武の一族
「俺に、シエラより守りたいものはない」
そう言って、ジュリアンは私を抱き締めた。
最初だけ強く、あとは包むように優しい、いつものやり方で。
「……ジュリアン」
もう二度と感じることが出来ないと思っていた温もりを、鎧の上から届けてくれた。
愛している。ずっと口に出来なかった思いを腕の中で伝えてくれた。
「よく言った! そうだよなあ、ジュリアン!」
しかし、ジュリアンのその言葉に喜びを見せたのは私だけではなかった。
いつの間に抜いたのか、クリスランのサーベルの切っ先がザックの顔に突きつけられている。
「ついに認めたな、ジュリアン! そうだ、お前の大事な大事なシエラだ。傷一つつけられたくないよなあ。さあ、こっちへ来い、シエラ。来なければ、この男の目を貫く。それだけじゃないぞ、ハルロップにいる使用人達全員の腕を落とす」
「父上、もうおやめください」
そんなクリスランをジュリアンは冷め切った目で見据える。
「私はもうヴラオゴーネの人間ではありません。ナディーンもアルカディアもあなたには与しない。私一人を操ったところで反逆など不可能です」
「確かに、ヴラオゴーネ家の反乱は不可能だろうな。だが、それがどうした。あの出来損ないの姉弟などはなからあてにしておらんわ。ヴィシュカ王国を潰したがっているのは何も私だけじゃない」
「やはり、隣国と同盟を」
「知っていたか」
「いくら私が前線から退いたといはえ、あまりにも奪還されるのが早すぎると思っていました。切り取った領土の返還を同盟の餌にしたのですか」
「その通りだ。だが足りない。かの国との同盟には、ジュリアンお前が必要なんだ」
「私が? なぜ?」
「隣国にとって不死王は恐怖の象徴だ。そのお前を交渉の席に引き出さねば同盟はあり得ない。共に来い、ジュリアン。反乱がなった暁にはその女はくれてやるさ」
「その話、姉上とアルカディアは?」
「知らんさ、お前だから明かしている。あんな出来損ないの姉弟など話す価値もない」
「うーわ、ひっど。聞いた姉さん、ショックなんですけど」
「勘違いするな、出来損ないはお前のことだ」
クリスランの暴言に反応を示したのはジュリアンの左右に控えた二人の兵士。
やけに背の高い兵士と、やけに鎧の着方が荒い兵士が同時に兜を脱ぎ棄てた。
「助けに来たよ、義姉さん」
「恰好つけるな、ジュリアンに呼ばれただけだろう」。
艶やかな揃いの黒髪が露わになる。
「アルカディア! それにお姉様も」
「よくここまで脱出したな、小娘。だが、しばし待て。今は父上に話がある」
ナディーンが静かな怒りを眼光に乗せてクリスランを射抜いた。
「さあ、説明してもらいしょうか、父上」
「なんだ、貴様らまで持ち場を離れたのか。だから出来損ないだというのだ。王の警備はどうなっている」
しかし、歴戦のヴラオゴーネ当主はそんな視線などないかのように受け流して肩を竦めてみせる。
「はっ。まさか父上から王の警備の心配をされるとは思いませんでした」
「諦めなよ、父さん。もう無理だって」
「黙れ、役立たず。お前ごときが父のやり方に口を出すな」
「……ねえ、さっきから僕の扱い酷くない? 傷つくんですけど」
「だからなんだ、お前ごときに何ができる。謀反の証拠も掴めない無能の憲兵が俺を殺すか? 親殺しの罪を負うだけだぞ。それとも王に密告するか? 同じことだ。証拠はない。お前らの言うことなど誰が信じる!」
高らかに声を上げるクリスラン。ナディーンとアルカディアは何も言わず、姉弟のみが通じる視線を交し合う。
「確かに我々が何を言ったところで証拠がなければ意味がない」
言葉を引き取ったのはジュリアンだった。
「だから、直接聞いていただくことにしました」
「直接?」
「はい、もう十分です」
「……どういうことだ」
クリスランの顔から笑みが消えた。万事に敏感な男が自身の致命的なミスの予感を感じ取る。
「どういうことだ、ジュリアン!」
クリスランの怒号が響いた。ジュリアンは何も答えない。
何も答えず、横に控えている三人目の兵士に目を向けた。
鎧兜に身を包んだ、誰よりも兵士らしい屈強な体躯の――男。
「……すべて聞かせてもらったぞ」
その声に聞き覚えがあった。つい昨日だ。その声に震え上がった覚えがある。
件の兵士が徐に兜に手をかけると、
「クリス、貴公の真意はよくわかった」
王族とは思えない鋭い眼光が露わになった。
「ディミトリス陛下……」
「全員控えろ!」
ジュリアンの号令で兵士達が一斉に礼を取り、
「なぜ、ここに……」
クリスランの顔が一気に青ざめた。
「不敬にも儀式の最中に不死王が進言してきおった。兜と鎧をつければ面白いものが見れるとな。しかし、まあ、これほど面白いとはな」
「ジュリアン、お前……」
「父上、まさかここまで大胆な行動に出られるとは。おかげで決心がつきました。戻って斬り伏せるだけでもよかったのですが、父親殺しの汚名を着せられてもつまりませんので、父上には陛下の前で直接本心を語っていただくことにしました」
ジュリアンが静かにそう告げた。その目にはもう何の感情も籠っていない。父を見るでもなく、当主を見るでもなく、ただ一人の罪人を見る目だった。
「ふざけるな!」
そんなジュリアンに向かってクリスランの怒鳴り声がさく裂する。
「お前は、お前は自分が何をしたのかわかっているのか! 父を裏切ったんだぞ! いや、俺だけじゃない。母親もヴラオゴーネ家も裏切ったんだ! 醜い豚が! 王族の捨て石になることが嬉しいか! 王族の奴隷になることがそんなに嬉しいか!」
もはや見るに堪えない光景だった。
武の一族と恐れられたヴラオゴーネの当主クリスランが全ての誇りと笑顔の仮面をかなぐり捨ててまくし立てる。それは貴族としての断末魔のよう見えた。
「王族が、代々ヴラオゴーネに何をしたかわかっているのか! 政治に参加もさせず、国境に押しこめ、攻めることも許さず、ただ『壁』となって死ぬことを強要した! 何が、『他を侵さず、己を曲げず』だ。遣い潰されていることがなぜわからん! こんな王家は潰れて当然だ! そんなことがなぜわからん!」
「……父上」
「俺と来い、ジュリアン! ヴラオゴーネを立て直すのだ! ヴィシュカ王国に積年の恨みを晴らすんだ!」
「……」
「ジュリアン!」
「それを領民が望んでいるのですか」
「……はぁ?」
クリスランの瞼が、眼球が零れ落ちそうなほど大きく見開かれた。唇が怒りに震え、
「領民だとぉ?」
声が震え、指が震え、握ったサーベルもぶるぶると震えだす。
そして、
「利いた風な口を叩くな! 妾の子が!」
サーベルを投げつけた。あるいは、その瞬間を待っていたのかもしれない。ジュリアンは投げつけられたサーベルを抜き打ちで弾き飛ばすと、
「――っ」
稲妻のような斬りこみで刃を閃かせた。
「見るな、シエラ」
剣を収め、左手で私の顔を抱く。
私はジュリアンの胸の中で、むせ返るような血の匂いを嗅いだ。




