3.守半月の夜
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ルティは産まれてからこのかた、記憶にある限りずっと両親と三人、森の中で過ごしてきた。
だから森の外を知らないし、両親以外の人間を知らない。そのかわりルティにとって森は自分の庭も同然だし、自然の中には人間以外の友達がたくさんいる。
だから、女の子を一人探し出すくらい簡単だと思ったのに…。
「…あのさぁ、ここ…」
ぎくん。
痺れを切らしたような背後からの問いかけに、ルティは確かめるように辺りを見回す。
―――やっぱり?やっぱりそうなの!?
(ここってさっきも通ったよねぇ!?)
「なんでぇ~…?」
道は間違っていないはずなのに、さっきから同じところを行ったり来たり。さらにルティの友達も、ずっと姿を潜めていて声が遠い。
これじゃあ道を聞くこともままならない。
「ルゥ~!ミレーシャぁ!誰でもいいから出てきて~!!」
思わずその場にへたり込んで暗い木々の間に向かって叫んでみるが、しんとした森の中からは木の葉ずれの音以外何も聞こえてこない。
―――そんなぁ…。
「…ルティ、大丈夫?」
いきなり叫びだしたから驚いたんだろう。
ジスが控えめに…というか、怪訝そうに声をかけてきた。
(もうもう!自信たっぷりに先導してきた手前、ものすごく気まずいじゃないのよぉ!)
「もしかして迷った?」
―――あぅ、いきなりそんな核心を突いてこなくても。
「ご、ごめんなさい!道を見失うなんてこと、いつもは無いんだけど―――」
しゅん、と頭を下げたルティに、けれどジスは大して気にした風も無く頭を振った。
「いや、良いよ。俺もこの森には入り慣れてるけど、今日は道がよくわからないんだ。
君に会った時もほとんど迷いかけてたとこだったし」
「―――そう。うん、そうね。
今日はなんだか森の様子がいつもと違う。いやに静かだし妖精達もいるのに遠いわ。こんなことって初めて」
「―――妖精?」
ジスが怪訝そうに聞き返したから、あっ、と気付く。
―――彼も見えないんだわ。
「ルティには妖精が見えるの?」
「妖精というか…そこらにいる者達の事よ。正確にはなんていうのか知らない。
母さんが教えてくれた物語に出てくる妖精が一番近かったから、勝手にそう呼んでいるだけよ」
「でも、何か見えてるんだ?」
「うん、小さい頃からずっと友達だもの」
「妖精が…友達?」
ジスは眉根を寄せて首を捻る。
どうにも信じきれないようだ。
(―――あら、初めての反応だわ)
ルティの両親はルティが妖精を見ることが出来るという事について、何の疑問も抱かずに信じてくれた。
もしかするとジスのこの反応こそが、普通の人の反応なのかもしれない。
「大事な友達よ。私、森の外へは出たことないの。
だから外のことは鳥や獣や、妖精達にいろいろ教えてもらうの」
何とか信じてもらおうと言い募るルティの言葉に、ジスはさらに目を瞬いて驚いた。
「動物とも話せるの?」
「えっ、話せないの?
…ああ、そうだわ。母さん達も話せないんだっけ」
ルティにとってはあまりに当たり前の事なのに。
動物と話せると聞いて、ジスはますます怪訝な顔をした。
なんだかいやだな、とルティは急に居心地が悪くなった。
まるで話せることが悪いことみたい。
…ううん、話せるといっているルティが、まるでとてもおかしなことを言っているみたいなんだ。おかしな―――バカなこと。
「俺には君がこの森に住んでるってこと、やっぱり信じられないな。
ここは三十分も歩けば抜けられるような小さな森なんだ。子供の頃から入り慣れてるし、人が住んでればすぐわかる」
「うそ!この森はすごく広いわ!一日中歩き回ったって、あるのは木と草と空だけ。
父さんはいつも二日がかりで町に下りてるもの」
「え…?」
噛み合わない二人の言葉。
お互いに顔を見合わせて首を捻ったときだった。
ふっと辺りが暗くなる。
見上げれば柔らかな光を放っていた半月が、厚い雲に覆われていくところだった。
「―――ティ、ルティ!」
「ひゃあっ!?」
いきなり耳に痛いほど近くから飛び込んできた声。
「この声…ミレーシャ?」
「もう!何やってるのよルティ!
あなた、迷いかけてるわよ!?」
可愛らしい声で怒鳴りつけられたかと思うと、目の前でぱちん、と光が弾けた。
小さな光の中から出てきたのは、ルティのよく見知った顔。
「ミレーシャ!」
叫ぶと同時に、ルティは見慣れたその姿に思わず深い安堵感が胸に広がるのを感じた。
「良かったぁ~、ずっと探してたんだから。どこに行ってたの?」
「私はずっとルティの傍にいたわ。ルティがどこかに行きかけてたのよ」
ミレーシャはよくわからない事を言う。
首を傾げるより前に、すっかり存在を忘れていたジスに声をかけられて我に返った。
「―――ルティ?」
先程とは比べ物にならないくらい、怪訝で不審そうな顔でこちらを見ている。
―――あちゃぁ…。
「ああ…っと、ごめんなさい。友達が出てきたの」
「友達…そこにいるの?」
「うん。とっても小さい、女の子の妖精よ。姿かたちは私達に似てるけど微妙に違うところもあって…目の色なんか碧でとっても綺麗なの」
「へぇ…」
目を凝らしてみればその姿を捉えることが出来ると思ったのか、ジスはまじまじと目の前の空間を凝視した。
「普段は百日紅の木の近くによくいるんだけど、私の後を追っかけるのが好きみたいでよく一緒にいる子なの。
あ、ミレーシャって本当の名前じゃないんだけど、本当の名前呼びにくくて難しいから私がそうつけたの」
どうでもいい様な事まであれこれと説明しながら、ルティはジスを振り返る。彼に少しでもミレーシャがいるということを感じて欲しかった。
「俺も、妖精を見れたらいいのにな…」
先程までの表情を不意に緩め、柔らかく笑ってジスが言った。
「信じてくれたの?」
思わず広がる安堵と嬉しさに、ルティは頬が緩むのを感じながらそう問うと、ジスはどこか困ったような顔をして笑った。
「…ルティは月の子供って知ってる?」
「月の子供…」
思いがけもしない問いかけに、ルティは戸惑いながらジスを見た。
知ってる。よく知ってるわ。だって…。
「月の欠片と、大地がぶつかって生まれる子供の話、聞いたことない?」
―――“月から降ってきた欠片が大地にぶつかり、砕けた後には子供が残る”
「知ってる…昔話の、幸せの子供のことでしょう?」
「幸せの子供?」
あれ、とルティは目を瞬いた。
どうしてジスは、顔をしかめるのかしら?
「違うの?月の愛し子で大地の結晶。全てのものに愛されて、存在するだけで幸福をもたらしてくれる不思議な存在…それが、月の子供でしょう?」
いつも、母さんがルティの頭を撫でながら語り聞かせてくれた。
とても稀な、不思議の存在。
「ちょっと…違うかな。月の子供は確かに幸福ももたらしてくれるけど、同時に不幸も連れてくるから。むしろ、与えてくれる幸せの分、引き起こす災厄のほうが大きいこともあるから…普通は、不幸の子供と言われることのほうが多い」
「…嘘」
初めて聞くことだった。
(月の子供は不幸の源?だって母さんはあんなに―――…!)
「ルティは月の子供の存在、信じる?」
思わず息を詰めた。ジスを見ると、冗談でもなんでもない、まっすぐな顔でこちらを見ていた。
「だってあれは…昔話でしょう?」
「まぁね。だけど俺は月の子供の存在を信じてる―――知ってる、って言ってもいい。だからルティが妖精を見ることが出来るのも信じられるんだ」
ああ、ようやく気付いた。
ジスはさっきの質問に答えてくれていたのか。
“―――信じてくれたの?”
そう、ルティが尋ねたことに対する、答えなんだ。
「昔話の月の子供を信じられるなら、おとぎ話の妖精も信じられる…ということ?」
「うん。この世界には、不思議なことも確かにあるから」
そういうジスは、遠い目をしていてどこか違う場所を見ているみたいだった。
ジスはどうして月の子供を信じてるんだろう。
その存在を知ってる、とも言っていたけどどういうことなのかしら。
さまざまな疑問が浮かんできて、だけど聞けずに飲み込んでしまう。
まさか、気付いてる?
―――ルティが月の子供だということに。




