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黄昏の幻術師  作者: いろは
第八章
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第91話 一番弟子の特権

「はじめから決めていた」


 片足を投げ出し、もう片方のひざを抱えるようにして座る先生は、昔読んだ本の挿絵に描かれていた囚人によく似ていた。一筋の光も差さない独房でうずくまる、一切の希望を手放した囚人に。


「この呪いは、わたしの代で終わらせてやろうと。我慢できなかったんだよ。あの醜い色には。わたしのまわりの、もと“鍵番かぎばん”たちの色にはね」


 皮肉っぽく唇をゆがめた先生を見て、ぼくはちょっとだけ嬉しくなった。その瞬間だけ、いつもの先生が戻ってきてくれた気がした。


「ひとたび鍵を手にした者は、いずれああなる。例外はない。きみも見ただろう。あの──」


 黒。華やかな劇場の客席で、裏口で、ぼくを心底震え上がらせた闇の色。


「物心ついた頃から、あれは常にわたしの身近にあった。たまらなかったよ。きみほどじゃないが、わたしもそれなりに見えていたから」


 ──そうだよ。


 ぼくの頭の中に、いつかの先生の声が落ちてきた。ぼくがグラウベンにやってきた春の夕べ、先生はぼくにこう言った。そうだよ、きみのような子のことはよく知っている、と。あれは、先生自身のことだったのだろうか。


「いずれ、鍵がわたしの手に転がりこんでくることはわかっていた。それはいい。あの家に生まれた者の義務として、それは受け容れよう。だが、そこまでだ。それ以上は譲れない。あのおぞましい色をまとって生きていくのはごめんだ。あれを次の者に負わせるのも。だから」


 決めていた、と。先生はその台詞を繰り返した。


「わたしが最後の“鍵番”になる。そう決めていたんだ」

「なんで」


 ぼくはとっさに口をはさんだ。


「なんで先生が、そんなことしなきゃいけないんですか」


 まったく納得がいかなかった。悪いのは先生じゃない。うんと昔の、先生の遠い先祖の誰かが鍵を返さなかったのが悪いんじゃないか。先生が責任をとるべきことじゃない。牢獄に閉じ込められるべきは、断じて先生じゃない。


「なんで先生ばっかり、そんな……」

「そうすべきだと思ったからだよ」


 静かな声が、ぼくの繰り言をさえぎった。


「そうすることが正しいと判断した。理由はそれで充分だ。問題は、わたしが自分で思っている以上に臆病者だったことだ。正しいとわかっていながら、行動に移せなかった。いつかは、いずれはと自分に言い訳をして、いたずらにその時を引き延ばしていた」


 わかっていることと出来ることは違う。ぼくの父が遺した言葉だ。本当に、全然違うんだよ。


「あとは、思い上がっていた。自惚れていたんだ。鍵を受け継いだ時は、ちょうどあの戦争の最中だった。わたしは、愚かにもこう思ったんだ。わたしなら、この戦争を早くおさめてやれるだろうと。馬鹿げた妄想にとりつかれていたわけだ」


 そんなことは、と言いかけたぼくを制するように、先生は目を上げた。


「わたしは過ちを犯した」


 先生が一言発するごとに、ぼくを取り巻く冷気が強まるようだった。ぼくは外套越しに我が身を抱きしめた。寒さと、先生の言葉から身を守るために。


「わたしはもっと早くこうすべきだった。鍵を受け継いだその日にでも。英雄気取りで戦場へ行くべきではなかった。そうすれば、誰も死ななかった。きみの──」

「先生」


 ぼくは、両手で耳をふさぎたかった。いや、それより先生に飛びかかって口をふさいでしまえばよかったのだ。先生が、誰よりも先生自身を傷つける前に。


「きみの父親は、わたしのせいで死んだ」


 それは違いますとか、仕方なかったじゃないですか、とか。そんな上っ面の慰めに意味がないことはわかっていた。


 あるいは、ぼくは恨んでいませんとでも言えばよかったのだろうか。どこかの告解師みたいに、あなたを許します、とでも? 馬鹿馬鹿しい。そんな偉そうなこと、ぼくが口にする資格はない。あるとすればただ一人、オリヴァ・クルスその人だけだ。


「先生」


 資格うんぬん以前に、ぼくはそんなことが言いたいわけじゃなかった。そんなことを伝えるために乗り込んで来たわけじゃないのだ。


「ぼくは……」

「きみを引き取ったのは」


 ぼくがぐずぐずしている間に、先生がふたたび口を開いた。これがとどめとばかりに。


「罪滅ぼしのためだ」


 どん、と胸を押された気がした。断崖から、突き落とされたような。


「おそらくきみは、わたしに恩義を感じているんだろう。だが、その必要はないんだ。わたしはただ、きみから父親を奪った罪悪感から少しでも逃れたかっただけだ」


 ぼくの身体が落ちていく。どこまでも、はるか下方に。見上げた先に先生がいる。手を伸ばしても、もう絶対に届かないところに。落ちて、落ちて、深い底に叩きつけられて、ぼくは砕けてばらばらに──


「先生」


 ──なってたまるか、そんなもの。


 ぼくは大きく息を吸い、目を閉じた。まぶたの裏に淡い金色が広がる。いつかの停車場で、ぼくをすくい上げてくれた黄昏の光。


「いいです。もう、そういうの」


 目を開けたぼくを迎えたのは、変わらぬ無彩色の世界だった。もういいだろう。もうこの世界にはうんざりだ。いい子ぶるのはやめにして、胸を張って言ってやる。ぼくにはその権利がある。他でもない、当代一の幻術師アーサー・シグマルディの一番弟子には。


「そんなの関係ないですよ」


 ──ねえルカ君、


 ぼくの先生の口癖だ。肩をすくめて、飄々と。口笛でも吹くように、ときにはちょっぴり意地悪そうに。関係ないよ。そんなこと、いったい誰が気にするんだい?


「先生がどんなつもりだっていいんです。先生がどんなでも、ぼくは先生が好きですから」


 眼鏡の奥の瞳がゆっくりと見ひらかれる。ぼくはその色をよく知っていた。透き通った、わずかにかげりをおびた黄金きん。ぼくが一番好きな色だ。


「ぼくだけじゃないです。ダリルさんもヘレンさんも、キャリガン夫人もキャリガンさんも、ベルトランさんとか劇場のみんなも、先生の家のグラハムさんだって……」


 おそらく、チェンバース卿も。そしてもちろん、ぼくの父も。


「だから、先生」


 ぼくは一歩踏み出し、右手を先生に差しだした。


「帰りましょう」


 ぼくと一緒に、皆のところに。




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