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旦那様と祈年祭


繰り返しになるが、祈年祭とは年に一度、五穀豊穣を願って執り行われるヴィシュカ王国伝統の神事である。


開催場所は国教であるハーゼン教の総本山を擁する神聖領ハイセン。

三日に渡るお祭りは、初日に聖女の舞が奉納され、二日目に大篝火が炊かれ、三日目に国王が一人で神泉に入り祈りを捧げて結びとなる。

毎年流星群の時期を狙って開催されるため、祭りの最中に流星が降ればその年は豊作になると言われている。

 

「聖女だ!」

「聖女が来たぞ!」


日の落ちた大聖堂前の大広場に聖女が登場すると、詰めかけた観客達の口から一斉に歓声が上がった。

しぶとく途切れないざわめきはしかし、俯いた聖女が顔を上げた瞬間に静寂に取って代わられる。

ハーゼン教の祈りは舞で表わされる。

上手い下手を超越した研ぎ澄まされた所作の中で、聖女はまるで自身が神と化したように観衆の心を魅了し、最後に会場を爆発させた。鳴りやまない拍手と歓声、涙を流すものも少なくなかった。


「すごい……なんて」


私もその一人だったりする。

貴賓席で割れんばかりの拍手に囲まれながら、私は溢れる涙を抑えることができなかった。心の底にある感情的な何かを直接手で掬い上げられたような不思議な感覚だった。


「使うか、シエラ」

そんな私にジュリアンがそっとハンカチを差し出してくれる。

「ありがとうございます」

まるで本当の夫婦みたいじゃないか。少し照れくさかったけれど傷の治りきらないアルカディアは人混みを嫌って控室にいるし、ザックも護衛兼見張りとしてその場に張り付いてもらっている。夫婦ごっこを咎める者はここにはいない。真新しいハンカチは香水の奥にジュリアンの匂いがしてほっとした。


「私、こんなすごい舞を初めて見ました」

「舞手がいいからだろう。祈年祭に来るのは初めてなのか?」

「いいえ、母が生きていた頃は毎年来ていました。でも、公爵次官になってからは公務に追われてさっぱりです」

「俺も同じだ。戦場に出るようになってからは全く参加していない」

「ハンカチ、ありがとうございました。すみません、観光に来たんじゃないのに。気合を入れ直します」

 勝つ前に泣くな、アジジ商会の教えその六を叩き込むように両頬を掌で叩いた。

「また跡がつかないようにな」

 そう言ってジュリアンが笑う。

その顔を見ているとなぜだかまた涙が溢れそうになる。だから慌てて話題を変えた。


「そういえば、ナディーン様の姿が見えませんが、無事ハイセンに到着されたのでしょうか」

「俺も顔は見ていないが着いてはいるだろう。ナディーンがリンシャの舞を見ていないはずがないからな」

「……リンシャ?」

その言葉が聖女を指していることに気付くのに数瞬を要した。あの聖女をご存じなのですか、そう尋ねようとしたちょうどその時、


「おーい、小娘!」


貴賓席の人間全員が振り返るような大声が轟いた。

「さっそく、いたようだな」

ジュリアンがうんざりしたように声の発生源を振り返ると、


「ここだ、ここだー!」


案の定、女帝ナディーンが大きく手を振っていた。

周囲より頭一つ抜け出た高身長と美貌の持ち主であるナディーンは手を振るだけで十分に目立つ、加えてこの大声だ。相変わらず豪快というか、大胆というか、すごい人だ。


周りの群集達も同じ感想のようで、友人と誤解されるのを避けるようにさーっとナディーンの傍から身を引いていく。

おかげで、その横に笑顔で佇む儀礼服の女性――ジュリアンがリンシャと呼んだ舞手の姿がよく見えた。


「久しいな、小娘!」

ナディーンの声量は私が近くに寄っても全く落ちることはなかった。

「はい、お陰様で。お姉様は、お変わりはありませんか」

「もちろんだ。シエラも変わりないな。ジュリアンに手を付けられていないだろうな」

大声で何を聞くんだ、この人は。


「姉上、下品な質問はお止めください」

「うるさい、仮初の夫が主人面するな」

ジュリアンが窘めると、素早く盛大な舌打ちが返ってくる。やはり、立会人の随伴を求めたジュリアンのアイディアは正解だったようだ。

「何はともあれ、姉上にお変わりがなくて安心しました。お心の方も変わりないと思ってよろしいでしょうな」

「愚問だ。お前とシエラが離婚するなら私はなんだってやる。お前も覚悟はできているだろうな」

そう言うと、ナディーンは立てた親指で真後ろの大聖堂を示した。


「警備の最終打ち合わせは、この後すぐだ。父上も陛下も予定通り参加される。あとは領主のハイセン卿もいらっしゃるだろう。怖じ気づくなよ」

「もちろんです」

「はい」

いよいよだ。私とジュリアンが同時に頷き、

「いやー、ドキドキしますねー」

その横で儀礼服の女性が緊張感の籠らない感想を添えた。


「ま、待ってください、リン姉様も一緒に行かれるのですか?」

ジュリアンが驚いたように目を見開く。

「ええ、ナディーンから是非にと頼まれまして。あれ、ナディーン? ジュリアンに伝えていなかったのですか?」

「ああ、そうだな。今伝えた」

伝えていませんよ、お姉様。伝えたのは、


 ――リン姉様。


ジュリアンがそう呼んだ聖女の方だ。

正直、突如現れた聖女が決戦に同行することよりも、ジュリアンの口走った呼び名の方が引っ掛かった。


やはり、二人は知り合いなのか。

誰だろう、綺麗な人だな。抜けるような白い肌、夜空の星を集めたような金色の髪、宝石をはめ込んだような瞳。私を含めた世の女性が、一つでも手に入れることができればと希うパーツが一手に集まったかのようだ。

美しすぎて嫉妬もわかない、そんな私の視線に気付いたリンシャが微笑みをこちらに向けてくれた。


「やっとお話しできますね、シエラ様」

「え、どこかでお会いしたことが?」

公爵次官時代は一度会った人物の顔は忘れたことがなかった。こんな美人は忘れるはずがないのだけれど。

「ハイセン公爵の次女、リンシャ・ハイセンと申します。この格好ではわかりませんよね――勝者、ナディーン!」

おどけたようにリンシャが右手を高く上げる。その仕草で記憶が一気に蘇った。


「まさか、あのピクニックの?」

そうだ、剣闘場で審判役を務めていたあの女性。何か雰囲気が違うとは思っていたけれど、まさか公爵令嬢、しかも聖女だったなんて。

「そうか、二人が話すのは初めてか。リンシャは宴の前に帰ったからな」

ナディーンがのしかかるようにしてリンシャの細い肩を抱く。

「ええ、酔っ払ったナディーンは好きじゃないので。先に帰らせていただきました。でも、後悔しているわ。あの日からナディーンはシエラ様の話ばかりするんだもの」

「そんなことないだろう」

「そうですよー」

 口を尖らせ悪戯っぽくリンシャが笑った。どうやら二人は相当仲がいいらしい。ということは、弟のジュリアンも……?


恐る恐る傍らを見上げると、ジュリアンは気まずそうに二人から目を逸らしていた。珍しい。ジュリアンのそんな表情がなぜか妙に心をざわつかせた。

「まあそういうわけでリンシャも同行する。文句はないな、ジュリアン」

「そう、ですね。ハイセンの聖女であるリン姉様の応援があれば心強いですが……」

「応援? 違う、リンシャはお前の新しい婿入り先として呼んだんだ」


「婿入り先!?」


私とジュリアンの声が綺麗に重なった。

「そうだ、必要だろう」

感謝しろよ、そう言わんばかりの顔でナディーンは私とリンシャの肩を同時に叩いた。

「ま、待ってください、姉上。そんなことを突然いきなり言われても困ります」

「なぜだ、リンシャでは不満か。本人はすでに了承済みだぞ」

「そうなのですか?」

「ええ」

リンシャはまるで何でもないことのように細い顎を引いてみせた。


「ご存知の通り、ハーゼン教の聖女は殿方に触れることが許されません。しかし、領主の娘である以上結婚は義務。元々結婚までの約束で聖女にさせて貰っていましたから、いずれは辞めねばならぬものと覚悟しておりました。けれど、ジュリアンはシエラ様とのご離婚後に白い結婚をお望みとのこと。指一本触れずに結婚できるのであれば聖女を辞める必要もない。ましてや、相手が親友の弟であるあなたなら……色々話が早いですしね」

「そう……言われても」

リンシャの微笑みを受け、ジュリアンが動揺を露わにする。戸惑いの色を浮かべた青い目がリンシャとナディーンを行き来して、最後に私を捉えて止まる。


「よいのではないでしょうか」


「シエラ」

「実は私も気になっていたんです。陛下に離婚を訴えるなら、次の結婚相手も用意しておかないと到底お許しは出ないでしょうから。渡りに船の申し出かと」

「……本気で言ってるのか」

「もちろんです」

それ以外にどんな返答ができただろう。

だって、初めから決まっていたことだから。初めから私達は仮初の夫婦だったから。そういう契約で今まで頑張って来たのだから。

「わかった」

ジュリアンが頷いた。そうだ、私達はこれでいい。


「決まりだ。では、行くぞ。アルカディアは先に集会室に向かっている――出陣だ」

 ナディーンがバチンと手を叩き、先陣を切って歩き出した。その横に素早くリンシャが従い、

「行こう、シエラ」

「はい、旦那様」

 ジュリアンと私が後に続く。


 ――旦那様。


 自分で発したこの言葉でなぜか少し、泣きそうになった。


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