プロローグ
あの日々を想うとき、目に浮かぶのは、やわらかな黄金。西陽さす窓辺でまどろむ先生の姿。
木枯らし吹く季節はすりきれた毛織りのひざ掛けにくるまり、夏の昼下がりはシャツの襟をくつろげて。長椅子の上で窮屈そうに手足を折り曲げながらも、その寝顔はいつも穏やかだった。
ぼくが午後のお茶を運んでいくと、先生は薄く目を開けて大きくのびをする。それから、陽の光と同じ色の瞳でぼくに微笑みかけるのだ。
──この瞬間がいいんだな。
先生はよくそう言っていた。階下からただよう焼き立てのビスケットの香り。茶器の触れ合うかすかな響き。階段を登ってくるかるい足音。そのすべてが心地良いと。
──そして目を開けると、幸福が服を着て立っているというわけさ、ルカ君。
てらいもなくそんな台詞を口にしながら、先生はぼくからカップを受けとる。大げさですよ、と呆れるぼくに、先生は骨ばった指で白い髪をすきながら、とんでもない、とすました顔で主張する。
──誰かが自分のために、お茶を淹れてくれるというのはいいものだ。
自分で淹れるより他の誰かに淹れてもらうお茶のほうが美味しい、というのが先生の持論だった。もっぱら淹れる側であったぼくには、その説が真実かどうかはわからなかったけれど。
かわりに、ぼくはぼくで信奉している説があった。ひとりで飲むお茶より先生と飲むお茶のほうがずっと美味しい、という。
幸福、という言葉を耳にするとき、ぼくの頭にはきまってこの光景がよみがえる。
透き通る金の陽射し。白い陶器に映える深い紅。こんがり狐色に焼けたビスケット。宝石のように艶やかなジャムと濃いクリーム。そして、くつろいだ様子でカップに口をつける先生の姿。
先生の話をしよう。
ぼくの師、アーサー・シグマルディ。かつて女王陛下の英雄と呼ばれた男と、ぼくが過ごした日々の話を。




