第68話 オリヴァ・クルスの手記 7
ぼくのグレイス
今日はきみに謝らなくてはならない。これまで散々ぼくのことは心配いらないと言いつづけてきたけれど、今のぼくにその台詞を口にする資格はない。きみの夫、間抜けなクルス一等兵は、目下のところ営倉代わりの地下倉庫に監禁中だ。
いったい何をしたんだって? いや、ぼくは何もしていないよ、グレイス。何もしなかった。まさにその科で、ぼくはこの怖ろしく寒い地下室でがたがた震えているのさ。
事の起こりは昨日の晩、ぼくが哨戒の任についていた時だった。見回りなんて、本当は衛生兵の仕事じゃないんだけど、駐屯地の人間がだいぶ減っているものだから仕方ない。ひどい寒さに悪態をつきながら歩いていたぼくは、運悪く数名の逃亡兵に行き会ってしまった。
じつはね、グレイス、最近は逃亡兵もそう珍しいものじゃないんだ。逃げたところで、たいていはガスみたいに丘を囲む敵兵に撃たれて終わりなんだけど、それでもわずかな希望にすがって逃げ出す連中が後を絶たなくてね。
哨戒兵として真っ先にぼくがやるべきは、首にさげた笛を鳴らして仲間を呼ぶことだった。だけど、夜目にもそれとわかるほど真っ青な彼らの顔を見たら、とてもそんな気にはなれなかった。まあ実際、彼らもそんなことは許しちゃくれなかっただろう。ぼくが笛に触れようものならば、彼らはいっせいにぼくに飛びかかってきたに違いないから。
目をぎらつかせてぼくを見る彼らの前で、ぼくは両手を下ろしたまま、ただ黙って首をふった。そのまま背を向けたぼくに、誰かが小声でありがとうと言った。その言葉を聞くのはずいぶん久しぶりだった。小さな陽だまりのようなその言葉は、凍えたぼくの身体をほんの少しだけ温めてくれた。
夜が明け、各隊の点呼が終わってすぐに、ぼくは地下室に放り込まれた。どうも、逃げたのは隣の隊の連中だったらしい。自分の隊から数名が消えていることを知ったその隊長が、われらがチェンバース大尉のもとへ怒鳴り込んできたということだよ。昨夜の哨戒兵を引き渡せってね。
アーサーに迷惑をかけてしまったのは、返す返すも申し訳ないと思う。同時に、今日ほど彼の部下でよかったと思ったことはない。もしも隣の隊の所属だったら、ぼくは今頃せっせと自分の墓穴を掘っていたことだろう。それからずどんと一発背中を撃たれて、自分が掘った穴に転げ落ちる。合理的な処刑法が、あの中隊長どののお好みらしいから。
まあ、いくら寛大な──と言うより、単に面倒くさかっただけかもしれない──チェンバース大尉どのでも、さすがにぼくを無罪放免とするわけにもいかなかった。そんなわけで、ぼくは今ここにいる。狭くて暗くて、死にそうなほど寒い地下室に。
いつまでここに閉じ込められることになるのか、それはぼくにもわからない。たぶん、夜になったら出してもらえると思う。さすがにここで一晩を過ごしたら、ぼくの血は最後の一滴まで凍ってしまう。まさか、それがアーサーの狙いじゃないだろうな。この駐屯地で、彼はおそらく誰よりも合理的な中隊長だから。
冗談だよ、グレイス。彼はきっとそんなことはしない。それなりに貴重な衛生兵を、無駄に死なせるほど馬鹿な男じゃないさ。ああだけど、このままぼくの存在がすっかり忘れられる可能性はあるな。外では一日中激しい戦闘が続いている。雹のように弾丸が降りそそぐ中で、誰が間抜けな衛生兵のことなんて覚えていてくれるだろう。
遠くから砲弾の音が聞こえる。気のせいか、それは少しずつ近づいているように思える。ずん、という不吉な地響きとともに、この地下室も震える。天井からぱらぱらと塵が落ちてくる。
ねえグレイス、どうか今だけ、今だけでいい、弱音を吐かせてくれ。ぼくは怖いんだ。怖くて怖くてたまらない。今この瞬間にも、天井が崩れ落ちるんじゃないか、四方の壁がぼくを押しつぶすんじゃないか。そんなことばかり考えている。
さっきまで、ぼくは叫んでいた。ここから出せ、助けてくれって。だけど、もうやめたよ。そんなことをしても無駄だから。ぼくの声は誰の耳にも届かない。ただ凍った空気が肺を刺すだけだ。だからグレイス、ぼくはきみに呼びかけるよ。この手帳がポケットに入ったままだったのは、本当に幸運だった。これはぼくの命綱だ。絶対に手放してはいけない、ぼくの希望。
グレイス、ぼくのグレイス、どうか助けてくれ。ぼくは死にたくない。こんなところで死にたくない。もう一度、きみの美しい色を見たい。温かな光に触れたい。ぼくたちの子どもに会いたい。なあガストン、きみはまだそこにいるのかい? どうかお願いだ。ぼくの声を届けてくれ。ぼくのグレイス、ぼくの大事な人たちのもとへ。




