第66話 オリヴァ・クルスの手記 5
ぼくの大事なグレイス
今日はなかなか楽しい一日だった。隊の皆をスケッチしたんだ。昼休憩の暇つぶしにジョーイの顔を描いてやったら、これがけっこう好評でね。手帳のページをやぶってジョーイに渡したときには、もう次は自分だという順番待ちの列ができていた。
嬉しいけれど時間も手帳のページも到底足りず、さてどうしようと困っていたぼくを助けてくれたのは、われらが英雄チェンバース大尉どのだった。
彼はまさに英雄だ。中隊長の権限で休憩時間をうんと延ばしてくれただけでなく、どこかから反故紙の束をもってきて気前よくぼくに放ってくれたんだから。
思うにあれは、彼なりのお礼のつもりだったんだろう。いつかの煙草と、悪酔いしたところを介抱してやったことへの。あるいは口止めかな。どちらにせよ、先に借りをつくったのはぼくなんだから、彼が気にすることなんてこれっぽっちもないんだけどね。だけど、それじゃあ彼の気がすまないんだろう。律義というか、強情なところは昔と変わっていなくて微笑ましい。
まあとにかく、彼の采配は歓声と口笛に迎えられ、ぼくも久しぶりに思う存分腕をふるうことができたというわけだ。
ひとの顔を描くのはおもしろいよ、グレイス。鼻の形がどうだとか、目や口の大きさなんかは、ぼくにはさほど重要じゃない。いかに似せて描くかより、どうやったらそのひとの本質の、ほんの一部なりとも紙面にとどめておけるか。そっちのほうが、ぼくにとってはよほど大事なんだ。なんて、まるでどこかの巨匠みたいな言い方だね。きみ相手だとつい格好をつけてしまう。要は、単にぼくが下手くそだという話なんだけど。
下手でもなんでも、ぼくのスケッチを求めてくれるひとがいるのはいいものだ。今日だけで、ゆうに二十人は描いたかな。ちょうどぼくらの神様ガストンが来ていたから、みんな自分のスケッチを大事そうに折りたたんで、故郷への手紙とともに神様へ預けていた。
皆の喜ぶ顔を見ることができて、ぼくもすごく幸せな気持ちになれたよ。ついでに煙草の補充ができたのもありがたかった。いつの間にか、スケッチ一枚につき煙草三本という決まりができていてね。おかげで当分ガスの世話にならずに済みそうだ。
戦利品の半分は、恩人の中隊長どのに献上した。でも予想どおりというか何というか、そっけなく断られたよ。じつはついさっきまで、彼も隣にいたんだ。ぼくが寒空の下で煙草をふかしていたところに、また彼がふらりと現れてね。
ぼくはまず彼にお礼を言い、それから煙草をすすめた。束にして進呈したら断ったくせに、一本抜き出してやると大人しく受け取るんだからおもしろい。一本吸う間くらいは付き合ってやるよ、ということかな。
アーサーは──さすがにもう坊やとは呼べない──相変わらず口数が少なく、そしてやっぱりひどく疲れているように見えた。ダリル坊やは元気かとぼくが尋ねると、さあ、と熱のない答えが返ってきた。ヘレンとは会っているのか、という問いには、かすかに首を横にふっただけだった。じゃあ、としつこくぼくは食い下がった。きみは大丈夫なのかと。
戦場でこれほど馬鹿げた質問もそうはないだろう。なにせここは狂った世界。安全なんて言葉はごみくず以下の価値しかない場所だ。案の定アーサーも呆れたような視線をぼくによこし、吸いさしを闇に放って腰を上げた。そのまま歩き去ろうとした彼に、ぼくはもう一度お礼を言った。今日はスケッチの時間をくれてありがとう、と。
そのとき彼が見せた表情が、さっきからずっと引っかかっている。あれと同じ顔には覚えがある。ぼくの父が時折見せていた顔だ。もう手のほどこしようのない患者を前にしたときの、父の顔。
愛するグレイス、きみを不安にさせるのは断じてぼくの望むところじゃないけれど、この戦場には、やはり何かがある。その正体を知っているのは、おそらくアーサーだけだろう。
大丈夫だよ、グレイス。ぼくは悲観的になっているわけでも、まして自棄になっているわけでもない。むしろ当面の目標ができて意気込んでいるといったところかな。
彼が何かを抱えているなら、ぼくはそれを知りたい。ぼくがきみたちのもとへ戻るために、それはきっと必要なことだ。それとできれば、彼が抱えている荷物の半分くらいは持ってやりたいと思うよ。昔馴染みのよしみだけじゃなくてね。
またお節介をと、きみは呆れるだろうか。それとも、ぼくらしいと笑ってくれるだろうか。どちらでもいい。ぼくのグレイス、いまはただ、きみに会いたい。




