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黄昏の幻術師  作者: いろは
第八章
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第96話 いつかその日まで

 取り返しのつかないことをしてしまったら、どうやってそれを償えばいいのだろう。かけがえのないものを失ったら、どうやってその穴を埋めればいいのだろう。

 まだそんなに長くは生きていないぼくだけど、その問い対するぼくなりの回答は準備できている──完全に元どおりにするのは不可能だ。


 身もふたもない答えですまないと思う。わかりきったことじゃないかと、呆れる人も多いだろう。わかりきったことだけど、大事なことだと思うから、あらためて確認しておこう。

 壊れたものは元に戻らない。いなくなった人はかえってこない。起こってしまった事実はくつがえらない。


 その時ぼくの前にいたのは、まさしく戻らないものを想って苦しむ大人たちだった。友人を、家族を失い、傷つけて、それらすべてを自分のせいだと思っている。己で己を責め立てて、止まらない血を流し続けている。もうずっと長い間、十年以上も、ずっと。


「ずっと言いたかった」


 謝罪の言葉を吐き出したあとで、ぼくの父は片手で髪をかきまわした。正確には、そんな仕草をした気配がした。


「約束を守れなくて、ごめん」


 ぼくは、何も言えなかった。何と返したらいいのかわからなかった。どんな言葉も慰めも、口にした途端ひどく陳腐なものに成り下がるような気がした。


「きみが謝ることはない、オリヴァ」


 代わりに口を開いたのは先生だった。ぼくの隣で、先生は静かに立ち上がった。


「悪いのはわたしだ。償いをさせてほしい。今度こそ」

「馬鹿を言うなよ、アーサー」


 先生の申し出を、父は即座に笑い飛ばした。


「きみがここに残ったところで何の意味がある。何も変わりゃしないよ。きみの自己満足のために、周りの人間を悲しませるのは感心しないな」


 グレンシャムのクルス医師は素晴らしく腕のいい医者だったそうだが、その息子の腕前も父親におさおさ引けを取るものではなかっただろう。ことに、遠慮も容赦もまるでなく、ずばりと患部を切り取ってみせるという手並みにかけては。


「残念だけどな、アーサー。覚悟を決めてくれ」


 患者に余命を宣告する医師のごとく、父は淡々と先生に告げた。


「ぼくはきみを楽にしてやることはできない。たとえぼくが、きみのせいじゃない、きみは悪くないって百回も二百回も言ったところで、きみは自分を責めることをやめないんだろう。それこそ百回でも二百回でも、きみはきみ自身を鞭打つんだろう。それをぼくは止めてやれない。救ってやれない。きみはこの先もずっと、ひどい苦しみを引きずって生きていくしかないんだ」


 父の刃物メスの切れ味は鋭さを増していき、同時に先生の身もどんどん強張っていくようだった。ぼくは先生の腕を握り、目の前に立つ人をきっと見すえた。さすがに言い過ぎだろうと、口にしかけたぼくの機先を制して「けどな」と父が言葉を継いだ。


「これだけは覚えておいてくれ。ぼくは、きみに会えてよかったと思っている」


 布地越しに触れた先生の腕が、小さく震えた。


「それだけは伝えたかった。よかったよ。ちゃんと言えて。まあ、きみはずいぶん忘れっぽい性格みたいだけど、たまには思い出してくれるとありがたいね。そうだな、二百と一回目くらいには」


 オリヴァ、と。ぼくにしか聞こえないくらいのかすかな声で、先生がつぶやいた。ぼくは両足を踏みしめ、全身で先生の腕を支えながら、暗闇の向こうに目を凝らした。


「……父さん」


 黒い外套をまとった丈高い人に、ぼくは呼びかけた。その人の顔は相変わらず見えなかったけれど、きっと穏やかに微笑んでいたことだろう。ぼくにはわかる。あの人の息子である、ぼくには。


「ぼくは……」


 ぼくは、どうすればいいだろう。父の息子として、この人に何をしてあげられるだろう。ぼくは、ぼくだって嫌だった。こんなところに父を一人で残していくのは。できることなら、父と一緒にここから出ていきたかった。もう絶対に離さないと決めている先生の腕と同様、その黒い外套につつまれた腕に手を伸ばしたかった。


「ルカ」


 あとの言葉がつづかないぼくに、父は優しい声を届けてくれた。全部わかっている、と言うように。


「笑ってくれ」


 呼吸いきが止まった。


「たくさん笑っておくれ。おまえが笑ってくれればくれるほど、ここが」


 父は自分の胸に手をあてた。


「温かくなる。父さんを凍えさせないためにも、うんと笑っておくれ。幸せになってくれ。おまえの母さんも、同じ気持ちでおまえを見守っているからね」


 ぼくは、もう声をあげることもできなかった。ただうつむいて、顔を覆って、先生を支えるつもりが逆にその腕にすがりついて、嗚咽が漏れないよう歯を食いしばっていることしかできなかった。


「ああそれと、そこの頼りない師匠の世話を頼むよ。いやあ、父さん嬉しいよ。おまえみたいなしっかり者の息子がいてくれて」

「オリヴァ」


 ぼくの頭に大きな手が添えられるとともに、憮然とした声が降ってくる。ぼくのよく知る、先生の声が。


「そこは逆じゃないのか」

「いや、合ってるよ。まさかきみ、自分が他人の世話を焼けるほど出来た人間だとでも思ってるんじゃないだろうな」

 

 ぐうの音も出ないといった風に黙り込む先生に、ぼくは思わず噴き出してしまった。不謹慎だろうか? いや、そんなことはないだろう。ぼくが笑えば笑うほど、父さんは幸せになってくれるのだから。


「アーサー」


 そのひと言にこめられた想いを、先生が余すことなく受け止めてくれていたらいいと思う。ごめん。悪いな。後は頼んだ。それから──ありがとう。


 頭に添えられた手が、ぼくの肩に回される。顔をぬぐうぼくを促すように、先生がその手に力をこめる。


「オリヴァ」


 淡い光がもれる扉の前まで来たところで、先生は最後に振り返った。


「また、いつか」


 そう、またいつか。きっとまた会えるだろう。だってぼくたちは鍵番だから。その「いつか」まで、ぼくは精一杯笑って過ごそうと思う。ぼくのために。ぼくの大切な人たちのために。


 扉がひらく。光があふれる。わずかな翳りを帯びた黄金きん。ぼくのいちばん好きな色が。


 ぼくはそっと目を閉じて、光の中へ足を踏み出した。ぼくの先生と並んで、扉の向こうへ。




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