女神様の後押し
「こっちはいないぞ。そっちはどうだ?」
「いない、近くに馬が乗り捨てられていた。絶対近くにいるはずだ」
まずいな。路地から通りを覗きながら心の中で呟いた。
予想通り、北の門はヴラオゴーネの兵団に封鎖されていた。それどころか、大通りの至る所で完全武装の兵士達が捜索を開始している。まさか、他所の領地でここまでの規模の兵力を展開するなんて。
どうしよう、馬を捨ててまずはザックの手錠を外すつもりだったけれど、
「――っ」
右腕の痛みがどんどん酷くなっていく。この腕ではとてもじゃないが鍵開けは不可能だ
「痛みますか、奥様」
一緒に路地に潜んでいたザックが心配そうに問いかける。
「ちょっとね。でも大丈夫よ、とにかく今はもうしばらくここに隠れていましょう」
「……わかりました」
頷きはしたもののザックの顔からはありありと不安が見て取れた。
気持ちはわかる。私だって同じ思いだ。ここに隠れていたところで発見されるのは時間の問題だろう。
せめて今日が祈年祭の三日目でなければ、大勢の人通りに紛れることができたのに。己の不運を恨みながら小雨の降る大通りを再度覗く。閑散とした通りにいるのは、熱心に捜索を続ける兵士達と暇そうな露店商だけ……じゃないぞ。
なんだ、あれ。
娘が一人フラフラと歩いている。
町娘風の格好はしているけれど、何かが違う。
所作というか雰囲気というか、とにかく何かが浮世離れしている。暇そうな露店を冷やかしたり、厳めしい兵士を珍しそうに眺めたり、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。
危ないな。雨で通りは濡れているのにあんなに余所見をして歩いていたら、
「きゃあ」
案の定、足を滑らせた。危ない、倒れそうになる寸前で抱き留めて路地に引き込む。その拍子に頭巾が落ちて見慣れた顔が露わになった。つい最近顔見知りになり、今朝別れたばかりのその顔が。
「え、リンシャ様?」
「嘘、シエラ様」
私とリンシャは同時に互いを認識し合うと、
「お願い、誰にも言わないで!」
同時に人差し指を唇にあて、同じ懇願を口走った。
「なるほどぉ、逃走中の罪人とはシエラ様のことでしたか」
手短に事情を説明するとリンシャは顎に細い指を添え、訳知り顔でふんふんと頷いた。
「それは、大変でしたねぇ。雨も降っているのに」
「雨? え、ええ、そうですね……」
深刻さは伝わっているとは思うけれど、どうにもこの方は緊迫感が顔に出にくいタイプらしい。
「罪人……我々が罪人……?」
対照的に生粋の騎士であるザックの顔は気の毒なくらい真っ青だ。
「恐らく、クリスラン閣下の差し金でしょう。私達を罪人ということにしておけば、警備を任されたヴラオゴーネは堂々と大規模な行動を取ることができる」
「どうします、奥様」
「とにかく一刻も早くハイセンを脱出しないと」
ハイセンはぐるりを城壁で囲まれた城塞都市だ。門から出られないとしたら、
「あとは壁を超えるしか」
「いやー、あれを超えるのは翼がなければ無理ですよ。それなら潜る方が簡単です」
壁の上を眺める私と反対に、リンシャは壁の下を指差した。
「潜る?」
「ええ、極々一部の人間しか知らない秘密の抜け穴です」
そう言って、緊迫感のない顔で笑うリンシャ。その笑顔は雨空の下の太陽のように輝いていた。
「そんな物があるのですか」
「案内しますね。すぐ近くですから」
「ありがとうございます、恩に着ます。でも、いいのですか? 祈年祭の三日目に聖女が町を出歩いていて」
「もちろん、いいわけないんです。ですからコレでお願いします」
しーっと、長い人差し指を愛らしい唇にあてがうリンシャ。
「聖女だって、お祭りを楽しみたいじゃないですか。私は一日目に舞を頑張ったので三日目はサボりということで、ね?」
「サボり……?」
聖女ってウィンクするんだ。
聖女リンシャと女帝ナディーン、一見正反対に思える二人が友達になれた理由が少しわかった気がした
「ここですよー、ここ」
リンシャが指差したのは城壁をくり抜く形で安置された、
「え、女神像ですか?」
「そうですよ。この下の台座の後ろに鍵穴がありまして」
奇しくも入り口の開き方までハルロップ領官邸との抜け穴と全く同じだった。
「抜け穴の作りって決まりでもあるのかしら」
「はい、開きました。狭いですけど、ここから頑張って潜り込んでください」
リンシャに言われるまま既視感に溢れる穴に潜ると、頬に微かな風の流れを感じた。いけそうだ。
「元々は偉い人達専用の抜け穴だったんですけど、今は誰も使ってません。内緒でナディーンとデートするのに便利なんですよ」
「そんなことで秘密の抜け穴を使っていいのですか」
一応、女神様の足元なのに。
「いいのです。ハーゼン教の教えでは、衆の幸いは個の幸いの積み重ねだと説いています。個の幸いのためなら女神の足元くらいツーツーですよ」
聖女が言うならそうなのだろうか。女神の足元から見上げるリンシャの笑顔には一点の曇りもない。
「それではお達者で。中は一本道で西の森の入り口につながっています」
西の森、それって確か――。
「神泉のある森です。このままジュリアンと合流しては?」
「それはできません」
言下にそう答えた。
「……なぜでしょう」
「旦那様は、いえ、ジュリアン様は国王陛下に忠誠を示すために一人で神泉の警護に当たっています。そんなところに罪人の疑いがかけられている私達がのこのこ出ていくわけにいきませんから」
「シエラ様……」
ともすれば場違いなほど微笑みを絶やさないリンシャの顔に、初めて悲しげな色が差した。
「リンシャ様、ここまで導いていただいて本当にありがとうございました。あなたであれば安心してジュリアン様をお任せできます。どうかお二人でお幸せに」
「本当に、それがあなたの願いなのですか」
「え?」
「女神の前で嘘はいけませんよ」
リンシャの顔にはもう笑みが戻っていた。
決して何も強要しない、だからこそ心の底まで見通すような笑顔。
「もちろんです」
そんな笑顔から目を逸らすように私は頷いた。
「これでイーロンデールの民もヴラオゴーネの民も幸せになれるんです。リンシャ様とご結婚なさればジュリアン様だって幸いでしょう。これで皆が幸せになれるんです」
「奥様の幸せが抜けています」
「え?」
突然言葉を差し込んだのは、リンシャの隣でずっと黙っていたザック。
「差し出がましい真似をお許しください。しかし、私は奥様の口からご自分の幸せについて語られるのを聞いたことがありません」
「ザック……」
「シエラ様、もう一度申し上げます。神は衆の幸いは個の幸いの積み重ねであると説いていらっしゃいます。『皆』の中にどうかあなた自身も加えてあげてください」
私の幸い。
「もう行ってください。穴を抜ければ獣道に出ます。左に行けば街道に、右に行けば神泉へと繋がります」
「リンシャ様」
「あなたが間違いのない道を選べるように祈っています」
そう言ってリンシャは私の肩を押した。その力とても軽いものだったけれど、私の体に確かな重みを残していた。




