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黄昏の幻術師  作者: いろは
第六章
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第71話 オリヴァ・クルスの手記 10

 ぼくの大事なグレイス。今からきみにとっておきの秘密を打ち明けようと言ったら、きみはどんな顔をするだろう。きっと綺麗な目を丸くして、静かにぼくの話の続きを待ってくれるんだろう。ぼくの一風変わった性質について話したときと同じように。


 あの時きみがぼくにかけてくれた言葉を、ぼくは一生忘れない。大げさだと、きみは笑うかもしれない。だけど本当なんだ。あのとき、きみが素敵だと微笑んでくれた瞬間、ぼくは確かに救われた。


 あの日のきみの優しさが、今のアーサーにも必要らしい。彼もぼくと同じように、他人ひととはちょっと違う性質を持っているようだから。いや、同じだなんておこがましいかな。彼の力は、きっとぼくなんて比べものにならないほど強くて、多分ずっと厄介だ。持ち主をつぶしてしまいかねないほどに。


 薄暗い地下倉庫で、彼は「取引」について語ってくれた。言葉少なに、ひどく投げやりに。じつのところ、話が途方もなさすぎて、まだ全てを消化しきれていない。それでも、いちばん重要なところは理解できたと思う。ぼくらの置かれた状況が、これ以上ないほど最悪だってことはね。


 まったくいまいましいことに、ぼくらはおとりにされたらしい。敵の目をこの丘に引きつけておくためのね。ぼくらが必死になって敵の猛攻をしのいでいる間に、味方は敵の防衛線だか本拠地だかを突くことになっているらしい。そちらが成功するまで、ぼくらに救援は来ないのだそうだ。


 涙が出るほどすばらしいこの作戦を、アーサーは初めから知っていた。まさにそのために、彼はここに送り込まれたのさ。まずは、この丘をとせ。しかる後に守り抜け。よしと言うまで撤退も降伏も許さない。たとえどれほど犠牲が出ようとも、とね。


 難儀だな、とぼくが感想をもらすと、アーサーはもの言いたげな視線をくれて煙草をふかした。煙と一緒に、なんとなく嫌そうな気配が伝わってきたよ。憐れまれたと思ったのかもしれない。あるいは、皮肉と受けとられたのかもしれない。

 どちらでもないんだけどな。ぼくはただ、彼が心配だっただけだ。何と引き換えなのかは知らないが、明らかに重すぎる荷を負わされた彼のことが。


 わかったら逃げろと、彼は言った。話は終わりとばかりに吸殻を踏みつぶしながら。


 ぼくは、どうしていいかわからなかった。いや、違う。どうすべきかはわかっていた。いつだってそうだ。何が正しいか、何をすべきかは、最初からちゃんとわかっている。だけど、わかっていることと出来ることは、また別の問題なんだ。本当に、全然違うんだよ。


 ぼくは煙を肺の奥まで吸い込んで目を閉じた。くらりと揺れるまぶたの裏に見えたのはきみだ、グレイス。やさしい雨にけぶる水の色。ずっと眺めていたくなる、ぼくのいちばん好きな色だ。


 ぼくは目を開けて、隣の彼を見た。少し翳ってしまっていたけれど、彼の色もやっぱり素晴らしく綺麗だった。このままくすませておくのは実に惜しい。そんな思いが、ぼくの背中を押してくれた。


 きみが行け。そうぼくが言うと、彼は殴られたようにこちらを見た。面食らったさまがおかしくて、ぼくはつい噴き出してしまった。おかげで一気に心がかるくなった。物事はだいたいそんなものだ。踏み出してさえしまえば、あとはわりと簡単に進む。


 きみが行けよ、とぼくは淡い光がこぼれる扉を指さして、きつい目をしたアーサーが口を開く前に急いで言葉を継いだ。行って、ぼくらを助けてくれ、と。





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