ出て・・・怒りの矛先を少女に向けた。
もちろん、王様も」
「そんな・・・あんまりよ。自分が無理矢理連れてきたんじゃない。そんなの勝手だわ・・・!!」
つい感情的になって声を荒げると、ジスが「昔話だよ」と困ったように宥めた。
「それから・・・どうなったの?」
「王様は少女を塔のてっぺんにある石牢に閉じ込めた。それでも雨は止まなくて、民衆はお城に殺到した。――――少女を殺せ、ってね」
「――――」
言葉も出なかった。
月の子供のお話が、こんなにも凄惨なものだったなんて。
母さんは、あえて全く別の話としてルティに教えてくれたんだろう。
「民衆の言葉を受けて、王様は王子様を連れて少女のもとへ向かったんだ・・・少女を殺すために。それから後はルティが知ってるとおりかな。少女は月の光となって消えてしまったんだ、二人の前で。・・・これが、俺の知ってる月の子供の話だよ」
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「ねぇルティ、月の子供にとって人の中で暮らすことは幸せじゃないのかな?」
昔話を話し終わってしばらくすると、ジスはポツリと零すように呟いた。
「・・・私にはわからないわ」
だって私は人の中で暮らしたことなんて無いもの。
だけど獣や妖精たちに聞く外の世界はとても賑やかで楽しそうで、思いを馳せたことは一度や二度じゃない。
たとえ、人は妖精のような姿無き物を信じず、自分たちと“違う”ものを忌み嫌うと知っていても。でも、それでも。
「私は・・・森の外へ出たことは無いから何も知らないの。だから村とか町とか・・・人がどういう風に暮らしてるのかよくわからないけど・・・。
でも、もし私が月の子供だったとしても、それでも父さんや母さんがいてくれれば怖いことなんて無いと思うの」
分かってくれる人だっているかもしれない。もしかしたら、幸せに暮らせるかもしれない。
それなら、ルティはその可能性に賭けてみたっていいと思う。
「そっか・・・」
そういったジスの顔は、なぜか少しだけ嬉しそうだった。
そんなジスの表情を見て、少しだけ考えて。それからルティは彼の手を引いた。
「こっちから声が聞こえるの。多分、月の子供だわ」
ジスは驚きに目を丸くしてルティを見ていたが、ルティは構わず道なき道を進む。
もう、ジスなら月の子供の場所を教えても大丈夫だと確信していた。
声だと思っていたものは、近付くにつれ違うと気付く。これじゃあジスにもミレーシャにも聞こえないはずだ。
それは、ルティの頭の中に直接響く――――これは、共鳴?
動いてるせいか、体が熱を持っているように熱い。視界が、いつの間にかきらきらと光の粒子に照らされて光っていた。
あれ、今ここにミレーシャはいないはずなのに。
ふらりと体がよろめいた。急に景色がぐにゃりと回ったような気がしたのだ。
けれどそれも一瞬のこと、顔を上げれば何の変哲も無い、夜の森。
だけどただ一つ変わったことがあるとすれば、それは感覚。
さっきまで在ったものが消え、さっきまでなかったものがある。
そしてその気配の中に、ルティはひどく惹かれるものを見つけた。
懐かしいような、切ないような、嬉しいような、愛しいような。そういういろんな感情をごちゃ混ぜにしたら、きっとこうなるんだろう。
「…いた…」
一本の巨大な影を作る大木の上。きらきらと淡い光の塊を見つけた。
まるで、不安定なもうひとつの月の様。
「アリア!」
ただずっとルティに手を引かれていたジスが叫んだ。
共鳴が、声が止む。ゆっくりと振り向いた光は、女の子の姿をしていた。
――――ああ、月の子供だ。
「おにぃ…ちゃん…」
小さく聞こえた声。
これは、さっきまでの頭に直接響いてきていたものとは全然違った。
ジスとルティに気付いたはずのアリアだが、それでも彼女の体は淡く光り続けていた。
あれは、月に近付いている証。光になろうとしている証。
あのままでは、昔話の少女のように月に連れて行かれてしまう!
考えるより、ルティは走った。
ここにはルティのよく知る妖精たちはいない。だから、手探りで、感覚で、この場に棲むものに力を借りる。
「風を!」
叫んだ途端、突如としてその場に風が巻き起こり、ルティは自分の体をアリアと同じように光に近づけ、出来るだけ身を軽くして風に乗る。
簡単に浮き上がった体はどこまでも押し上げられ、ルティはアリアの登っていた枝へと飛び移ると、その光続ける体を抱きとめた。
「ダメ!このままじゃ、人に戻れなくなっちゃう!」
だけど止まらない。どうすればいいのだろう。
「ねぇ、ジスが待ってる。あなたのことをすごく心配してるの。このまま置いて行っちゃっていいの?」
ルティが訴えると、アリアは両目に涙をめいっぱい浮かべ、首を振った。
「…だめ…」
「じゃあ…!」
「でも、止まらないの。月がいつもよりずっと強く引っ張って…私も、行きたくないけど、でも、月に戻りたいって…心の中で強く思ってしまうの。
もう、どうやって止めたらいいのかわからない…」
「そんな…!」
――――今日は守月夜。月の力が強くなって、月の子供の力が不安定になる日。
ミレーシャの言っていた言葉が頭をよぎる。
まさか、そのせい?
だけど、確かにアリアの言うとおり、月からの吸引力がいつも以上に強い気がする。
ルティだって今日、月に戻ろうとしたのだ。
あの時ジスが現れていなかったら、下手するとそのまま――――。
「アリア、力を落ち着けて。いつも通りにコントロールするのよ。
大丈夫、私の手に意識をあわせて・・・」
そう言ってとったアリアの手から、ものすごい勢いで光がルティの中へと溢れてきた。
少しでも力を宥めて沈静化させようと思っていたのに、これでは気を抜くとルティ自身引っ張られてしまう。
体中が暖かい光に包まれて、今にも浮いてしまいそうになる。
―――戻っておいでと、月が言っている気がした。
戻りたいと、思ってしまった。
「―――アリア!ルティ!」
ジスが叫ぶ。その声で頭をよぎったのは母さんと父さん。それからミレーシャやルゥや、ルティの大事な友達たち。
「いや!」
全身全霊で拒んだ。
まだだめ。
まだルティは行けない。
ふっと視界が揺れた。体が唐突に空中に放り出されたように、バランスを崩し、落ちる。
何も見えず、何も聞こえず、五感がふさがれたように何も感じない。ただ、落ちるということだけを強く思った。
次の瞬間、どーんという鼓膜が破れそうなほどの凄まじい音とともに、地面が、大地が大きく揺れた。




