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黄昏の幻術師  作者: いろは
第七章
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第83話 扉の向こう

 その日の夜遅く、ぼくはぼくが望んだ場所に立っていた。グレンシャムの先生の持ち家、クレイ館に。


 チェンバース卿の屋敷を出たぼくは、グラハム氏の手配で四頭立ての立派な馬車に乗せられ、停車場まで送り届けられた。そこでチェンバース邸からついてきてきてくれた従僕の人にグレンシャム行きの一等切符を買ってもらい、一緒にグレンシャムまで汽車に揺られた。


 余談だが、ぼくのお供をしてくれたその人は、いつかの園遊会の日にぼくを誘拐──と言っては大げさだが、まあ似たようなものだ──することに手を貸した人だった。おかげで長い汽車旅の間ずうううっと、謝罪と釈明を聞かされるはめになったぼくは、ひそかにグラハム氏の人選を恨んだものだ。本当に、ちょっとだけだけど。


 まあグレンシャムに着く頃には、その従僕の人ともすっかり打ち解けて──八人兄弟の長男で、来春結婚予定のお相手は腕のいいお針子で……なんてことまで打ち明けられて──最後は「ま、よくわからんけど、坊ちゃんも頑張んなよ」と頭をぽんとたたかれて別れることができたのはよかったのだけど。


 そして夜空に星がまたたく頃、従僕の人に送り届けてもらったクレイ館の玄関ホールで、ぼくはひとりたたずんでいた。


 もちろん、面倒見のいい八人兄弟の長男は、自分も館の中まで一緒に行くと言ってくれたのだが、ぼくはその申し出を丁重に、だけどきっぱりとお断りした。


 なんとなくだけど、予感があったのだ。あの扉は、ぼくの前でしか開かないであろうことが。あの扉は、”鍵番”の前だけに開かれる。

 厳密に言えば、ぼくに”鍵番”たる資格はなかった。あの”鍵”を、先生の金の眼鏡を、ぼくは受け継いではいなかった。ただ時折、それを借りて顔にかけ、目を休ませていただけだ。濃いミルクのような霧がたちこめる女王陛下の都で。


 それでも、これまた何の根拠もなかったが、ぼくは疑っていなかった。あの扉が、ぼくに向かって開かれることを。扉の向こうの”彼ら”が、ぼくを欲しているとわかっていた。誰に教えられることもなく。()()()()()()()()()()()()


 冷たくよどんだ空気のなか、ぼくはゆっくりを歩を進めた。玄関ホールを抜け、居間の扉を開け、それのもとへ歩み寄る。背の高い柱時計の前へと。


 ボーン、と鐘が鳴った。


 同時に、二本の針が回転をはじめる。最初はゆっくり、徐々に速く。


 鐘が鳴る。針が走る。くすんだ金の文字盤が、ぼくには人の顔のように見えた。(わら)っている人の顔に。


 ──ボーン、


 鍵を持って、先生は扉の向こうへ行った。だから誰も扉を開けることはできない。鍵のかかった扉を、外から開けることはできない。だったら──


 鐘が鳴る。わかってる、とぼくは時計をにらみつけた。


 だからここに来たんじゃないか。わかったから早く扉を開けろ。内側から扉を開けろ。あのときみたいに、ぼくを捕まえに来ればいい。今度は逃げない。抵抗もしない。早く、早く、ぼくを先生のところへ連れていけ!


 ──ボーン!


 ひときわ大きく鐘が鳴った。ぐん、と外套の裾が引っ張られる。誰かが、何かがぼくの足首をつかむ。腕に、腹に、胸に、首に、見えない手がからみつき、強い力でぼくを引きずり込む。


 ──あなたの前だったら、王宮の門はいつでも開いてよ。


 脳裏に黒いヴェールの貴婦人の姿が浮かぶ。あれはこういう意味だったのかな。そんな思いが頭をよぎったのを最後に、ぼくの意識は暗闇に落ちていった。


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