生贄令嬢のオンステージ
私だ。
私が叫んでいた。
無意識だった。国王の視線に射抜かれて初めて気付いた。
いや、国王だけじゃない。ヴラオゴーネの四人、ハイセンの二人、そして居並ぶ衛兵までもが私を見つめている。
全身から汗が噴き出した。
でも、もう行くしかない。四方からの視線に蜂の巣にされながら私は必死に礼を取った。
「失礼いたしました、ディミトリス陛下。私、ジュリアンの妻でございます、シエラ・イーロンデールと申します。夫に代わり事情を説明させていただきます。夫には是が非でも陛下に忠誠を示さねばならない理由がございます」
「申せ」
「それは……わ、私達が離婚を考えているからでございます!」
「離婚、だと?」
即座に一言目に失敗したことがわかった。
集会室の空気が固まり、ディミトリスの声色が変わるのが感じられた。もちろん、望ましくない方に。
「仲人と言えば親も同然と言ったはずだ。親の顔に泥を塗る気か」
「も、申し訳ございません」
「理由を申せ」
部屋の人間全員の唾を飲む音が聞こえた。あるいは、自分の音だったのかもしれない。言葉選びを誤ったのは明らかだった。『離婚』の文言を出すのはまだ早かった。どうする、この状況で慰謝料欲しさとはとても言えない。
「申せぬ理由なのか」
ディミトリスの目が私の瞳を捉えた。疑り深い王の目、いくつもの嘘を見破ってきた目、心の奥底まで見通す目。
誤魔化しは通用しない、直感的にそう思った。真実を出すしかない。私の中の本当。ずっと前から気付かないふりをしていた、本当の気持ち。
「私には愛する人がいるからです」
「シエラ」
ジュリアンの声が聞こえた。でも、振り向けない。王の目から視線を背けずに言葉を続けた。
「その方は、私に色々なことを教えてくれました。誰かと食べる朝食の美味しさ、夜空の星の美しさ、話を聞いてもらえる嬉しさ、身を案じてもらえる嬉しさ、抱き締めてもらえる温かさ……」
そうだ、あなたは私に教えてくれたんだ。不器用な言葉で精一杯に。
「私は、一人ではないということ。誰の犠牲にならなくていいのだということを教えていただきました」
時に怒りながら、時に微笑みながら、時に強く抱き締めてくれながら。
「……不死王は知っているのか、お前の心情を」
「旦那様が、ですか?」
私の気持ちを? ずっと秘していたこの気持ちを?
振り返ると、青い目が私を見つめていた。嵐の後の青空のような目で、私の大好きな目で。
「知っています」
気付かれていないはずがない。伝わっていないはずがない。隠しようのないこの思いが。
「もちろん、この離婚が陛下の顔に泥を塗る行為であることは承知しています。何より、ジュリアン様に休息を与えたいという陛下の慈悲を無碍にする行為であることも。ですからせめて、私の後継を用意いたしました」
「後継だと?」
ディミトリスの目からほんの少しだけ警戒の色が薄れた。変わって差し込んだ感情は……興味?
「はい、ジュリアン様の新しい花嫁でございます。その方はこの場に……」
これ以上は私の口からは言えなかった。どうしても、唇が拒否してしまう。お願いだから察してくれと祈ると、
「私でございますー」
空気にそぐわぬ軽い口調でリンシャが立ち上がってくれた。
「リ、リンシャが!?」
同時に、今までずっと沈黙を貫いてきたハイセン卿が驚嘆の声が上げる。
何、この反応。まさか、リンシャって……家に何も相談せずに?
「リンシャ。こ、こ、こ、これは、どういう……」
ああ、してない。確認するまでもなくハイセン卿の顔色と声色が初耳だと告げている。
最悪だ、突然の娘の結婚を許す親などこの世にいない。
計画は潰えた。
そう思って誰もが顔を強張らせる中、
「おい、どうした、ハイセン卿! お前、そんな甲高い声を出せたのか」
ただ一人哄笑を爆発させたのは、人の悪いディミトリスだった。
大口を開け、手を叩いて笑い転げ、
「そうかそうか、よりによってハイセンが不死王の婿入り先か! いいではないか、許す!」
私達の離婚とジュリアンの再婚に、同時に太鼓判を押してくれた。
「お、お待ち下さい、陛下!」
「不死王! 明後日の警備、見事務め上げよ。さすれば、お前は次の日からハイセンの婿よ」
「そんな! 陛下、私は何も!」
「めでたい! 飲むぞ、ハイセン卿。馳走を用意しろ。精進料理などいらん、肉を大量に用意せい!」
ハイセン卿のうろたえる姿がよほど面白かったのだろう。豪快な笑い声を上げて集会室を出ていくディミトリス、その後をしどろもどろのハイセン卿が追いかけていく。
そして、
「……どういうことだ、ジュリアン」
静まり返った集会室にクリスランの低い声が響いた。
「どうとは?」
「惚けるな!」
一喝で部屋の空気を震わせるクリスラン。
しかし、震えたのは空気だけ。ジュリアンは微動だにせず口を開いた。
「私はただ、陛下の安全とヴラオゴーネの民を守りたいだけです」
「ヴラオゴーネの……民だと……」
クリスランの目に憎悪の炎が宿った。怒りで震える唇が開かれ、
「……」
何も発さずまた閉じられる。
何の言葉を思い留まったのだろう。憤怒にとらわれながらもまだ、クリスランは周りに控える国王軍の衛兵の存在を忘れてはいなかった。代わりにクリスランが漏らしたのは、
「ジーナはこのことを知っているのか……」
知らない女性の名前だった。
ジュリアンの人質だ。直感的に確信した。
「知りません」
「ないがしろにする気か、実の母親を」
――母親?
「待ってください。じゃあ、旦那様の人質ってお母様だったのですか?」
思わず口に出してそう言うと、
「人質? あの女が? 何言ってるんだ、小娘」
ナディーンに言葉と表情と声色と、表現力の全てを使って否定された。
「あんな贅沢邦題、我儘放題の人質がどこにいるってんだ」
「いや、案外人質だったのかもよ、兄さんにとってはさ。もしくは……呪いかも」
珍しく薄笑いを引っ込めてアルカディアが言う。
「妾のあの女からすれば父さんの寵愛だけがうちで生き残る唯一の武器だからね。なんでも使うでしょ、息子だって洗脳するよ。誰のおかげでそれが解けたのかは知らないけど」
「もういい、アルカディア」
弟の言葉を遮ってジュリアンが立ちあがった。
そして、真っ向からクリスランに宣言する。
「私はディミトリス陛下をお守りします。祈りの儀の間だけではなく、いかなる時でも、何度でも。逆心を持つ者がいなくなるまでお守りします。それがヴラオゴーネを守ることに繋がると信じておりますので」
「……ジュリアン」
「忘れないでください、父上。たとえ戦場を離れても、私こそがヴラオゴーネを守る“壁”なのです」
奥歯を噛み締める音が聞こえた。クリスランは廊下まで届くほど強く歯を食い縛ると、
「このままで済むと思うなよ。お前は、永遠に俺のものだ」
安っぽい捨て台詞を残して部屋から出て行った。
やった、今度こそ。
誰かが安堵の息を吐き出した。膝が崩れ、私はどすんと椅子にお尻を落とす。その音を合図にするように、
「勝ったな」
ナディーンが高らかに勝利を宣言した。




