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今、なんと仰いましたか……?


「義姉さんが、俺の愛人になってくれたら考えてあげるよ」

「……はい?」


 一瞬、脳が停止した。


「そ、それは、どう……いう意味で……?」


 辛うじてそう問い返すと、アルカディアはそれはそれは美しい笑顔で言葉を続ける。


「そのまま言葉通りの意味だよ。義姉さんが僕の愛人になるんだ。そしたら、協力してあげる。たっぷり可愛がってあげるから」

「あ、あなたは私が嫌いなはずでは?」

「そうだね。でも、兄さんの方がもっと嫌いだから我慢してあげるよ」

「は?」

「やばい、考えただけでもゾクゾクするよ。兄さんの女を奪ってやったらどんな顔するんだろう」


ああ、だめだ。

今、確信した。私はこの人の事がわからない。きっと未来永劫わからない。公爵次官時代から色んな人に会ってきたけれど、


「きっとめちゃくちゃ怒るぞー。楽しみだなぁ」


……この人は、ぶっちぎりで特殊な人だ。


 そんな私の気も知らず、アルカディアのさらに饒舌に拍車がかかる。

「ねえねえ、いいでしょ、義姉さん。一緒にヴラオゴーネに来てもらうことにはなるけどさ、こんな田舎よりはずっとマシじゃん。もちろん、この俺がたっぷり喜ばせてあげるから。贅沢もし放題、大好きな領民も守れるし、いいことずくめだよ。いいよね、義姉さん」

「やだ」

「は?」

「やーだ」

 はしたないとは知りつつも、あえてアルカディアと同じ文言で即答すると、


「な、ぜ?」

すごい、アルカディアの返事も私と全く同じだ。

なぜかって? いいでしょう、教えて差し上げます。


私は暗がりに三本の指を立てて見せた。

「理由は三つ。一つ目、私はイーロンデールを離れるわけにはいきません。二つ目、例え夫婦ごっこでも私はジュリアン様も正妻です。誰の愛人になるつもりもありません。そして、三つ目。これが最大の理由ですが、あなたに男性としての魅力をこれっっっぽっちも感じないからです」

「は?」

 一息でまくしたてるとアルカディアの顔が引き攣った。余裕の仮面に大きく一つヒビが入り、


「はああああああ?」


 木端微塵に弾け飛ぶ。


「な、な、な、何言ってんのあんた!」

「それはこっちのセリフです。下手に出れば調子に乗って、いつまでも無礼が通ると思わないで。言うに事を欠いてあなたの愛人ですって? 反吐が出ます。いくら積まれてもお断りよ」

「おいおいおいおい、社交界から忘れられた生贄令嬢が誰に言ってんだ。こちとら、一度パーティーに出れば会場の視線を独り占めする社交界の華だぞ。一夜を過ごした女は百じゃ足りない。泣いて喜べよ、義姉さんとはレベルが違うんだよ、レベルがさあ」

「それです、それ。それずっと聞きたかったんです。あなたみたいに一夜の数を誇らしげに女に向かって話す男の目的は何なんですか? そんなの自分は一人の女を大切にできない浮気性の最低男だと公言しているようなものでしょう。それ聞いてどう思えば? 私も十把一絡げにコレクションケースに並びたーい、と言うとでも? 女を馬鹿にするのもいい加減になさい!」

「はあー? ムカつくムカつくムカつく! なんだ、この女絶対に許さねえ」

「許さなければどうします? この場で手籠めにでもしますか?」

「……あんたが望むならね」

「下がりなさい」


 私は素早く立ち上がると、ティーテーブルの足を一本引き抜いて夢の悪魔の眼前に突き出した。


「は? 何これ、仕込み杖?」

「違います。よく御覧なさい。これは昼間にあなたが蹴倒したティーテーブルよ」

案の定、足が壊れてしまったから皆でここに運んだの。

「待て待て、蹴っ飛ばしたのは兄さんだろ」

「原因を作ったのはあなたです。さあ、どうしますか。もちろん、剣を習ったことのない私なら素手のあなたにも劣るでしょうが、ご自慢の綺麗な顔に傷くらいはつけてあげる。命に代えてもね」

 生贄令嬢を舐めないで。最後の言葉にそんな思いを込めてテーブルの足を構えると、


「――」


 月明かりに不敵な笑みが浮き上がった。油断すれば心の一部を掠め取られそうになる美しい笑顔。胸中がどうであれ、ここで笑って見せられるのはさすが憲兵隊総隊長といったところか。

「なるほどね、兄さんが気に入るわけだ」

 アルカディアがゆっくりと立ち上がった。緩慢な動作の中に、決然たる意志が漲って見えた。やる気か、覚悟を決めて膝と腰に力を込める。

月明かりを背中に浴びた夢の悪魔はそんな私を真っ直ぐに見据え、

「決めた。あんたを絶対落としてやる」


 暗がりで確かに両目を光らせた。


「は?」

 落とす? 思わずテーブルの足を取り落としそうになって慌てて握りなおした。

「そんな物騒なもん捨ててしまいなよ。無理矢理手籠めにされるとでも思った? ほんと面白いね、義姉さんは」

 あなたがすると言ったんでしょう、あなたが。

「色男を舐めないでよ。本当の色男ってのはね、女の方から言わせるんだ。お願いだから抱いてくださいってね。見てなよ、ドロッドロに惚れさせてやるから」

「待って。なんでそうなるんですか、今の流れで」

「怖い? 沼にはまるのが。もう遅いよ、僕を本気にさせたことを後悔させてやる。義姉さんが泣いて縋り付く姿が目に浮かぶよ」

 私には何も浮かびませんが、あなたはどこを見ているのですか。


「そうだそうだ、それがいい。父さんはただ連れて帰れとだけ言ってたけど、本気で惚れさせた方が兄さんが怒るに決まってる。ああ、楽しみだなぁ」

 どうやら、本当の色男とやらには常人には見えない景色が見えるらしい。アルカディアは歌うように一人で喋りながら出口に向かって歩き出す。惚れさせてやると宣言した女を部屋に残して。


「おやすみ、義姉さん」


 扉を閉める直前に部屋に落としたその言葉は、たぶん偶然なのだろう、絵本で読んだ夢の悪魔と全く同じセリフだった。


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