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お役目拝領いたします!


「旦那様……」

「シエラ?」


 体は真逆に動いていた。

ジュリアンの帰りを待ち構え、部屋の中に踏み入った。

「奥様、なぜここに!」

「待て、ザック」

 腰の剣に手をかけたザックを抑え、ジュリアンが一歩進み出る。


「……抜け穴か。いつからそこにいた」

 ジュリアンの視線が僅かに閉まりきっていなかった壁の穴に注がれる。

「さあ、いつからでしょうか。そんなことより旦那様、先ほどの言葉は真実でしょうか?」

「……」

「お義父様に仰った言葉は、真実なのでしょうか?」 


 ああ、言ってしまった。

もう戻れない。黙って去るのが正解なのはわかっていたのに。

事情はどうあれ、今の私はハルロップ領官の妻だ。何を言われたとしても、何も聞かない振りをして何事もなく妻としての役目を続行する。それが正しいことはわかっていたのに。


「触れたくもなく、顔も見たくない。毎日反吐が出る思いで、離縁させてくれる者がいるならいくら恩賞を払っても惜しくない。そう仰ったのは本心ですか?」

 でも、できなかった。この言葉だけは聞き流すことができなかった。荒れ狂う感情に押し流され、自分で自分の制御がきかなかった。

ジュリアンはそんな私を感情のない目で見つめ、

「本心だ」

 静かに頷いた。

「……そうですか」

 ジュリアンの返答はもちろん予想してはいたけれど、極めて冷淡なその言葉は私の心に決定的に火をつけた。もう止まれない。ジュリアンの青い瞳を正面から見つめ、



「であれば、そのお役目私が立候補いたします!」

私は決然と手を挙げた。



「……?」

 何を言っているんだ、この女。

そんな沈黙が部屋の中を埋めていった。あるいは、この女頭がおかしくなったのか、かもしれないがこの際沈黙の種類はどうでもいい。相手が黙った時が切り込むチャンス、議会で散々とっちめられたオジサマ方の教えに従い私は舌に油を差した。

「いいですよね? 旦那様は仰いました、誰でもいいから離婚させてくれと。であれば、その誰かが妻の私であってもいいはずです。私がやります。私が離婚させてみせます。ですから――」

「ちょ、ちょっと、お待ちください、奥様。あなたはご自分で何を仰ってるかわかっているのですか」

 切れ長の目を珍しく丸くさせながらザックが割って入ってくる。


「もちろん完璧にわかっています」

私は即座に言い切った。

「ジュリアン様は別れさせ屋をご所望なんですよね。ですから、私がお役目拝領いたします」

「……なるほど、本当に完璧にわかっていらっしゃるようだ」

「そして、うまくことがなった暁には恩賞として相応の慰謝料をいただきたく思います」

「慰謝料ですか?」

「はい」 

お金を。くださいませ。

「おいくらほど?」

「ほんの……これくらい?」

 両手の指で控え目に金額を示して見せると、ザックの目がさらに大きく見開かれた。


「ほ、法外なのは承知の上です。でも、この額をいただければイーロンデール家を救える新事業が始められるんです」

「新事業? イーロンデール家の財政がひっ迫しているのは調査済みですが、奥様がそれを?」

「女のくせに、そう言いたいのですよね」

「いえ、それは……」

「大丈夫です。散々言われ慣れていますから。でも、私が進めているオリーブの国産化は決してお嬢様のお遊びなんかじゃありません。ご存知ですか? ヴィシュカ王国に流通しているオリーブは全て外国からの輸入品です。理由はヴィシュカ王国の土地柄が影響しているのですが、これがもし国産化できれば莫大な利益が望めると思いませんか?」

「それは、まあ……本当に国産化が可能なのであれば」


「可能です。すでに協力者は集まっています。後は資金さえあれば、イーロンデール家の財政を立て直すことができる。礼を失することかもしれませんが、旦那様と結婚した後も頭はそのことでいっぱいでした。そんな時に旦那様のお言葉を聞いてしまって、居ても立っても居られず飛び出してしまったのです」

「……壁の裏からですか?」

「ぼやぼやしていたら誰かに案件を横取りされかねませんから。アジジ商会の教えその一、『手を挙げるなら誰よりも早く』ですわ」

「アジジ商会? 奥様はあのヤクザ者と繋がりがあるのですか?」

「一応、彼らの名誉のために言っておきますと、ヤクザ業界に手を染めたのは生きるために仕方なくです。今ではすっかり足を洗って健全な商会として活動していますからご安心ください」

……まあ、たまに技能伝承として気に入った相手に盗賊の技術を仕込んだりはするけれど。


「とにかく、旦那様。この案件是非とも私にお任せください。悪い話ではないと思うのです。旦那様は顔を見るのも嫌な女と離婚ができ、私は事業費が手に入る、皆幸せです。お願いです、旦那様。どうか私に幸せをくださいませ!」

 妻として最初で最後のおねだりは、我ながら悲壮感に満ち満ちていた。

「……」

 もはや、物も言えない様子のザック。再び室内を『何言ってるんだ、この女』という沈黙が埋めていく。


それを破ったのは、

「――」

 誰かが吹き出す音だった。噛み殺そうとして、でも堪え切れずに唇から洩れた音。

「よくもまあ……ベラベラと喋ることだ」

「旦那様?」

 もしかして、笑っていらっしゃる? 私、一応真剣に喋っているのですが、この上なく。

 私の不満げな視線を受け止めたジュリアンは、表情を見られまいとするように顔を背け、

「いいだろう。ことはそんなに単純ではないが、やれるものならやってみろ」

 そう言って口の端を僅かに持ち上げた。


 それは出会って以来初めて見る旦那様の小さな小さな笑顔だった。

 

 


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