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夫婦の自覚あったのですか?

「旦那様?」

「喋るな」


 囁き声が耳に浴びせられた。一瞬で顔が熱くなる。

嫌だ、放して。もがこうとするけれど、できない。たくましい二本の腕が身じろぎも許されないほど強く私の体を締め付ける。

「じっとしていろ」

 顔が近い。意識した途端心臓が弾けそうに暴れ出した。嫌だ、聞こえる。恥ずかしい。

 ……お願い、気付かれないで。

 誰に何を願ったのか、自分でもよくわからなかった。

 

ややあって。

「なんだ、気のせいかぁ」

 お決まりのセリフを残して人の気配は遠ざかって行った。

 ようやく腕の力が緩む。ジュリアンは先に立ち上がって周囲の様子を確認すると、

「もう大丈夫だ。怪我はないか」

 私の腕を引いて立たせてくれた。

「……はい、何ともありません」


 嘘だけど。本当は破裂しそうなほど顔がカッカしているけれど。

服の埃を払うふりで俯いた。恥ずかしい。こんな顔を見られたくない。男の人に初めて抱きしめられたなんて、口が裂けても言ってやるもんか。

「とにかくシエラの言い分は概ねわかった」

「……ほ、本当ですか?」

 じゃあ、大人しく帰ってもらえますか?

「猶更、一人では行かせられなくなった」

なぜ!

「当り前だろう。お前が言う通りルーヘンの反乱にやむにやまれぬ事情があったとしても、シエラが内々で解決してしまえばまた同じ問題が起きる可能性がある。領官として俺は事情を知らねばならない」

 ここへ来て、ぐうの音も出ない正論を。

「そして、もう一つ。シエラが懸念している慰謝料だが、そんなことで減らしたりはしない。しつこく言質を求められたから依頼という形をとったが、これは俺達の夫婦二人の問題だ。

当然夫として協力はする。俺は仲間だ、俺を頼れ」

「夫婦?」

 突然出てきた意外すぎる言葉に思わず顔を上げると、

「だから、聞かせてみろ。今度は一体どんな悪巧みを隠してるんだ」


 ……ああ、ズルい。そこで微笑むのは本当にズルいです。


これでよく女嫌いなんて言えるもんだ。こんな素敵な笑顔を隠し持ってるくせに。晴れ渡った青空のような笑顔、乾いた大地を潤す慈雨のような笑顔。

「さあ、シエラ」

 そもそも、いつの間に名前で呼ぶようになったのですか。顔も見たくないって言ったくせに。反吐が出るって言ったくせに。

「……言いたくないです」

「シエラ」

「ここでは、まだ言いたくないです。村の真ん中までたどり着けたら、言います」

 ジュリアンに背を向けたまま指を差した。

ルーヘンの村の中心地、唯一の二階建ての集会所。村で一番大きな建物だ。

「あそこでいいのか。じゃあ、十秒待ってろ」

「え?」

 振り返る間もなく両足が浮いた。

「え? え? ちょっと、旦那様」

「喋るな、舌を噛むぞ」

 一息で私を抱え上げたジュリアンはそのまま走り出し、猫のようにぴょんぴょんと壁を蹴って屋根の上まで駆け上がる。

「嘘でしょ! 怖い、下して、旦那様!」

「あと五秒だ。すぐに済むから我慢しろ」


そこからは本当にすぐだった。

私をお姫だっこで抱えたジュリアンは平然と屋根を走り抜け、

「あと四秒」

屋根の先から飛び降りて、


「あと三秒」

 守備兵の眼前を駆け抜けて、


「あと二秒」

 垣根を踏み台にしてまた飛んで、


「あと一秒」

最後に羽が生えたように高く高く跳躍し、


「着いたぞ」

 集会所の真ん前に着地した。


信じられない。なんだ、この人。私を抱えたまま軽々と飛び跳ねる身体能力もさることながら、

「なんだ、お前ら!」

「敵襲だ!」

「囲め、囲め!」

 敵兵の真っただ中に飛び降りる、その神経が信じられない。

集会所にはもちろん敵兵が集中的に屯している。あっと言う間に二重三重に包囲された。

「さあ、シエラ。約束だ、聞かせろ」

 言ってる場合ですか。


数十もの穂先に囲まれても不死王は憎らしいほど冷静で顔色一つ変えやしない。その様子が余計に敵兵の怒りを煽った。「舐めやがって」そんな声と共に槍衾がじりりとにじり寄る。

 何でこんなことになったんだろう。せっかく変装したのに。せっかく死ぬ気で川を渡ったのに。仕方がない。予定はしっちゃかめっちゃかだけど、もうやるしかない。

「武器を収めてください、イーロンデールの友たちよ」

覚悟を決めて一歩前へ進み出た。

「私は敵ではありません。イーロンデール家の長女シエラ・イーロンデールです。あなた達の長に話があります」

 背筋を伸ばし、声に芯を通し、顔を露わにして、誇り高きイーロンデール公爵家の威厳を遍く周囲に示して見せた。


「何、シエラ・イーロンデールだと!」

「シエラ・イーロンデール……様?」

「そんなまさか、シエラ・イーロンデール様が」


 口々にその名が伝播する。公爵令嬢シエラ・イーロンデール。王国を支える十の公爵家の中でも最古の歴史を誇る由緒正しきその名前が衝撃を持って囲いをぐるりと一巡し、

「……誰だ、それ?」

 最後に人数分のクエスチョンマークが浮かび上がった。

 ああ、やっぱりそうなるか。知ってたけど。


「え、イーロンデール家の長女って、あの有名な美人だよな?」

 いいえ、それは妹のリディアです。

「いや、イーロンデール家の有名な美女といえば、社交界の蝶だろう」

 それは義母のポリーナです。

「あれだろ、生贄令嬢だろ」

 はい、それです。それが私です。

「おお、あれか。あんな地味な顔だったっけ?」

「知らん。一、二度お見かけしたけど……なんせ地味な顔だったからな」

 気にしていることをずけずけと。長の態度が下に伝わるのは軍隊でも同じらしい。


こうなるから言いたくなかったんだ。言ったって無駄だから。どうせ、信じてもらえないから。どうせ誰も、私の顔なんか覚えてないから。だから、間を挟まずに直接長と話したかったのに。

「とにかく、あなた方の長にお伝えください。シエラ・イーロンデールがやってきたと。それで全てが伝わりますから」

槍を構えた守備兵達はしばし不審そうに目配せを交わしていたが、無視することもできないようで一人が集会所へと走った。


「何、シエラだと!」


 反応はすぐにあった。


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