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黄昏の幻術師  作者: いろは
第二章
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第15話 そして舞台の幕は上がる

 階段を登ると、暗くて埃っぽい空間が待っていた。おそらく舞台の幕を上げ下げするための場所なのだろう。幅広の板がわたされた床には、太いロープが巻かれた滑車がいくつも鎮座していた。


 むきだしの梁の下は一方が吹き抜けになっていて、太い柱の間に簡素な手すりがついている。どうやらそこから舞台を見下ろせるらしい。とりあえずあそこへと一歩踏み出したぼくだったが、そこで運悪く床板の隙間に足を引っかけてしまった。


「わっ……」


 よろけた拍子に眼鏡が顔から落ちた。それを受けとめようと、とっさにのばした手は空をつかみ、あわや転びかけたぼくを、


「──おっと」


 横から抱きとめてくれた人がいた。


「大丈夫かね、坊や」


 暗がりの中で、低くしゃがれた声がした。顔を上げると、小柄な男の人がぼくの胸を支えてくれていた。梁の影に隠れて顔は見えなかったが、声の調子からずいぶんお年を召した人らしいことはわかった。


「……ありがとうございます」


 シルクハットを抱え直してお礼を言うと、そのご老人は「ふむ」と首をかしげた。


「見ない顔の坊やだ。新入りかね……ああ」


 床に落ちた眼鏡をひろいあげ、ご老人は得心したようにうなずいた。


「あの幻術使いのところの子か」


 上にいる人に失礼のないように。そんな先生の言葉を思い出しながら、ぼくはなるべく丁寧に挨拶をした。


「ルカ・クルスといいます。はじめまして、ええと……」

「ベルトランだ。この劇場の支配人をしている」


 そんなえらい人がなんでこんなところに、というぼくの疑問は、おそらく顔に出てしまっていたのだろう。影に覆われたベルトラン氏の顔が、ほんの少し笑んだように見えた。


「ここは私の指定席でね。ここなら舞台も客席も、両方よく見えるだろう? 支配人たる者、観客の反応もしっかり見極めなくてはならない。お客が楽しめない演し物は、私の劇場には要らんのでね。その点、あの幻術師はなかなかいい。私も毎回楽しみに……」


 ベルトラン氏が言い終えないうちに、わっと下から拍手と歓声がわき起こった。


「ほら、はじまるぞ。坊やも早く」


 ちゃんと名乗ったんだから坊やはやめてくれないかな、と思ったぼくだったが、とりあえず文句はお腹におさめ、ベルトラン氏を追いかけて手すりのほうへ向かった。


「──お集まりの皆さま」


 舞台から朗々とした声が響いた。けっして大声を張り上げているわけじゃないのに、不思議とよく通る、耳に快い響き。先生の声だった。


「パルモント劇場へようこそ。今宵は皆さまをひとときの夢の世界にお連れしましょう。案内人はこの私、幻想の扉の番人、アーサー・シグマルディ──」


 短い口上を述べると、先生はさっと腕をあげた。とたんに、場内の明かりが一斉に消えた。客席のどよめきが消え去らぬうちに、先生はふたたび手を高く掲げた。


「ほう、見事」


 隣でベルトラン氏が感嘆の声をもらした。ぼくはと言えば声をあげる余裕もなく、先生が生みだす光と幻影にただただ見入っていた。


 先生が手をひるがえし、指を鳴らすたび、舞台に黄金の光がはじける。はじめに光の中から飛びだしたのは極彩色の鳥。鮮やかな翼を広げてゆったり舞う鳥の羽ばたきから炎が生まれ、踊る炎はやがて七色の虹へと姿を変える。


 いったいどういう仕掛け、いや、魔法だろう。めくるめく光彩に夢中になっていたぼくだったが、ふと視界の隅によぎったその「色」に、ぎくりと身を強張らせた。



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