4.対話
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声が、聞こえた。
一瞬、冷たく吹いた風に乗って。
「…どうしたの?」
辺りを見回すルティに声をかけるジスは、先程の声に気付かなかったようで、不思議そうに首を傾げている。
「声が…聞こえたの」
「声?」
「うん、一瞬だったけど…もしかして、アリアかも!」
意気込んで探しに行こうとしたルティは、けれどジスに引き留められた。
「気のせいじゃない?俺には何も聞こえなかったし…第一、アリアは喋らないよ」
「え…?」
「生まれつきではなかったはずなんだけど…アリアは話せないんだ。耳も、聞こえてない」
「え…じゃあさっきのは…?」
確かに聞こえたのに。
妖精たちの声とも違う、歌っているかのような声。
「ミレーシャ、あなた聞こえなかった?」
小さな羽ばたきに声をかけると、りん、と光が揺れた。
「わかんないわ…また空間が歪み始めてる。ねぇ、のんびり話してる場合じゃないわよルティ。早く今のうちに家に帰って」
そわそわと落ち着かないミレーシャは、ルティの服の裾を引っ張りながら訴えた。ミレーシャのこんな態度は珍しいものだった。
「ミレーシャ、一体どういうこと?一体この森で何が起きてるの?」
「この場所が、どこか別の場所と重なろうとしてる。今日は守半月だもの。月の力が強くなって、月の子供の力が不安定になる日。
―――つまりねルティ、力の不安定になった月の子供が、別の月の子供と呼び合って、離れているはずの空間を繋げてしまおうとしているの。
空間の歪みに入ってしまったら、下手すると二度とこの場所へ戻ってこれなくなっちゃうわ」
―――はい?
ミレーシャの言葉の意味がイマイチよくわからない。
何とか彼女の言葉を理解しようと頭の中で反復してみて数秒―――そこにあった事実にルティはがばりと顔を上げた。
「えっ?ええっ!?ちょっと待って、この近くに…月の子供がいるの?」
私以外の。
そう意味を込めて尋ねると、ミレーシャはあっさりと首を縦に振った。
「だからこんなに空間がおかしくなっちゃってるんでしょう。ちなみに自覚無いと思うけど、その月の子供と呼び合ってるのはあなただからね。
この事態を引き起こしてるのもルティ、あなたよ」
「ええっ、そんな、私なんにも…!」
変な言いがかりをつけられて困り果てていると、ジスに腕を引かれた。驚いて振り返ると、ジスは真面目な顔をしてルティを見ていた。
「月の子供がいるの?妖精がそう言ったの?」
ああそうだ、ジスは月の子供を信じてるんだっけ。
「えっと…、よくわかんないけど、そうみたい」
この場合近くって言っていいのかしら。本当は遠く離れた場所にいて、でも空間が歪んでるせいですごく近付いてて…うん、やっぱり意味不明。よくわからない。
「どこら辺とか…場所はわからない?」
「えっ、場所って…聞いてどうするの?」
どうしてジスはこんなに真剣なのかしら。妹を探しているだけのはずなのに。
その勢いに押されながら、ルティは内心嫌な予感がした。
―――ルティ、月の子供はね、人間の中で暮らせないの。
いつだか、母さんが悲しげな顔で話してくれたこと。
―――人間の中にはね、自分たちと違う存在を怖がったり、不思議な力を利用しようとしてとても酷いことをする人もいるの。
あなたのことは母さんと父さんが愛してあげる。
だから淋しいかもしれないけれど、人間に近付いては駄目。自分の正体を話しては駄目。
そんな言葉たちが、頭の中をよぎる。
―――まさか。
ジスはそんなことない。
だけどジスは真剣な表情のまま、口を開く。
「捕まえるんだ」
ルティは何も言えず、ただ目を見開いた。
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ルティが何も言えずに立ちすくんでしまったせいで、二人の間に静寂が落ちた。
闇に紛れていたジスの姿が雲の間から顔を出し始めた月の光を受けて、ゆっくりと浮かび上がってくる。
彼の深い瞳は、月の光の中だと一段と綺麗だ…そんなことを、ぼんやり思う。
「ルティ、―――ティ!…だ…め、遠く…ル、―――…!」
ミレーシャの切羽詰った叫びに我に返ると、彼女は弱々しい光になって今にも消えてしまうところだった。
「ミレーシャ!」
慌てて駆け寄ったが、手を伸ばしたところで光は小さな流砂になって砕け散った。あとはどんなに呼んでも叫んでも、ミレーシャからの返事が返ってくることはなかった。
「そんな…」
消え去った光の名残を握り締めるようにして、ルティは途方にくれて呟いた。
道案内として必要とかそういうわけではなくて、ただ単純に心細くなってしまったのだ。
ジスは月の子供を捕まえるという。つまり、ルティにとっては“敵”ともいえる人なのだ。
そんなジスと二人きり、また森の中に取り残されてしまって、酷く心もとなかった。
「ルティ…、月の子供の居場所は…?」
躊躇いがちな声に、ルティは何も言えずに俯いた。耳を澄ませばまたあの歌うような声が聞こえる。
ミレーシャにこの夜の不思議を聞いたからこそわかる。
この声はルティの同胞。月の子供の声だ。
「月の子供を捕まえて、どうするの?」
「それはもちろん、村に連れて帰る」
―――ああ、駄目だわ。
これじゃあジスに教えるわけにはいかない。
「ムリよ。月の子供は人の中じゃ生きていけないんだから」
吐き捨てるように言ったルティの言葉に、だけどジスの反応は予想外なもので、「やっぱりそう思う?」とそう一言いっただけだった。
どうしてそんなに寂しそうに笑うんだろう。ルティはわけがわからなくなって、なんだか悪いことをしてしまったような気になって、酷くうろたえた。
そんなルティの様子を気にすることなく、ジスは思い出したように顔を上げると唐突に言った。
「ねぇ、ルティの知ってる月の子供の話、聞かせて?
どうして、幸せの子供って言われるのか」
なんだか、ジスの言葉には。
言い方は普通なのに、どこかすがるような響きがある気がした。
だから、ルティは頷いた。
「…いいわ。そのかわり、私にも教えて。
どうして月の子供が不幸の子供とも言われてるのか」




