第55話 あなたによく似た
ぼくがアッシェンの孤児院にいた頃、年に何度か仲間を見送る機会があった。どこかにもらわれていったり、働き口が見つかったりと、去る者の理由はさまざまだったが、共通していることが一つだけあった。
孤児院を出ていく仲間の顔が、未来への不安と希望と、それから、残される者に対する優越感に彩られていたことだ。
自分を選んで、引き取ってくれる人がいる。だから、もう自分は要らない子じゃない。残された「かわいそうな」子どもたちとは違って……ひどく拗けた物の見方だということは重々承知している。だけど本当に、あの頃のぼくの目に、世界はそう映っていたのだ。
ほかならぬぼく自身も、グラウベンに旅立つときは同じ顔をしていたことだろう。王都に店をかまえる立派な──と当時のぼくは無邪気に思い込んでいた──親方に選んでもらえたことが、ぼくは嬉しくて得意でならなかったのだ。
ご存知のとおり、ぼくが活版屋の徒弟となることはなかった。かわりにぼくの手をとってくれたのは先生だった。魔法の眼鏡をかけた、白髪の幻術使い。
「先生は」
少しは、ほんのちょっとは役に立っていると思っていた。必要とされていると自惚れていた。ぼくの目がどうだとか、誰の息子だからとか、理由なんてどうでもいい。ただぼくが要るのだと、これからもずっと側にいていいのだと、先生にそう言って欲しかった。だけど、
「ぼくなんか、要らなかったんですよね」
口からこぼれた言葉は、誰よりもぼく自身を傷つけた。ぼくは眼鏡をとって顔をこすった。ヘレンさんがこの場にいたら、きっと呆れて首をふったことだろう。ついでに拳骨の二、三個は落ちてきたかもしれない。なにめそめそしてるんだい、まったく情けないったらありゃしない、とね。
「ヘレンがいなくてよかったなあ」
ぼくの頭の中を読んだように、ダリルさんが嘆息した。
「あいつがいたら、おまえ今頃ひどい目に遭っていたぞ。馬鹿なこと言うんじゃないってな」
驚いて顔をあげたぼくの目に、見慣れた「色」が飛び込んできた。踊る炎のような、泣きたくなるほど綺麗な赤が。
「まあ、その前にアーサーがやられるか」
うすら寒そうな顔でつぶやいて、ダリルさんは「あのな、ルカ坊」とぼくに向き直った。
「あのへそ曲がりの気持ちなんぞ、おれは知らんし、知りたくもない。だけどな、これだけは言える。あいつは、あいつにとって必要のない人間を側に置いておくほど心が広くない」
むしろ狭い、とダリルさんは断言した。
「だから、おまえの心配はてんで的外れなんだよ。要らないなんて、そんなわけあるか。弟子のおまえが……」
「違うんです」
ぼくはとっさに口をはさんだ。
「ぼくは、本当は……」
「何が違う」
今度はダリルさんがぼくの言葉をさえぎった。
「何も違わないさ。おまえはアーサーの弟子だよ。あいつが選んだ、たった一人のな。わかったら胸を張れ。あいつの弟子が、いつまでもしょぼくれた顔をしてるんじゃない」
ぼくはたまらずうつむいた。まったく、ダリルさんとヘレンさんはよく似ていた。二人とも、ぼくを泣かせるのがとびきり得意だったから。
たぶん、ダリルさんは最初から全部知っていたのだと思う。先生の芝居の筋書きも、おそらくぼくの父のことも。知った上で、あの人は笑うのだ。それがどうしたってんだ? ルカ坊。ダリルさんのああいうところは、先生にそっくりだった。
「正直なところ、学校の件は悪くない話だと思うぞ」
そろそろ帰るかと腰をあげたところで、ダリルさんはそう言った。
「おまえだって興味はあるんだろう?」
興味があるどころではなかった。だからこそ、ぼくはいっそう悩んでいたのだ。
「こればっかりは、おまえが自分で決めるしかないだろうよ。とにかく焦るな。あと、あんまり考えるな」
あまり一般的でない忠告に首をかしげたぼくの頭を、ダリルさんはくしゃくしゃとかきまわした。
「おまえは放っておくと際限なく考え込むからな。しかも妙な方向に。だから、あんな馬鹿なことも口走るんだ」
「あれは、だって」
抗議というより気恥ずかしさを紛らわすために、ぼくは訴えた。
「ダリルさんが言えっていうから……」
そうだったな、とダリルさんはかすかに笑った。どこか痛みを堪えるように、灰色の眼を少しだけ細めて。
「ごめんな、ルカ坊」




