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とびきり変な人


もちろん、あんな小さな鈴の音が外まで聞こえるはずはない。


ジュリアンが倉庫に辿り着いたのは、姿の見えない私を探して館の中で大捜索が行われていたからだ。

私がイリーナに寄り添われながら歩いていた時にすれ違った人間は一人や二人じゃない。行先の目星は簡単についたことだろう。


負傷したアルカディアは直ちに医師の治療を受けた。

幸い、出血が酷いだけで命に別状はないとのこと。曰く、応急処置が完璧だったおかげらしい。医師からは興奮気味に、「処置した人間を教えてくれ」、「メイドにしておくにはもったいない」と迫られたけれど、看護婦になるわけにもいかないので、適当に誤魔化してお帰り願った。応急処置をしたのがメイドではなく領官夫人の私だと言ったら、あの医師はどんな顔をしたんだろう。

 

そして、あっという間に一週間が経ち、


「姉さん、お腹空いたー」


アルカディアはまだハルロップ領官邸にいた。


「果物がそこにあるでしょう。勝手に剥いて食べなさい」

「冷たー。怪我人なんだけど、僕。痛くて動けないー。食ーべーさーせーてー」


相変わらず我が物で客間を占領し、大好きなベッドで我儘放題だ。


「はい、どうぞ!」

私は籠のリンゴを引っ掴むと、そのまま口に捻じ込んだ。

「ぺっ、ぺっ、ひどっ。鬼姉だ、鬼姉!」

「お黙りなさい。そもそもどうして私があなたの世話をしなくちゃいけないの」

「なんでって、僕はおたくのメイドに刺されたんですけど。もう女が怖くて怖くて」


私も絶対に女なんですけど。


「義姉さんはいいんだよ。だって、義姉さんは『略奪対象』なんだから」

「まだ言ってるの、それ」

ヘラヘラと笑いながらリンゴを齧るアルカディアを見ていると、応急処置を施したことを後悔したくなる。

「言うに決まってるじゃん。あのバカ兄貴、死にかけてた僕の真横で義姉さんといちゃつきやがって。復讐として義姉さんを奪ってやらないと気が済まない」

そこにジュリアンの顔が浮かんでいるかのように、真っ赤なリンゴに歯を立てるアルカディア。


「そんなことをしても復讐にならないって何度も言ってるでしょう」

「はあ? まだ惚ける気なの?」

「惚けてなんていません。とにかく、もう一度確認するわ。あなたも一緒にクリスラン閣下の謀反に反対してくれるってことでいいのよね」

「いいよ……ちゃんと条件を守ってくれるならだけど」

 少しだけ神妙な顔を付きで義理の弟は頷いた。

「もちろん、守るわよ」

「イリーナのこと、頼んだからね」


あの後、捕獲されたイリーナはそのままヴラオゴーネに強制送還されることとなった。

あくまで、本人の体調不良を理由として。私を誘拐し、アルカディアを刺したイリーナを不問にすること、それがアルカディアの出した条件だったから。

イリーナの置かれた状況には同じ女として同情できる余地は大いにあるし、何よりアルカディアを味方に引き込めるなら異存はない。私とジュリアンは二つ返事で条件を飲んだのだった。


これで三票揃った。

長女ナディーン、長男ジュリアン、次男アルカディア、この三人で結託してクリスランの野望を潰す。

それで全ては終わる。

ハルロップでの暮らしも。

仮初の結婚生活も。


「これで晴れて私達夫婦の離婚は完了するの」

 

心の奥底で発生した小さな疼きを言葉で覆い隠すように、私は呟いた。


「辛そうな顔しちゃって。嫌なら離婚なんてやめればいいのに」

「な、なによ、それ! べ、別に辛くなんて……」

「ああ、はいはい。いいよいいよ。旦那にベタ惚れの女を惚れさせてこその色男だもんね」

「ベタ惚れじゃないから!」

「さーて、腕が鳴るねえ。ベタ惚れの義姉さんをどうやって惚れさせてやろうかな。ま、初心な義姉さんのことだから王道が一番効くんだろうな。例えば――おっと、手が滑った」 


クルクルと弄んでいたリンゴがアルカディアの指から滑り落ちた。齧り痕の着いたリンゴはコロコロとベッドの上を転がり淵から床に落ちそうになり、


「危ない!」

「よっと」

 

思わず伸ばしてしまった私の手に、アルカディアの手が重なった。


「どう? 偶然触れ合う手と手。こんなん好きでしょ、義姉さん」

「ちょっと! 離して」

「だーめ」

ジュリアンとはまた違った細い指が私の手を握り締める。


何が偶然なものか。リンゴを落としたタイミングも、転がるコースも、怪我をしたアルカディアの手を乱暴に引っぺがせないことも、全て計算尽くでしょう。


「恐れ入った? これが色男のやり方さ。言っとくけど、こうやって手を握ってるだけも……すっごく傷が痛むんだよ」

 何をやっているの、あなたは。脂汗までかいてやることですか。

「どう、義姉さん? 恋の女神ってやつはこういう何気ないところに舞い降りるんだよ。ちょっとドキドキしてこない?」

「しません」


私は抑揚を殺した声で即答すると、握られていない左手で鈴を鳴らした。

言うに事を欠いて恋の女神ですって? 今この部屋にやってくるのは――。


「何をしている、アルっっ!」


抜刀状態のジュリアンがせいぜいだ。


「でたー! 不死王だあー! 助けて、義姉さん。殺されるー」 

 あなたは一度殺されなさい。

ねえ、イリーナ。あなたは言ったわよね、アルカディアは私の前でだけ感情を露わにするんだって。違うわよ。

アルカディアが本当の感情を表すのはいつだってジュリアンの前だけだ。


「うーわー、やばいやばい! 刺さった、刺さった! 兄さん、本当にちょっと刺さってるって。痛い痛い痛い!」


見てよ、あの心底楽しそうな顔。

多分、アルカディアが本当に好きなのは私でもなくイリーナでもなく、怒ったジュリアンなんだろう。


変人揃いのヴラオゴーネ家、その中でもアルカディアのそれは段違いだ。


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