なぜ? 不死王の溺愛
「おはようございます、奥様!」
ハルロップの朝はいつものようにエイミーの笑顔から始まった。
それは、祈年祭が激動の内に終結しても、クリスラン・ヴラオゴーネ公爵の唐突な病死が発表されても変わらない。
愛煙家で有名だった領主の訃報は疑いなく領民達に受け入れられ、後を継いで当主に収まったナディーンも、お祭り好きの賑やかな『女帝』として歓迎された。
一部、アルカディアを次期当主に推す声もあったようだが、憲兵隊の総隊長は自らその案を退けて職務の続行を宣言した。亡き父に任命された職務を中途半端に投げ出したくない、と殊勝な弁を述べていたそうだが本音はどうだろうか。領内に縛り付けられる煩わしさを嫌ったとしか思えない。でなければ、週に一度のペースでハルロップに顔は出さないだろう。
「さあさあ、奥様。お急ぎください。今日も時間がありませんよ」
エイミーはちゃかちゃかと動き回り、手早く朝の支度に取り掛かった。
ハイセンからハルロップに戻って以来、領官邸にはいくつもの変化が起きたけれど、その内の一つが朝の準備にかける時間の短縮だ。
「はい、できました! 行ってらっしゃいませ、奥様」
一切の無駄口を叩くことなく最速で私を部屋から送り出すのがエイミーの使命。なぜならば、
「おはよう、シエラ」
部屋の外でジュリアンが待ち構えているからだ。
「おはようございます、旦那様」
「今日も美しい。いい仕事をしてくれたな、エイミー」
「滅相もございません。奥様の地の美しさあってこそです」
「謙遜するな。その美しさをエイミーが引き立ててくれているんだ。では行こうか、シエラ」
そう言って、ジュリアンは私の手を取って歩き出した。
これも変化の一つだ。ジュリアンはハルロップに戻って以来、毎朝必ず私を部屋まで迎えに来る。曰く、
「シエラはいつ誰に襲われるかわからないからな」
ということらしい。散々危ない目に合いまくった手前強くは否定できないけれど、
「あの、旦那様。これからもずっと手を繋ぐのですか」
屋敷の中でまでずっと手を握られるのは子供のようで何とも恥ずかしい。
もちろん、やむを得ない事情で手を離される時もあるが、その場合は肩や腰が手の代わりに握られるだけのこと。同じ部屋にいる限り体の一部が触れていない時間がない。
「……嫌か?」
ジュリアンが立ち止った。そして、青い目に不安そうな色を湛え、
「やはり、俺が勝手に離婚を破棄したことを怒っているのか?」
何度目になるかわからない質問を口にした。
――あの後。
クリスランの陰謀を潰したジュリアンは、ディミトリス陛下直々に呼び出され内々で褒美を下賜された。
「欲しい物はなんでも言え」
気前よく言い放った陛下に対し、ジュリアンは言下にリンシャとの婚約を破棄したいと申し出たのだ。
私はおろかルイにもナディーンにもアルカディアにも、その場にいた誰にも何の相談もなくである。
さすがにディミトリスも眉を顰めたけれど、誰より強く、そして甲高い声で賛成するハイセン卿に押し切られる形でジュリアンの訴えを受け入れた。
「……俺より守りたい人間がいるやつを、側にはおけんか」
渋々首を縦に振ったディミトリスの言葉だ。後で知ったことだけど、ジュリアンを側近に据える考えだったらしい。
「あーあ、結婚式の前にフラれちゃいましたね」
王の御前から解放された直後、リンシャは悪戯っぽく呟いた。からかうような視線を親友のナディーンに向けながら。
「残念でしたねぇ、ナディーン」
「……うるさい」
なぜ、ナディーンが残念なんだろう。そんな思いで二人を見ていると、
「危なかったですね、シエラ様。欲深い女帝は私を義理の妹としてキープしながら、独り身になったあなたを狙う気だったんですから」
リンシャはひそひそと私に耳打ちした。今でもあの言葉の意味はよくわからない。
「シエラ……もし、本当に嫌なのだったら」
「嫌だなんて。そんなこと全然」
我に返り、慌てて目の前のジュリアンに首を振った。もちろん、私だってジュリアンとの夫婦生活の続行に異存はない。
ただ、純粋に驚いただけだ。
「そうか、よかった……シエラ、愛している」
ジュリアンの変貌ぶりに。今の彼を見て、誰が女嫌いだったことを信じるだろうか。優しく私を抱きしめて、頬に唇を重ねるジュリアン。
「愛しているぞ」
本当は唇にキスをしたかったはずだ。
熱の籠った青い目を見ればわかる。それでも、たまたま前からやって来たメイド達の目を気にして頬に止めてくれた。以前私が「人前で唇同士のキスはちょっと……」とお願いしたことを覚えていたのだろう、忠実に誓いを守ってくれている。
いや、本当に。こんなに溺愛するタイプだったんですね。
それも、私が王の首が欲しいと言えばその日の夜には実行しそうなほど深くて危険な愛だ。
自惚れでもなんでもなく、私がクリスランの手に落ちなくてよかったと思う。
「ところで、シエラ。あの話は考えてくれたか」
「……式のことですか?」
「そうだ、シエラと結婚式を挙げたい」
すれ違ったメイド達が「きゃあ」と黄色い声を上げて振り返った。
やはり、あれは本気だったのか。ハルロップに帰ってすぐジュリアンが言い出したことだった。どうやらジュリアンは改めて夫婦生活を一から始め直すつもりらしい。
「盛大でなくてもいい。とにかく、シエラと式を挙げたいんだ」
「それは、私の家族も招いてということでしょうか?」
「そこは俺も悩んだが、やはり呼んだ方がいいだろう。イーロンデール公爵と財政について話し合う機会にもなるだろうし」
なるほど、不死王に膝を突き合わせて説得されれば、あるいはお父様の散財癖も収まるかもしれない。
ジュリアンはこのところ、ハルロップに収まらずイーロンデール本家にまで発言権を伸ばしている。私の新事業を応援するために、まずは本家をおさえるつもりのようだ。
「もちろん、全てはシエラ次第だが。無理強いはしたくない。シエラが嫌なら――」
「わかりました。やりましょう、結婚式」
「きゃー!」
「おめでとうございます!」
「みんなに知らせなきゃ!」
ジュリアンより早くメイド達から歓声と拍手が湧き起こった。一泊遅れてジュリアンが微笑む。陽光を照り返す夏の海のような爽やかな笑顔。
「最高の式にしよう。愛しているぞ、シエラ」
「ええ、頑張りましょう。旦那様」
「全力で幸せにする。残りの人生全てをシエラに捧げる。愛している」
「あ……は、はい。ありがとうございま……す」
「……シエラ?」
ジュリアンの笑顔が少し曇った。
ああ、ごめんなさい。ジュリアンが私からの愛の言葉を待ち詫びているのはわかっているのに。ジュリアンはこんなにも愛を囁いてくれるのに。
「あ……あ……う」
私はまだ一度も正面から言えたことがない。もう、恥ずかしくて恥ずかしくて。
我ながら情けない。馬にだって乗れるのに、縄抜けだって錠前破りだってできるのに、たった一言を伝えることできないなんて。いったい、世の女性達はどんな顔で愛を囁いているのだろう。好きな気持ちが大きいほど言葉が喉を通らない。
「奥様! 頑張ってー」
応援ありがとう。でも、あなた達はもう仕事に戻ってください。エイミーもそうだけど、ヴラオゴーネの女達は恋愛話が好き過ぎます。
私だって本当は言いたいのに。ジュリアンに思いを伝えたいのに。
大好きなジュリアン。私のジュリアン。いつだって私のことを一番に考えてくれる最高の旦那様。
「いや、やっぱりいい。すまないな、無理強いしたくないと言っておきながらこの様だ」
ほら、今だってそう。本当はものすごく言って欲しいのに。私に無理をさせまいとしてくれている。
「もう行こう、朝食の時間だ」
「……待って」
そんなジュリアンが愛おしくて、ほんの少しでも貰った愛を返したくて、引かれた手を引っ張り返した。勇気を振り絞って一歩を踏み出す。
「奥様、いよいよですか!」
「みんな集まってー」
「頑張れー!」
心臓と周りの声がやたらうるさいけれど、今は無視。愛おしいジュリアンだけを見つめて、
「――」
それでもやっぱり言葉にするのは恥ずかしいから、想いを乗せた唇を頬に重ねた。
精一杯の背伸びをして。
「……シエラ」
期待させてごめんなさい。これで伝わるかしら。
「俺も愛してる、シエラ」
十分過ぎるほど伝わったようだ。
ジュリアンは私を抱き締めると、あっさりと誓いを破って唇を奪われた。




