第12話 人としてまっとうな
先生との暮らしは、はじめからすべて順調──というわけにはいかなかった。長年の集団生活が身に染みついていたぼくと、こちらもおそらく長年の独り暮らしに慣れていた先生が、互いにちょうどいい距離感をつかむまで、どうしたってある程度の時間は必要だったのだ。
だけど、はじめはいくぶんぎこちなかった生活も、日を追うごとになめらかに回るようになった。そこはなんといってもキャリガン夫人の功績が大きいだろう。夫人の明るい、そしてひっきりなしのおしゃべりは、ぼくと先生の間に横たわる沈黙や、ちょっとした遠慮なんかをまとめて吹き飛ばしてくれた。
にぎやかな小鳥が空に舞いもどるようにキャリガン夫人が帰っていくと、ぼくと先生はわずかな寂しさとほんのちょっぴりの安堵がないまぜになった視線を交わす。そのたびに、先生との距離が少しだけ縮まったような気がしたものだ。
キャリガン夫人はぼくに掃除のこつや簡単な料理なんかも教えてくれた。本当は坊ちゃんにさせるものじゃないんですけど、と夫人は嘆いていたけど、おかげでぼくは自分が役立たずなんじゃないかという思いから解放されて、とても嬉しかった。
朝起きると、ぼくはまず着替えて顔を洗う。それから家の前に届いている新聞を回収し、台所で朝食をつくる。といっても、ごく簡単なものしか用意できないけど。卵を──もちろん先生の好きな両面焼きで──焼いてトーストにバターを塗り、お湯を沸かしてお茶をいれているあたりで、先生があらわれる。寝間着にガウンをひっかけた姿で。
「おはよう、ルカ君」
まだ眠たそうな声でそう言い、お茶をすすりながら新聞に目を通す先生の前に、ぼくは朝ごはんの皿を並べる。台所の隣にちゃんとした食堂があるのだが、ぼくがこの家に来て最初の朝から、なんとなく朝食は台所の作業台ですませるという習慣が定着してしまったのだ。
キャリガン夫人に聞いたところによると、それまでの先生は昼より前に起きてくることはなく、もちろん朝食もとっていなかったのだそうだ。ぼくが先生の習慣を無理に変えてしまったのではと、ぼくはおそるおそる先生に訊ねてみたのだが、先生は「心配ない」と首を横にふった。
「人としてまっとうな暮らしにもどっただけだ」
そうですよ、と力強くうなずいたのはキャリガン夫人だ。夫人にしてみれば、朝食を抜くという行為はとんでもなく罪深いことで、前々から先生に物申したくて仕方なかったらしい。そこへぼくがやってきて、夫人の悩みも一気に解決したというわけだった。
坊ちゃんのおかげ、とキャリガン夫人は喜んで、大きなチョコレートケーキを焼いてくれた。ぼくは何もしていないのにと恐縮したが、だからと言ってケーキを断るなどという、それこそとんでもないことは、とてもできなかった。
ラム酒漬けのレーズンがたっぷり入ったそのケーキは、午後のお茶の時間に先生と一緒に食べた。早起きするといいことがあるねと、先生は笑ってお茶のカップを掲げてみせた。
***
「明日の夕飯はいらないよ」
思い出したように先生がそう言ったのは、ぼくが先生の家にお世話になってから半月ほどたった日の夕食の席だった。
台所で済ませる朝食とはちがい、昼と夜の食事は食堂のテーブルでとる。昼食はキャリガン夫人も交えてにぎやかに、そして夕食はぼくと先生の二人だけで。
先生と囲む食卓はいたって静かだ。それを気づまりだと思ったことは一度もない。むしろ親密な沈黙とでもいうようなその雰囲気が、ぼくはとても好きだった。孤児院の食堂のように、隣で乱闘が始まってスープを頭からひっかぶることも、よそ見をしている間に自分の皿のパンがかっさらわれるなんてこともなかったし。
「お出かけですか」
キャリガン夫人お手製のミートパイを切り分けながらぼくが尋ねると、先生は「まあね」と曖昧に首をかしげた。
めずらしいな、とぼくは思った。先生はめったに外出しない。一日の大半を書斎か、居間の長椅子で過ごしている。書斎にこもっているときの様子はわからないが、居間で見かける先生は、だいたいお茶を飲みながら本を読んでいるか、さもなければ昼寝をしているかだ。
たまに出かける先といえば、近所の書店か雑貨店がせいぜいだった。これはぼくも一緒に行ったからわかるのだが、それぞれの店の上得意であるらしい先生は、店主と親しげに話をしながら、大量の本やびっくりするくらい高価な茶葉を買いもとめていた。
「悪いが、明日の夕食はきみ一人でとってくれ。わたしは遅くなるから先に寝てなさい。火の始末と戸締りに気をつけて」
先生の言いつけに、わかりました、と従順な弟子らしく応じたぼくだったが、たぶん表情には出てしまっていたのだろう。ぼくは連れて行ってもらえないのかという落胆と、ほんのちょっとの寂しさなんかが。
だからなのかもしれない。先生が苦笑まじりにこう続けてくれたのは。
「よかったら、きみも来るかい」
「ぜひ」
勢い込んでぼくはうなずいた。散歩に誘われた犬のよう、とは情けない例えだけど、そのときのぼくはまさにそんな気持ちだった。
後になって、行き先を確かめる前に答えてしまったことに気づいたが、べつにどこだって構わなかった。先生が行くところならどこへでも、ぼくはお供するつもりでいたのだから。




