1 min
「先生、じつはちょっとご相談がありまして」
わたしの弟子で助手で養い子のルカ君がそう切り出したのは、夏も終わりの、ある朝のことだった。
「相談?」
その日、いつものように台所の作業台で卵をつついていたわたしは、皿と新聞から目をあげて弟子を見た。
「何か心配ごとでも?」
「ええ……あの、ぼく、もうじきここを離れるでしょう?」
ああ、とわたしはうなずいた。
わたしの弟子のルカ君は、この秋から王立美術学院に入学することになっている。けっこうな競争率である試験を見事突破した弟子に、師であるわたしも鼻高々だ。おまえは何も教えていないだろうが、などと赤毛の従弟は意地悪くぼやいていたが。
「足りないものがあるなら何でも買っておいで。ダリルに付き合わせたらいい。なんなら荷造りも……」
「いえ、そうじゃないんです」
ルカ君はやや性急に首をふった。
「持ち物はもう充分です。そうじゃなくて、ぼくが心配しているのは……」
どうしよう。これ言っていいのかな。そんな思いをありありと顔に浮かべながら、ルカ君は菫色の瞳をわたしに向けた。
「ぼくは先生が心配なんです」
「わたし?」
「はい」
十三という年齢に不似合いな重々しさで、少年はうなずいた。
「ぼくがいなくなったら、先生はこの家に一人になっちゃうでしょう? 先生がちゃんと暮らしていけるか、ぼく心配なんです」
これは驚いた。これから新しい世界に飛びこんでいこうという少年が、残される大人のことで頭を悩ませているとは。父親ゆずりの世話好きも、ここまでくれば苦笑を通り越して感心するしかない。
「心配してくれるのはありがたいがね、それは取り越し苦労というものだよ。きみがいなくてもキャリガン夫人がいてくれるし」
「そりゃあそうですけど、一日ずっとじゃないでしょう? 今日みたいにお休みの日もありますし。朝ごはんとか、どうなさるんです」
「そんなもの」
食べなければいいだけだろう、という言葉はすんでのところで呑みこんだ。わたしの弟子であると同時にキャリガン夫人の忠実な副官でもあるルカ君は、朝食を抜く人間をともすれば罪人あつかいするふしがある。
「どうとでもするよ。これでも、きみが来る前は一人でいろいろこなしてたんだ」
「いろいろ爆発させたり?」
「……しょっちゅうじゃないよ。だいたい、あんなことはもうやろうと思っても出来ないしね」
だから安心したまえよ、とお茶のカップを掲げてみせたが、少年の顔は曇ったままだった。
「だからなおさら心配なんです。何かあっても、もうあの力で解決できないでしょう? 先生、台所のどこに何がしまってあるか、わかります? ストーブの点け方とか消し方とかも。万一火事なんかになったら……」
「ルカ君、ルカ君」
わたしは苦笑して弟子の妄想をさえぎった。
「考えすぎだよ。わたしもそこまで非常識な人間じゃない」
本当かなあ、という顔をする弟子の疑念を晴らすには、わたしはいささか力不足だった。なにしろ前科もちの身の上である。胸をたたいて信用しろと言ったところで、この小さな検察官には通じまい。
「わかったよ、ルカ君。わたしは何をしたらいい?」
降参のしるしに両手をあげると、金髪の少年はぱっと顔を輝かせ、おそらくかねてより用意していたであろう提案を口にした。
「料理を覚えましょう」




