次は弟君の番ですね
「じゃあな、小娘! また来いよ。次のピクニックは来月の頭だ。必ず来い。来なかったら浚いに行くからな! 全員並べ、音楽を鳴らせ、花火を上げろ。妹を派手に見送るんだ」
「あ、ありがとうございます」
まるで国賓のような送別に少なからず気後れを感じつつ、私達は女帝のピクニックを後にした。馬車から零れるほどのお土産を持たされて。
なぜだか知らないけれど、義姉に異様に気に入られてしまったらしい。
あの後、思うさま笑い転げたナディーンはそのままの勢いで酒宴を開き、大いに歌い、大いに酔い、最終的に私の肩を抱いて「ジュリアンの顔に泥を塗れるならどんなことでも協力してやるぞ」と、頼もしいお言葉と共に頬にキスまでくださった。
まあ、思うことは多々あれど今は何より結果が大事だ。
つまり、
「色々ありましたけど、うまくいって何よりですね」
というわけである。
「一時はどうなるかと思いましたが、結果良ければ全て良しです」
「……」
「ナディーン様も根は良い人なのでしょうね。最初こそ少し怖かったですが、後半はずっと笑っていらしたし、部下に慕われるのもわかります」
「……」
「あの、旦那様。もしかして……怒ってらっしゃいますか?」
それなのに、ジュリアンの機嫌がすこぶる悪い。
馬車に乗り込んでからむっつりと押し黙り、目も合わせてくださらない。もしかして、犬猿の仲であるナディーンと仲良くし過ぎてしまったのが気に入らないのだろうか。
とにかく、ジュリアンはただただ黙りこみお土産に貰ったフルーツの砂糖漬けばかり齧っている。
そして、黙食のまま一本を食べきると、
「シエラ、あんなことはもうするな」
ようやくこちらを見てそう言った。
「あんなことと言いますと?」
「今回はたまたまうまくいったからいいが、ナディーンが本気だったら一撃で殺されていたかもしれないんだ」
「……あ」
こちらを見つめるジュリアンの顔が辛そうに歪んでいた。この顔は見たことがある。ついさっきだ。船の上の剣闘場で私の手を握ってくれた時の顔。
胸の奥がギュッと縮んだ。どうしてジュリアンはこんな顔をするのだろう。私のことなんてどうなってもいいはずなのに。思い出すのは、ジュリアンにかけられたいくつもの言葉達。
『あんな芋くさい女など触れたくもなく、顔も見たくありません』
『もし離縁させてくれる者がいるならいくら恩賞を払っても惜しくありません』
もちろん、あれがジュリアンの純粋な本音でないことはわかっている。クリスランとの関係を知った今ならば、積もった恨み辛みをああ言った言葉で吐き出したであろうことは理解できる。
ただ、それでもジュリアンが女性嫌いであることは変わりないはずなのに。私が仮初の妻でしかないことも。
「……シエラ」
なのになぜ、ジュリアンはこんな顔をするのだろう。人気のない冬の湖のような、今にも氷雨を下さんとする空のような眼をするのだろう。
「申し訳ございません。次からは出過ぎた真似はいたしません」
そして、私はなぜジュリアンのこの顔を見るのが辛いのだろう。
わからない。ジュリアンの思いも、自分の心も。
「頼んだぞ」
そう言うと、ジュリアンは仕切り直しとばかりにまた砂糖漬けのフルーツを齧った。
「……」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
相変わらず何もわからない私だけど、甘い物を頬張るジュリアンの顔は好きだった。
「さて、何はともあれ、ナディーンの心が取れたのは大きい。次は予定通り弟のアルカディアを籠絡する」
「アルカディア様もどこかの領地を任されているのですか?」
「いや、アルカディアはヴラオゴーネ憲兵隊の総隊長に任命されている」
「憲兵ですか。お堅い方なのですね」
「逆だ。あいつを一言で表すなら、ろくでなしの女ったらしの甘ったれの役立たずということになる」
一言……?
「昔からやたら突っかかってくる鬱陶しいやつだった。妾の子である俺に家の継承権があるのが気に入らなかったんだろうが、あの性格では俺がいなくなってもナディーンが継承者になることだろうな」
「そんな方がどうして憲兵隊に?」
「あいつが志願したんだ。軍を束ねていた俺とナディーンに対抗できるのが憲兵だからな。そういうやつだ」
「あの、一応お尋ねしますが兄弟仲は……」
「貴族の兄弟だ」
「なるほど」
ちらりと傍らに控えているザックに目をやると、鎮痛な面持ちで首を振っていた。どうやら、今回も難しい説得になりそうだ。などと密かに覚悟を決めていたけれど、
「アルカディアの交渉は俺一人でやる。シエラは屋敷で休んでいろ」
私の心を読んだようにジュリアンが言い切った。
「そんな! どうして」
「男のことは男同士だ。今回は俺に任せろ」
「でも」
「安心しろ、慰謝料を減額したりはしない」
どうやら、ジュリアンはよほど弟の説得に自信があるらしい。しかし、
「わかったな、シエラ。以前のように馬車に忍び込むような真似をするんじゃないぞ。大人しく俺の帰りを待っているんだ」
念を押される度に安心とは真逆の感情がせり上がってくるのは、なぜだろう。
「旦那様は、ヴラオゴーネに入られるのですか?」
「当然そうなるだろうな」
行かないでくださいとは、どうしても言えなかった。妻なのに。離婚を志すパートナーなのに、言えない。言葉は喉から出ていたけれど唇を通過した瞬間に溜息に代わる。
「どうした、シエラ?」
「……なんでもありません」
どうして、涙がこみ上げるんだろう。私をナディーンとの剣闘に送り出した時のジュリアンも、こんな気持ちだったのだろうか。
馬車は不安定な心をさらに激しく揺さぶるように、ガタガタと街道の舗装の歪みを座席に伝えていた。




