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不死王、来臨


そこに立っていたのは、とてつもなく美しい男の人だった。


一瞬、自分の目がおかしくなったのかと思った。

何度も瞬きをして何度も目を擦った。それでも消えないのだから、本当にそこにいるのだろう。自分の正気を疑うほどの美しい男性。

天使様。即座にそんな言葉が頭に浮かんだのは、陽光を背に受ける姿が後光を纏っているかのように見えたからだ。流れ星を集めたような銀色の髪の毛も、ブルーの瞳も、整った鼻梁も花弁のような唇も、どれをとっても人間の生み出せるものに思えなかった。


「シエラ・イーロンデールは?」

突如現れた男性は、どこか憂いを帯びた切れ長の目で室内を見回す。

「いないのか?」

「……私、です」

 一拍遅れて手を挙げると、異常に美しい男性は驚いたように目を見開いた。

「お前が……シエラ?」

どこかで会ったことがあるのだろうか。男性はしばしの間呆然と私の顔を見つめ、

「立て」

手を取って立ち上がらせてくれた。大きな手に似合わない優しい所作だった。男性は私の膝をぽんぽんと叩いて汚れを落とすと、

「この家は、娘を床に座らせる慣習でもあるのか?」

手付きとは真逆の厳しい声を執務室に通らせた。


たちまち部屋の空気が凍りつく。誰も何も言えなかった。男達は男性の謎の迫力に気圧されて、女達は異常な美貌に痺れて言葉を失う。

「生贄令嬢か。想像以上だったようだな」

男性は呆れたように息を吐くと握ったままの私の手を引いた。ついて来いと言うかのように。

「ま、待って」

「なんだ?」

反射的に抵抗を示すと青い瞳に射抜かれた。不思議な色の瞳だった。まるで夜の海のように深くて綺麗で物悲しくて、見つめられると言葉が何も出なくなる。乱暴に口を塞がれるのではなく、優しく胸を締め付けられるように。

「こんな家に未練などないだろう」

「それは……」


「お、おい、お前! こんな家とはなんだ!」

男性の視線が外れたからだろうか、ようやく硬直の溶けた様子のお父様が裏返った声を上げた。しかし、男性は視界に入れるつもりもないようで、私の顔を見つめたまま動かない。

「貴様!」 

普通の公爵は無視されることに慣れていない。たちまち怒気を発し、どたどたと足を踏み鳴らして壁にかかったサーベルに手を伸ばした。

 ――その瞬間。


「抜くな」


男性は静かにそう言った。

途端に魔法にかけられたかのようにお父様の体が硬直する。ガタガタと手が震え始め、金と宝石に飾られたサーベルがガチャリと耳障りな音を立てて床に落ちた。

男性は振り返ることすらしていない。たった一言、それだけでお父様を制して見せた。

「行くぞ」

そして、また歩き出す。その前に、


「お待ちください!」

今度はリディアが立ちふさがった。

「私、リディア・イーロンデールと申します。あなたはどちら様ですの? お姉様なんて放っておいて、私とお茶などいかがかしら」

それはそれは輝かしい笑みを浮かべながら。社交会で磨かれた花のような笑顔、裏の顔を知る私ですらうっかり心を捕まれそうになるけれど、

「……誰だ、お前は」

謎の男性にとっては逆の効果があったようだ。怒気を強め、刃のような視線が冷たく閃く。

「俺の視界に入るな」

ひっ、と短い悲鳴を上げてリディアが尻餅をついた。腰が抜けたのだろうか、しゃかしゃかと足を滑らせて立ち上がることもできない様子だ。


男性はそんなリディアに冷たい一瞥をくれ、また私の腕を引いた。今度は有無を言わせない強引さを伴って。

もう抵抗はできなかった。唖然とする家族に見送られながら執務室を出る。いったい、どこに連れて行かれるのだろう。


『おい、あれは誰だ!』

『わかりません、いきなり入ってきて』

『素敵! どこかの王族なの?』

『なんで、シエラ様も一緒なの?』

騒ぎを聞きつけた使用人達が続々と集まってくるけれど、誰も私達を止めることはできなかった。遠巻きに騒ぐ人の壁を無言の圧力で押しのけて玄関を出ると、


「ジュリアン様と奥方様に敬礼!」


ずらりと並んだ正装の騎士団に最敬礼で迎えられた。

誰、この人達? うちの衛兵じゃない。見慣れない装備だし何より醸し出される雰囲気がまるで違う。一人一人が一騎当千の雰囲気を纏っている。 

ジュリアンと呼ばれた男性は、居並ぶ騎士達の前を涼しい顔で通り抜けていく。自然、手を引かれたままの私も騎士達の敬礼を受けることになる。

恥ずかしいんですけど。どんな顔をすればいいのかわからずに縮こまっていると一人の騎士が恭しく近寄ってきた。


「何事もなくて何よりです、ジュリアン様」

「当り前だ。俺に何かあると思ったのか」

「いえ、心配していたのはイーロンデール家の方々です。怪我でもさせればヴラオゴーネ家との、お家同士の問題になりますので」


 ――ヴラオゴーネ。


そうだ、騎士達の鎧に刻まれた見慣れない家紋。これは確か、ヴラオゴーネ家の『炎の鍵』。

つまり、この方が……。

「ああ、そう言えばまだ名乗っていなかったな」

私の顔から何かを察したのだろうか。ジュリアンと呼ばれた男性はそこではと足を止め、ようやく私の手を解放した。

深海の覗き窓のような青い瞳が真っ直ぐに私を見下ろす。銀色の髪の毛がお日様に照らされて天使の輪を頂いているかのように見えた。


「お前の夫となるジュリアン・ヴラオゴーネだ。訳あって俺はお前を愛せない。だから、お前も俺を愛するな」

「――はい」


いや、はいじゃないだろう、私。

何を馬鹿正直に頷いているんだ。さらっととんでもないことを言っていたぞ、この人。

でも、何も言えない。この瞳に見据えられると。


ジュリアンはまた私の手を取って歩き出す。門を出ると横付けされた四頭立ての馬車が扉を開いた。同時に、新しい夫婦の誕生を祝福するように荘厳な鐘の音が鳴り響く。

ああ、お父様自慢の新しい鐘楼。確かに心に染み入るような素敵な音色です。ただ、残念ながらその姿を見ることはもうないようだけど。

こうして、一か月ぶりに我が家に帰った私は、長年の野望と馴染みの家具をゴミのように吐き捨てられ、


「――乗れ」


最後にその身まで、急ごしらえの夫に浚われることとなるのだった。


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