お義父様にご挨拶
「行ってらっしゃいませ、奥様! 今日もとってもお綺麗ですよ」
「ありがとう、エイミー」
夜明けを知らせる鶏より元気いっぱいのエイミーに送り出され、私は寝室を後にした。
今日もいい天気だ。窓から差し込む朝日が光のベールを廊下に落としている。誘われるように踏み込むと、眼下に広がる高原の緑がまるで前途を示すように朝露に煌めいていた。
私とジュリアンの円満離婚計画もいよいよ大詰めである。
ナディーンとアルカディアの二人を味方に引き込むことに成功し、あとは本丸であるクリスランを切り崩すのみ。
ここまでうまくやってこれたんだ、きっとうまくいく。そして、私はたんまりと慰謝料という名目の事業費をいただいて、仮初の夫婦生活に終止符を打つのだ。
「辛いけど頑張ろう」
そう自分に言い聞かせ食堂のドアノブに手をかけて、
……え、辛いって何?
無意識に漏れ出た自分の言葉に戦慄した。
何を言ってるんだ、私は。辛いことなんてなにもないだろう。
新事業が始まればイーロンデールは安泰だ。反乱を食い止められればヴラオゴーネだって救われる。女嫌いの旦那様も解放され、みんなが幸せになれるはずなのに。
いったい、何が辛いというのだろう。
「おはよう、シエラ」
食堂に入るといつものようにジュリアンが先に座って待っている。その顔を見るだけでなぜ、泣きそうになるのだろう。
「おはようございます、旦那様」
私はこみ上げる涙をねじ伏せるように、飛び切りの笑顔を浮かべて席に着いた。
「さて、これで外堀は埋まったな」
朝食会議の第一声、食前酒で舌を湿らせたジュリアンは厳かにそう言った。
「あとは、俺達三人で謀反の意思がないことを示せば、孤立した父は強硬手段が取れなくなる。できれば、そのまま当主の座から退かせることができれば最高なのだが」
「そうですね」
「へー、そんな計画だったんだー」
ジュリアンの説明に緊迫した声と弛緩した声が同時に相槌を打つ。
前者は私で、後者は未だにハルロップ領官邸に居座り続けているアルカディア。声もそうだが、頬杖を突いてワイングラスを傾ける姿にも、緊張感というものが感じられない。
「散々説明しただろう。なぜまだ理解していないんだ」
「さーねー、説明が悪いんじゃない?」
「……」
ああ、静かな食事が恋しい。
今日も今日とてヴラオゴーネの兄弟は仲が悪い。
というか、アルカディアはいつまでここにいるつもりなのだろう。傷ならとっくに歩けるほどには回復したはずなのに、夫婦仲がこれ以上深まらないよう監視するというわけのわからない名目で帰国を断り続けている。
私に実害がないからいいけれど、兄弟が顔を合わせる度に喧嘩の心配をしなくてはいけないのが少々面倒だ。
「外堀が埋まったということは、いよいよヴラオゴーネに乗り込むことになるでしょうか。クリスラン閣下の説得に?」
剣呑な空気を換えるために議論を先に進めると、ジュリアンの眉間に微かな皺が寄った。
「そのつもりだったが事情が変わった。アルカディアの情報が確かなら、悠長なことは言っていられない」
「情報?」
傍らに視線を送ると、朝からワインを啜る道楽者が素手でレタスを摘まんで齧っていた。こんな人間の言うことの、何を信じればいいというのか。
「アルカディア、間違いないんだろうな」
私とザックの思いを代弁してジュリアンが問うと、それはそれはチャーミングなウィンクが返ってきた。
「当たり前だろ。僕の情報網を舐めないでよ。暗殺計画は兄さんと義姉さんの結婚式だけじゃない。父さんは常に複数の計画を同時進行させている。実行までの期間は長いもので数年、短いもので来月」
「来月?」
「の、頭」
来月の頭といえば――。
「祈年祭ですか」
「そ。祈年祭の最終日、王様の『祈りの儀』を狙って暗殺部隊を放つ」
言葉の最後に合わせて指ピストルを作り、バーンと放って見せるアルカディア。気障だけど様になるから腹が立つ。
しかし、祈年祭を狙うとは。罰当たりだが確かに絶好の機会かもしれない。
ヴィシュカ王国では年に一度、その年の五穀豊穣を願って祈年祭が行われる。中でも国王が神泉に祈りをささげる『祈りの儀』は、汚すことのできない神聖な儀式と位置づけられており、もちろん厳しい護衛がつけられるが、その役目は近隣の領主が持ち回りで行う慣わしとなっている。
「確か今年の護衛って……」
「そ、ヴラオゴーネ(うち)だよ」
クリスランがどんな些細な疑惑も嫌うのも頷ける。この絶好の機会を是が非でもものにするためだ。
「そこまで正確な情報を掴んでいて、なぜお前は動こうとしなかったんだ」
「だーかーらー、そういうのは憲兵隊の仕事じゃないでしょ。それとまあ、いつものやつだよ。証拠がないってやつ」
「憲兵隊の情報に証拠がないことがあるのか」
「誰が憲兵って言ったよ。ちゃんと聞いててね、『僕の』情報網って言ったんだよ」
ああ、女か。
確かに女の情報感度は男のそれとは比べ物にならないが、物証が伴わないことが世の常だ。
「どうしましょう、旦那様。今からでも匿名で情報を流せばヴラオゴーネは警備から外されて凶行を阻止できるとは思いますが」
「無理だろう、結局証拠のない話だ。女の噂話は正確だがそれで国は動かない」
「ですよね……」
やはり、証拠だ。どこまで行ってもこの問題は変わらない。
「それにディミトリス陛下は疑り深い君主だ。父に疑念を持たれれば、ヴラオゴーネ全体まで追い込まれかねん。国王に父の二心を気付かれることはあってはならん」
ならどうすれば、そんな思いの私にジュリアンはドキリとするような笑みを向ける。
「どうせなら、その陰謀を俺達も利用させてもらうとしようか」
「利用、ですか?」
「ああ、実は今回の俺達の離婚計画には一点だけ心配なことがあったんだ。俺とナディーンとアルカディア、この三人で父に直談判し謀叛の反対を訴えた場合……」
訴えた場合?
「父そっちのけで、俺達三人が罵り合いになる可能性がある」
「そんなこと――」
どうしよう、ないとはとても言いきれない。
「あっはっはっはっ! 確かにあるわ、それ! 罵り合いどころから斬り合いになるかも。最悪、その場で協力体制決裂ってことも十分あるよね」
お黙りなさい。そうなった場合の元凶は十中八九あなたです。
「まあ、冗談はさて置きだ。直談判する際にはそれなりの立場の立会人が欲しいと思っていたんだ。ちょうどいいじゃないか。うちが祈年祭の警備を担当するなら、初日の夜に陛下を交えた最終打ち合わせがあるはずだ。他の公爵も同席するだろうし、彼らの前で宣言してやろう」
ということは?
「準備をしろ、ザック。祈年祭、俺達も参加するぞ」




